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「前にある島」第2話(第二部/五部)

    📖 この物語は全五回です。
    ・ 第一回 消えゆくもの
    ・ 第二回 島へ向かう(このページ)
    ・ 第三回 生きている人達
    ・ 第四回 人は世界を反対に見ている
    ・ 第五回 前にある島

    第六章 忘れられた島

    ガンちゃんが亡くなってから、しばらくの間、時間の感覚がおかしかった。
    店は開ける。
    配達もする。
    お客さんとも話す。
    いつものように通販のチェック、発送作業やデスクワークをする。
    けれど、どこかで針が一本抜けたような感じがあった。
     
    六月が終わり、七月になり、夏の匂いがしてきた。
    その頃になると、ふと思い出す場所がある。
    新居大島だ。

    新居浜市の東の端、荷内の沖に浮かぶ小さな島。
    黒島の港から渡海船に乗れば、十五分ほどで着く。
    近い。本当に近い。
    なのに、普段の暮らしの中ではほとんど意識しない。
    目の前にあるのに、遠い島。
    そんな場所だった。
     
    小学生の頃、オレはソフトボールのスポーツ少年団に入っていた。
    二年生から六年生まで、夏になると恒例行事があった。
    新居大島への一日遠足だ。
    黒島港から船に乗る。たった十五分。
    けれど子どもにとっては、十分な旅だった。
    船が岸を離れると、それだけで胸が少し高鳴った。

    海の匂い。エンジンの音。白く残る波。
    普段見ている新居浜の町が、少しずつ後ろへ下がっていく。
    たったそれだけのことで、自分たちはどこか遠くへ行くのだと思えた。

    島に着くと、そこから歩いた。
    港のある側から、小高い丘を越える。
    山というほどではないけれど、子どもの足には十分な坂だった。
    途中にはみかんの木があった。何かの柑橘をもいだ記憶もある。
    今なら怒られるのかもしれないけど、咎める人なんて誰もいないし、
    島全体が子どもを許してくれていたような気がする。

    丘を越えると、海がもう一度開ける。
    その先に、わいたの浜があった。
    砂のきれいな浜だった。
    夏には海の家もあり、売店もあった。
    人もいた。声もあった。
    オレたちは海に飛び込んだ。
    泳いで、走って、腹が減ったら弁当を食べた。
    帰りの船では、みんな日に焼けて黙っていた。
    海の匂いと、島で過ごした一日の余韻が、帰りの船を満たしていた。
    あの頃の大島は、子どもにとって少しだけ冒険の島だった。
     
    海を渡る。
    丘を越える。
    また海に出る。
    それだけで、日常とは違う場所へ来た気がした。
    ところが大人になると、島は遠くなった。
    船なら十五分。
    距離は変わらない。
    変わったのは、オレの毎日だった。

    仕事をするようになり、店を継ぎ、気がつけば毎日が用事で埋まっていた。
    目の前にあるものほど見えなくなる。
    大島もそうだった。
    新居浜の人間なら誰でも知っている。
    けれど、行くかと言われると行かない。話題に出ることもない。
    気がつけば、島の人口は八十人ほどになっていた。

    八十人…。
    昔の小学校ならニクラスほどだ。
    島全体で、それだけしか人がいない。
    あの浜にあった売店はもうない。
    海の家もない。
    わいたの浜には、静かな波だけが寄せていた。
    人がいなくなると、場所はどうなるのだろう。
    その問いだけが、しばらく頭に残った。
    ガンちゃんのことを考えていたせいか、そんなことが頭に浮かんだ。

    人が死ぬ。
    店が閉まる。
    祭りに帰ってくる人が減る。
    浜から子どもの声が消える。
    どれも同じことではない。
    けれどどこかでつながっている気がした。

    消えゆくもの。
    ガンちゃんが亡くなってから、オレはその死をどう受け止めればいいのか分からずにいた。
    そして今、目の前にある島もまた、静かに消えかけているように見えた。

    新居大島には、古い歴史がある。
    村上水軍の祖、村上義弘の伝説。
    海城だったと言われる島。
    軍船を隠したという船かくし。
    狼煙を上げた場所。
    祈りを捧げた比丘尼の磯。

    そういう話は聞いたことがあった。
    でも正直に言えば、それまでは遠い昔の話だった。
    観光パンフレットに載っているような、きれいな説明。
    自分の生活とは少し離れたもの。
    そんな感じだった。

    けれど八十人の島と聞くと、急にその歴史が違って見えた。
    昔そこには人がいた。
    船が来た。
    商いがあった。
    祈りがあった。
    浜には子どもがいた。
    今、その景色は静かに眠っている。
    それは単に過疎という言葉で済ませていいことなのだろうか。
    分からなかった。
    ただ、心のどこかに引っかかった。

    ガンちゃんが亡くなってから、オレは「残るもの」を考えるようになった。
    人は死んだら終わりなのか。
    思い出はどこへ行くのか。
    祭りの日に笑っていた顔は、本当に消えてしまうのか。
    その問いは、いつの間にか大島にも重なっていた。
    島は目の前にある。
    けれど、見ようとしなければ、そこにあっても見えない。

    「忘れられた島」

    そんな言葉が浮かんだ。
    本当に忘れられているのは島なのか。
    それとも、島を見なくなったオレたちなのか。
    黒島の向こうに浮かぶ小さな島を見つめながら、オレはそのことばかり考えていた。

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    第七章 海底熟成酒

    実を言うと、オレは大島とまったく縁がなかったわけじゃない。
    七年前から、海底熟成酒のプロジェクトをやっていた。
    いや、やっていたというより、大島に通う理由を自分で作っていたのかもしれない。

    始めたのは二〇一九年。
    きっかけは、ヨーロッパで引き揚げられた一本のシャンパンだった。
    百年以上海底に眠っていたそのシャンパンが、驚くほど美味しかったという。
    その話を知って、世界では海底熟成の研究や商品化が始まり、日本でも少しずつ取り組む地域が現れていた。
    海の底で酒を熟成させる。
    突拍子もない話だ。

    けれど酒好きには、たまらないロマンがあった。
    海底は一年を通して温度変化が少なく、波に揺られながらゆっくり熟成する。角が取れ、丸くなる。
    陸の熟成に比べ、海底熟成はその変化が5~10倍早いと言われている。
    実際に飲み比べると、その違いが分かるという人も多い。
    香味の変化も売りではあるが、なにより海底のお宝感!
    「これ、大島でやったらきっと面白い」
    オレも興味を持った。

    新居浜には唯一の酒蔵「華姫桜」がある。
    大島には「七福芋」という特産の芋焼酎もある。
    これを海底で熟成させる。
    合わせて、大島の歴史や海の物語をセットして届けられないだろうか。
    ただ酒を売るのではなく、新居浜の物語を届けたい。
    そんな思いから始まった。

    テーマは「海賊のお宝づくり」にした。
    村上水軍の祖・村上義弘。
    海賊伝説の残る島。
    そして海の底で眠る酒。
    隠し財宝みたいで面白いじゃないか、そう思った。

    村上義弘のこと。海賊伝説。島に残る歴史や暮らし。
    それらを伝えるために、
    資料を集め、勉強して表裏カラー三枚のパンフレットを作った。
    酒を飲み終えたあとも、大島のことが少し心に残ってくれたら。
    そんな思いで、一冊の小さな物語を作るような気持ちだった。

    大島の漁協やダイバーさんに相談をした。
    ダイバーさんは面白がってくれた。
    けれど漁協の人たちは少し慎重だった。まあ無理もない。
    酒屋の人間が突然やって来て、
    「海に酒を沈めたいんです」と言うのだから、オレでも警戒する。
    それでも話は最後まで聞いてくれたし、協力もしてくれた。
    今思えば、それだけで十分ありがたかった。

    2019年の最初の年、四百本ほどの酒を海へ沈めた。
    水深十五メートルほど。
    船の上から見える海は青かった。
    ロープを握りながら、ふと思った。
    子どもの頃、この海を渡って遊びに来ていたな。
    あの頃のオレは、まさか大人になって酒を海へ沈めるとは思わなかっただろう。
    作業が終わると、海面には何も残らない。
    酒は海の底だ。見えない。そこにあるのに見えない。
    なんだかおかしかった。

     
    一年後。引き揚げの日が来た。
    海から上がってきた瓶には海藻が絡み、貝殻も付いていた。
    まるで本当に海賊が隠していた宝物のようだった。
    テレビや新聞でも取り上げられ、地元ではちょっとした話題になった。
    飲んだ人からも、
    「飲み比べると全然ちがうね」
    「まろやかになっとる」
    「角が取れてて美味しい」
    そんな声を聞くたびに、やって良かったと思った。
    その後も、この取り組みを五年間続けた…。

    そして二〇二五年。
    最後の一本を海から引き揚げ、このプロジェクトはひと区切りを迎えた。
     
    というのも、実際に続けるのは楽ではなかった。
    漁師さんとの調整。
    ダイバーとの段取り。
    販売や管理。
    毎年、関わる人も少しずつ変わる。
    そのたびに最初から説明し、お願いをして、理解してもらう。
    協力はしてくれる。
    けれど、一緒に夢を見ているわけではない。
    その温度差に気持ちが折れそうになることもあった。
    それでも続けられたのは、大島の海が好きだったからだと思う。

    今、店に残っているのは三年ものの海底熟成酒だけだ。
    大島の海で三年間、静かに眠っていた酒。
    日本の数か所、海底熟成させてる他地域の熟成期間は長くて一年で引き揚げられている。
    そのなかで、三年熟成させたものは、この新居大島の海底熟成だけだ。
    その分、香味の変容が楽しめる。
    もし飲む機会があれば、一度味わってみてほしい。
    味だけではない。その酒の向こうに、大島の海が見えてくる気がするからだ。

    気づけば、オレは何度も島へ渡っていた。
    漁師さんや島の人たちと話、わいたの浜も歩いた。
    海底熟成酒を作っているつもりだった。
    けれど今思えば、違ったのかもしれない。
    オレは酒を海へ沈めていたんじゃない。
    大島へ通うたびに、変わっていたのはオレの方だった。
    そのことに気づくのは、もう少し後のことになる。
     
    その頃、一人の男が店に現れた。
    オレよりちょうど一回り年上の、郷土の先輩だった。
    名前は、正岡さん。
    大島の話になると、目を輝かせる人だった。


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    第八章 正岡さん

    二〇二五年の秋だった。
    店に一本の電話がかかってきた。

    相手は、オレよりひと回り年上の地元の先輩だった。
    「金子君、ちょっと会わせたい人がおるんやけど」

    こういう話はたまにある。
    経験上、半分くらいは何かの営業だ。
    保険だったり、投資だったり、ネットワークビジネスだったり。
    オレは基本的に、人の話は一度聞くようにしている。
    だから、「いいですよ」と返事をした。
    もっとも、内心では「断ることになるんだろな、気まずいな」と思っていた。
     
    数日後、その人が店にやって来た。
    正岡さんだった。
    オレよりちょうどひと回り年上。
    七十歳が見えている年齢なのに、不思議と若々しかった。
    派手さはない。
    けれど話し方は穏やかで、どこか人を安心させる雰囲気があった。
    初対面なのに、昔から知っている人と話しているような気がした。
    最初は仕事の話や新居浜の話、祭りの話をしていた。
    そして、話は自然と大島へ向かっていった。

    「正岡さん、大島に興味あるんですか」

    すると正岡さんは笑った。
    「興味どころやないよ」

    少し間を置いて、正岡さんが続けた。
    「人生かけよう思とる」

    思わず聞き返した。
    「大島にですか?」
    「そう」

    オレは少し驚いた。
    大島の話をする人は今までにもいた。
    島を元気にしたい。観光客を増やしたい。
    何かイベントをやりたい。
    そんな話は何度も聞いた。
    けれど正岡さんは違った。
     「来年には住もう思とる」と言う。

    「住むんですか?」
    「住まんと分からんやろ」
     当たり前みたいに言う。
     
    「島の人と話すにも、住んどらんと本音なんか出てこんし」
    「まあ、そうかもしれんですけど」

    「いや、そうなんよ」
    正岡さんは笑った。
    「みんな外から島を見よる」
     
    少し間を置いて続けた。
    「オレは中から見てみたい」
    その言葉が心に残った。
     
    中から見る。
    外から見る。
    それだけの違いなのに、何か大きな違いがあるような気がした。
    その日は二時間近く話した。
    不思議な人だった。
    偉そうなところはない。自慢話もしない。
    それなのに、話を聞いていると、次から次へと聞きたいことが出てくる。
    帰り際、正岡さんが言った。 
    「今度、アパート来ん?」

    「アパートですか」
    「うん。そこでゆっくり話そうや」
     
    なんでもない誘いだった。
    けれどオレは行ってみたいと思った。
    なぜだろう。
    正岡さんのことは、まだほとんど何も知らない。
    それなのに、もっと話を聞いてみたかった。
    ガンちゃんが亡くなってから止まっていた何かが、少しだけ動き始めた気がした。
    そのときのオレは、まだ知らない。
    あの日の誘いが、この先の人生を大きく変えていくことを。

    第九章 酒井カリー

    正岡さんと知り合ってから、何度かアパートへ遊びに行った。
    一度行くと長い。
    気づけば三時間、四時間と話している。
    島の話。仕事の話。若い頃の話。能登の話。
    話はあちこちへ飛ぶのに、不思議と飽きなかった。

    ある日、正岡さんが言った。
    「金ちゃん、カレー食べに行かん?」
    オレは金子だから、親しい人は「金ちゃん」と呼んでくれる。

    向かった先は、新居浜市西之土居にある『酒井カリー』だった。
    地元では「おばあちゃんの店」として知られている。
    スタッフの平均年齢は七十七歳。
    冗談みたいだが、本当の話だ。

    注文を取りに来たのも、お冷を持ってきてくれたのも、おばあちゃん。
    厨房の奥からも元気な声が聞こえてくる。
    思わず笑った。
    「ほんまに、おばあちゃんの店なんですね」

    正岡さんも笑った。
    「募集条件、七十五歳以上やからな」

    「逆やないですか」
    「逆やな」
    二人で笑った。

    実はこの店、正岡さんが立ち上げに関わっていた。
    高齢者が元気に働ける場所を作りたい。
    そんな思いから始まった店だという。
    だから店の様子を見つめる正岡さんの顔は、常連というより家族のようだった。

    普通なら若い人を集める。
    体力もあるし、仕事も覚えやすい。
    けれど正岡さんは違った。

    「元気なお年寄り、いっぱいおるやろ」
    店内を見回しながら言う。
    「まだ働きたい人も、いっぱいおる」

    たしかにそうだ。
    定年を迎えても元気な人はたくさんいる。

    「役に立っとると思える間は、人は元気なんよ」
    納得、よく分かる。

    しばらくしてカレーが運ばれてきた。
    ひと口食べて驚いた。

    うまい。

    想像していたより、ずっと本格的だった。
    「これ、めちゃくちゃうまいですね」

    「そりゃそうや」
    正岡さんが笑う。
    「まずかったら続かん」

    聞けば、この味にたどり着くまで百軒近く食べ歩き、何度も試作を重ねたという。
    「高齢者の店やから来てください、じゃ続かんのよ」
    「まずカレーがうまないと」

    その通り。
    オレも酒屋をやっている。
    どれだけ物語があっても、最後は中身だ。
    商品そのものに価値がなければ続かない。

    「でもな」
    正岡さんが少し笑った。

    「七十五歳以上限定いうのは話題になるやろ」
    「なりますね」
    「テレビも来る。新聞も来る。宣伝費ゼロや」
    また二人で笑った。

    その笑顔を見ながら思った。
    この人は理想だけで動いている人じゃない。
    人の心も、商売も分かっている。
    だから夢物語で終わらないのだ。

    店内では、おばあちゃんたちが笑いながら働いていた。
    常連らしいお客さんも笑っている。
    特別なことは何もない。
    けれど、その空気はどこか温かかった。

    「島も同じやと思うんよ」
    正岡さんがぽつりと言った。

    「島?」
    「うん」

    スプーンを置き、窓の外へ目を向ける。

    「島おこしいうたら、観光客増やそうとか、イベントしようとか、そういう話になるやろ」

    「まあ、そうですね」
    「でも一番大事なんは、人が元気になることやと思う」
    オレは黙って聞いていた。

    「おばあちゃんが元気になる。若い子が挑戦できる。
    帰ってきたくなる場所ができる。そういうことの積み重ねなんよ」

    数字でもない。
    補助金でもない。
    人だった。

    正岡さんの話は、いつもそこへ戻る。
    帰り道、オレはぼんやり考えていた。
    この人は島を救おうとしているんじゃない。
    島の人が、自分たちの力で前を向ける場所を作ろうとしている。
    だから話の続きを聞きたくなるのだと思った。

    第十章 0から1

    正岡さんと話していると、よく出てくる言葉があった。

    「0から1」

    最初は意味がよく分からなかった。
    ある日、アパートで聞いてみた。

    「正岡さん、よく言いますよね。0から1って」
    正岡さんは笑った。
    「簡単なことや」
    そう言って机の上のボールペンを一本立てた。

    「何もないところから、一つ作る。それだけや」
    そして続けた。

    「1から10は簡単なんよ。売れとる店を大きくするとか。
    人気の商品をもっと売るとか。それはみんな考える」
     
    たしかにそうだ。
    売れているものには見本がある。
    けれど、何もないところから始めるには見本も正解もない。
     
    「0から1だけはな」
    少し真面目な顔になった。
    「誰かがやらなあかん」
     
    まさしく、島おこしがそうだ。
    最初の一歩を踏み出す人がいなければ、何も始まらない。
    その頃、正岡さんは大島でヨモギを育て始めていた。
    正式には、クソニンジンという学術名のヨモギだ。
    初めて聞いたときは思わず笑った。
     
    「ほんとに、その名前なんですか」
    「ほんまや」
    正岡さんも笑う。
     
    ところが調べると、薬草としての評価は高く、お茶や化粧品、食品にも使われているらしい。
    「これを大島の産業にしたい」
    正岡さんは迷いなく言った。
     
    正直、本当にそんなにうまくいくのだろうかと思った。
    けれど本人は気にしていない。
    前年には、大島に住む八十九歳と九十一歳のおじいちゃんに試験栽培をお願いしたという。

    「よう育ったで」
    うれしそうだった。

    今年は市内の仲間や高松の知人にも広げ、来年は能登や那須高原でも育てる予定だという。
    まだ商品にもなっていない。
    それでも、もう次の種をまいていた。
    その動きの早さに感心した。

    さらに驚いたことがある。
    ゴールデンウィーク前、市内のイベントでベトナムと日本をつなぐ仕事をしている夫婦と知り合った。
    その二週間後には、もう正岡さんはベトナムへ行っていた。
     
    「早ないですか」
    思わず聞いた。
    「そうか?」
     
    本人はきょとんとしている。
    「オレ、よう言われるんよ」
    「何をですか」

    「アホやって」
    思わず吹き出した。
     
    「自分で言うんですか」
    「そりゃそうやろ」
    正岡さんは笑った。
     
    「賢い人はな、失敗したらどうしようとか、売れんかったらどうしようとか考えるやろ。
    ワシはアホやから、おもしろそうや思たら行ってしまう」

    缶コーヒーを一口飲んで続けた。
    「失敗もようしたで」
     
    まるで失敗も人生の一部やと言うような話しぶりだった。
    ヨモギもまだ成功したわけではない。
    それでも海外へ行き、可能性を見に行く。
    思いついたら、まず動く。
    そんな人だった。
     
    何度か話を聞くうちに、正岡さんが歩いてきた人生も気になった。
    「正岡さん、昔は何をしよったんですか」
    「マッサージ屋やな」
     
    オレは町の整体院を想像した。
    ところが話を聞いて驚いた。
    全国七十二店舗。従業員やスタッフの総勢は約六百人。
    フランチャイズ展開もし、ヨガ事業や健康事業も手がけていた。
    さらに都会のど真ん中へ十四億円を投じ、健康施設まで作ったという。
    「でも二年で撤退や」
    正岡さんは笑った。
    「あれは失敗やったな」
     
    その規模は、オレには想像もつかなかった。
    オレが田舎の酒屋なら、
    正岡さんは全国を相手に勝負してきた人だった。
    見てきた景色が違う。そう思った。
    一方で、正岡さんの周りには若い人もよく集まっていた。
     
    ある日、
    「金ちゃん、飲まん?」
    と誘われて行くと、能登から来たという三十歳くらいの青年がいた。
    木こりをしているという。木こり?

    その青年、わざわざ交通費をかけて、正岡さんに会うためだけに新居浜まで来たという。少し驚いた。
    正岡さんは肩書きを語らない。自慢もしない。
    それでも若い人が集まってくる。

    話を聞きたいというより、生き方を見たいのだろう。
    「若い子は失敗したらええんよ」
    正岡さんはよく言う。
    「失敗が一番勉強になる」

    合宿のようなこともしてきたそうだ。
    オレは、てっきり起業塾のようなものをイメージした。
    正岡さんが前に立ち、商売や起業について教える場なのだろうと。
    ところが違った。
    何かを教えるわけではないという。
    集まる場所を用意する。
    若者どうしが自己紹介だけで終わることもある。
    あとは勝手に話し、勝手につながっていく。
    「答えなんか、人からもらうもんやないやろ」
    なるほどと、すごく納得させられた。

    島おこしも。
    商売も。
    人生も。
    たぶん同じなのだ。
    正岡さんは答えを与えない。
    最初の一歩を踏み出す場所を作っている。

    「0から1」

    ようやく、その言葉の意味が少し分かった気がした。

    第十一章 一緒にやろや

    ある土曜の夜だった。
    八時を少し過ぎた頃、正岡さんから電話があった。

    「金ちゃん、空いとったら飲まん?」
    突然だった。

    けれど、この歳になると、こんな誘いがうれしい。
    普通なら予定を合わせ、店を決め、ようやく飲みに行く。
    正岡さんは違う。
    飲みたくなったら電話をする。
    その気軽さが心地よかった。
     
    向かったのは、「すわ」という小さな居酒屋だった。
    店主は新潟から新居浜へ移り住んだ七十代後半のおばあちゃん。
    注文を取り、おばんざいを並べ、お客さんと笑っている。
    その姿を見ているだけで、この店が長く愛されている理由が分かった。

    大皿には菜の花のおひたし、きんぴら、煮物、ポテトサラダ。
    菜の花は、その日の朝、おばあちゃんが山で摘んできたものだという。
    「まだ山に行けるけんね」
    そう言って笑った。
    カウンターには新潟や北陸の日本酒が並んでいた。
    オレたちは富山の立山を頼み、乾杯した。

    「どうしたんですか、急に」
    「同窓会抜けてきた」

    「え?」

    近くのビアガーデンで高校時代の同窓会があったらしい。
    三十人ほど集まっていたという。

    「最初は楽しかったんや」
    そう言って酒を口に運ぶ。

    「でも途中で飽きてしもうた」
    話題は孫のこと。病気のこと。昔話。
    どれも大事な話だ。
    けれど正岡さんには、少し物足りなかったらしい。

    「あと何年生きるか、みたいな話ばっかりでな」
    苦笑しながら続けた。
     
    「金ちゃん、僕はね」

    正岡さんは時に自分のことを「僕」と呼ぶ。
    最初は少し意外だった。
    もっと押しの強い人を想像していた。けれど実際は逆だった。
    穏やかで、人の話をよく聞く。年下にも自然に敬意を払う。

    「あと何をやるかの方がおもろいんよ」
    思わず笑った。

    七十歳を前にした人の言葉には聞こえない。
    大島のこと。
    ヨモギのこと。
    若い人たちのこと。
    頭の中は、これからやりたいことでいっぱいだった。
    だから同窓会を抜けてきたのだろう。
    しばらく飲みながら話をしているうち、前から気になっていたことを聞いてみた。 

    「正岡さん、なんでそこまで大島なんですか」
    正岡さんはすぐには答えなかった。
    酒を一口飲み、窓の外へ目を向ける。
    しばらくして、静かに言った。

    「住まんとすかすかする」
    最初は意味が分からなかった。
    「すかすか?」
    「そぉ」
    小さくうなずいた。
     
    「島おこししたい言う人は、今までもいっぱいおった」
    「けどみんな、島の外から考えるんよ」
     
    たしかに。オレもそうだった。
    海底熟成酒で何度も島へ通った。
    けどそれは自分の用事のためだけのこと。
    結局、いつも島の外の人だった。

    「住んでみたらな」
    正岡さんは続けた。

    「困ることも見える。面白いことも見える。人も見える」
    そして笑った。
    「向こうも本音を言うてくれるようになる」
     
    間違いない。
    正岡さんは住民票も移し、大島で暮らす準備を進めていた。
    七十歳を前にして、新しい挑戦を始めようとしている。

    「島に住んで何するんですか」
    「何でもやる」
    食堂。
    ヨモギ。
    歴史。
    若い人が挑戦できる場所。
    話は変わっても、最後はいつも同じところへ戻る。

    「若い子やな」
    正岡さんが本当に育てたいのは、島ではなく、人なのかもしれない。

    「オレらが頑張るんやない。若い子らが食えるようにならなあかん」
    その言葉には、これまで歩いてきた人だけが持つ重みがあった。
     
    正岡さんは六十歳で、それまで育ててきたいくつかの会社を譲った。
    仕事が嫌になったわけでも、体を壊したわけでもない。
    「これからは、自分が本当にやりたいことをやる」
    そう決めたのだという。

    それからは各地の過疎地域や被災地へ足を運び、地域の人たちと一緒に、新しい仕事を生み出す仕組みを考えてきた。
    若い人が生活できる仕事。
    高齢者が生きがいを持って働ける場所。
    ただ助けるのではない。
    その土地で、人が自分の力で食べていける仕組みを作る。
    それが正岡さんの地域おこしだった。

    能登でも。
    福岡でも。
    那須でも。
    若い人が集まり、挑戦し、失敗し、また挑戦する。
    そんな場所を作ってきたという。

    「補助金とか使わんのですか」
    何気なく聞くと、正岡さんは首を振った。

    「できるだけ使わん」
    「補助金に合わせて動き始めるからな」
    その一言に、はっとした。

    必要だからやる。
    お金があるからやるのではない。
    順番が違うのだ。
    正岡さんの話を聞いていると、
    島おこしというより、生き方の話を聞いているようだった。

    夢を語る。
    けれど、自分で動く。
    人を信じる。
    けれど、人任せにはしない。

    帰り際、正岡さんが言った。
    「金ちゃん」

    「なんです?」

    「一緒にやろや」
    いつもの調子だった。

    「何をですか」
    「島や」
    それだけだった。

    帰り道、ひとりで歩きながら考えた。
    正直、島おこしが成功するとは、まだ思えなかった。
    人口八十人。空き家も多い。
    現実は厳しい。
    それでも、不思議と見てみたくなった。
    正岡さんが見ている景色を。
    そして、その景色の中を歩く自分を。

    ▶ 第三部「生きている人たち」
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    #創作大賞2026
    #エンタメ原作部門

     


     
     
    愛媛県の酒屋店主。趣味は空手、読書。昔ある宗教に属するも心がついていかず頓挫。2023年のある出会いをきっかけに再び精神世界の探求がはじまる。驚きの宇宙論、全く新しい人間意識の捉え方に目からウロコの毎日なり♪

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