メインコンテンツへスキップ
見出し画像

サラリーマン均太郎の年金生活② 退職金があるだろ?

    60歳から65歳までの空白を、未来のオレが見せに来た

    これは、年金生活をめぐる小さなドラマです。

    主人公はサラリーマン平 均太郎、58歳。

    第1話で、均太郎はようやく年金生活の入口に立ちました。

    65歳で年金を受け取ったら、家計はどうなるのか。
    自分ひとりなら、ギリギリ何とかなるかもしれない。
    妻の平 民子と夫婦なら、額面で月23万円前後。
    年金 花子と夫婦なら、額面で月28万円前後。
    花子ひとりなら、月11万円前後の厚生年金で単身老後を支えることになる。

    年金額だけを見ても足りません。
    支出を見なければいけない。
    税金や社会保険料も見なければいけない。
    毎月の不足額も見なければいけない。

    そこまで分かったはずでした。

    ところが、平 均太郎という男は、そう簡単には変わりません。


    翌日の帰り道。
    均太郎は、会社の同僚・田所と駅前の居酒屋にいました。

    「まあ、年金だけじゃ不安なのは分かったよ」

    均太郎は、焼き鳥を一本つまみながら言いました。

    「でも、退職金があるだろ」

    田所もうなずきます。

    「そうそう。俺たち、なんだかんだ言ってもサラリーマンだからな。最後は退職金よ」

    均太郎は、少し安心した顔になりました。

    年金だけで足りないなら、退職金を使えばいい。
    60歳で会社を辞めても、退職金があれば何とかなる。
    65歳からは年金も始まる。
    その後は、少し節約すればいい。

    均太郎の頭の中で、老後不安はまた少し遠ざかりました。

    そのときです。

    居酒屋のガラス戸に、見覚えのある男が映りました。

    白髪が増えた、少し老けた自分。

    7年後の平 均太郎です。

    未来の均太郎は、手に家計簿を持っていました。

    そして、静かに言いました。

    「お前はまた計算していない」

    「何をだ?」

    「え、誰か別の人と話してる?」

    田所が焼酎のグラスを持ったまま、均太郎を見ました。

    「いや、ちょっと……未来の俺と」

    「飲みすぎだろ」

    退職金は、たしかに大きな武器である

    退職金は、サラリーマンにとって大きな武器です。

    これは間違いありません。

    退職給付制度がある企業で、勤続20年以上かつ45歳以上の定年退職者への平均退職給付額は、大学・大学院卒の管理・事務・技術職で1896万円、高校卒の管理・事務・技術職で1682万円、高校卒の現業職で1183万円です。

    厚生労働省の令和5年就労条件総合調査

    もちろん、これは平均です。
    会社によって違います。
    勤続年数によって違います。
    企業規模によって違います。
    退職一時金なのか、企業年金なのか、その併用なのかでも違います。

    退職金がない会社もあります。
    あっても、思っていたより少ない場合もあります。
    逆に、企業年金と合わせてかなり厚い会社もあります。

    それでも、長く会社員として働いてきた人にとって、退職金は大きな存在です。

    均太郎も、それを頼りにしていました。

    「ほら見ろ」

    58歳の均太郎は、未来の自分に言いました。

    「退職金があるじゃないか。だから、そんなに怒るなよ」

    未来の均太郎は、家計簿を開きました。

    「退職金があることは否定していない」

    「じゃあ、いいだろ」

    「違う。お前は、退職金を何に使うお金なのか分けて考えていない」

    「何に使うって、老後資金だろ」

    「その言い方が雑なんだ」

    未来の均太郎は、家計簿のページを指でたたきました。

    「老後資金という言葉で、全部をひとまとめにするな」

    60歳から65歳までの空白

    均太郎が最初に見落としていたのは、65歳以降ではありません。

    その前です。

    60歳から65歳までの5年間。

    年金が始まる前の空白です。

    もちろん、今の時代、60歳で完全に仕事を辞める人ばかりではありません。
    再雇用で働く人もいます。
    別の会社で働く人もいます。
    フリーランスになる人もいます。

    ただ、均太郎の頭の中には、ぼんやりとしたイメージがありました。

    60歳で一区切り。
    退職金を受け取る。
    少し休む。
    65歳から年金。

    その「少し休む」が、実はかなり高くつくのです。

    65歳以上の夫婦のみの無職世帯の消費支出は月26万3979円です。年間で約316万円。5年間なら、単純計算で約1580万円です。

    総務省の2025年家計調査

    ここでは分かりやすく、月26万円として計算します。

    それでも、5年間で約1560万円です。60代前半の支出が、65歳以降とまったく同じになるとは限りません。
    住宅ローンが残っているかもしれない。
    子どもへの支援が続いているかもしれない。
    親の介護が始まっているかもしれない。

    60代前半は、むしろ支出が多い時期でもあります。

    未来の均太郎は言いました。

    「退職金が1800万円あったとしても、60歳から5年間働かなければ、生活費だけでかなり削られる」

    「どれくらい削られるんだ」

    未来の均太郎は、家計簿に数字を書き込みました。

    「夫婦でざっくり月26万円の支出として、5年間では約1560万円。もし再雇用で手取り月15万円の収入があれば、不足は月11万円。5年で約660万円まで圧縮できる。だから、つなぎ財布に700万円という数字が見えてくる。」

    58歳の均太郎は、少し黙りました。

    「でも、完全に働かなければ?」

    「その場合は、退職金の大半が年金開始前に消える可能性がある」

    「……」

    「大事なのは、5年間で毎月いくら使うのか。年金が始まるまでに、退職金がいくら減るのか。それを先に見ることだ」

    未来の均太郎は、居酒屋のガラス越しに言いました。

    「退職金は、老後の余裕資金ではなく、まず年金前のつなぎ資金になる可能性がある」

    退職金を「大きな貯金」と思うな

    均太郎は、退職金を大きな貯金のように考えていました。

    まとまったお金が入る。
    それがあれば、老後は何とかなる。
    足りない月は、そこから取り崩せばいい。

    たしかに、取り崩せば何とかなります。

    問題は、取り崩しに名前がないことです。

    旅行に使う。
    家電を買い替える。
    住宅を修繕する。
    医療費を払う。
    生活費の不足を埋める。
    子どもや孫に援助する。

    全部、同じ財布から出していたら、減り方が見えません。

    未来の均太郎は言いました。

    「お前は、退職金をひとつの財布に入れた」

    「それの何が悪い」

    「いつ、何のために減ったのか分からなくなる」

    均太郎は、ジョッキを持ったまま固まりました。

    未来の均太郎は、家計簿に3本の線を引きました。

    「退職金は、少なくとも3つの財布に分けろ」

    画像

    退職金は、3つの財布に分ける

    未来の均太郎が書いたのは、こうでした。


    つなぎ財布

    60歳から65歳まで、年金が始まる前の生活費を支える財布です。
    再雇用や仕事収入があるなら、その分だけ必要額は減ります。
    完全に働かないなら、この財布はかなり大きくなります。

    守り財布

    医療費、介護、住宅修繕、家電の買い替え、車の修理など、突発支出に備える財布です。
    老後家計では、予定外の支出が一番怖い。
    毎月の生活費は何とか回っていても、給湯器、屋根、歯科治療、入院、親の介護で一気に崩れることがあります。

    上乗せ財布

    運用、配当、旅行、趣味、余裕資金に使う財布です。
    ここは楽しみの部分でもあります。
    ただし、つなぎ財布と守り財布を確保する前に、ここを大きくしすぎると危ない。


    「じゃあ、俺の場合に当てはめると、どうなるんだ」

    58歳の均太郎は、未来の自分に聞きました。

    未来の均太郎は、家計簿にざっくりした数字を並べました。

    「仮に退職金が1800万円として、つなぎ財布に700万円、守り財布に500万円。残りの600万円が上乗せ財布だ」

    「つなぎ財布だけで700万円か」

    「さっき見た通り、再雇用で月15万円稼げても、夫婦で月26万円使えば不足は月11万円。5年で約660万円になる。だから、ざっくり700万円だ」

    「再雇用で少し稼いでも、それだけ必要なのか」

    「そうだ。逆に、まったく働かなければ足りなくなる場合もある」

    「守り財布は500万円か。多くないか」

    「老後の突発支出をなめるな。給湯器だけで20〜30万円。屋根の修繕は100万円を超えることもある。歯科治療、入院、親の介護、車の買い替え。10年、20年あれば、積み重なる」

    58歳の均太郎は、3つの数字を見つめました。

    「そうすると、上乗せ財布の600万円しか、自由に使えないのか」

    未来の均太郎は、静かに言いました。

    「そういうことだ。1800万円あっても、自由に使えるのはその一部だ。それが分かっていなかった」

    「……退職金って、そう分けるものなのか」

    「分けなかったから、俺は苦しくなった」

    加給年金は、60歳から65歳を助けてくれない

    均太郎は、別の言い訳を思いつきました。

    「でも、民子がいるだろ。妻がいると、加給年金っていうのがあるんじゃないのか」

    未来の均太郎は、少しだけうなずきました。

    「ある。条件に当てはまればな」

    日本年金機構によると、厚生年金の被保険者期間が20年以上ある人が65歳に到達した時点で、生計を維持されている65歳未満の配偶者がいる場合、加給年金が加算されます。

    令和8年4月からの配偶者分は年24万3800円。受給者が昭和18年4月2日以後生まれの場合、特別加算を含めて年42万3700円、月にすると約3万5300円です。

    ただし、実際の受給時の金額は、その時点の制度改定によって変わる可能性があります。

    均太郎は、少し表情を明るくしました。

    「ほら、あるじゃないか」

    未来の均太郎は、すぐに首を振りました。

    「お前はまた都合のいいところだけ見ている」

    「どういうことだよ」

    「加給年金は、65歳からの助っ人だ。60歳から65歳までの空白は、助けてくれない」

    加給年金は、均太郎が65歳になって老齢厚生年金を受け取り始めた後に加算されるものです。
    年金を受け取る前の5年間の生活費を、加給年金が埋めてくれるわけではありません。

    未来の均太郎は言いました。

    「加給年金はありがたい。でも、来る時期を間違えるな」

    「時期か」

    「そうだ。お金は金額だけじゃない。いつ入るかが大事なんだ」

    繰上げ受給という選択肢

    均太郎は、まだ粘りました。

    「じゃあ、60歳から年金をもらえばいいじゃないか」

    「それが繰上げ受給だ」

    「早くもらえるなら、その方がいいだろ」

    「いい場合もある。健康状態、仕事、貯蓄、家族構成によっては、現実的な選択になる人もいる」

    「あるのか」

    「ある。ただし、計算せずに“早くもらえればいい”は危ない」

    昭和37年4月2日以降生まれの人が繰り上げて受け取る場合、1か月あたり0.4%ずつ減額されます。60歳から受け取ると、減額率は24%。しかも、その減額は生涯続きます。

    均太郎の年金モデルは、65歳から月17万円前後。
    60歳から繰り上げると、単純計算で月12万9000円ほどになります。

    「17万円が、13万円弱か」

    「早く受け取れるメリットはある。でも、65歳以降もずっと減った年金で暮らすことになる」

    「一度繰り上げたら、戻せないのか」

    「原則として、取り消せない」

    繰上げ受給は悪者ではありません。
    ただ、この話は深い。健康、家族、働き方、貯蓄との組み合わせで答えが変わります。
    繰上げ受給については、また別の回でしっかり見ていきます。

    今回だけ言えることは、未来の均太郎の言葉です。

    「選択肢は悪くない。雑な選び方が悪いんだ」

    未来の均太郎は、なぜ怒っているのか

    均太郎は、ようやく少し分かってきました。

    未来の自分は、退職金を否定しているわけではありません。
    加給年金を否定しているわけでもありません。
    繰上げ受給を否定しているわけでもありません。

    怒っている理由は、別にあります。

    58歳の均太郎が、何も計算していなかったからです。

    退職金がいくらあるのか。
    60歳から65歳まで、毎月いくら使うのか。
    再雇用でいくら収入があるのか。
    加給年金はいつから、いくら入るのか。
    繰上げ受給をしたら、年金はいくら減るのか。
    退職金を、どの財布に分けるのか。

    それを見ずに、

    「退職金があるだろ」

    と言っていた。

    未来の均太郎は、そこに怒っているのです。

    「お前は、武器を持っていた」

    未来の均太郎は言いました。

    「退職金もあった。年金もあった。加給年金もあった。繰上げという選択肢もあった」

    「だったら、なぜ苦しいんだよ」

    「武器の使い方を考えていなかったからだ」

    居酒屋のにぎわいが、少し遠くなりました。

    均太郎は、グラスの中の氷を見つめました。

    未来の均太郎は、家計簿を閉じました。

    「お前は退職金を、老後の安心材料だと思っていた」

    「違うのか」

    「半分はそうだ。でも、半分は違う」

    「じゃあ、何なんだ」

    「退職金は、時間を買うお金だ」

    「時間?」

    「60歳から65歳までの時間。働き方を変える時間。生活を小さくする時間。老後家計を作り直す時間。そのためのお金でもある」

    58歳の均太郎が、まずやること

    では、58歳の均太郎は何をすればいいのか。

    難しい運用から始める必要はありません。
    老後資金計画を完璧に作る必要もありません。

    まずは、退職金をひとつの大きな数字として見ないことです。

    最初に見る数字は、3つあります。

    1つ目は、退職金の見込額です。

    会社の制度を確認する。
    退職一時金なのか、企業年金なのか、両方あるのか。
    いつ受け取れるのか。税金はどうなるのか。

    「だいたいこれくらいだろう」ではなく、会社の資料で確認します。

    2つ目は、60歳から65歳までの生活費です。

    今の毎月の支出を出す。
    住宅ローン、家賃、光熱費、通信費、保険、車、医療費。
    それを12倍する。さらに5年分を見る。
    再雇用で稼げる場合は、その分を引く。

    ここで初めて、年金前の空白が数字になります。

    3つ目は、65歳時点で残しておきたいお金です。

    65歳になった瞬間に、退職金がほとんど消えていたら、その後の老後家計は苦しくなります。
    医療費、介護、住宅修繕、突発支出。
    65歳以降の守り財布を、いくら残すか。

    この3つが見えたとき、退職金をどう分けるかが初めて決められます。

    退職金がある人ほど、計算が必要になる

    退職金がない人は、老後資金に不安を持ちやすい。

    これは当然です。

    しかし、退職金がある人にも別の落とし穴があります。

    それは、安心してしまうことです。

    まとまったお金が入る。
    通帳の残高が増える。
    何となく大丈夫な気がする。

    大きなお金は、生活費の不足を静かに隠してくれます。
    毎月赤字でも、口座残高が大きいうちは気づきにくい。
    気づいた時には、思った以上に減っている。

    未来の均太郎は、それを経験していました。

    だから、58歳の均太郎の前に現れたのです。

    「退職金があるから大丈夫、じゃない」

    未来の均太郎は言いました。

    「退職金があるからこそ、分けて考えろ」


    老後不安は、怖がるだけでは変わりません。
    でも、数字にすれば、作戦になります。

    今回の結論は、一言です。

    退職金は、3つの財布に分けてから使え。

    つなぎ財布。
    年金前の生活費を支える。

    守り財布。
    突発支出に備える。

    上乗せ財布。
    余裕と楽しみに使う。

    これが、第2話のハックです。

    次回、民子が静かに刺す

    居酒屋からの帰り道。

    均太郎は、田所と別れ、ひとりで駅のホームに立っていました。

    スマホで「退職金 使い道」と検索しかけて、ふと手を止めます。

    未来の均太郎の言葉が、まだ耳に残っていました。

    「お前はまた計算していない」

    自宅に帰ると、民子が台所でお茶を入れていました。

    均太郎は、少し照れくさそうに聞きます。

    「なあ、民子。うちの年金って、夫婦で同じタイミングでもらえるんだよな?」

    民子は、急須を置きました。

    そして、静かに言いました。

    「あなた、私の年金がすぐ出ると思っていたでしょう」

    未来の均太郎が、洗面所の鏡にうっすら映りました。

    「次は、そこだ」


    『サラリーマン均太郎の年金生活』は、58歳のサラリーマン・平 均太郎が、定年後のお金、年金、保険、iDeCo、退職金、夫婦の暮らしを考えていく連載です。

    創作大賞2026応募作として、シーズン1を短期集中公開します。
    『サラリーマン均太郎の年金生活』は、夕方17時30分更新です。

    シーズン1目次
    ① 7年後のオレが、家計簿を持ってやってくる
    ② 退職金があるだろ?
    ③ 妻の年金は、まだ来ない
    ④ ひとり老後は自由。でも、割り勘がない
    ⑤ 夫婦とも厚生年金なら安心か
    ⑥ 未来のオレに怒られないための数字

    次回は、夫婦老後に潜む3年のズレを見ていきます。

    画像
    退職金を見て安心した均太郎。未来の自分に財布を3つに分けられ、最後は民子に飲み代の出どころまで問われました。

    あなたへのおすすめ