
逢魔伝(おうまでん) 4-1
目次
第一章
第二章
第三章
第四章
あとがき
第四章
一
かちゃかちゃ、と耳障りな音を鳴らしながら、パフェ皿の底をつついている。口の周りに、ベタベタとチョコレートをこびりつかせたまま顔を上げた、東堂しのぶを見つめ、渋い顔をした。
「本当に汚ない女だな」
「放っておいてよ」
「関わりたくもないよ」
僕の小言を気にも留めず、バナナをフォークで突き刺すと、それを口に運んでうっとりとした表情を浮かべていた。それを横眼で見ていた八枯れなどは、牙をのぞかせて、よだれを垂らしている。お前も頼むからやめてくれ、と八枯れの顎をつまんだ。
「どう食べたって、パフェのおいしさに変わりはないでしょ」
「うまそうに食っていないと、おいしさと言うものは伝わらないものだよ」
「あんたの言う、うまそうに食うって、どういうことよ」
「そうだね。少なくとも、スプーン1すくいにあふれんばかりのアイスクリームを乗せて、ぼたぼたとテーブルの上にこぼし、あげくそのテーブルに肘を置いたりはしない、ってことかな」
「十分、うまそうじゃない」
「袖がアイスクリームだらけだぜ」
「白だから目立たないわ」
「ああ、もういい。好きにしろ」
馬鹿馬鹿しくなって、話しを打ち切った。白いカップを持ち上げて、香りを十分楽しんでから、ずず、と一口飲み込んだ。口の中に安っぽい珈琲の香りが広がり、自然、笑みを浮かべる。それを見ていた東堂は、「スノッブ」と軽口を訊いた。
「依頼を受けることにしたんだ」
カップを置いて、唐突にそう言うと、東堂の黒い双眸を見据えた。アーモンド形の瞼が、一度ぱちり、と瞬きをしたのち、すっ、と細くなった。
「電話で聞いたわ。彼女と話したんでしょう」
「正確に言うと、彼女たち、だけどね」
「こっちも、いろいろと調べてみたわ」
鞄をしばらく漁っていたかと思ったら、はい、と言って目の前に書類をつきつけられる。眉間に皺をよせて、それを一瞥してから受け取った。適当にページを繰ってみると、いくらか分析表やらグラフやらが出てきた。
「なんだい、こりゃ」
「楊貴妃の中に含まれていた、得体の知れない水を分析したのよ」
「それで?」
「ずいぶんと、ミネラルが多かった」
「なんだよ、それ」馬鹿馬鹿しい、と書類をソファの上に放る。背もたれに体重をかけて、煙草に火をつけた。しかし、東堂は白い人差し指で書類を指し示すと、静かな声ではっきりと言った。
「それだけじゃないわ。ニッケルが混ざっていたのよ」
「ニッケル?」
「ええ。成分表をよく見て。ニッケル鉄合金、オリビン、輝石、斜長石、トロイライト、ケイ酸塩、いろいろあるけど。つまり」
「何だよ。呪文か?」
「コンドライトよ」
紫煙をくゆらせながら、ハッとして身を起こした。ただのミネラルウォーターか、温泉の元でも混ざっていたか、とうんざりしながら聞いていたが、そうではない。東堂は頬づえをついたまま、口元のチョコレートをぬぐって、にやにやと笑っている。
「わかる?隕石の成分が混ざっていたのよ」
「そりゃ、また」
あまりのことに、ぽかん、と阿呆のように口を開いた。
「もともとは、分化した小惑星の金属核の一部とも言われているけど、形成過程は複雑で、いまの科学でも解析しきれていないわ」
「よく、成分表なんか出してきたな」
「うちのスタッフは優秀なのよ」
「きみよりは信用できるみたいだ」
「ところで、梅の木の内部から、鉱物の成分が出てくるってどういうことなの?」
うん、とうなずいてしばらく宙空を見据え、紫煙を吐き出した。死んだネズミの中に入り込んでいたものと、楊貴妃のなかに入り込んでいるものが同じであるなら、答えは決まっている。
「星なんだろう」
「星は石よ。話せる訳ないでしょう」
「たまには意志があっても良いじゃないか」
「洒落のつもり?」
「そう睨むなよ」
軽く肩をすくめて、灰皿の上で煙草の火をもみ消した。
「あれらは、なんらかの弾みで地球に落下した隕石で、いまが百年に一度の円環起動の周期なのかもしれない」
「円環起動?」
「とかなんとか、邪植の意見だから根拠もないよ」
「当てにならないわね。だいたい、渡り鳥じゃあるまいし、石が落ちたらそれまでよ。隕石の形成は、地球の誕生より古いのよ?四百六十億年前のものだってあるくらいなんだから。地球に落下した鉱物、と結論づけるのは早いんじゃないかしら」
「つまり、地球の誕生よりもずっと前から生きていた石ってことかい」
「まさか。信じられない」
東堂はお手上げ、とつぶやいて、両手を上にして舌を出した。
「だが、この地上に届いている星の輝きだって、何億光年もの距離を経て届いた光だ。新星爆発さ。銀河宇宙様を前に、僕らの概念なんか通用するものかよ」
「そうかもしれないけど」と、口をつぐんだ東堂は、茶色い長髪をぐしゃぐしゃとかいた。「だいたい、見えない空って何よ。とんち?」
「だと良いが、おそらくなんらかのアクションが必要なんだろうよ」
「それが何か、わからないんでしょう。まったく。規模が大きすぎて、わたしみたいに普段、ミクロ単位の世界を生きている女には、途方もなくなる話しだわ」
「そうか。ミクロもマクロも同じようなもんだと思うがね」
「部分が全体だとでも言いたいの?ナンセンス。そんな、いい加減な哲学引っ張ってこないでよ。科学も物理学も実証がなくちゃ、無いも同然なんだから」
「きみほど、ロマンスに欠ける女性も珍しい。科学こそ、純粋たる世界を形成してゆく、哲学の実証であるはずなのにね。切りはなして考えることなど、その時点で無意味だぜ。しのぶちゃん」
東堂は鼻の穴をふくらませて、腕を組むとそっぽを向いた。ため息をついて、丸めたストローの袋を、彼女の額に向かって放る。ごみは音もなくテーブルの上に落ちたが、東堂の眉間にはさらなる皺がよっていた。それに微笑を浮かべて返す。
「ありがとう。今回は、君の情報がけっこう役に立った」
素直に礼をのべてみると、東堂は怪訝そうな表情を浮かべて、黙りこんだ。「今回はと、けっこう、は余計よ」と、言ってストローをくわえると、ずるずる音を出してオレンジジュースを飲み出した。いくぶん、機嫌が良くなったようだ。
「本当にマナーと言うものを知らないんだな」
呆れた声でつぶやいてみたが、それも無視してうまそうに飲みほした。科学に関してはこちらが舌を巻くほどの知識と技術を持っているくせに、如何せん行儀が悪い。理系の女が、知的で美人と言うのも、いまじゃおとぎ話に過ぎないのかもしれない。
そうため息をついた時、隣で寝息を立てていた八枯れが、ふと目を開いて天井を仰いだ。鬚をぴくぴくと動かしながら、じっと、何かを睨みつけている。視線の先を追ってみたが、喫茶店の古めかしいオレンジ色の照明が、煌々と輝いているだけだった。
「どうかしたのか?」
そう問いかける前に、突然肩をたたかれて口をつぐんだ。え、と振りかえった先で、不敵な笑みを浮かべる男が立っていた。