
逢魔伝(おうまでん) 4-4
四
「どういうこと?」
東堂は、背もたれから体を起こしたのか、ギシギシとソファを鳴かせていた。それと同時に、非常灯が点いたのか、不機嫌そうな顔がうっすらと浮かび上がる。思ったよりも近づいていた彼女の顔に驚いて、ぐっと身を引いた。隣の卓に着いていた関根くんなどは、「ともかく落ち着きましょう」と、低くつぶやいた。
「見たらわかるだろう。停電だよ」
「そうじゃないわ。外を見て」
さっきも見たよ、雨が降って来ていた。と、つぶやきながら、彼女のさし示す指先を追った。真っ暗闇のなかで、外灯も、信号も、車のヘッドライトも、消えている。まるで、黒い霞みにでも覆われているかのように、前後不覚である。ザアザア、と降り続ける雨のなか、クラクションを鳴らす車の音だけが、窓硝子にぶつかっていた。
「車のライトまで消えるなんて、どうかしてるわ」
「まあ、そうだ。電力会社の怠慢、とだけは言えないね」
「と、ともかく、落ち着きましょう」
「君が落ちつけよ。なんだい、関根くんさっきから同じことをくりかえして」
「僕ぁ、暗所恐怖症なんですよ」と、言いながら、関根くんはぶるぶる震える右手で、上着の袖をつかんでくる。どうせしがみつかれるなら、もう少し愛らしい女の子のほうが良いな、とため息をついた。
みんなして軽口を訊いていたが、とん、とテーブルの上に乗った猫の足音に、ぎょっとした。おいおい、よせよ関根くんがいるのに。と、八枯れの双眸を見据えたが、ふん、と鼻を鳴らされただけだった。
「ふざけている場合じゃあないぞ」狼狽する僕に構わず、八枯れはすんすん、鼻を動かして言う。「鉄の匂いが強い。奴ら、そろそろ動きだす気かもしれん」
「停電と、何の関係があるんだよ」
腕を組んで眉をしかめると、東堂は「もしかして」と小さくつぶやいた。そちらに視線を移した。
「何かあるのか?」
「都市のエネルギーを使う気なのかもしれないわ」
「何に?」
「さあ。でも、電力を集めてやろうとすることって、相場は決まってるでしょう」
「いやに、思わせぶりだなあ」眉間に皺をよせて、首をかしげた。
「時空を歪める気なのかも。都市に供給されている大量の電力を、どっかに蓄積して、爆発的なエネルギーを作り出そうとしているのかもしれないわよ」
「それも突飛な話しじゃないか。君も案外いい加減だね」
「じゃあ、何で消えたのよ」
「知るものか」
赤也、と呼ばれ口論の途中で黙り込んだ。八枯れの声は、低いが、はっきりと響く。その黄色い双眸の奥で、闇の光がぎらと光っていた。
「みるんだ」
「どこを」ぐっと、首を回して辺りを見回すと、不機嫌な声で「ちがう」と、叱られた。肩をすくめて見せたが、八枯れは構わずに続けた。
「貴様が奴らの姿を見ることで、奴らは初めて存在できるんじゃ」
「あれらが存在したら、どうなるんだ?」
にや、と笑うとともに、白い牙が非常灯の明かりに反射して、光る。
「おのずと光の海も姿を現す、かもしれん」
「お前もいい加減だな」苦笑を浮かべて、肩をすくめて見せた。
「ともかく、本当の姿を探すんじゃ」
「本当の姿って言われてもな」
先輩はさっきから、誰と話しをしているんですか、とおどおどした関根くんの声が、小さな悲鳴に変わった。うわ、と叫ぶと同時に床下から、ずずん、と何かが沈むような大きな、鈍い音が響いた。店全体が沈んだのかと思うほどの衝撃だった。東堂は、とっさに目の前のテーブルの下にもぐりこんだ。
「地震よ!」
そう彼女が叫ぶ前に、窓硝子がみしみし、と鳴動した。僕は、一気に鳥肌が立った。すぐに非常灯を見つめた。青い光は、左右に大きく揺れはじめる。それが次第に、大きくなっていった。
きゃあ、わあ、と言う悲鳴が響いた。店内は騒然とし、人々は突然のことに身動きが取れなくなっていた。東堂のようにテーブルの下にもぐる者もいたが、あまりの揺れの激しさに、ほとんどの人が必死になって、身を低くしていた。
近くの物をつかんで、揺れに耐えようとしているのが、目に入った。
「馬鹿め、死にたいのか」
八枯れに首根っこをつかまれ、テーブルの下に引きずりこまれた。驚きのあまり、ソファの上で動けなくなってしまっていたようだ。あまりの衝撃に、窓の外をじっと、見据えていることしかできなかった。
伏せる前まで眺めていたのは、異様な光景だった。
真っ暗闇のなか、非常灯がゆれるたびに、窓の外の交差点が照らしだされた。光を失った信号は、左右に大きく揺れ、根元から折れてしまいそうだった。そこから、四方にのびていた電線も大きくたゆみ、千切れてしまいそうだった。車から降りた男は、倒れそうになっていた車体から、転がるようにして離れていた。ガシャン、とフロントガラスが割れた。男は、間一髪で破片から頭を守ったものの、足首を切って血を流していた。
明かりを失った都市は、地獄のように不気味だった。
立っていられないほどの激しい揺れ、建物のぎしぎし揺れる音、硝子が砕け散ったあとの、ぎらぎらとした光り。人々の阿鼻叫喚は、暗闇の色をますます深くしていくようだ。
僕はテーブルの足をつかんだまま、じっと、揺れが通り過ぎてゆくのを待った。それは、誰もが逃れることができない、ある警告だった。
死の匂い。死の警告。思えば、僕には八枯れがいるのだから、死の恐怖に震えることなどないはずだった。これまで、何度となく危ない目にもあった。死にかけたことだってある。そのはずなのに、僕の両の掌は冷汗でぐっしょりと湿っていた。テーブルの足を握っている指先が、わずかに震える。そうして、ああ、そうか、とうなずいた。
死にかけたことのある人間ほど、もしかすると死に対して、あるいは死を前にしながら続くあらゆる生に対して、恐怖するのかもしれなかった。