女英

女英(じょえい)は、古代中国の伝説上の女性。堯の娘で、姉の娥皇とともに舜の妃となったとされる。また女瑩、女匽とも書かれた。姓は伊祁氏。舜とのあいだに商均をもうけたとされる。
後世には、中国楚地方の洞庭湖へ注ぐ湘水の水神である湘君・湘夫人と結び付けられるようになった。[1][2] また、中国の一部地域では民間信仰の対象として崇敬され、「姑姑」や「娘娘」と呼ばれている。[3]
伝承
[編集]舜との婚姻
[編集]『列女伝』によれば、堯は舜の徳を高く評価し、娘である娥皇・女英を舜に嫁がせ、その人柄を見届けさせたという。二妃は質素に暮らし、農作業に従事する舜に仕えたとされる。
また、舜の父・瞽叟(こそう)や異母弟の象が舜を害そうとした際には、娥皇・女英が助言を与え、舜を守護する存在として描かれている。倉への放火や井戸への閉じ込めなどの危機に際し、二妃が舜に危難を逃れる方法を授けたという伝承がある。舜はこれらの試練を乗り越え、最終的に堯の後継者となった。後に娥皇は皇后、女英は妃となり、聡明で貞淑な女性として称賛された。[4]
舜の死と斑竹伝説
[編集]舜の死後、娥皇・女英はその死を深く悲しみ、湘江流域で涙を流したという。『博物志』などでは、その涙が竹に落ちて斑点模様となったとされ、これを「斑竹(はんちく)」あるいは「湘妃竹(しょうひちく)」と呼ぶ伝説が伝えられている。
二妃はその後、洞庭湖周辺の湘水流域で没したとされ、後世には湘君・湘夫人として神格化され、水神として信仰されるようになった。
『史記』における記述
[編集]『史記』「秦始皇本紀」には、秦始皇が洞庭湖の湘山の祠に向かった際、大風によって渡河を阻まれ、博士に「湘君とはどのような神か」と尋ねたところ、「堯の娘であり、舜の妻となった者」であるとの説明を受けたという記述がある。始皇帝はこれに怒り、湘山の樹木を伐採させたとされる。
地域伝承
[編集]出生地伝承
[編集]山西省洪洞県羊獬村(旧名・周府村)には、女英の出生地とする地域伝承がある。伝承によれば、この地では善悪を識別する力を持つ一角の神獣・獬(かい)が生まれたとされる。これを知った堯が当地を訪れた際に女英が誕生し、堯はこの地を聖地として村名を「羊獬」に改めたという。この伝承から、羊獬村は娥皇・女英の実家とみなされるようになったとされる。[5]
民間信仰
[編集]洪洞走親習俗
[編集]山西省洪洞県羊獬村から歴山・万安一帯には、娥皇・女英に結び付けられた独自の民間信仰が存在する。当地では、娥皇・女英は羊獬村で「姑姑」、歴山では「娘娘」と呼ばれ、地域の信仰対象として崇敬されている。
伝承では、羊獬は堯および娥皇・女英の故郷、歴山は舜の故郷であり、娥皇・女英の嫁ぎ先とされる。このため両地域および沿道の村々では互いを親戚とみなし、「接姑姑迎娘娘」と呼ばれる往来儀礼が形成されたという。
この習俗は「洪洞走親習俗」と呼ばれ、山西省洪洞県および臨汾市一帯の20以上の村々に伝承されている。毎年旧暦3月3日には羊獬村の人々が歴山へ二妃を迎えに行き、4月28日の堯王誕生日には歴山側が再び二妃を送り返す行事が行われる。行列には銅鑼太鼓、神輿、儀仗隊などが伴い、沿道の村々では供応や宿泊接待などの習俗もみられる。
この習俗は2008年、中国の国家級無形文化遺産に登録された。[6]