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共工

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共工
各種表記
日本語読み: きょうこう
英文: Gonggong
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共工(龔工、きょうこう)は、古代中国神話に登場する神。中国最高の水神。四罪の一人にあげられている。中国最大の悪神の一人。

この存在は中国神話において、至高の天帝たちと伝説の王たちと戦った相手である。

異なる史料の記述によれば帝顓頊[1]、帝嚳[2][3]、帝舜[4]、帝堯[5][6][7]、そして伝説の王禹[8][9]、最高位の火神祝融[10]らによって、それぞれ程度の差はあれ弾圧または討滅されている。

また共工は中国古代に九州を覇した主宰の一人でもあり、水徳を象徴する存在として聖王の側面を併せ持ち、神話における至高の水神である。

後世の神話変容において、共工は敗者とはならず、火を象徴する最高位の神祝融と互角に対峙する存在となった。

これより、共工は中国神話における最も大きな悪神の一人であると同時に、中国上古の時代に九州を覇した諸神の主宰の一人でもある[11][12][13][14][15]。

概要

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姿は人面蛇身、洪水を起こす水神とされている。『管子』「揆度」の描写では朱色の髪を持つとされる。『路史』での記述に従えば、祝融(しゅくゆう)の子供であり、炎帝の一族にあたる[16]。

九首人面蛇身の家来である相柳(そうりゅう)を従え天下を乱し、不周山を破壊することで大地の崩壊をも引き起こした悪神として伝説では描写されるが、乱を起こした時代は文献ごとに定まっておらず、年代順に並べると以下の時期が並んで存在している。

女媧の時代
『史記』「三皇本紀」では女媧(じょか)氏の時代の末年に、共工が天下の覇権を狙い反乱を起こすが祝融に敗れ、不周山に頭突きを喰らわせ破壊する。女媧はこれを補修し天地が崩れるのを防いだ。『国語』では共工こそが至上帝として天地を治める神であったが、治世に失敗し、これを伏羲と女媧が修復したともある。
顓頊の時代
『淮南子』「天文訓」や『楚辞』「天問」では、顓頊(黄帝の子孫)と帝の地位を争い敗れたとあり、その際、怒りにまかせて暴れ周り、天を支える柱がある不周山を破壊。そのため天柱が折れ、天が西北に傾いてしまった。中国の河川がすべて東南方向に流れるのはこのためとされている。『淮南子』や『論衡』「談天篇」では女媧による修復もこの時であるとされる[17]。康回という名で歌われている。
堯・舜の時代
『史記』「五帝本紀」や『尚書』「堯典」では堯(ぎょう)の時代には驩兜(かんとう。堯の息子である丹朱)の紹介で共工が登場しているが、両者ともに堯からしりぞけられた。幽州の地において処刑されている。『韓非子』(外儲説)では堯が舜へ天下を譲ることを決めた際にそれに反対したために幽州で誅されたと語られている[18]。『淮南子』では舜(しゅん)の時代に洪水を起こして暴れ、幽州へ追放されたとある。『史記』舜本紀には、共工の子孫たちが北の方角にすむ北狄たちになったと記されている[19]。
禹の時代
『山海経』の「大荒西経」には共行国という地域が登場しており、禹(う)の時代に共工国を攻めたとする記述がある[20]。

神話学者の袁珂は、数ある共工の伝説のうちでは顓頊の時代とする文献が古いかたちのものであろうと考察しており、その存在は黄帝に属する系統と対立する者(炎帝に属する系統)の代表と目された為に四罪の代表格・悪神のような扱われ方をされているものであると見ている[16]。女媧の時代から神話上に時を越えて千年近くに渡り執拗に登場し続けては敗北をする悪神として描かれているのは、中原(ちゅうげん)を本拠とした政権と長期にわたって敵対した羌(きょう)族が共工を信奉していたためではないかとも考えられている。

共工の子

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『風俗通義』などに「共工之子」とされる記述が見られる。

  • 脩:天下の各地へ車や舟をつかって移動するのを好んだとされる。徂神(旅の神)としてまつられた[16][21]。
  • 勾龍:顓頊を補佐し大地をととのえた后土[22]。
  • (無名):死後に暦鬼になって人々にわざわいをもたらした[16]。

洪水の語源

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洪水の「洪」の字は、この共工の名前から取られたとも言われている。

脚注

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  1. ↑ 《淮南子》记载:“昔者,共工与颛顼争为帝,怒而触不周之山,天柱折,地维绝。天倾西北,故日月星辰移焉;地不满东南,故水潦尘埃归焉。
  2. ↑ 《史记·楚世家》记载:“楚之先祖出自帝颛顼高阳。高阳者,黄帝之孙,昌意之子也。高阳生称,称生卷章,卷章生重黎。重黎为帝喾高辛居火正,甚有功,能光融天下,帝喾命曰祝融。共工氏作乱,帝喾使重黎诛之而不尽。帝乃以庚寅日诛重黎,而以其弟吴回为重黎后,夏居火正,为祝融。”
  3. ↑ 《淮南子·原道训》“昔共工之力,触不周之山,使地东南倾;与高辛争为帝,遂潜于渊,宗族残灭,继嗣绝把。”
  4. ↑ 《孟子·万章上》记载:“舜流共工于幽州,放欢兜于崇山,杀三苗于三危,殛鲧于羽山,四罪而天下咸服。诛不仁也。”
  5. ↑ 《韩非子·外储说右上》记载:“尧欲传天下于舜……共工又谏曰:‘孰以天下而传之于匹夫乎!’尧不听,又举兵而诛共工于幽州之都。”
  6. ↑ 《逸周书·史记解》记载:“昔有共工自贤,自以无臣,久空大官。下官交乱,民无所附,唐氏伐之,共工以亡。”
  7. ↑ 《国语·周语下》记载:“昔共工弃此道也,虞于湛乐,淫失其身,欲壅防百川,堕高堙庳,以害天下。皇天弗福,庶民弗助,祸乱并兴,共工用灭。其在有虞,有崇伯鮌播其淫心。称遂共工之过,尧用殛之于羽山。”
  8. ↑ 《荀子·成相篇》:“禹有功,抑下鸿,为民除害逐共工”
  9. ↑ 《荀子·议兵》记载:“尧伐欢兜,舜伐有苗,禹伐共工,汤伐有夏,文王伐崇,武王伐纣,此四帝、两王,皆以仁义之兵行于天下也。”
  10. ↑ 《三皇本纪》记载:“当其末年,诸侯有共工氏,任智刑以强,霸而不王,以水乘木乃与祝融战,不胜而怒,乃头触不周山,崩天柱折,地维缺,女娲乃炼五色石以补天。”
  11. ↑ 《礼记·祭法》记载:“共工氏之霸九州岛也,其子曰后土,能平九州岛,故祀以为社。”
  12. ↑ 《左传·昭公十七年》记载:“昔者黄帝氏以云纪,故为云师而云名;炎帝氏以火纪,故为火师而火名;共工氏以水纪,故为水师而水名。”
  13. ↑ 《管子·揆度》记载:“共工之王,水处什之七,陆处什之三,乘天势以隘制天下。”
  14. ↑ 《山海经·海内经》记载:“炎帝之妻,赤水之子听袄生炎居,炎居生节并,节并生戏器,戏器生祝融,祝融降处于江水,生共工。共工生术器,术器首方颠,是复土穰,以处江水。共工生后土,后土生噎鸣,噎鸣生岁十有二。”
  15. ↑ 《国语·鲁语上》载:“共工氏之伯九有。”
  16. 1 2 3 4 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 161-165頁
  17. ↑ 出石誠彦 『支那神話伝説の研究』 中央公論社 1943年 37-39頁
  18. ↑ 金谷治 訳注 『韓非子』 第3巻 <岩波文庫> 岩波書店 1994年 178-179頁
  19. ↑ 『史記』舜本紀「流共工於幽陵 以変北狄」
  20. ↑ 袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 233頁
  21. ↑ 『風俗通義』祀典「謹按『禮傳』≪共工之子曰脩,好遠遊,舟車所至,足跡所達,靡不窮覽,故祀以為祖神。≫祖者、徂也」
  22. ↑ 『風俗通義』祀典「『春秋左氏傳』曰≪共工有子曰勾龍,佐顓,平九土,為后土,故封為上公,祀以為社,祇。≫」

関連項目

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