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不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ③脱出きっかけ編

    前回からの続きです。

    15歳で「不登校」が本格化し、19歳で「ひきこもり」、20歳で「家を出よう」と決意するまでの日記を、3回にわたって公開します。

    ※元ひきこもりで就職氷河期世代の私が、1989年(平成元年)から綴った日記を抜粋しています。
    ※4200字の長文です。


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    19歳からの日記帳は普通のノートに。「生活・心の記録」と書いてある




    ひきこもる自分を見つめて 

    ひきこもり末期:20歳,1994年(平成6年)

    ・ 事件前夜
      おびえる成人式前夜

    成人式の前、学校も仕事も続かず、人生の方向性も見えなくなった私は、完全に昼夜逆転のひきこもり生活をしていた。
    人生で一番、地に落ちていた頃。当時の自暴自棄な日記は、読解不明な言葉を綴り、一部処分してしまった。

    もう自力ではどうにもできない、どうすれば周囲を苦しめずに終わることができるのか、そればかり思案していた。
    この日までは。

    ▶︎ 1月14日 成人式前日
    明日(成人式)は、バーゲンに行って、パーマかけるぞと、それなり張り切っていた。両親も、我が家流のごちそう作りを楽しみにしていたかもしれない。

    私はこの日、部屋の布団にくるまって、ラジオを聴いていた。
    1階の居間から、テレビのニュース番組の音が聞こえてくる。そのニュースを、私は2階の自分の部屋で、ラジオから聴いているのだ。
    家族が見ているテレビ画面に映る「すごい絵ですね」と言われる絵を想像しながら。
    自分の幼さと、バカさ加減を思わずにはいられなかった。

    …やはり未来はわからなく、過去は変えられない。
    こんな成人の日を迎えるために、私は20年も生きてきたのかとさえ思った。

    要するに、テレビを見たいけれど(当時は一家に一台だった)、家族と一緒にニュースを見ると、成人式の話題が出た時に気まずいので、自室でテレビ番組をラジオから聴いていた。
    生活リズムも乱れ、家族と距離があった時期。

    ※ちなみに、成人式の件は、A4ノート文字びっしり7ページも記録していた




    ・ 事件当日
      覗き穴から見た哀れな姿


    ▶︎ 1月15日 成人式当日
    それは、もう何度も繰り返されてきた事で、今更落ち込むことでもないのだけれど。自分の成人式ぐらいは(起きられるのでは)との意気込みがあったから、やはり気の滅入りは大きかった。

    何度か目を開けたものの‥。
    簡単に想像できる同級生の晴れ姿。
    (外出したら)その姿を、私はいつものみすぼらしい姿で見つめ、一人バーゲンに行き、誰かに見つかりでもしたらどうしようと、考えが消えなかった。
    きっと惨めになる。
    映画でも観ようか、きっと寂しくなる。
    本でも買おうか、たぶん読む気もしないだろう。
    今更、呼べる友だちもいない。
    着ていく服さえない。

    何より私は、きっとひどい顔をしている。嫌な目つきをしている。
    だってこんなに、ぎすぎすな冷たい卑しい心なのだから。
    せめて、二十歳の記念に、大人としてパーマでもかけたい。
    でも、金があるわけでないし。

    このまま、布団の中で眠っていようか…、
    そんなことを思っていた時に、
    家の電話が鳴った。

    ° ° ° ° ° ° ° ° °

    心臓が高鳴った。
    電話は、私の成人祝いを届けに、親戚がウチに立ち寄るというものだった。
    その突然の電話は、私を動揺させ、父を張り切りさせ、母に掃除をさせた。


    私は、「絶対出ない(顔を出さない)」と布団の中から大声で両親に言った。

    どうして、出ることができようか。
    みな(同級生)は着飾って主役になるその日に、私はいつもの汚い部屋で、そのいつもを繰り返す、まさにいつも(の堕落)でしかないのだから。

    こんな情けない姿を、誰にも見られたくないのは当然だと思いながら、布団の中で、全てが過ぎ去るのを待つように、ちぢこまっていた。


    ° ° ° ° ° ° ° ° °


    日差しの強い日だった。
    あぁ、布団干したい…と思わせる、いい日差しの日。
    まだ明るい夕方の4時頃、我が家に親戚たちがやってきた。


    “ドッドッドッ”
    階段をあがる父の足音が、2階の私の部屋へ近づくと、
    何の迷いもない明るく大きな、
    私にはとても大きく聞こえたその声で、父が叫んだ。

    「みんな来てくれたよー、下に起きて来なさぁい」



    ……なぜ?
    いないはずの私を、なぜ起こしに来た??


    娘の成人祝いに、わざわざ来てくれた親族に対して、当の本人が寝ていたのでは示しがつかない、父としてそう思うのはよくわかる。
    でも、でも私はハッキリと、「居ないことにして」と約束した。
    それを守ってくれると信じていたのに。


    大きな声で父を責めることもできない私は、声を殺すように言った。
    「家に居ないことにするって! 言わないって約束したじゃないかー!!」


    布団の中、自分でも驚くほど激しく、ヒィヒィとしゃくり上げ、声がひるがえりながら、のたうちまわって悔し涙が出てきた。

    楽しげに上がってきた父は、私の部屋の戸を少し開けた後、
    ゆっくり閉めて、何も言わずに階段を降りていった。



    自らを抑えることができないほどの感情の中、頭の中ではずっと叫んでいた。
    「なんでこんなことになったんだ!
    私は、こんなんじゃない! ただ普通の、普通の成人式を迎えたかった!
    晴れ着で昔の友だちと会って、パーティして近況を語り合える、
    ただただ普通、どこにでもある、
    誰もが経験できる成人式を送りたかった!」

    個性的でなくても、若いだけで中身が伴っていなくても、
    形だけでも、そんな形によって周囲を喜ばせることができる、
    多くを望まない、普通のすごさ。

    今までの私は、普通にできないことへの苛立ちを、
    “自分らしさ”という傲慢な言い回しで片付けようとしていた気さえした。
    こんな形で、今までの自分を非難することになるとは。


    その時だった。
    うまれて初めて、心と体が分離するような感覚になったのだ。

    しゃくりあげ、グシャグシャに泣き、背をまるめ、壁を蹴りながら、どうしようもなく力のない孤独な人であったその哀れな我が身を、体は布団の中で汗かき泣き叫んでいるのに、心だけが、部屋の天井の高い所に行って、他人のような目線で自分を見つめている、不思議な記憶が心に残った。

    ° ° ° ° ° ° ° ° °


    何も、望んで、ひきこもりになったんじゃない。
    社会の現代病的なものに、流されて、はまっていったんじゃない。
    やはり私は自分らしく、私にしかできないことを探していたはず、
    …だけど。

    いわゆる幽体離脱のような体験は、
    覗き穴から自分の姿を見せてもらい、「これが現実なんだ」と、非常に冷静に観察できた感覚が残った。

    こんな悲しい成人の日、
    これが私が、大人と認められる過程の大切な日。




    ・ 事件の後に
      落ちて落ちて落ちたあと


    ▶︎ 1月16日
    (そのまま泣き疲れて、もう何十時間も布団の中にいた翌日のこと)
    夜一人、居間に降りると、
    冷蔵庫は、私のお祝いで頂いた料理や飲み物、ケーキで賑わっていた。

    お祝いでもらった花が目に入る。
    ずっと寝ていたせいか、じっと見ていられないほど鮮やかなピンクの花束。「成人おめでとう」のプレートを見ていると、また涙が出てきた。

    たくさん並んでいた御祝儀袋を見つめながら、御礼すら言わず、皆が寝静まった夜に、コソコソ起きて食べる自分を、恥ずかしく思った。





    その瞬間、
    何もかも捨て去って、一人で暮らそうと思った。


    衝動的ではない、自分が自立するには、それが必要だと思わずにはいられなかった。
    寂しくて泣いても、誰とも話す事がなくても、することがなくなっても、一人で暮らしたいと思った。



    なんだか、何もかも自信がなくなり、大人の強さを見失う始まりとなってしまった成人式。
    でも、本当の、私の迷いがわかったような気がする。

    じゃあ、どうする、どうできる!

    何もできなくて、気力もない私は、落ちて落ちて落ちたというのに。
    どうすれば私は、私を幸せにできるだろう。

    日記には記されなかったが。
    家を出ようと決断できたのは、お祝いの花束の香りだったと記憶している。
    生花の強烈な香りをかいだ瞬間、自分の体臭も同時に臭ってきたのか、このままの生活を続ければ肉体が腐敗するというイメージが、リアルな自分ゴトとして突きつけられた。

    「とにかく、ここを出なくちゃいけない!」
    「一度でいい、人間になってみたい!」

    身の危険を察知するアラームが聞こえたように。まずは、普通を体験してみよう。もう、まっさらゼロからの再出発だ、と動き出す。




    ・ 自立に向けて
      家を出たカビ布団


    ・1月19日
    やりたい事が、たくさんある
    知りたいことが、めいっぱい
    会いたい人が、ムチャクチャいて
    欲しいものが、あれやこれや

    なのに、少しずつしか実行できない。
    力のなさを、認めたとはいえ、
    ちょっと、さびしいなー

    でも、きっと
    そう、でもきっと

    今は、その言葉だけが、
    私の頼りとするところ

    この件から約半年後、私は住み込みの仕事を始めて、社会人になった。
    その後、転々フラフラしつつ、なんとか働いたり暮らしたりできている。


    - 余談 -
    私が育てた黒カビ布団は、後日、粗大ゴミに出した。
    通常のゴミ回収で粗大ゴミを出せた時代。朝では目立つからと、前日の夜にゴミ捨て場に運ぶことになった時のこと。
    重く臭うカビ布団を移動する時、母はなぜかウキウキワクワク、まるでピクニックにでも出かけるような喜びで、楽しそうにしていた。
    あの時の母の表情を、なぜかよく覚えている。





    ・5年分の日記を通読して・

    当初は、自分がどうやって不登校からひきこもりに至ったのか、過去の資料から探りたい、現代の不登校やひきこもりの共通点を探したいと、読み返しました。

    しかし、初めて通しで読んでみると、自分で書いたものでありながらその熱量に驚きました。これは、登校拒否時代の公共的なデータとして、他の方にも見てもらった方が良いのではないかと思うようになり公開します。

    もう二度と書けない体験談。昔の私、残してくれてありがとう♪



    連載の最後に、
    大人になった私から、日記を読んで気づいたこと、
    「不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ④30年度の手紙編」↓を追加して終わります。


    ① 1989年(平成元年)
    高校1年不登校から進級できなくなるまでの半年間の日記
    不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ①不登校編

    ② 1991年(平成3年)
    通信制高校に編入、フリーター、ひきこもりまでの4年間を抜粋した日記
    不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ②ひきこもり編

    ③ 1994年(平成6年)
    二十歳で人生絶望し、ひきこもりをやめる決意をするまでの3日間の日記
    不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ③脱出きっかけ編




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    絶望していた“あの頃の自分”に伝えたい。 アトピー、不登校、ひきこもり、ボランティア、NPO、田舎暮らし、氷河期世代。 転んでもネタを見つけて起きあがる七転び八起きの“下道・寄り道”人生を綴ります。

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