
不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ①不登校編
絶対、誰にも見られたくない、“死ぬ前に処分”すべきものがある。
学校に行けなかった頃に書いた日記の束だ。
部屋の奥でホコリにまみれ、スえた臭いで紙は黄ばみ、隠し続けて37年。
何度、処分しようとしても、姿を見ただけで、一気にあの頃の地獄に引き戻され、捨てることができなかった。
怨念の塊、ダーク感情のフリーズドライ、誰の目にも触れさせずに、自ら成仏するのみと思っていた日記を、なぜか全世界にさらそうと思う。
それは、不登校やひきこもりで苦しむ人が増え続けているからだ。
どんな性格や立場の人でも、社会から断絶されると、人間は簡単に追い詰められる。極論が飛び交い、事実を見ることができなくなっていく。
今、苦しんでいる人も、他者の事例に触れることで、自らに置き換えるヒントがあるかもしれない、情報提供になればと思うようになった。

タイトルは、なぜか“やまびこ”
触れることも毛嫌いしていた、あの黒歴史日記を開いてみると、
驚くほど細かく、社会からドロップアウトする過程が記されていた。
高校生で「不登校」が本格化し、
19歳で「ひきこもり」、
20歳で家を出る決意をするまで。
当時、何を考え、どう行動していたか、日記を抜粋し、状況を捕捉しながら、まとめてみようと思う。
とても幼稚な表現で、当時の時代感覚で書かれた日記であること、ご了承いただきたい。
※長文8,600字です。
“生きるの無理”と決めつけて身動きがとれなかった、あの頃の私へ。
捨てられなかった37年前の日記から読み解いていく。
15歳、どうやって学校に行けなくなっていったか
登校拒否(不登校)期:1989年(平成元年)
◇ 高校1年9月 欠席1~9日 / どうしよう
▶︎9/1 ◎出席
日記を書くことにした。
何かあるような予感がしたから。
毎日つけるものとし、自らを高め、未来への希望、青春の思い出を綴りながら、がんばっていこうと思う。
平成元年、バブル期ピークの華やかな時代。
学生生活を謳歌する宣言のように始まる。
その後の日記には、友人と行った映画の話、部活や好きな歌手、漫画のこと。家族との何気ない話題など、あまりにも普通の内容が続く。
▶︎9/9 ✖️欠席1日目
一度も休まないと決めていたのに、意味もなく欠席してしまった。
親は何と思っているのか、私なんてどうでもいいのか。
一日中、そんなことばかりで、何もできなかった。楽しい一日になるはずだったのに。
1日も休まないと決めたのは、中学で学校に行けなくなったから。
当時、登校拒否は学年に一人いるかどうかの特異な存在。
校長室に呼ばれた両親と私に、校長先生は言った。
「お父さん、娘さんを殴ったことはありますか?」
父は申し訳なさそうに、「ありません」と言った。
私のせいで、家が地獄になった。
なんとか入学できた高校で、きっとやり直せる、そう思っていた。
▶︎9/13 ◎出席
この頃、気持ち的に不安定な日が続いているので、毎日をハッピーに過ごせるように、がんばるつもりである。
▶︎9/28 ◎出席
文化祭まであと少し、今はとても楽しい。先輩も楽しいし、部活に入ってよかったと思う。なんだか充実したハッピーディが続く。
▶︎10/1 ◎出席
文化祭が終わる。人が思いっきり来た。花火、ラーメン、連日の夜までの準備が終わる。おもしろい1日だった。バンドやりたい。
文化祭での部活動、友人達との恋愛話など、いわゆる青春の時期。
出席した日の日記は、ほぼ友人とのやり取りが記されていた。
中学時代含め、学校に行けない“明確な要因”はなかった。
▶︎10/9 ✖️欠席2日目
とんでもなく、自分がバカなことがよくわかった。また、学校を休んでしまった。中学のときから何も変わっていないかもしれない。
親も「ああそう」みたいな感じ。
何をやっても、面白くもなんともない一日だった。
▶︎10/14 ✖️欠席3日目
またまた休む。なんだか自分がなんなのかわからない。
もっと家族のなかにいろ、みたいなことを母が言う。私を苦しめないで。
『ひょうきん族』終わる‥。
▶︎10/15 ✖️欠席4日目
本当に、中学の時みたいになったら、どうしよう。もう欠席4日目。
クラスのみんなに、白い目されちゃうよ。
▶︎10/18 ✖️欠席7日目
友達4人から電話がきて、ずっと喋っていた。
自分をダメにしたくない。「心配してくれる人のために」でいいから、学校行こう。せっかく入ったんだから。
この日記の10年後、1998年( 平成10年)に「不登校」という言葉が文部省(当時)資料に登場するまで、長期欠席は「登校拒否」と呼ばれ、通学をボイコットする不良生徒というイメージだった。
※当時は、土曜日も授業があったので休日も少ない。公的・民間の相談先を先生から紹介されたり、報道等で知ることもなかった。
▶︎10/19 ◎出席
やっと行った!2学期になって意味のない欠席がもう1週間。
何をするにも不安で、絶対に守れる約束が、またなくなった気がした。
自分が一人でいるのが好きだと決めつけないで、もう少し自由に振る舞いたい。将来のこと考えるより、今を頑張らなくちゃ。
▶︎10/21 ◎出席
テストが終わった。平均以下だろうけど、まぁいいでしょう。
10月に入って、第1週は文化祭、第2週は何もなく、第3週は学校休んでテストは受けて‥。バンドのこと、バイト、部活も、本気で取り組みたい。
学校へ行くと、伸び伸びノーテンキ。
欠席すると、この世の終わりのように自身を追い詰める。
行動によって、乱高下する感情が記されていく。
当時はバンドブーム。友人とバンドを組む話が進んだことからも、周囲からは"学校を時々休んじゃう子"ぐらいの認識だったと思われる。学校へ行き熱中できるものがあれば自分も変われるはず。音楽が現実逃避になっていた。
▶︎10/23 ✖️欠席8日目
ばかな私は、「テスト終わったら、また休んだりしないでしょうね?」なんて言われたままの、行動をしてしまった。
▶︎10/24 ✖️欠席9日目
本当に進級できなかったらどうなるのか。全く、わかっていないのである。
すごく怒られて「もう、いい加減にしろ!」って言われるのに、夜になると親や兄弟と笑って話したりする。
けどやっぱり、心の中は、明日、学校へ行けるのかどうか。心配になる。
「明日」は、明るい日なんだってさ。
「なぜ行けないの?」「どうすれば行けるの?」と、周囲から原因を聞かれても、自分でもわからないから答えられない、が繰り返される。
登校時間の朝に落ち込み、家族が外出して家で一人になると、気持ちが落ち着いて、晩御飯を食べる頃には「明日は大丈夫」と言っていた記憶がある。明日になれば、通学できる自分に戻るのではないかと期待を込めて。

◇ 高校1年10月 欠席10~20日 / どうすればいいのかわからない
▶︎10/26 ✖️欠席10日目
「田舎のおばあちゃん家へ行くか?」と親から言われた。
でも、私は、事の重大さにちっとも気づいていない。
親としては、学校を休んで、家にじっとしているよりも、気分転換として田舎でリフレッシュしたらどうか、という意味だったかもしれない。
当時の私には、“親戚の家に行く=最後通告”にも感じた。その頃の私の人間関係といえば、近所の友人や親戚ぐらい。
学校でもダメ、親戚からもダメ人間の烙印をされる恐怖に、「そんな話、勝手にしないで」と大泣きした記憶がある。そうして、世界を狭めていった。
▶︎10/27 ◎出席
テストがあまりに悪い。シャレにならん。
久々の部活、ちっとも活気がなくて、とてもさびしい。
▶︎10/28 ◎出席
始めて、この日記に書いたことを、ゆっくり読み返した。
2ヶ月の間に、意外にいろいろなことを書いてたなと思った。文化祭も体育祭も、部活でもいろいろできるようになった。バンドも楽しみ。バイトにも行って、お金も貯めたい。
いろいろな考えを知りたくて、映画みたり本も読んだ。いろいろな文化がすごいなぁ、なんて考えたりもする。
2ヶ月の間、休まないと思っていた学校を10日も休んだ。アトピーのせいにはしたくない。学校は今の私にとても必要な所。家族の人を困らせるのは終わりにしよう。
不登校の理由をあげるなら、幼少期からのアトピー性皮膚炎の影響が大きいと思っていた。秋になると悪化し、かゆくて眠れず、朝起きられないから学校へ行けない。
それ以上、原因を分析したり、言語化することができないでいた。
※※以降、毎日記入できず、文字が小さく弱くなっていった※※
▶︎11/9 ✖️欠席11日目
明日、部活やろうねと言っておいたのに、(部員が)来てくれなかった。ずっと待っていたのに。あんまり、怒りの気持ち。
▶︎11/10 ✖️欠席12日目
いまだ、怒りの気持ちで学校休む。長い一日、チクショー。
▶︎11/11 ✖️欠席13日目
また、休む。親は「もうやめるの?」って決めつけたよう。なぜ、そんな言い方しかできないの?
欠席が増えることで、おそらく友人との食い違いも出てきていた頃。
そして、勉強に遅れていく現実が突きつけられ、空回りしていく。
学校へ行けた日も、楽しいだけの内容ではなくなっていった。
▶︎11/13 ◎出席
学校へ行って、普通に振る舞って。
でも、私の中で学校というものが、特別でも普通でもない。休むことがそんなにいけないことだと思えない。
日記には、学校の先生がほぼ登場しない。時々、電話が来たぐらいで、登校時も深く先生と話し合った記憶もない。
自分自身、支援されて学校に行くというのは、想像もしていなかった。金八先生のような話はドラマの世界で、現実ではないと思っていたはず。
▶︎11/14 ✖️欠席14日目
親の仕事を手伝う。4時間だけなのに、両親がこんな大変な仕事しているとは知らなかった。ちゃんとしなくちゃ。
▶︎11/15 ✖️欠席15日目
くずれてく、くずれてっちゃうよ。
学校を休むことは、きっと誰にも止められない。親になんと言われようと、誰かを苦しめるために休んでいるわけじゃないのに。
絶対に行くんだと思っていても、朝になって起き上がる時とか、着替える時になると、“ウワーッ”てなっちゃう。
周りが怒って、自分もすねて、冷たい態度して、されて。どうすりゃ、いいのよ。
▶︎11/16 ✖️欠席16日目
どうすればいいのかわからない。
どんどん人が遠ざかる。なにもない一日。
▶︎11/17 ✖️欠席17日目
いろんな大事にしていたものが、なくなりかけてる。けど、なんとか自分を自分自身を救い出さないと。一歩踏み出さないと本当のことはわからない。
本当に久々に、『ときめきトゥナイト』読んだ。やっぱりいいよ。
▶︎11/18 ✖️欠席18日目
何もしないでいると、一日がこんなに短いとは知らなかった。毎日パジャマで、あっという間。今週全部、学校へ行っていないことになる。
この間に、クラスのみんな、いろいろあっただろうな。
欠席が増え、家にいる時間が増えると、親も戦略を変えてきた。
家業の手伝いをすることで生活リズムを戻そうとするも続かず。罪滅ぼしのように、家事をすると日記に書く日も増えていく。
当時、ネットは当然なく、ゲームも興味がなかったので、テレビや読書、ラジオなどで時間を過ごしていた。元々、静かな場所が安心できるので、家にひとりでいることが苦にならなかったのも本音だった。
▶︎11/19 休日
日曜はいつもこうだった。
家族みんなが私の機嫌をとっていた。楽しく振る舞っていて、心の中は、明日学校へ行くかどうか気になっていたはず。そんなぎこちなさが、とても嫌だ。自分がちゃんとしてれば、誰にも迷惑かけなくてすむ。
友達のお母さんから電話がきて、相当ビックリした。ありがとう。いろいろ考えてくれているのかな。
▶︎11/20 ◎出席
いよいよ学校行った!友人たちがディスコに行ったそう。私も行きたい。
恐ろしく勉強の話題が出てこない。テスト前に勉強すれば何とかなった中学のイメージがあったからか。
当時は、女は愛嬌という雰囲気も残っていたためか、親は早々に進路の話題は出さなくなった。本人としても、勉強以外で何とかなるのではないか、根拠なき希望のようなものがあったように思う。
▶︎11/24 △遅刻
お昼に学校に行った。遠くから「今ごろ来てんじゃねえ バカ野郎」と、見知らぬ男子から言われてしまった。
部活の講演会が楽しみ。
▶︎11/25 ✖️欠席19日目
「うそつき」と言われるのが、一番ヤダ。
▶︎11/28 ✖️欠席20日目
11月は何もなくて、今日が一番、刺激的というか発見ある一日(友人とディスコを約束した日)になるはずだったのに。また、学校を休んでしまった。
これで20日目。これ以上休んだら、通知表に“1”がつくか、書かれないか、なんだそう。
ずるずると欠席する中、病院や専門機関に行くことはなかった。
カウンセリングや精神科は、もっと状況が酷い人が行くという先入観か。
甘え、考えすぎ、自分が悪いという意識が、本人も親にもあったと思う。
◇高校1年12月 欠席21日以上 / 私はいない方がいいのだろうか
▶︎12/1 ✖️欠席21日目
11月はさんざんだった。12月でこれからの、私の全てが変わってしまう、変えることができる月だと思う。
母が仕事をやめたいと言った。おそらく、私が学校に行けば済むこと。みんな私一人が悪くって、家族の形を崩してしまっている。
学校へ行けばどうにかなると思っていた勉強も、相当遅れていることにショックを受けた。クラスのみんなに気を使わせている、普通に話してくれるかも定かではない。
▶︎12/2 ✖️欠席2x日目
日記を書けないでしまった。(後日追記)
何もかも投げやりになる。一週間、学校に行かないでいた。
ドラマ「李香蘭」を観た、いろんな人がいて、いろんな人生がある。
▶︎12/4 ✖️欠席2x日目
確かに甘えてることはわかってる。一人で他の家族みんなの人生を変えることができるんだよ。こんなふうに、涙を流しながら必死に言ったことはなかった。けど、たくさん言いたいこと、言えんかった。そんなもんだよね。
小学生の時、先生が言ってくれた「この子は、がんばり屋さんなんですよ」の言葉は、今でも変わらないはずだからさ。
▶︎12/7 ✖️欠席2x日目
もう、身も心も、ボロボロです。
友人、学校から電話あり。テスト範囲の量にびっくり。
▶︎12/8 ✖️欠席2x日目
家族と話して、居間で寝ることになった。
いやはや‥
「居間で寝る作戦」は、居間で寝れば、朝起きる家族の音で、目が覚めるのではないかと実行したが、1日で撤退した。
実際にリビングで寝ると、いつもと違う大きな時計の音、台所の電子音や光も入り、結局、眠れなかった。
なぜ、朝、起きられないのか。それは、夜に眠れないからだ。子どもの頃から、眠りが浅く、秋になると特にリズムがズレていった。
「疲れたら普通、眠るでしょ?」「体を動かせば自然と眠っちゃう、運動してきなよ」という周囲の声に、自分と普通が違うことを実感。
朝まで眠れず、徹夜状態で登校することも度々あった。
▶︎12/9 ◎出席
いろいろあった。友人から「がんばんなきゃダメ!」と言われて。学校の帰りに、みんなでご飯食べに行って、みんなが優しくてよかった。
でも、家に帰ったのが10時過ぎで、また親に怒られた。
▶︎12/11 ◎出席
期末テスト、初日。地理は最低。それでも、職員室行ったら先生の所で勉強できて、とても良かった。一日、つかれた。
▶︎12/12 ✖️欠席3x日目
数学、現社も一生懸命勉強して、ちゃんと準備したのに。休んでしまった。
バカやなぁ。
▶︎12/13 ✖️欠席3x日目
今日も休む、行くつもりではいたが‥
▶︎12/14 ✖️欠席3x日目
まただよ
▶︎12/22 ◎出席
終業式ーー
やっと行ったぜ。成績は、何一つ、付いていなかった。欠席37日、半分も行ってないじゃないのョ‼︎
終業式の後、友達と流れ寿司を食べた。そんでもって、(以下、友人の恋バナが続く)
1、学校に行きたいと周囲(家族,先生,友人)に伝える
2、自分が頑張れば学校に行けるから大丈夫と気合い入れる
3、眠れず朝に体がフリーズ。約束破りの自分に自己嫌悪
→この悪循環に陥っていたことを、当時は気づけないでいた。
家族や先生とまともに話し合えないまま、この日記に書くことだけが心の拠り所になっていく。
▶︎12/27 冬休み
今年は、事件などたくさんあった。けど、私には、何が残ったの?という気がすごくする。年末、12月がものすごく悪い感じで終わってしまったからかな。新年を前に、重苦しい、かなしい気分になっています。
もっと、やることがあったはずでしょ、と自分に言いたくなる。この日記を始めたのも、二学期の、青春の大切な毎日を記録するためだったのに‥。
▶︎12/31 冬休み
今年を振り返ると。11月、少しずつ休むようになって、こんなことではいけないと思った。学校に行けば楽しいし、部活にでたら面白かった。
続けて行けない時は、自分でもなんでだか、さっぱりわからなかった。どうして休んでいるのか、こんな生活をして悲しかった。毎日、バカな生活習慣をつけていた。
いろいろあった平成元年。来年は、自分にとって、良い一年でありますように。
今、思えば、親も子もそれぞれが追い詰められていた。
親は仕事がうまくいかない時期で、子は自分だけが同級生でも親戚の中でも唯一のダメ人間と決めつけていた。
本人の考えでは、外見もアトピーでダメ、勉強ダメ、特技ナシ。大人の世界は想像もできない‥。学校に行くという、誰もが当たり前にできることさえできない。スタートラインに立てない感覚になっていく。
° ° ° ° ° ° ° ° °
・1990年(平成2年)
▶︎ 1/8 ✖️欠席38日目
今日、休んだら、去年と一緒になると思ったけど、結局、行けんかった。時間には起きたのに。午前3時頃起きて、宿題やって、一生懸命考えて、6時になって眠ってしまったのが間違いでした。
▶︎1/10 ✖️欠席40日目
生活習慣がぐちゃぐちゃになってる。(午前)3時頃ねて、ずっと寝てる。
▶︎1/11 ✖️欠席41日目
両親が「学校をやめる手続きをしてくる」と言った。「行きたくても、行けないんじゃ、どうしようもない」って言って。
私はいない方がいいのだろうか。みんな周りはがんばってる、楽しんでる。私の毎日は何なの?何もない。今年になってからちっともいいことないよ。
死んだ方がいいのか。
▶︎1/12 ✖️欠席42日目
担任の先生がうちに来て、まだ大丈夫みたいなことを言った。
私は、死に方すら考えたり、学校やめたらこーしよあーしよとか考えていたけど、やっぱり私の考えは甘いです。
自分は、どうにかなるみたいな感じで、今日はもう平気という感じでいる。どーしようもない。
▶︎1/14 ✖️欠席44日目
(夜泣きながら5時間続いた親子喧嘩について)
なぜ自分が怒ったのかわからないけど、私は、相当怒っていた。親の涙を見たことは、私にとってどういうことなのだろう。学校を休んでる娘がこんなふうに、親をけなして何になるんだろう。涙がでる。
みんな同じように、悩み苦しんでいるのに、苦しめたらあまりに情けない。さみしい自分である。
▶︎2/24 ✖️欠席
もうずっと、この日記を開きもしなかった。
何も書くことない、いいことがあったら書こうとかで、結局、ここまできてしまった。
あの日(1/14)以来なんて、なんとも言いがたい気分。
21日、学校へ行った。友達が電話くれたのが大きな理由だと思う。あまりに自然に自転車をこいでいる自分にビックリするものがあった。
学校に近づくにつれて息ができないに近い状態になった。でも、職員室について先生の顔が見えたり、教室近くでウロウロしてたらみんなが気づいて出てきてくれたり、よかった(^^)
あんなに、みんなが心配してくれてるというか、かまってくれるとは思わなかった。行ってよかった。とてもとても、とっても嬉しかった。
先生と話して、私が嬉しくて舞い上がっていたのか、単なるバカなのか、意味の食い違いがかなりあった。今から考えると気を遣ってたのがわかるけど、私は、まだ間に合うと勘違いしてしまった。
家に帰って、母から「何、話してきたの?」と聞かれて答えられなくて。
それからだった。母が先生に電話して進級できないこと、気を遣ってはっきり言わなかったことに気づいた。
先生は、私には、まだ平気みたいなことを言っておいて。泣いてしょうがなかった。久々だった。そういえば、この所、泣いてない。
やっぱりみんなと進級したい気持ちが出たんだと思う。でも今は、4月からの準備したい。ゆっくり行こうや。
進級は不可能となり、次年度の新生活に向けて切り替えた頃。
その後の日記には、自宅での勉強、家事手伝いの記載が増えていった。
▶︎3/2 ✖️欠席
小説を読んで。眠れなかったけど、朝の8時に起きて。
勉強して、新聞読んで、親の手伝いして、
夜ご飯作って、食器洗って、風呂沸かして、部屋片付けて。
ん〜、よいよい。
(小説の感想を書いた後)
今だから、悩む、考える
今だから、他人に頼ることもできる
今ー、大切な時、
のりこえろー
ToDoリストのように「やった感」を記録するような日記。
自身を励ます言葉を書き出すことで、
新しい春を新しい形でやり直せばと、前向きになろうとしていた。
その後の日記、
「不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ②ひきこもり編」は、こちら↓です。
ゆっくりご覧いただければと思います。
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