
不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ④30年後の手紙編
不登校ひきこもり時期の自分の日記を、30年後に読み直すという作業は、古傷をほじくり返すような痛みを伴う時間だった。
けれど、読み直すことで、ようやく気づいたこともある。
この気持ちを、あの頃の「自分に宛てた手紙」の形で綴り連載を終えたい。

① 1989年(平成元年)
高校1年不登校から進級できなくなるまでの半年間の日記
不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ①不登校編
② 1991年(平成3年)
通信制高校に編入、フリーター、ひきこもりまでの4年間を抜粋した日記
不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ②ひきこもり編
③ 1994年(平成6年)
二十歳で人生絶望し、ひきこもりをやめる決意をするまでの3日間の日記
不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記 ③脱出きっかけ編
30年前のひきこもっていた頃のアナタへ
📨20歳(1994年当時)のアナタへ
私は、50歳を過ぎました(笑)。
二十歳のアナタが聞いたら、悲鳴あげるよね。
今、何してる?って質問責めしたいだろうけど。
まずは、不登校ひきこもり5年日記を読んだ感想を、アナタに贈ります。
もう、ギュッギュッと、ハグしたくなったよー。
ボクシングの試合、そう『あしたのジョー』だ、アンタは。
誰も居ないリンクで、一人ダウン寸前のぼろぼろな姿。
戦った、生きた証が、日記には刻まれていた。
あの頃の格闘を言葉にしてくれたこと、心から感謝します。
°°° °°° °°°
日記の感想の前に、一言、言わせて欲しい。
アナタは、幾度となく“生きてる私”を助けてくれた。本当にありがとう。
人生の分岐点、決断しなきゃいけない時、転職とか病気、不安な時に。
自然と、アナタに報告したくなる時があったの。聞こえてたかな?
絶対ありえない話だけど、ひきこもっていた頃のアナタと、今の自分が話せたら、どんな会話になるだろうって、思うんだ。
あと、車の運転中、旅先で、想像を超える出来事が起きた時なんかに、
「あぁ、あの時、生きるのやめないでくれてありがとう」って話しかけてた。
ちなみに、30年間、人生いろいろあったけど。
あの時ほど、ダウン寸前の戦いは、その後なかったから。
ほんと、よくがんばったよ。
不登校〜ひきこもりまで5年の変化
1, 【混乱】 高校1年 不登校15日目:普通が遠くなる
日記を振り返ると、この日↓が、感情が大きく乱れた最初だと思った。
▶︎1989年(平成元年) 11/15 高校1年 ✖️欠席15日目
くずれてく、くずれてっちゃうよ。
学校を休むことは、きっと誰にも止められない。親になんと言われようと、誰かを苦しめるために休んでいるわけじゃないのに。
この感情を、周囲に言えなかったんだよねー。
言ってはいけないタブーのように思ったんじゃないかな。
日記全体に流れている空気が、
自分だけ別世界に「引きずり込まれる」混乱だと思った。
今までは、みんなと一緒に同じ道を歩いていたのに、
自分だけが突然、足をとられて前に進めないような。
アリ地獄とか、沼から抜けられない体感があるのに、それを周囲に理解してもらえない。
みんなで原因を探しても、見つからない。
みんなの足まで、引っ張り込むわけにはいかない。
周りが騒ぐと混乱が広がるだけ。だから話せない。
まずは、自分だけ混乱させてくれという感じで、“学校を休むことは誰にも止められない”って書いたんじゃないかと思った。
でも、まだ欠席15日目だよ。
時代が違うとはいえ、こんな時期から、追い詰められていたのかと驚いた。
ほんと、背中さすってあげたい。
2, 【恐怖】 高校1年 不登校41日目:普通から引きはがされる
決定的なワードが出てきたのが、この日↓
▶︎1990年(平成2年) 1/11 高校1年 ✖️欠席41日目
両親が「学校をやめる手続きをしてくる」と言った。
「行きたくても、行けないんじゃ、どうしようもない」って言って。
私はいない方がいいのだろうか。…死んだ方がいいのか。
学校って、“歩く歩道”みたいなものでしょ。
誰もが「クラス」という集団に組み込まれ、このレーンに乗ればズンズンと前に進めますよって、人間成長プログラムが設計されている。
なのにナゼか、自分だけ、その歩道に乗ることができなくなって、集団から徐々に離れていく。
時々、欠席している頃は、少し走れば、みんなに追いつけた。
でも、この日の日記を境に、ゲームオーバーみたいに、完全に切り離されることを実感したのだと思う。
他に進める道も見当たらない、
ポツンと一人、取り残された恐怖感でいっぱいだったんじゃないかな。
正直、この取り残された感覚は、一生続く。
でもでも、集団に組み込まれる違和感は、幼い頃から感じていたよね。
その視点は、大人になるほど社会的な部分で活かせることあるから。
3, 【無力】 19歳フリーター:自分の道が見つからない
一般的な、進学・就職のルートを離れ、新しい道に挑戦するも、さまようだけで無力感が漂い始めるフリーターの時期。
▶︎1993年(平成5年) 7/5 フリーター 19歳
私なりの力を出してみようと思いながら、出すのが怖くて。
結局、人と並ぶ事さえできない
この頃の日記には、「人並み」という言葉が多発していた。
まだ、こだわる?
ボランティアやバイトで個性的な人と出会って、興味ある分野を学び、多様な生き方があると認識したのに?
と言っても、同世代の進学、就職、結婚の話が聞こえてくる時期で、経済的な自立を迫られる年齢だからな。
オリジナルの生き方を探してジタバタしてみたけども、成人式の華やいだ雰囲気を前に、自分で拾い集めたものが虚しく無力に感じられたのだと思う。
ただね。
その無力感をしっかり抱えたことが、アナタのオリジナルの人生につながるのよ。
改めて読んだ、あの「夜の長風呂」の描写力(笑)。再現度の高さを喜べるのは私だけなんだが。昨日のことのように思い出しましたよ。
4, 【絶望】 20歳ひきこもり:この世では無理
自力でできることは、もうないと思っていた頃。
▶︎1994年(平成6年) 1/16 ひきこもり 20歳
何もできなくて、気力もない私は、落ちて落ちて落ちたというのに。
この頃は、自分の存在をどうやって社会から消すかばかり考えてたでしょ?
でも、あの事件の日。
条件反射で、布団を激しく蹴り上げて汗をかいた時に、
アレ? まだ生きる力、残ってるゾとわかった。
もう限界、できることナシと思っていたのは、
“この場所”では見つからないけど、外に出たらあるんじゃないか?
って視点が切り変わって、開き直れて、
イチからやり直してみようと思えたんだものね。
そして実際、外の世界で、アナタにできることはあったよ(今のところ)。
それも、家の中で身につけたことが役立っていたと思う。
改めて、あの日の出来事のお陰で、その後を生き延びることできた。
全てを拒絶していたら、どうなったかは誰にもわからない。
いわゆる脱出のきっかけは、思いもよらぬ形でやってくる。
皆々様とアナタに感謝。
最後に
私のひきこもりを証明するものは、もはやこの日記しかない。
この日記を捨ててしまうと、大切な何かを永遠に手放してしまうようで、できなかったけど。今回、その意味がわかった。
ひきこもり経験者の多くが日記を綴っているのは、対話相手なんだよね。その対話には、「オリジナルの生存戦略」「孤高の戦いの実践記録」が残されている。
「勝手にまとめないで」って怒られそうだが‥。メンゴメンゴ(←昭和)、許せ。
もうちょっと、この日記は、部屋の奥にしまっておこうと思う。
それじゃあ、またな⭐︎
2026.7.6
(2026年)5×歳の私より✉️
°°° °°° °°°
もしも、この日記の言葉たちが、
今つらい人の、自らの経験を読み解くきっかけになるとしたら本望です。
『不登校ひきこもりがカビた布団から脱出するまでの5年日記』-完-
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