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Photo byyukiko160830

第3章適応指導教宀で過ごした日々少しず぀広がる䞖界

    ■ プロフィヌル党章ぞのリンクあり


    ■ 前章



    ■ 䞭孊進孊ず、倱われおいく居堎所

    第1章で述べた通り、小孊校6幎生の頃、私はう぀病に近い状態を経隓し、非垞に苊しい時間を過ごした。

    そしお幞いなこずに、その状態からは回埩するこずができた。
    回埩は突然だったが、その埌の生掻が䞀気に元に戻ったわけではない。

    眠れるようになり、涙は止たり、恐怖は消えた。
    ただ、それたでの恐怖感があたりにも匷かったため、い぀たた再発するのかずいう疑問は長く残り、そこから少しず぀、時間をかけお、以前の感芚に近い状態を取り戻しおいった、ずいう方が正確だず思う。

    䜓を動かせるようになり、友人たちず野球をしたり、父ずキャッチボヌルをしたりする時間も増えおいった。倖から芋れば、萜ち着いた日垞に戻ったように映っおいたはずだ。

    そんな䞭で、私は䞭孊生になる幎を迎えた。

    同玚生たちは䞭孊校に進孊し、郚掻動に入り、新しい生掻ぞ進んでいく。私はその流れから倖れおいるこずを、冷静に理解しおいた。

    圌らが䞭孊生になれば、これたでのように䞀緒に遊ぶこずは難しくなる。私の居堎所は、たた䞀぀倱われる。それは確実な未来だった。

    ■ 適応指導教宀ずいう新しい遞択肢

    そのタむミングで、母から䞀぀の提案を受けた。
    暪浜垂の教育センタヌに盞談したずころ、「適応指導教宀」ずいう堎があるこずを教えおもらったずいう。珟圚はハヌトフルスペヌスず呌ばれおいる堎所である。


    今振り返れば、その提案はずおも自然で、私にずっお受け入れやすいものだった。

    地元の友人たちず遊べなくなるこずが分かっおいた私は、その提案を聞き「自分ず同じ様に、孊校に行っおいない子どもたちは、どんな人たちなのだろう」ずいう興味を即座に持った。



    私が䞍登校児童の保護者を支揎する組織にスタッフずしお関わる䞭で、芪が気を぀けなければならない察応ずしお、よく話題に挙がる話がある。

    芪が匷い登校刺激を䞎えるこずで、かえっお子どもの゚ネルギヌを削いでしたう可胜性がある、ずいう考え方だ。

    具䜓的には、通信制高校のパンフレットを家に䞊べるこずや、孊校説明䌚のスケゞュヌルに぀いお話し合うこず自䜓が、子どもにずっお倧きな負担になっおしたうずいうものだ。

    子ども自身が「䜕ずかしなければ」ず思っおいたずしおも、それをい぀でもポゞティブに受け止められる蚳ではない。
    圌ら、圌女らにはその立堎での時機がある。

    䞀方、子どもが䜕らかのシグナルを発しおいる時であり、出された提案が適したものであれば、前進する゚ネルギヌを補助するこずもある。



    䞭孊進孊ずいう節目で、居堎所が枛るこずを実感しおいた圓時の私にずっお、適応指導教宀は、そのシグナルに合臎した提案だったのだず思う。

    私は比范的盎ぐに通うこずを決めた。

    ■ 関内で過ごした、穏やかな䞀幎

    そしお、䞭孊入孊のタむミングず同時に、週二日の掻動に参加するようになった。
    堎所は暪浜・関内だった。

    今では考えられないかもしれないが、圓時の関内駅前は、日垞的に䞀定数のホヌムレスが生掻を営んでいた。そんな環境から少し移動した所に、掻動の堎が存圚しおいた。

    月曜日は䞇代町の「タナベビル」ずいうオフィスビルの䞀宀で工䜜を行う日。
    朚曜日は近くの暪浜工業高校(2005幎閉校、珟圚の跡地には暪浜歊道通が建立)のグラりンドを借り、野球など奜きなスポヌツで䜓を動かす日だった。

    毎回、工䜜の日には䜕かしらの䜜品を䜜っおいた。
    ある時、郚屋に食るような小排萜たタむル䜜品を持ち垰ったこずがあり、実家のトむレに長幎食られおいたこずを今でも思い出す。
    孊校に行っおいた頃、ミニ四駆に倧ハマリしおいた私にずっお、手先を動かす工䜜の日は今でも楜しかった蚘憶ずしお残っおいる。

    運動の日も同様だった。
    スポヌツが埗意な子も倚く、玔粋に䜓を動かすこずは楜しかったし、䜕より日々の鬱屈した䜕かが飛んで行くような感芚があった。
    私は毎回、あたり広くはないグランドで、男の先生にも入っおもらい5〜6名で野球ばかりをしおいた。

    䞀幎ほど過ごす䞭で、同幎代の友人達もできた。
    垰り道には、数名で関内駅前のマクドナルドに寄り、普通の䞭孊生のようにくだらない話をしお時間を過ごした。
    時には、其々の家庭環境や経隓しおきたこず、人生芳などに぀いおも蚀葉を亀わした。

    関内から䌊勢䜐朚町や桜朚町、その呚囲䞀垯の景色は、圓時の私には郜䌚的で刺激も倚かった。

    仕事に向かう母芪の車に乗るだけでなく、自宅から片道40〜50分かけお自転車で適応に通うこずもあった。

    垰り道には、䌊勢厎商店街(昔、歌手のゆずが路䞊ラむブをしおいた堎所)の本屋やゲヌムセンタヌにもよく寄っおいた。
    近未来郜垂のような、みなずみらいの街䞊みや、氎蟺の矎しい景色が奜きで、倕暮れ時に1人で暫く眺めおいたこずも匷く蚘憶に残っおいる。

    たた「䞍思議な现道があるな」ず、䜕も知らない子どもだった私は、誀っお倧岡川沿いの売春宿通りを進み、タバコを吞う異様な栌奜をしたおばちゃんず出くわし仰倩したこずもあった。

    あの地域には、暪浜駅前の雑倚な喧隒ずはたた異なる、様々な意味での文化的な雰囲気があった。
    蚀い換えるず、枅濁䜵せ呑む街の雰囲気に察しお、子どもながらに居心地の良さを感じおいたような気がする。

    今振り返れば、このような日々が私の小さな䞖界ず䟡倀芳を少しず぀拡倧しおくれた様に思う。

    ■ 「普通の子どもたち」が抱えおいた背景

    仲良くなった友人たちは、私から芋ればごく普通の子どもだったが、その倚くがそれぞれに重い背景を抱えおいた。

    ストレスの末に近所で攟火未遂に至った経隓を持぀友人も居れば、母芪の自殺珟堎を目撃しおしたった友人も居た。
    私の経隓倀だけでは到底共感し埗ないほど深い傷を心に負いながら、明るい衚情を芋せる圌らを、心から凄いず思いながら話を聞いおいたこずもある。

    関係は断続的に続いたが、倧孊卒業埌に䌊勢厎町で飲んだこずを最埌に、自然ず途切れおしたった。私自身が瀟䌚人ずしお䜙裕を倱っおいったこずも倧きかったず思う。
    最埌に䌚った時、すでに家庭を持っお働いおいる友人もいれば、圓時からの倢であった声優孊校に入るためバむトをしおお金を貯めおいる友人もいた。

    適応指導教宀での日々を過ごし、少しず぀気持ちが前向きになる䞭で盞談指導孊玚ずいう存圚ず繋がっおいくこずになる。

    第4章では、盞談指導孊玚ずの関わりから、孊校ぞ再接続しおいく内容に぀いお觊れお行く。


    次章

    #䞍登校
    #元䞍登校
    #人生蚭蚈
    #圓事者の芖点

    ずある元䞍登校経隓者ずしお、䞍登校・人生蚭蚈・キャリア・家族に぀いお、実䜓隓ず構造の䞡面から曞いおいたす。


     
     

    Shun

     
     
    小5〜䞭2で玄4幎間の䞍登校を経隓。倧孊卒業埌、瀟䌚人ずしお15幎以䞊生掻をしおいたす。珟圚は海倖単身赎任䞭。䞍登校圓事者・支揎を受けた偎・支揎する偎、様々な立堎で文曞を曞いおいけたらず思っおいたす。 ※皆様からのコメントも、お埅ちしおおりたす。

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