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異世界に行けなかった俺の半生。|#18 線香花火が落ちる前:前編

    現場は、やっと一つになった。
    ――だからこそ、もう俺はいらなくなった。


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    #1 壊れた家と、死の匂い


    「あぁぁぁ!!春だな、春!」
    駐車場で叫んでいると、職人ドライバーが笑った。

    「春先になると、頭がアレになる人も多いからな。部長、新しい経営陣との顔合わせ、急がなくてええの?」

    そう。
    あの騒動の後、この会社の資本がまた変わった。


    二度目の倒産の危機。新しい資本。
    この会社にどんな魅力があるのかは、正直よくわからない。

    新社長からの人事通達で、俺は晴れて部長になった。

    役員に暴言を吐き、逆らい続けた俺の、何が評価されたのかは知らない。
    俺が社長なら間違いなく降格させる。俺は器が小さいからな。

    それでも、これで江東店と販売センターは、もう一度動き出すことができた。

    あのまま終わりでは、やり残したことが、あまりにも多すぎる。

    少なくとも、家族より長い時間を過ごしたみんなを、路頭に迷わせずに済んだことだけは感謝した。


    旧経営陣は、一人、また一人と去っていった。
    あの憎たらしい、親の仇とまで思っていた「偉そうな役員」も、何事もなかったかのように、静かに消えていった。

    もともと寄せ集めの集団だ。この会社に愛着などあるはずもない。
    見送りもないし、送別会もない。
    愛されたいなら、まず愛するべきなのだ。

    こうして、ただ季節が変わるように、人だけが入れ替わった。

    俺は正式に、「エリア統括部長 兼 江東店店長 兼 販売センター長」になった。そのため江東店と販売センターは部長直轄になった。

    ちなみに人事部という名の「採用担当」は外れた。
    けっして、江東店ばかりを優先し、コストを使って採用していたのがバレたわけではない。


    会社は再起動した。

    ……ただ、何というか、喉に小骨が刺さったみたいな違和感はあった。
    素直に喜べない自分がいる。

    会社は大きく変わった。新しく入った資本は、ファンド系企業。

    殆どの株を買い取った。
    経営陣ごと入れ替わった。

    綺麗な言い方をすれば再建。見方によっては、ただの乗っ取りだ。
    まあ、従業員からすれば、職場環境が変わることなく、貰えるものさえ貰えれば文句はない。

    新たな筆頭株主の社名は、無駄に長い横文字で、とても覚えにくい。そしてロゴだけは、やけにスタイリッシュ。

    新社長を筆頭とした経営陣も、物流会社と呼ぶには、スーツが似合いすぎている。

    爪の先まで清潔で、靴底に一つの汚れもない。いや靴底については実際には見ていない。だがそんなイメージだった。

    指先でタブレットを滑らせながら、「まずは現場の声を吸い上げたい」キラリと眼鏡を上げて笑う。

    その笑顔に、少しだけ引っかかるものがあった。


    初顔合わせの会議室は、やけに明るかった。
    天井のLED照明が白く反射し、置かれたペットボトルまで眩しい。

    「初めまして。これから宜しくお願いいたします」

    「よろしく」

    名刺を差し出すと、新しい社長は軽くうなずいた。

    まだ四十代前半だろうか。
    切れ長の目に、シルバーフレームの細身の眼鏡。
    光を弾くそのレンズ越しに、薄い笑顔が見えた。

    ビジネス雑誌の表紙。Tシャツにジャケット姿で、腕でも組んでいそうな、そんな顔。
    社長挨拶のページには、きっと直筆のサインがあるはず。
    俺はそんなくだらないことを考えていた。

    社長の横には、新しく就任した幹部たちの顔が並ぶ。
    全員、同じような細身のスーツ。同じようなペン。そして、人を値踏みするような目。

    テンプレートを読み上げたような、社長の就任挨拶が終わると、順番に幹部たちが自己紹介を始めた。

    善意だけで、ウチの会社に金を入れたわけではない。それくらいは、なんとなく分かる。

    ーーなんてつまらない会議なんだ。
    店に帰りたい。眠い。


    「次、江東店店長お願いします。」

    手元の資料を開く。
    纏めてきた案件のタイトルを、声に出す。

    「えー、会社携帯回線の切り替えと、ハンディ端末との連携改善報告です」

    「?」

    一瞬、空気が止まった。
    新社長がタブレットから顔を上げる。

    創業社長の声が、耳の奥で蘇る。
    ーー『……最後に頼んだあれの件な、あれは俺の置き土産や。』

    俺はただ、社長との約束を果たすだけだ。
    そのまま説明を始めた。

    「ドライバー用携帯の回線および端末の全面切り替えと、ハンディターミナルとの連携改善を実施しました。

    出荷データの送信系統を含む基幹処理の安定化と、通信コストの削減を目的としたもので、すでに情報システム部による最終調整は終わっています。」

    「なるほど……聞いてましたよ、あなたの事は色々と、前社長からね。
    ……で、通信費は、どのくらい削減できるんですか?」

    「月間で、二百万以上」

    会議室に、低いざわめきが走った。
    紙の音。ペンのノック音。
    数字の響きが、やけにリアルに聞こえた。

    「やるとは聞いていたけど、本当にやるな」

    新社長が笑った。

    俺は軽く頭を下げる。
    それでも、腹の奥に引っかかるものが、まだ残っていた。


    全員の発表が終わると、新社長はタブレットを閉じた。

    「今日はありがとう。各自、今後は進捗を報告するように。」

    その言葉を合図に、幹部たちは一斉に席を立つ。ペンを片付ける音。紙が擦れる音。
    会議室の熱が、音もなく引いていった。

    ーーこのタイミングしかない。

    俺は立ち上がり、軽く咳払いをした。
    「社長、少しお時間よろしいでしょうか」

    彼が足を止めた。
    周囲を見渡し、「皆さん、先にどうぞ」とだけ言う。

    扉が閉まった。
    静けさが残る。


    「一点、ご相談があります」

    新社長がわずかに顎を引き、視線を向けた。

    「販売センターを江東店へ集約させていただきたいと考えています。
    現状、現場とセンターが分断されていることで、業務上のロスと集荷による工数が発生しています」

    新社長は何も言わず、タブレットの画面を見たまま小さく頷いた。

    「江東店の空いている倉庫スペースに、販売センターを集約することで、オペレーションの一体化が可能になります」

    新社長の指が、タブレットの上で止まる。

    「加えて、外部委託している一部業務の内製化により、人員を増やさずにコスト削減が見込めます」

    ほんの一瞬、視線が上がる。

    「現場で完結できる体制に移行したい、という提案です」

    数秒の沈黙。

    そして、ゆっくりと顔を上げる。

    「……なるほど。検討してもいい提案です」

    その声は穏やかだった。

    だが、その奥にある温度を、俺は感じ取れなかった。

    「確かに、現場とセンターをつなぐ体制には意味がある。リソースは無駄にならないし、数字的にも多少の効果は出るでしょう」

    一瞬、心の中で安堵の灯がついた。
    だが次の言葉が、その火を静かに消した。

    「ただ、あなたには、もう少し上の視点で動いてもらいたい」

    ーー上の視点。
    その響きに、どこか違和感を感じた。

    「経営企画部を再編するので、部長はそこに異動していただきたい。本社に戻り、新規事業の中枢として、全体を見渡す立場で」

    社長の目はまっすぐだった。曇りも、迷いもない。
    それが余計に、怖い。

    「それと……
    部長が担当している販売センターは、外部への委託を進めます。一部業務の内製化は不要です」

    無表情のまま続けた。

    「私は、この組織をゼロベースで再構築したい。そのキーマンとして、あなたが適材だと思っています。」

    言葉はきれいだった。丁寧で、筋が通っている。
    逃げ場は、なかった。

    「江東店の、次の店長を選定し、販売センターの人員は委託先に異動、別部署へ異動、もしくは退職が選択肢になります。あなたの口から、スタッフに伝えてください」

    会議室の時計が、カチリと音を立てた。
    その一音が、やけに大きく響いた。

    ーー江東店と販売センターから外れる?俺が?販売センターが……無くなる……。

    頭の中が、追いつかない。

    キィーーーンと耳鳴りがした。
    事故で麻痺した指先が痺れる。

    俺は、小さくうなずくしかなかった。


    外の光がガラスに反射し、白く、静かに揺れていた。

    「かっちょー!じゃなかった、ぶっちょー!
    部長がフラれた、女性のドライバーって、どの人っすか??
    あっ!あのショートの人?それとも結わえてる人?ねぇねぇどの人すか??」

    ――江東店に、こいつが来た。

    「ごめんなさい!私が口を滑らせちゃって……ほら、邪魔になるから戻るよ」

    もちろん倉庫スタッフの彼女も。

    「ふ、フラれてねえし、勝手に言ってるだけだし」

    「ふふっ」
    エースドライバーの彼女が、遠くで笑った。


    販売センターが江東店に合流してから、店の空気はすっかり変わった。
    荷台を締める音、無線の声、事務所の電話、そして笑い声。

    全部が、同じ方向に動いている。

    ――まるで小さな物流会社の社長になった気分だ。

    そんなことを考えてると、職人ドライバーが、工具箱を閉めながら言った。

    「部長、夢、一つ叶いましたね」

    「そうですね。ここからですね」

    自然と、笑みがこぼれる。

    ……だが、次の瞬間。社長の声が、脳裏の奥で蘇った。

    『江東店の、次の店長を選定し、販売センターの人員は委託先に異動、別部署へ異動、もしくは退職が選択肢になります――』

    俺の頭のどこかに、あの冷たい声が貼りついていた。
    指先が――痺れる。

    朝礼を終え、社内メールを整理していると、通知が鳴った。
    届いたメールの件名には、

    【店舗対抗・新規顧客獲得レース開催のお知らせ】とあった。

    一瞬、眉が動く。
    ……このタイミングで営業レース、ね。

    勝負事には燃える性分だが、現場の状態を考えると、素直に喜べる話ではない。

    確かに、この店舗は良くなった。けれど、営業意識は低い。

    でも、これをうまく使えば――
    本当の意味での「会社のモデル店」に成長するチャンスになりえる。
    この先、俺が居なくなっても……大丈夫なように。


    路線便を出発させた後、リーダーミーティングを開催した。

    販売センターが合流して、少し手狭になった倉庫の事務所スペース。
    会議テーブルに座ると、ざわめきが静まった。

    「本社から通達がありました」
    手にしたプリントを回していく。

    「“店舗対抗・新規顧客獲得レース”を開催するそうです」

    ざわつきが広がる。
    小声で笑うやつもいる。

    「新規営業か……」
    「こういうのは、参加することに意味があるんだよ」

    俺は一呼吸置いて、全員の顔を見渡した。

    「できるかどうかじゃない。やるんです」

    「新しい経営陣は、数字しか見ていません」

    「――江東店……いや、モデル店の力、見せてやりませんか」

    沈黙。
    やがて、全員が小さくうなずいた。


    ――レース開始から、一週間。
    倉庫は、いつもより静かだった。

    誰もが「何かしなきゃ」と思っているのに、何をすればいいのか分からない。刷ったばかりの営業チラシは、机の上に山積みのまま。誰も手を伸ばさない。

    「お客さん、チラシなんか見ないよな」

    若いドライバーが笑う。しかし、目は笑っていない。
    ドライバーの戻り時間が、少しずつ遅くなっていた。

    積み下ろしの声にも、どこか力がない。
    フォークリフトの音が、倉庫の奥で孤独に響く。


    俺は事務所の椅子に座ったまま、何度も同じメールを読み返していた。

    ――江東店の引継ぎ
    ――販売センターの外注化
    ――経営企画部への異動

    本社からのメールは、何度読んでも、体温を奪う。
    俺は、同じメールを開いては閉じてを繰り返していた。

    「そうだ、各エリアのリーダーに営業の指示をしないと」

    声に出してみる。返事はない。

    「営業のやり方をマニュアルにして配布?……読まねえよな」
    「横乗りしながら一緒に営業?」

    自分で言って、少し笑った。どれも現実的じゃない。

    俺自身、本気でトップを取りに行く気があるのか。

    ……分からない。

    だめだ。別のことに引っ張られすぎている。

    現場のトップがこんな状態で、ドライバーに営業してこいなんて言えるのか。

    少し頭を冷やすか……。

    外のベンチで缶コーヒーを飲んでいると、職人ドライバーが黙って隣に座った。

    「部長、明日の朝礼、俺に少しだけ時間をください」

    ――彼が、動いた。


    朝礼には、重たい空気が沈んでいた。
    誰も喋らない。

    俺はみんなの前に立ちながら、何を言えばいいのか分からなかった。
    レース開始からすでに、十日が経過しているにもかかわらず、営業成果は俺と職人ドライバー、各リーダーだけ。
    皆の顔には、すでに疲れが出始めている。

    「……とにかく動いてみようか」

    絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。

    沈黙。

    その時だった。

    「――今が、店長に恩を返す時ちゃうんか」

    低い声が、倉庫の奥まで通った。

    全員が振り返る。
    職人ドライバーが、腕を組んで立っていた。

    「なあ、あのどうしようもなかった店をここまで引き上げたん、店長やろうが。この人が一人でここまでやったんや。
    ほんなら、今、俺らは何してんねん。見とるだけか。……ちゃうやろ。今度は俺らが動く番やろ!」

    一拍置いて、彼は前を見たまま言った。

    「――おい、お前」

    ベテランのドライバーを指差す。

    「お前にできるか?
    たった一人で、免許も無いのに、三十人おるドライバー相手に、正面からぶつかって、店変えようなんて根性。……できんやろ。俺にもできん」

    一瞬、息を吸う音が聞こえた。

    「せやけどな――この店長は、やりよったんや。ほんなら、いつまで甘えとんねん……ええ加減、自分で立てや!!」

    誰も動けなかった。
    空気が震えた。

    「営業なんか、難しない」
    彼は一歩前に出て、言った。

    「配達先でチラシ渡して、相手の目ぇ見て、“よそと勝負させてください”それだけや。普段から客大事にしとったら、必ず反応が返ってくる。
    返ってこんのやったら――今からやれ」

    声は怒鳴ってもいないのに、倉庫の隅まで届いた。
    空気が揺れた。全員、唖然としていた。

    その静けさの中で、何かが動いた。
    朝礼が終わったあと、誰もすぐには動けなかった。


    アルバイトの女性が、身を乗り出すように言った。

    「ねえねえ、今の聞いた?

    漢だよ、あの職人ドライバーさん。
    江東店、やばくない?熱すぎでしょ。

    私も営業行ってくるわ。あとは頼むっす」

    それを聞いた沖縄出身の部下が、呆れたように返す。

    「いやいや、集計する側が営業に出たらズルでしょ。
    ていうか出荷遅れてるんで、先こっち終わらせてくださいよー」


    昼休み。

    倉庫の隅で、職人ドライバーが一人、煙草を吸っていた。
    その横に、俺は無言で座る。

    煙草の煙が、ゆっくり揺れていた。

    「……さっきは、ありがとうございました」

    小さく呟くと、彼は煙草の火を消した。

    「礼なんかええです」そう言いながらも、少し笑っていた。

    俺は迷った。
    でも、もう隠しておけないと思った。

    「本社から俺に、経営企画部への異動の話が出てます」

    一拍おいて、続けた。

    「……販売センターは、外注化が決まりました」

    倉庫の空気が、すっと沈んだ。

    彼は、しばらく何も言わなかった。
    そして、指先で軍手をいじりながら、ゆっくりと口を開いた。

    「会社、変えたってください」

    顔を上げると、彼は真っすぐこちらを見ていた。

    「店は、俺が見ておきます。――部長が戻るまでの間。」

    俺が、この店に戻ることは——
    もう、ないのかもしれない。

    「販売センターのことは、ひとりひとり、部長が話さなあきませんね」

    そう言って、笑った。

    この人がいる限り——
    この店は、大丈夫だ。

    そう思えた。



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