
私が変人並みに自分を追い込み、国家試験合格を掴むまで|実話|私の物語
こんにちは、とひみかです😊
私の今の仕事は、「通訳案内士」。
富裕層の外国人のお客様を英語で観光案内するのが、主な業務。
今アラフィフの私は、
34歳までほぼ英語力がゼロだった。
「アフター5の習い事の一つ」から始まった私の英語人生。
当時の私は、まさかこれが未来の国家資格に繋がるなんて、
夢にも思っていなかった。
~~~
私は子供が生まれたときに仕事を辞め、専業主婦になった。
その3年後、私は、
「妻」でも「母」でもない、
「個人の私」を取り戻すため、
国家試験を取得する決意をする。
そして、子供の幼稚園入園と同時に、私も通訳学校に入学することを決めた。
その学校の入学資格は
「TOEIC600点以上」だった。
入学資格獲得のため、
最初に受けたTOEICは
380点だった。
それでも、5か月かけて、
630点まで独学で何とか取ることができ、通訳学校に入学した。
このときの私、
34歳、専業主婦。
通訳学校に学費を一括納入すると、まずは授業の前にオリエンテーションがあった。
私が入学したコースの目標は、
「通訳案内士国家試験の合格」。
年に1度しか行われず、
合格率は10%。
10人に1人しか合格せず、
一年に1度しかチャンスがない
国家試験。
この通訳学校の最初の
オリエンテーションで、
生徒全員がまず、
ある動画を見せられた。
皆がきらびやかな正装で、
乾杯しているパーティー会場。
40人ほどの参加者が皆、
とても嬉しそうで、感極まっていた。
そう!
これはこの通訳学校が合格発表後に毎年開催している
大阪の高級ホテルでの
「合格者祝賀会」の動画だった。
出席者はもちろん、
その年の国家試験の合格者のみ。
その祝賀会で、いかにも賢そうな女性が合格者代表のスピーチをしていた。
その年の国家試験合格者の中で、
さらにこの学校で首席だった人が、毎年この祝賀会でスピーチをすることになっているらしい。
合格率が10%で、
さらにその合格者の中で
1位の成績って、
どんな頭の中してんねん!!
私には到底ご縁のないお役目。
まずはビリでもいいから、
この合格者の中に入らないといけない!
全受験者の上位10%に入らないといけない!!
なんという、いばら道。。。
と思いながら、
その動画を見ていた。
~~~
我が子の幼稚園は、
年少、年中、年長の3年間。
我が子がその年の4月に年少で幼稚園に入園するのと同時に、
私は通訳学校生活が始まった。
これが当時の、私の一日。
4:00 起床~即勉強開始
7:00 家事、朝食、身支度
8:30 我が子を幼稚園へ送り、
私は大阪の通訳学校へ
※移動時間中も勉強 1.5時間
10:00--13:00 授業(3時間)
帰宅へ。※移動時間 1.5時間
14:30 幼稚園へお迎え
(学校がない日は、
8:30~14:30まで自宅学習)
その後、子供と公園に行ったり、
買い物に行ったり、家事全般。
机に向かって勉強することはしない。
21:00 子供を寝かしつけ
21:30 自分も同時に就寝
これで、毎日約9時間の勉強時間を確保。
子供と公園に行くときも、
買い物に行くときも、
単語帳を常に手に隠し持って
チラチラと見て暗記。
子供がお昼寝したり、
家で家事をするときは、
イヤホンをつけて時間さえあれば英語教材を聞いていた。
合計で、1日約10時間勉強していた。
これが夫に迷惑をかけずにできる最大のことだった。
夫には、「収入がない」ことだけを免除してもらった。
こんなにも勉強して臨んだ
1回目の国家試験。
それでも、不合格だった。
人生って甘くない。
もう一度挑戦するなら、
もう一回、来年の学費を払わなければならない。
もともとが英語力ゼロなので、
私に「独学」は無理だった。
そして、夫に懇願。
「お金も続かないので、
来年で最後にします。
来年落ちたら、永遠に辞めます。
だから、もう一年だけチャレンジさせて!」
と言って、もう一年の受験生活が始まった。
本当に背水の陣。
~~~
受験生活2年目。
1年目も真剣だったけど、
さらに真剣に勉強した。
なぜなら、また落ちたら、
もう3年目の授業料を払う貯金が私にはなかった。
子育てとの両立が辛くて、
何度もくじけそうになった。
そんなときに、
鬼リピートで聞いていた曲は、
槇原敬之さんの
『ムゲンノカナタヘ』
マッキーは天才だ。
「神様ありがとうって言える日が必ず来る」――。
この『ムゲンノカナタへ』の歌詞のこの言葉を、
お守りのように心の中で
何度も何度も繰り返した。
まだ、暗くて孤独な
「無限の彼方へ続く道」。
でも、この道の先に必ず光があると信じさせてくれたのは、
この曲だった。
いよいよ、
国家試験1週間前。
もうこれで不合格なら
「ご縁がなかった」
と思えるくらいやった
これ以上やれというなら、
「私にはもう無理」
というくらいやった
と思えた。
8月下旬の試験当日。
家から電車に乗って、
鬼リピートで聞いていた曲は、
Superfly
「タマシイレボリューション」。
イヤホンから流れる
力強いSuperflyの歌声が、
震える足を支えてくれた。
戦闘態勢で気持ちを奮い立たせた。
試験は、長丁場。
集中力を保つために
試験開始1時間前に
3,000円のユンケルを飲んだ。
↑これも、先行投資。
1次の筆記試験開始。
・英語
・日本歴史
・日本地理
・産業経済政治文化
~~~
2カ月後。
一次試験の合格発表。
全科目、合格した。
前年は進めなかった2次試験へ
進むことができた。
~~~
12月上旬。
2次の英語面接試験。
外国人試験官から英語で、
5つくらい質問され、
それについて英語で答える。
「茶道って何?教えて」
「梅雨の間って、何するの?」
などの質問をされた。
それを、日本人の試験官が、
会話に参加せず終始聞きながら
採点していた。
試験対策していたことが
5つともそのまま質問された!
終わると、
受かってるかも!!と、
淡い期待が感じられた。
でも、合格発表まで、
2か月待たされた。
~~~
その間に、妊娠が発覚した。
「え?どうしよう。。」
とまず、
最初に思ってしまった。
前回の妊娠とは
まるで違う反応の私。
華々しく「通訳案内士」になれるかもしれないモードのときに、
妊娠とは。。。。
やっと、我が子が幼稚園に行き始めて、少し子育てが楽になり始めたのに、、、
また赤ちゃんからやり直し?
私はこのとき36歳。
高齢出産と言われる域に
入っていた。
夫の反応も前回と異なっていた。
「(私が高齢で)そんなにうまくいかないんじゃないか。
とにかく安静にして」
その10日後。
何をしたわけでもないのに
私は自然流産した。
医師は、
もともとそういう運命だった命。
何も悪くない。誰も悪くない。
自然淘汰される命もある。
と言ってくれたが、
私は罪悪感でいっぱいだった。
もちろん、
丁重に丁重に弔った。
そして、合格してもいないのに、
「ママは、あなたの命の分まで、
素敵な通訳案内士になるよ」
と誓った。
~~~
その1か月後、
翌年の2月。
いよいよ本当に
背水の陣の合格発表。
私は、合格していた。
その年の合格率も、
10%だった。
~~~
その1週間後。
通訳学校の事務局から
電話がかかってきた。
私 「はい、もしもし」
事務局
「あの、今日はお願いがあって、お電話差し上げました。
合格祝賀会で、
合格者代表スピーチを
お願いできませんか?」
ええーーー!!!
なんと!
私は、その年の首席だった。
がむしゃらにやりすぎて、
校内模擬試験の順位など
見ていなかった私。
知らない間に、
1位になっていた。
でも!
もともと
TOEIC380点の専業主婦ですよ、
私は。
努力って、嘘をつかない。
~~~
その1週間後。
大阪梅田にある某高級ホテルの会場で、合格祝賀会が開催された。
もちろん、朝から美容院でセットしてもらって、新しい靴も買って、大阪に向かった。
私はこの会場で、
合格者代表スピーチをする。
そして、いよいよ
私のスピーチの番!
まずは、このことを言った。
私はとにかく、
「妻」でも「母」でもない
「個人の私」を取り戻したくて、ただその一心で、
がむしゃらに勉強することができました。
そして、当時無敵だった横綱白鵬の言葉を引用した。
私は決して強い人間ではありません。
ただ運があった。
その運は努力をしている人間にしか来ないのです。
よく言えば、引用だけど、
白鵬の言葉をパクって、
私は、合格者全員から
拍手喝さいを浴びた!
これが私の人生のピークかと思ったほど、うれしい出来事だった。
そして、
私は思わず言ってしまう。
「神様!ありがとう✨」
次回、
TOEIC380点の専業主婦の私が
どうやって『首席』まで
駆け上がったのかを綴ります!
お楽しみに(^^)/

⇨⇨⇨次回の【私の物語】
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