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【ママ強制卒業】振り返らない我が子と退路を断つ勇気|実話|私の物語

    こんにちは、とひみかです😊

    私の今の仕事は、「通訳案内士」。

    富裕層の外国人のお客様を英語で観光案内するのが、主な業務。

    今アラフィフの私は、
    34歳までほぼ英語力がゼロでした。

    子供が生まれて専業主婦になった私は、子供が3歳になったとき、
    「妻」と「母」でしかない、「個人の私」が消えていく自分の存在に恐怖を覚えました。

    そして、「私個人」を取り戻すため、子供の幼稚園の入園と同時に通訳学校に入学し、資格を取る決意をしました。

    結果、2年間の受験生活を経て、通訳案内士国家試験に合格しましたが、入学資格を得るために、
    最初に受けたTOEICは、380点。

    しかし、1日9時間の勉強を2年間続けた結果、380点から、たった2年間で、国家試験に合格することができました。

    今回は、その合格後のお話です。

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    2011年2月4日、
    私は通訳案内士試験に合格した。

    我が子は次の4月から幼稚園の年長で、小学校入学まであと1年残っていた。

     合格は、しましたよ。


     で? 


    それで??

    私はどうしたらいいの??


    この仕事ってどんな仕組み???

    どうやって 
    仕事を得るの?????

    この業界についての知識が
    ゼロだった私。
     
    まずは、通っていた通訳学校の先生に相談した。
     
    そしたら、通訳案内士で構成されている団体がいくつかあり、それぞれの団体が国家試験の合格発表直後に、新合格者を対象とした「新合格者のための研修」をやっているから、それに参加するといい、とアドバイスを受けた。

    ネットで調べたら、先生の言う通り、いくつかの通訳案内士団体・組合が、「新合格者のための研修」の募集をしていた。
     
    私は、我が子が小学生になったら社会復帰しようと思っていたので、
    「ま、来年でいいか」
    と思っていた。
     
    それを夫に伝えた。
     「あと一年あるし、ゆっくり考えてみるわ」

     
    「何を悠長なこと言うてんねん!
     合格したんやったら、今すぐ始めたらいいやん!
     小学校入学を待つ必要なんか、全くないやん!」

     
    「あ、、、あ、そう?
     じゃあ、もう今回研修受けてみよかな」

     
    なんとなく良さそうと思った研修の費用は、5万円だった。
     
    私には、2年間の通訳学校の学費とその交通費、参考書等の出費がかさみ、個人的に使えるお金がもうなかった。
     
    実家の父に、実は国家試験に挑戦していてこの前合格したこと報告すると、
    「なに? 国家試験合格だと!!!!」
    と、とても喜んでくれて、
    5万円のご祝儀をもらった。
     
    ひょんなところから、資金ができたので、この研修に申し込みをした。

    受付番号は「51」番。
     
    実際に研修に参加すると、大型バスで大阪、奈良、京都の各有名観光スポットを実際に回りながら、講師が実際の仕事でのポイントを教えてくれるというスタイルだった。
     
    参加者は50人。私の受付番号は51番。
    一人キャンセルが出て、私はギリギリ入り込めた最後の申込者だった。背中を押してくれた夫に感謝した。
     
    研修中、現役通訳案内士の講師の知識量に圧倒された。

    なんという大変なお仕事。。。

    これほどまでに、まだまだ勉強して知識をつけなければならないのか!
     
    国家試験が終わったら解放されるかと思っていたが、
    「合格=スタート地点に立つための切符」でしかなく、
    むしろここからが本当の勉強のスタートだった。
     
    あの試験に合格できないようでは、富裕層のお客様のご案内など到底無理だと、今でも私は思う。
     
    よし、これからも頑張ろう✨✨
     
    と希望に満ち溢れていた、
    その3週間後。



    2011年3月11日、
    東日本大震災が起こった。

    その直後、日本中の通訳案内士
    ほぼ全員が、失業した。

    あの日から長い年月が経ちましたが、今もなお、震災の傷跡を抱えながら歩まれている方々が多くいらっしゃいます。被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。



    2011年2月 国家試験合格
    2011年3月 東日本大震災
     
    とにかく、仕事がない。

    原発問題の風評被害で、私のような新人だけでなく、どんなベテランの通訳案内士もこの頃は仕事がなく、失業状態が続いていた。
     
    そして、私もせっかく合格したのに、実際に、周りの99%の人に
    「うまくいくわけない」と言われ続けた。
     
    「やってみる価値ある!頑張って」とポジティブに私の国家試験合格を仕事として捉えて励ましてくれたのは、
    たった2人。

    夫と、大学時代の恩師のY教授だけ。

     
    Y教授はもともと野村総合研究所のコンサルで、退職後に私の大学の経営学部の大学教授になり、私が卒業したあとは、早稲田大学のMBAの教授になっていた。
    そんなY教授からのお墨付き!

    それでも、やはり仕事がない。

    せっかく合格したのに、
    専業主婦を全然卒業できない
    苛立ちだけが募る毎日だった。
     
    ~~~

    そんなときに!
    悪魔のささやきと思える電話が
    かかってきた。

     
    「戻ってきませんか?」

     
    出産直後に退職した前職のホワイト企業の人事部からの電話だった。
     
    私の後任だった方が退職するので、その後任の依頼だった。

    私が配属されていた秘書室の室長は代わっていて、私はそのときの室長とは面識がなかったにもかかわらず、お声がかかった。
     
    正直、悩んだ。

    まず、フルタイム勤務という
    「経済的安定」。
    大企業なので
    「社会保険、福利厚生は手厚い」。
    新しく覚えることも少なく、
    「人間関係がよいこと」もすでに知っている。
    何よりも、
    社会から必要とされる嬉しさ!!

     
    ここはやはり、
    夫に相談。

     
    「お断りの一択やろ。なんのために今まで勉強してきてん」
     

    私は喉元過ぎたら忘れるタイプなので、サンクコストなど考えない。夫は冷静だった。

     
    安定の「前職会社員」か?
    不安定の「新たな挑戦」か?

     
    でも、やりたいのはどっちかと聞かれたら、後者だ。
     
    夫の言葉に支えられ、断腸の思いで、ホワイト企業にお断りの連絡を入れた。

    しかし、この後も半年ほど失業状態が続き、
    「あれは、正しい選択だったのだろうか、、、
    もったいないことをしたのではないだろうか、、、」
    と何度も負の感情に襲われていた。

    専業主婦を卒業できないまま、1年が過ぎ、我が子はとうとう小学校に入学した。
     
    小学校初登校の日。
    登校する我が子に付き添っていると、校門まであと300メートルもある手前で、我が子が私にこう言った。

    「ママ、もう一人で行けるから大丈夫!」

    と言って、スタスタと
    小さな背中で大きすぎるランドセルを背負いながら、行ってしまった。

    それでも心配な私は、
    ちゃんと校門をくぐるまで
    我が子を見届けていた。

    だけど、我が子はその間、
    一度も振り返らず校門をくぐって校舎の中へと入っていってしまった。

    私が号泣しそう、
    寂しくて。


    (え、もうママのことは必要じゃないってこと?)

    仕事はないのに、
    子供にも親離れされてしまった。

    私の価値はどこ?

    透明人間になってしまうかのように、どんどん消えていくような気分だった。

    ~~~

    我が子が入学し、ホワイト企業の仕事を断った半年後。

    私は初めて「通訳案内士」としての仕事の依頼を受けた。

    運よく大成功し、依頼元の担当者からは感謝され、
    「やはりプロは違いますね」
    と言われた。

    デビュー戦だったことはバレていなかったようだ。
     
    私はやっと、
    「ホワイト企業を断った半年前の私!ナイス!!」
    と自分の選択を認めることができた。

    あの「断った選択」があったからこそ、その後10年以上通訳案内士として歩んでいけたのだから。

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    【今の私が思うこと】

    一度も振り返らずに小学校の校門をくぐった我が子の背中は、
    「もう、自分の足で歩きなさい」という私へのメッセージだったのかもしれません。

    そして、悪魔のささやきに負けず、前職という名の「安定」に戻らなかったからこそ、その後、世界中の富裕層をガイドできる通訳案内士になることができました。

    その孤独と不安を引き受けた先にしか、自分に「ナイス!」と言える人生は待っていませんでした。

    次回の【私の物語】は、
    いよいよ通訳案内士としての開花です。

    お楽しみに!

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    ⇨⇨⇨次回の【私の物語】
    私がどうやって、
    有償での最初の通訳案内士の仕事を得たか、その方法を公開!

    ⇦⇦⇦前回の【私の物語】
    通訳案内士国家試験の
    受験体験記です!

    📖マガジン【私の物語】
    時系列で、実話のお話がつながっています。

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    無名大卒・英語力ゼロ、専業主婦で子育て中の34歳から国家試験に挑戦し、2年後に合格。 15年間関西を中心に、世界の超富裕層をガイドしてきましたが、アラフィフの今、大きな違和感。 通訳案内士卒業を目指す、 京都在住の現役通訳案内士です。

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