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『䞖界の思想は、お酒で解ける ――神道からAIたでを味わうカクテル思考』vol.1

    ◇

    目 次

    第1章 ゞンずいう名の觊媒――私たちが生きる䞖界を、お酒でひもずく魔法

    第2章 秩序のレシピず野生の発酵――東アゞアの歩き方ず、日垞のルヌル

    第3章 ガラスの蒞留噚ず透明な王様――西掋哲孊が科孊ずいうりォッカを生むたで

    第4章 シルクロヌドの倧混流――りむスキヌずしおの仏教、あるいは境界線の融解

    第5章 閉鎖された工堎ず奇跡の杉暜――なぜ難解な液䜓は、日本で極䞊の名酒になったのか

    第6章 二日酔いの䞖界を生き抜くために――私たちの「カクテル思考」ず、未来ぞの矅針盀


    第1章

    ゞンずいう名の觊媒

    ――私たちが生きる䞖界を、お酒でひもずく魔法

    History of Cognitive World Thought vol.1

    私はあるずき、知り合いのすすめで、ゞンずいうお酒を知りたした。

    それたで私にずっおお酒ずは、ただ喉を最すものか、あるいは人が集たる堎を少し賑やかにするための道具のようなものだったのかもしれたせん。

    しかし、目の前の透明なグラスに泚がれたその液䜓から立ち䞊る銙りを吞い蟌んだ瞬間、私の心のなかには、たるで新しい宇宙がパッず開かれたかのような、静かな衝撃が走ったのです。

    それは、ただのアルコヌルの匂いではありたせんでした。

    青々ずした針葉暹の森を吹き抜ける颚のような、どこか懐かしく、同時にハッずするほど鋭い銙り。

    ゞュニパヌベリヌを䞭心に、䞖界䞭から集められたハヌブ、果実の皮、皮、根、花、スパむス。それぞれが持぀個性が、ひず぀の透明な液䜓のなかで、互いを消し去るこずなく矎しく重なっおいたした。

    透明なのに、単玔ではない。

    䞀぀なのに、無数の怍物の蚘憶を抱えおいる。

    このゞンの構造に觊れたずき、私のなかに、ひず぀の確信が生たれたした。

    ベヌスずなるお酒に、さたざたな怍物の銙りを加え、䜜り手独自の個性を立ち䞊げおいくゞンは、たさに「自分ずいう䞻芳」を土台にしながら、䞖界䞭の知恵を自分らしく取り入れ、組み合わせ、新しい䟡倀ぞ倉えおいく、未来の思考の象城ではないか。

    そう感じたのです。

    この出䌚いをきっかけに、私の頭のなかで、奇劙で、けれどひどく゚キサむティングなパズルが、カチリず音を立おお組み合わさり始めたした。

    私たちが日垞のなかで䜕気なく接しおいる瀟䌚のルヌル。

    孊校で習う科孊。

    スマヌトフォンの向こう偎で炎䞊しおいる政治的な察立。

    そしお、なんずなく胞の奥に残っおいる「日本人ずしおの心のあり方」。

    これらの、䞀芋するずバラバラで、難しそうな「思想の枠組み」が、実は䞖界䞭のお酒が持぀キャラクタヌや、その補法ず、驚くほどきれいに重なり合っおいるこずに気が぀いたのです。

    もちろん、ここでこれから玹介するものは、孊問䞊の厳密な分類衚ではありたせん。

    神道ず日本酒が同じものだずか、キリスト教を理解するにはワむンを飲めばよいずか、科孊者はみなりォッカのように透明だずいう話ではありたせん。

    ここでお酒を䜿うのは、私たちが普段、遠く難しいものずしお眺めおいる思想や歎史を、自分の手のなかにあるグラスほど近いものずしお感じ盎すためです。

    地図は、土地そのものではありたせん。

    けれど、地図がなければ、芋知らぬ土地を歩き始めるこずは難しい。

    ここでのお酒は、䞖界の思想を歩くための、䞀枚の楜しい地図なのです。

    ずころで、あなたは普段、どんなふうに䞖界を芋おいるでしょうかね。

    テレビのニュヌスで語られる囜際情勢や、倧孊の講矩で出おくる哲孊のカタカナ蚀葉は、どこか自分ずは無関係な、お堅い蚘号のように思えるかもしれたせん。

    でも、もしそれらを、コンビニのお酒の棚や、䞖界のバヌカりンタヌに䞊ぶボトルずしお眺めおみたらどうでしょう。

    途端に、耇雑怪奇だった䞖界の仕組みが、手で觊れられるほどリアルな茪郭を持っお動き始めたす。

    これは、ただ知識を暗蚘するこずずは違いたす。

    䞀床、自分が慣れ芪しんだ感芚のなかに䞖界を匕き寄せ、そこから新しい党䜓像を立ち䞊げる。

    いわば、䞖界を自分のなかぞ新しくむンストヌルし盎す䜜業です。

    たずは、私たちの足元にある、この日本の颚土から旅を始めおみたしょう。

    日本を象城する思想ずいえば、倚くの人は「神道」を思い浮かべるでしょう。

    党囜いたるずころに神瀟があり、正月には初詣ぞ行き、地域のお祭りを楜しむ。

    けれど、「神道ずはどのような宗教ですか」ず尋ねられるず、私たちは急に蚀葉に詰たっおしたいたす。

    キリスト教の聖曞のように、䞀冊にたずめられた教兞が䞭心にあるわけでもない。

    唯䞀の教祖がいお、その人の教えを守るずいう圢でもない。

    ただなんずなく、山や川、叀い倧朚や巚岩、田畑、海、颚、雚、祖先、地域の営みのなかに、目には芋えない䜕かの気配を感じおいる。

    その気配を、八癟䞇の神々ず呌んできたのです。

    この神道ずいう日本独自の思考のあり方を、お酒の䞖界ぞ眮き換えお眺めおみるなら、最も近い堎所にあるのは、やはり「日本酒」ではないでしょうか。

    もちろん、神道ず日本酒が、歎史的にも思想的にもたったく同じものだ、ずいう意味ではありたせん。

    ここで重ねおみたいのは、その成り立ち方です。

    どちらも、抜象的な教矩を先に掲げ、それを䞖界䞭ぞ広げおいくずいうより、その土地の氎、気候、季節、人々の営みず結び぀きながら、長い時間をかけお圢を䞎えられおきたした。

    日本酒がどうやっお䜜られるか、想像しおみおください。

    その土地の氎。

    その土地で育った米。

    冬の匵り詰めた空気。

    蔵の枩床や湿床。

    そこに棲み぀いおきた埮生物。

    そしお、杜氏ず呌ばれる職人たちが、䜕䞖代にもわたっお受け継いできた、蚀葉だけでは説明しきれない経隓や勘。

    日本酒は、原料の配合衚だけを読めば、どこでもたったく同じものが䜜れるずいうお酒ではありたせん。

    颚土ず、埮生物ず、人間の身䜓が䞀぀の堎所で出䌚い、互いに反応し合うこずで、初めおあの芳醇な味わいが生たれたす。

    これは、神道のあり方そのものです。

    神道は、日本の颚土ず匷く結び぀いおいたす。

    山を敬い、川を恐れ、海からの恵みに感謝する。

    春になれば田怍えを祈り、秋になれば収穫を祝う。

    そこには、初めから完成された䞀぀の理論や、すべおの人ぞ同じように適甚する教矩があるわけではありたせん。

    むしろ、土地ず人間の関係が先にあり、祈りや祭りは、その関係を調えるために生たれおきたした。

    ロヌカルで固有であるからこそ、唯䞀無二の枩かさず魅力を持っおいる。

    しかし同時に、その性質のたたでは、他の文化圏ぞ普遍的に暪展開するこず、぀たり、その土地の䜓隓を持たない人ぞ、そのたた説明しお玍埗しおもらうこずが難しいずいう特城もありたす。

    海倖の人に、叀い倧朚を指さしお「ここには神様がいたす」ず䌝えおも、その人が同じ気配を感じるずは限りたせん。

    蚀葉の通じないたた日本酒を差し出しお、「この䞀杯には、この土地の山や氎や祖先の蚘憶がすべお入っおいたす」ず蚀っおも、銙りは䌝わっおも、その奥にある䞖界芳たでは簡単には届かないでしょう。

    䞀方で、海の向こうの西掋文化の根底を長く支えおきた思想、すなわちキリスト教に目を向けおみたしょう。

    これを思想界のお酒ずしお䜍眮づけるなら、フランスのブルゎヌニュ地方などで䜜られる、䌝統ある「ワむン」に重ねおみるこずができたす。

    ワむンの䞖界には「テロワヌル」ずいう、ずおも重芁な蚀葉がありたす。

    葡萄が育った土壌、畑の傟斜、日照、雚、颚、気枩など、その土地を取り巻く環境党䜓を指す蚀葉です。

    この点だけを芋れば、日本酒ず同じように、ワむンもたた土地の個性から生たれるお酒です。

    けれど、ペヌロッパのワむン文化には、土地の個性を味わうだけでは終わらない、もう䞀぀の特城がありたす。

    それは、それぞれの土地ず補法を现かく蚀葉にし、分類し、栌付けし、正統なものずしお倧きな䜓系のなかぞ䜍眮づけようずする力です。

    どの地域の、どの畑の、どの補法によるワむンなのか。

    その名称はどのような条件を満たしたものだけに蚱されるのか。

    どの幎に収穫された葡萄なのか。

    誰がその血統ず品質を保蚌するのか。

    そこには、唯䞀の神を頂点ずするキリスト教䞖界だけではなく、ロヌマ法、封建制床、修道院の蚘録文化、王䟯貎族の秩序など、ペヌロッパが長い時間をかけお育おおきた「䞖界を分類し、秩序立お、正統性を䞎える思考」が重なっおいたす。

    したがっお、ここでワむンずキリスト教を重ねるのは、テロワヌルそのものが䞀神教的だからではありたせん。

    土地ごずの違いを認めながら、それらを䞀぀の倧きな秩序のなかぞ配眮し、名称ず制床によっお䞖界ぞ䌝えおいく、その構造が䌌おいるからです。

    さらに歎史をひもずけば、キリスト教のミサにおいお、ワむンはキリストの血を象城するものずしお扱われおきたした。

    修道院は、祈りの堎であるず同時に、文字を読み、蚘録を残し、蟲業や醞造の技術を保存する知の拠点でもありたした。

    修道士たちが葡萄畑を管理し、醞造技術を磚いおいった歎史は、キリスト教の広がりず深く重なっおいたす。

    ここで面癜い察比が生たれたす。

    日本酒ずしおの神道が、その土地ぞ静かに溶け蟌み、蚀葉にならない心地よさや畏れを共有するものだずすれば、ワむンずしおのキリスト教は、自分たちの信じる真理を蚀葉ず教理にたずめ、広い地域ぞ䌝え、異なる人々を䞀぀の倧きな物語のなかぞ招き入れおいく力を持っおいたす。

    日本酒は、その土地に来おもらい、空気を吞い、氎を飲み、祭りぞ加わるこずで少しず぀分かっおいく。

    ワむンは、ラベルを貌り、物語を蚘し、制床を敎え、遠く離れた堎所ぞ運んでいく。

    もちろん、珟実の神道もキリスト教も、それほど単玔ではありたせん。

    神道にも囜家ず結び぀き、倖ぞ向けお匷い力を持った時代がありたした。

    キリスト教にも、土地の祭りや民間信仰を取り蟌み、地域ごずに異なる姿ぞ倉化した歎史がありたす。

    それでも、この二぀のボトルを䞊べるこずで、「土地に染み蟌む知」ず「䞖界を䞀぀の物語ぞ結ぶ知」ずいう違いが、少し芋えやすくなるのではないでしょうか。

    もし、私たちがこの䞖界を歩いおいくずき、自分の手元に日本酒のようなロヌカルな固有性しか持っおいなければ、海の向こうの人々ず深い郚分で぀ながるのは難しいかもしれたせん。

    逆に、䞖界がワむンのような普遍的な物語だけで満たされおしたえば、それぞれの土地が持぀固有の味わいや、蚀葉にならない情緒は、芋萜ずされおしたうでしょう。

    だからこそ、私たちには、これらのお酒を、そしお思想をメタ認知する、぀たり、䞀歩匕いおその構造を眺める芖点が必芁になりたす。

    あなたが今、倧孊のサヌクルやアルバむト先、あるいはこれからの就職掻動のなかで感じる、「自分の感芚ず、䞖間のルヌルがかみ合わない」ずいう戞惑いも、実はこの、日本酒的な私の感性ず、ワむン的な瀟䌚の倧きな物語ずの衝突なのかもしれたせん。

    この章で手に入れた、お酒のメガネをかけお、さらにディヌプな䞖界の裏偎ぞず、私たちの足を進めおいきたしょう。





     
     
     
    IQ、EQを超えた第3の指暙、「認知リテラシヌLQ」で䞖界を読み解きたしょう。自分を取り戻す堎所ずしお、路地裏から䞖界を歩む智慧を玡いでいきたすね。お䟿り、お問い合わせ、コメントはどしどしお寄せください。党お目を通しお、出来る限りご返事いたしおおりたす。

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