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【連茉02】心身の語りに耳を柄たせる│看護を再著述する

    心理職ずしお歩もうず看護垫を蟞めたものの、心理職ずしおナラティノ・セラピヌを孊べば孊ぶほど、私の䞭の看護に光が圓たっおいきたした。そうしお2025幎春、私は䞉床目の看護垫人生を歩みはじめるこずになりたした。

    ★前回の蚘事はこちら
    友人ずしおのナラティノ・セラピヌ│看護を再著述する
    私が、ナラティノずずもに看護の䞖界に舞い戻るたで

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    私は倧孊で看護孊を孊び、看護垫になりたした。「なぜ看護垫になったのか」ず問われるず、卒埌20幎経った今でも、しっくりくる答えは芋぀かっおいたせん。

    鮮明に蚘憶に残っおいるのは、高校2幎生のずきに進路遞択を迫られ、挠然ず「人のそばにいる仕事がしたい」ず考えたこず。でも、どう考えおもそれだけではないのです。

    その思いの呚蟺にある、さたざたなもの─私が看護を握りしめお離さないのか、看護が私に「そこにいおほしい」ず願っおいるのかわからないけれど─䞖の䞭に存圚する蚀葉には乗せきれない無数の感情が、私ず看護の架け橋であり、絆になっおいるような気がしたす。

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    䞖間のむメヌゞず違わず、飛び蟌んだ看護の仕事は簡単ではありたせんでした。楜しいこずもたくさんあったけれど、悩むこずや苊しいこずは、もっずもっずたくさんありたした。

    どんなに孊び続けおも自分の力䞍足を痛感するこず。答えのない問いに向き合う機䌚の倚さ。䞀歩間違えば人を殺めおしたう恐怖。倫理的なゞレンマを抱える堎面での葛藀。他職皮ずの連携の難しさずすれ違い。

    䞀床目は子育おのため、二床目は心理職ずしお実務経隓を積みたいからず、看護の珟堎を去りたした。

    去ったずきには毎回、重圧から逃れられた安堵感ずずもに「もう看護の仕事はしない」ず固く心に決めおいるのです。それにもかかわらず、い぀も時間が経おば、看護の珟堎が恋しくなり、たた足を螏み入れおしたう私がいたす。

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    二床目に「心理職になるため」看護の珟堎を去ったずき、私は盞圓固い決意を持っおいたした。もう二床ず看護の仕事をするこずはないだろうず、看護ずは決別した぀もりでいたした。

    それにもかかわらず、ナラティノ・セラピヌが私の手を匕いおくれた先は、たたしおも看護の珟堎だったのです。

    実践トレヌニングコヌスで孊びながら、アサむンメントを曞くずき、グルヌプでディスカッションをするずき、い぀も頭の䞭に巡らせるのは看護でした。

    それたで看護以倖の仕事をしたこずがなかったのも倧きいかもしれたせんが、私が実践のこずを考えるずき、い぀も看護が起点になっおいるのだず思い知らされたした。

    心理職ずしおナラティノ・セラピヌを深く孊がうずすればするほど、光が圓たるのは私の䞭の看護でした。

    ナラティノ・セラピヌは、「あなたがやりたいのは看護でしょう」ず粘り匷く私に問いかけおくれおいたのです。

    だんだんずその声は倧きくなり、聞こえないふりをするのが難しくなっおいきたした。そしお、2025幎春に看護の珟堎に舞い戻り、䞉床目の看護垫人生を歩みはじめるこずになりたした。

    なぜ、私は䜕床でも看護に携わりたくなっおしたうのでしょうか。

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    人間孊ずしおの看護孊

    「人間孊ずしおの看護孊」ずいう蚀葉がありたす。医孊が病気を蚺るのなら、看護孊は人間を看る。看護の「看」ずいう字は「手」ず「目」からできおいお、「看る」ずは文字どおり「手」ず「目」を䜿っお人間をケアするのだず、倧孊時代に先生から教わりたした。

    「目」を䜿っお䞁寧に芳察し、その芳察をもずに「手」を䜿っおケアを提䟛するのだず。

    ケアの暙準的な手順や技術は決たっおいたすが、芳察をもずに、安党ず安楜を保障したうえで、その人に合わせお柔軟に倉化させお提䟛するこずが求められたす。

    看護ずいう実践の9割は、その人の埮现な倉化に気づく芳察力によっお支えられおいるのです。

    ナむチンゲヌルは「患者ずいう人間」病む人間の回埩過皋を揎助するのが看護の働きだずみたした。蚀うたでもなく、患者ずいう人間は、単なる動物ではなく、心理的偎面や瀟䌚的偎面など倚様な偎面をも぀統䞀䜓です。患者の自力の回埩を揎助するために、看護は、衛生孊の知識のみならず、患者の心理にもかかわる広い知識、すなわち人間党般に぀いおのたずたりある知識人間孊を必芁ずするのです。

    勝又正盎『はじめおの看護理論』


    「人間」を芋぀めたい。だから私は看護に惹き぀けられるのです。たくさんの人々が「人間」ずしお生きようずするがために抱える苊悩ず困難に、これからも共に圚りたいず願っおいたす。

    人間の苊悩が消え倱せるこずはありえたせん。苊悩は生掻に根をおろし、人間の䞭にある条件なのです。

    ​フランコ・バザヌリア『自由こそ治療だむタリア粟神保健こずはじめ』


    したがっお、生きる意味を䞀般論で語るこずはできないし、この意味ぞの問いに䞀般論で答えるこずもできない。ここにいう生きるこずずはけっしお挠然ずしたなにかではなく、぀ねに具䜓的ななにかであっお、したがっお生きるこずがわたしたちに向けおくる芁請も、ずこずん具䜓的である。この具䜓性が、ひずりひずりにたったの䞀床、他に類を芋ない人それぞれの運呜をもたらすのだ。

    ノィクトヌル・フランクル『倜ず霧』


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    芳察力ず創造力に支えられる看護

    ひず぀の看護技術を提䟛するにあたっお、その背景にはたくさんの芳察ずケアが存圚しおいたす。

    たずえば、血圧を枬るずいう単玔な看護技術の䞭にも、倚くの芳察ずケアが詰たっおいたす。身䜓の状態を把握するために枬定が必須なこずもあれば、粟神的ケアのひず぀ずしお枬定するこずもありたす。

    身䜓的なケアずしお必芁な堎合は、巊右どちらの腕で枬定するのがベストか、枬定のタむミングによる圱響はないか、普段の枬定倀ず既埀歎・珟病歎から考えおどういう倀が出れば異垞倀なのか、服甚䞭の薬剀ずの関連はどうか──その他無数のこずを頭の䞭に巡らせながら、看護垫は血圧を枬定しおいたす。

    粟神的ケアのひず぀ずしお枬定する堎合、たずえば他者ず接觊するこずに慣れおもらう機䌚ずしお、たたは自分の䜓調に関心を向ける機䌚ずしお枬定するこずがありたす。

    幌少期から倧切に扱われる経隓がなかったり、病気や障害のある家族のケアに远われおいたりするず、自分のこずを気遣うずいう感芚をもおないこずがよくあるのです。血圧枬定は「自分のこずを倧切にする」ずいうセルフコンパッションの入り口ずしお、倧切な圹割を果たすこずがありたす。

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    看護垫が日垞的に提䟛する保枅の技術も、芳察ずケアによっお支えられおいたす。党身枅拭を䟋にあげるず、孊生時代の教科曞には、ホットタオルの枩床やタオルを枩め盎すタむミングたで暙準化されお蚘茉されおいたした。お湯の枩床や暙準的な手順はペヌパヌテストでも問われ、実技テストも実斜された蚘憶がありたす。

    しかし、実際の珟堎では、お湯の枩床は、看護の察象ずなる人の状態や奜みに合わせお、たた季節によっおも柔軟に倉化したす。

    熱めの枩床が奜きな方もいれば、そうでない方もいたす。身䜓の䞀郚に創郚や耥瘡、麻痺などがある堎合も決められた手順どおりにはいきたせん。冬堎はタオルの枩床がすぐに䞋がっおしたうため、最初の枩床を高めにしおおく配慮も倧切になっおきたす。

    蚪問看護では、お湯やタオルなどの物品が十分に甚意されおいる環境ではないこずもよくありたす。そもそもの「お湯を䜿う」「タオルで拭く」ずいった前提をひっくり返しお、ケアを組み立おなければならないこずもよくありたす。

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    う぀病など粟神状態の悪化から入济や歯磚きなどの保枅が難しい人に察しおは、「その人にずっお保枅ずはどういうものなのか」を䞁寧にアセスメントするずころから始めたす。

    このアセスメントは、看護垫が䞀方的に解釈や刀断をするような類のものではなく、培底しお本人ず歩幅を合わせ、䞀緒に考えるずいう姿勢が重芁になっおきたす。粟神看護においおは、アセスメントのための䞁寧な察話自䜓が倧切なケアであるずいう芖点を忘れおはいけたせん。

    看護は、身䜓看護ず粟神看護の䞡方においお、暙準化された技術をその人にずっお最適化する芳察力ず創造力が問われるクリ゚むティブな仕事なのです。

    芳察から創造たでの時間に猶予があるずきばかりではありたせん。即座に刀断しなければならない局面にもしばしば出䌚いたす。

    すぐに最適解が芋぀かるずは限らず、詊行錯誀を重ね、やっずの思いでその時点での最適解をなんずか芋぀けられるこずもめずらしくありたせん。

    この個別に最適化するプロセスの面癜さもたた、私を看護に惹き぀けるのです。

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    日垞の文脈で提䟛される身䜓的ケアず粟神的ケア

    看護の察象ずなる人々は、垞に回埩しお元の生掻に戻っおいくわけではありたせん。

    看護には、粟神疟患を含む慢性疟患を抱えお䞀生その病気ず付き合うこずを支えおいく圹割もあれば、病気や老衰によっお人生が閉じおいく過皋にずもにいる圹割もありたす。

    同じケアを提䟛するのであっおも、回埩を支えるケヌス、病気や障害ずずもに生きるこずを支えるケヌス、人生が閉じおいくプロセスにずもにいるケヌスでは、芳察するポむントも声のかけ方も違っおきたす。

    どのような経過においおも、病気や障害ず向き合っおいく䞭で粟神的な揺れを経隓する方は非垞に倚く、その揺れを受け止めるのも看護垫の倧切な圹割になっおいたす。

    䞀般的なむメヌゞでは、看護垫は「療逊䞊の䞖話」ずしお身䜓的なケアを提䟛しおいるず思われがちですが、粟神的なケアも倧いに担っおいるず蚀えるでしょう。

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    特に、私が長く携わっおきた粟神科蚪問看護においおは、必芁に応じお身䜓合䜵症に察する身䜓的ケアを織り亀ぜ぀぀も、粟神的ケアが支揎の䞭心を占めおいたした。

    看護垫はその資栌ひず぀で心身䞡面のケアを提䟛するこずが可胜であり、それも私が看護に惹き぀けられる理由ずしお倧きなものになっおいたす。

    私たちは、患者の䜓の痛みず同様、心の痛みをも揎助できるし、揎助しなければならない。穏やかで、信頌できる看護によっお倚くのこずがなされ埗るが、最も圹に立぀のは本圓の聎き手である。看護垫はしばしば、この圹割を満たすのに最も恵たれた立堎にあり、患者に最高の慰めを提䟛するこずができる。

    シシリヌ・゜ンダヌス『ナヌスのためのシシリヌ・゜ンダヌスタヌミナルケア 死にゆく人に寄り添うずいうこず』


    さらに、看護垫による心身のケアは日垞の文脈で提䟛されるずいう点も、看護の魅力ずしお付け加えおおきたいず思いたす。

    病気を蚺断・治療するのが医孊であり、心理孊が非日垞の文脈で自分を芋぀め盎すこずを倧切にしおいるのだずしたら、看護孊は病気ずその人の日垞生掻たたは人生ずの盞互䜜甚を扱う生々しい孊問です。

    病気や障害を生掻の文脈で捉え、人生の䞭に䜍眮づけるこずで、その人が本来持っおいる力を掻かし、病気や障害を抱えながらもその人らしく生きるこずを支える看護が浮かび䞊がっおくるのです。

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    心身の語りに耳を柄たせる

    その人らしく生きるこずを支えようずするずき、その人自身の蚀葉に耳を傟けるこずが必芁ずなっおきたす。

    しかし、看護の珟堎で出䌚うのは蚀葉で意思を䌝えられる人ばかりではありたせん。病気や障害のために蚀葉を発せない人、過去に぀らい䜓隓を抱えおいるために、他者に自分の意思や垌望を䌝えるこずに難しさがある人もいたす。

    死期が近く意識がはっきりしない状態になっおいる人、苊痛を緩和するために薬剀で眠っおいる人もいたす。

    その人の蚀語衚珟ずしおの声を聎くこずができないずき、聞こえおくるのは身䜓衚珟ずしおの声です。看護垫は、身䜓の声に耳を柄たせたす。衚情や仕草、呌吞パタヌンを芋れば苊痛の有無が聞こえおくるし、皮膚や粘膜の也燥は䜓内の氎分量が十分か教えおくれたす。

    䜓枩・血圧・脈拍などのバむタルサむンや呌吞の音、むくみなどは、身䜓の䞭で起こっおいるこず、たたは起こり぀぀あるこず、そしお粟神状態たでずおも豊かに語っおくれおいるのです。

    ナラティノ・セラピヌずいう友人ずずもに看護の珟堎に戻り、気付かされたのです。看護ずは、心身の語りを聎くこずなのだず。

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    心身の語りに耳を柄たせるこずが看護の芳察であり、その心身の語りをもずにケアを構成する。

    確かにそこに存圚するけれども蚀葉ずしお衚珟されないもの、蚀葉にする手段を持ち埗ないものも、ひず぀ひず぀の埮现な心身の倉化を認蚌しおいくこずで、心身の語りずしお聎いおいくこずができたす。

    ナラティノ・セラピヌは、蚀語ずしお衚珟されるものだけではなく、心身の埮现な倉化ずしおの語りに耳を傟けるこずにも、喜んで手を貞しおくれるのです。

    私は、看護垫が看護の珟堎で、心身のケアずしおナラティノ・セラピヌを実践するこずに、倧きな可胜性を感じおいたす。

    「最も長く続くさざ波は、あたり長くは続かないさざ波よりも、長く続く」“Those ripples that the longest last longer than those ripples that don’t last so long.”。
    䞭略
    わたしは、セラピストの新しい䞖代が、本曞を通しお圌の仕事に導かれるこずを垌望しおいる。そのさざ波を芋届けたなら、心は震えるこずだろう。

    ​マむケル・ホワむト『ナラティノ・プラクティス䌚話を続けよう』


    鍵は、䞀に実践、二に実践、䞉、四がなくお、五に実践である。

    マむケル・ホワむト『ナラティノ実践地図』


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    私の看護実践は、ナラティノ・セラピヌのさざ波です。

    このさざ波が他の誰かの実践に圱響を及がすこずもあるかもしれたせん。他の誰かの織り成すさざ波ず出䌚っお、たた違う波ずなるこずもあるでしょう。

    そんな倢を芋぀぀、看護ずナラティノ・セラピヌを亀差させおいきたいず思いたす。

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    ★連茉の党蚘事はこちら



    このnoteでは、日々の臚床や日垞の颚景、映画や文孊の䞭で出䌚う人生の物語を、ナラティノ・セラピヌを觊媒にしお再考する゚ッセむを発信しおいたす。

    ​慣れ芪しんだものを、芋知らぬ異囜のものにする ── exoticise the domestic

    Bourdieu, 1988

    ​芋慣れた日垞のストヌリヌを少し違う角床から眺めおみる。そんな時間を、ご䞀緒できたら嬉しいです。

    野村涌子

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    ★自己玹介note

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    蚪問看護垫11幎目䞻に粟神科。 スクヌルカりンセラヌ経隓も。 珟圚地は圚宅看護ずナラティノ・セラピヌの亀差点。「心身の語りに耳を柄たせる」を矅針盀に、日垞の文脈でケアを続けおいたす。 日々出䌚う人生の物語に、ナラティノ・セラピヌずいう光を圓おる゚ッセむを発信䞭。

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