
テレビに出た会社が、傾いた瞬間に切られた。──私が銀行を辞めた日の話
その会社のことは、今でもよく覚えている。
MDの次に流行った、手のひらに収まる小さな音楽プレーヤー。見た目も可愛くて、当時としては画期的だった。それを作っていたのは、夫婦二人で切り盛りする、本当に小さな会社だった。
奥さんが、いつも銀行の窓口に来てくれていた。現金の出し入れ、振込、材料を海外から仕入れるための外為の手続き。顔を合わせるうちに、すっかり馴染みになっていた。
その会社が、テレビに出るほどになった。融資を担当していた私も、自分のことのように誇らしかった。お金を届けた相手が世の中に認められていく。銀行員の仕事に、やりがいを感じていた頃だ。
その会社が傾き始めたとき、銀行がどう動いたか。私は今でも忘れられない。
店舗ビジネスの集客支援を行う会社を経営しています。MEO(Googleマップ最適化)を軸に、飲食店・サロン・買取店など業種をまたいで「お店を見つけてもらう」仕事をしています。
以前、「銀行員を辞めて14年」という記事を書きました。あそこでは、辞めた理由を「稼げなかったから」と書きました。それも本当です。でも、本当はもう一つ、辞めた理由があります。今日はその話を書きます。
第1章:お金を貸すときは「ありがとうございます」だった
銀行員の仕事は、外から会社を見る仕事だ。
決算書を読み、数字を見て、貸すか貸さないかを決める。会社の中に入るわけではない。あくまで外から、数字という物差しで判断する。
お金を借りてくれるとき、関係はとても良好だ。「ありがとうございます」と頭を下げてもらえる。こちらも「お役に立てれば」と頭を下げる。お金を必要としている人に、お金を届ける。当時の私は、これを人の役に立つ仕事だと思っていた。
実際、やりがいはあった。融資した会社が伸びていくのを見るのは嬉しかった。冒頭の、あの夫婦の会社もそうだ。窓口で奥さんと顔を合わせていた小さな取引先が、画期的な商品を世に出して、テレビに出るまでになった。自分のことのように嬉しかった。
お金は、人を前に進めるための道具だ。そう信じていた。
第2章:傾いた瞬間に、手のひらが返る
最初に異変を感じたのは、ささいなことだった。
いつも窓口に来てくれていた奥さんが、ある時から、パタッと来なくなった。「どうしたんだろう、最近見ないな」。そのときは、ただ不思議に思っただけだった。
数週間後、その理由が分かった。回ってきたのは、バルク売却の書類だった。
あの絶好調だった会社の経営が、いつのまにか傾いていた。そして私が気づいたときには、もう銀行はその会社を手放す方向に動いていた。
そこから先の銀行の動きが、私には衝撃だった。
返済の見通しが立たないとなった途端、対応がガラッと変わる。あれだけ「ありがとうございます」と言い合っていた関係が、まるで他人のようになる。融資を一気に絞る。そして最後は、負債を抱えたまま、債権ごと他所へ売られていく。
業界の言葉で言えばバルクセール。要は、回収が難しくなった債権を、まとめて別のところに売り払うことだ。売られた先がどういう取り立てをするかは、もう銀行の知ったことではない。「うちとはもう関係ない」。そういうことだ。
私はこういう場面を、一度ではなく何度も見た。
借りるときは味方の顔をして、返せなくなった瞬間に突き放す。会社が一番苦しいとき、一番そばにいてほしいときに、真っ先にいなくなるのが銀行だった。
声を荒げて言いたいわけじゃない。むしろ淡々と事実として書きたい。淡々としているからこそ、その冷たさが分かってもらえると思うから。
第3章:「今度、家を建てるんですよ」
あの会社には、法人担当の男性がいた。
夫婦の会社を、自慢の取引先のように可愛がっていた人だ。会社がテレビに出てからは、わざわざ2階から窓口まで降りてきて、自ら応対していた。会社の人も、お礼にと自社の製品を安く分けてくれたりした。みんな、いい関係だと思っていた。
入社2年目の私は、まだバルクという仕組みもよく分かっていなかった。だからあの書類が回ってきたとき、最初は意味が飲み込めなくて、自分で調べた。そして、ようやく分かった。——あの会社は、結局、手放されるのだと。
その数日後のことだ。
同じ営業マンが、今度は自分の住宅ローンの書類を持ってきた。そして嬉しそうに言った。「今度、家を建てるんですよ」。一番低い金利で、と。
私は、何も言えなかった。
正直に書くと、そのとき私は「よく笑っていられるな」と思ってしまった。でも今思えば、それは少し違ったのかもしれない。彼は悪い人じゃない。むしろ気のいい、優しい人だった。たぶん彼の中では、取引先を手放すことと、自分が家を建てることは、まったく別の話だったんだと思う。地続きだなんて、考えてもいなかった。
怖かったのは、彼が冷たい人間だったからじゃない。普通の、いい人が、誰かを切る仕事を、罪悪感もなく淡々とこなせてしまう——その仕組みのほうだった。そして気づけば、自分も同じ側の椅子に座っていた。
お金って、本来は人を幸せにするための道具だったはずだ。誰かの夢を前に進めたり、苦しいときを乗り越えさせたりするためのもの。なのにあの現場では、お金が逆のことに使われていた。人を切るための道具になっていた。
ここで正直に書いておきたいことがある。
銀行も商売だ。預かっているのは、誰かの大切なお金でもある。貸した金を守るのは当然だし、回収が難しい相手から手を引くのは、組織として正しい判断でもある。頭では、分かる。
でも私は、その側に居続けることができなかった。正しさは分かっても、気持ちがついていかなかった。あの日、お腹の底に残った小さな違和感は、何年経っても消えなかった。
第4章:外から切る側じゃなく、中に入って助ける側へ
「銀行員を辞めて14年」では、辞めた理由を「稼げなかったから」と書いた。それも嘘じゃない。お金は欲しかったし、もっと稼げるようになりたかった。
でも、その奥にあったのは、たぶんこっちだ。
外から数字を見て、ダメなら切る。そういう仕事を、これ以上続けたくなかった。自分がやりたかったのは、その真逆だった。店の中に入って、その店が続くように手を動かす仕事だ。
だから独立して、店舗の集客支援を始めた。
MEOも、口コミ対応も、ホットペッパーの立て直しも、やっていることは全部「その店が続くため」の仕事だ。外から評価する側ではなく、中に入って一緒に汗をかく側。冷や汗をかきながら経営陣にプレゼンするのも、スタッフにめんどくさがられながら一緒に手を動かすのも、全部そっち側の仕事だ。
先日、あるサロンのオーナーに「もうたたむしかないと思ってたんです」と言われた。集客を立て直して、新規のお客さんが何倍にも増えたあとのことだ。
その言葉を聞いたとき、なぜ自分がこの仕事をしているのか、はっきり分かった。
私は、潰さない側に回りたかったんだ。あの頃、目の前で切られていった会社に、何もできなかった自分への答えを、ずっと探していたのかもしれない。
まとめ:14年経って思うこと
銀行を辞めて14年が経った。
あのとき切られていった会社のことを、今でも時々思い出す。テレビに出て、誇らしかった、あの会社のことを。もしあのとき、誰かが外から切るんじゃなくて、中に入って助けていたら、何か変わっていたんだろうか。
今の私は、店を潰さないための仕事をしている。あの頃の自分にはできなかったことを、毎日やっている。MEOも集客も、地味で泥臭い仕事だけど、その一つひとつが「その店が続くため」につながっていると思うと、誇りを持てる。
お金も、集客も、本来は人を幸せにするための道具だ。道具は、ちゃんと人のために使いたい。14年かけて、ようやくそう胸を張って言えるようになった。
これまで書いてきた飲食店・買取チェーン・サロンの集客の話は、全部この延長線上にあります。よかったら、そちらの記事も読んでもらえると嬉しいです。
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📖 集客の舞台裏シリーズ
① 「夜の街でデリバリー?」と笑われた店が、前年比400%成長するまで
https://note.com/real_abelia2156/n/n8b9cce01175f
② 売上の20%はMEO|全国買取チェーンの6年
https://note.com/real_abelia2156/n/nee78ab766787
③ 「もうたたむしかない」サロンを立て直した話
https://note.com/real_abelia2156/n/n80ff29dba167
⑤ 口コミ返信は「1件1分」で終わる|コピペOKテンプレ5選
https://note.com/real_abelia2156/n/nff57dab5d217
✍️ 書き手について
銀行員を辞めて14年。なぜこの仕事をしているのか
https://note.com/real_abelia2156/n/n2a19ffdc1321
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