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「ラマダンはお腹が空くし、夏はもちろん暑い」|ムスリム生徒たちの笑顔の理由

    日本で長年勤めたメディアをメール一通で解雇され、突然無職になった“元”編集長。東京地裁で労働裁判の原告として自らの所在を法に委ねながら、ロンドンの東果てにある移民のための学校で唯一の日本人生徒として移民、難民のクラスメイトとともに英語を学ぶ日々を綴る。

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    ■104年ぶり猛暑のロンドンと冷房のない教室


    突然だがこれを書いている2026年5月27日現在、ロンドンは猛暑である。ロンドン南西部のキューガーデン(Kew Gardens)では35℃を記録。104年ぶりに5月の国内最高気温記録が塗り替えられた。「日本の酷暑日に比べたらぬるい」と思う方もいるかもしれないが、日本と英国の決定的な違いをお伝えしたい。ロンドンの一般家庭での冷房保有率は15%から20%と言われている。つまり5軒に1軒の家にしかエアコンがない計算になる。実はこれでも増えたほうで、数年前は10%と言われていた。

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    私たちの通う学校の教室にも冷房はない。25名も入れば満杯になる教室にあるのは、扇風機ひとつだけだ。しかもこの扇風機、昨夏の授業中に突然羽が吹っ飛ぶというアクシデントに見舞われた。それ以降、夏の授業中に我々ができることは窓を開けること、水を飲むことだけである。

    Tシャツで登校できる私はまだいい。世界中の多種多様なムスリム女性が集まるこの教室は、現代のモデストファッション(慎み深い服装)の見本市のようでもあり、彼女たちは真夏でもヒジャブと長い伝統のロングドレスで頭から足元までをすっぽりと覆っている。足元だけは素足にサンダルを履いているが、ノートでパタパタ扇いだり、汗をぬぐう仕草もない。文字通り「涼しい顔」で通常運転の彼女たちの姿にはじめは衝撃を受けた。
     
    ある日、いつものように30分前に登校した私は涼しい場所を求めて校内をウロウロしていた。頼みの図書館もその広さと全面ガラス張りの作りゆえ、冷房はほぼその役割を果たしていない。図書館の反対側には、地元の青少年やシニアの方々のための娯楽室がある。ドアの窓から中を覗くと、いかにも英国と言うべきか、そこにはプール台か、それとも英国名物のスヌーカー台か、私にはまだ判別のつかない大きな台がいくつも並んでいた。恐る恐るドアを開いて一歩中に入ってみると、なんとしっかりと冷房が効いていた。日本で炎天下を歩いていて、屋内に入った瞬間の「ああ、生き返るうう」というあの感じが一気によみがえってきた。ご丁寧にソファとテーブルまである。


    「良い場所を見つけた」と校舎の入り口でクラスメイトを待ち構えていると、親友のアミラ(Amira)がやって来た。モロッコで生まれ、ミラノで育ったアミラは、イタリア語とモロッコ・アラビア語(ダリジャ)のネイティブで、脳内にはすでに複数言語の文法回路がある。何よりすこぶる明るくパワフルで面倒見がよく成績は常にクラストップだ。なぜアミラと私が親友になったか、その経緯については追々書いていこうと思うがとにかく私たちは最初から気が合ったのだ。


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    私はさっそく「すごい場所を見つけたから一緒に来て」とアミラとその後にやって来たルーマニア出身のダリアンとバングラデシュ出身のザイラと4人で娯楽室に入った。ドアを開けた瞬間、アミラとダリアンとザイラが驚きの声をあげた。4人でソファに座りテーブルを囲み、

    「ここは最高だわ。信じられない。私たちすごいラッキーだよね」

    と興奮が収まらない。実はこの日はライティングの試験が予定されていて、冷房のない自宅より、少しでも涼しい学校の図書館で自習しようと、皆普段より少し早めに登校してきたのだ。
     

    ■日本なら「二度見」必至、私たちの合格祈願


    私たちは本当に運が良かったと思う。テスト対策を4人で話し合っていると、テントウムシ(Ladybird)がテーブルの上を這っているのに気付いた。


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    ザイラが

    「Ladybirdは幸運を運んでくれるのよ。きっとテストに合格できるわよ」

    と教えてくれると、アミラが「掴まえなきゃ!」と小さなテントウムシを必死に追いかけ、勢い余って掌でバン!と叩いてしまった。アミラは「あああああああ!」と叫んだが、幸いテントウムシは小さすぎたので潰されることもなく、アミラの手の中でモゾモゾと動いていた。アミラはテントウムシを両掌の上に載せ、超早口で

    「Ladybird、Ladybird、テストをパスできますように。テストをパスできますように。」

    と呟いた。アミラもダリアンもザイラも私も思わず顔を見合わせて噴き出した。4人全員の笑いのツボに見事ハマり、テスト勉強どころではなくなった。ザイラもアミラと同じようにテントウムシを両掌の上に載せ、ダリアンは胸の前で両手をギュッと組み、私はというと、背筋を伸ばしてテントウムシに二度深くお辞儀をし、両手を二度打ち合わせ、もう一度深く頭を下げた。もしこれが日本のどこかだったら、間違いなく通りすがりの人に二度見されそうだ。伝統的なムスリムのロングドレスとヒジャブを被った2人と、トレーナーとズボンを履いた金髪の東欧人と、ユニクロのTシャツとジーンズに頭のてっぺんで無造作にお団子を結んだアジア人が、一匹の小さなテントウムシに何かを願っている。

    オレンジと黒の斑点の小さなLadybirdはそのまま何事もなかったかのように飛んで行った。この日、私は通っていた日本の女子校時代を思い出した。もう何十年も昔、試験前にもかかわらずとにかく友達とのおしゃべりに夢中で、「箸が転んでもおかしい」日々を送っていた10代の頃の懐かしい記憶だ。
     
    ここで、私は思い切って、アミラとザイラに彼女たちが着ているロングドレス、モデストファッション(慎み深い服装)について「暑くないの?」と聞いてみた。答えは意外だった。

    「ものすごい暑いわ!」

    あまりに率直な言葉に、かえって私は驚いてしまった。「暑くないわ。もう慣れているから」という答えが返ってくるものとばかり思っていたのだ。
    ちなみに最も難しいと言われたこの日のライティングテストだが、アミラもダリアンもザイラも私もResit(追試)になることなく無事全員一発合格した。
     

    ■ラマダン初日の「お腹空かないの?」


    ムスリムの人たちにとって、一年で最も神聖な期間と言えばラマダン(断食月)だ。毎年季節を巡るようにその時期は移動していくが、ラマダン期間中のおよそ30日間、イスラム教の教えに基づき、日の出から日没まで彼女たちは水さえ口にしない。そういった期間があるということは聞いてはいたものの、自分には遠い世界の話だと思っていたし、なにより宗教的儀式とはいえ断食とは過酷なイメージだったので、あえて自分からそのことを誰かに聞くことはしなかった。だが、実際のラマダン初日の授業冒頭で、担任のミス・ジェーンが

    「このクラスの半分の生徒にとって今日から特別な期間が始まりますね。ちょうどいい機会だからラマダンについて聞きたいことがあったら聞いてみましょう」

    と促した。私は「え?それっていいの?触れていい話題なの?」と躊躇してしまったが、ウクライナやロシア、ルーマニアなどの他の東欧系のクラスメイトはここぞとばかりに様々な質問をムスリムのクラスメイトに投げかけた。

    「小さな子供も断食をするの?」
    「本当に一日中食べてはいけないの?」
    「もし食べてしまったら何かペナルティがあるの?」
    「病気の人や妊婦はどうするの?」

    など質問が飛び出した。一方のムスリムのクラスメイトたちも

    「子どもには義務ではないけど、少しずつ慣れさせる練習はするよ」
    「(断食は)夜明け前(朝の礼拝前)から、日没(夕方の礼拝の時刻)まで」
    「(断食時間中でも)うっかり食べてしまったら(故意でなければ)許されるの。自分の意思で食べたら、後で断食をやり直すか、たくさんの貧しい人へ食事を提供するなどの贖罪が必要になるの」
    「病気や妊婦、授乳中の人は最初から(断食が)免除されるわ」

    と、淀みなく答えていく。「意外にオープンに答えてくれるものだな」とぼんやりとみんなのやり取りを聞いていると、突然ミス・ジェーンが

    「あいは何か聞きたいことはないの?」

    と私に振ってきた。「なんでもいいのよ。あい」さらに促され、焦って咄嗟に出てきた質問は

    「(ラマダン期間中って)お腹空かないの?」

    だった。すると「待ってました!」とばかりに

    「お腹空くよ。すごいお腹空くよ」
    「何年やっても慣れないよ」
    「私は良いダイエットの機会だと思っているけどね」

    などの現実的な答えが一斉に返って来た。
     

    ■世界は意外と近い?ベールを一枚めくった先に見え始めたもの


    通常、ラマダン初日は「Ramadan Mubarak(ラマダン・ムバラク)」という声を掛け合うらしいが、この日の授業前の雑談ではこの言葉は出てこず、みんないつも通りに英国式に「Good afternoon」と挨拶を交わしていた。とはいえ、断食である、日中水すら飲めないのである、それがこれからおよそ30日続くのである。

    ラマダン期間終了の数日前になると、何人かのムスリムのクラスメイトが授業を休みだした。あのいつもニコニコ愛されキャラのシャミンですら、笑顔が消えた。ラマダンを終えると「イード・ムバラク(Eid Mubarak)」と祝いの言葉を掛け合い、30日の断食を無事終えられたことを神様に感謝し、その後三日間に渡り、家族や親戚、友人らと食事を囲んで断食明けを祝うのだという。このラマダン終了間際から終了後の三日間は、教室から半分のクラスメイトが消えた。

    授業が終わり自宅に戻ると、クラスレップ(学級代表)のシャイェスタがWhatsAppのグループに、「Eid Mubarak」とメッセージとともに、豪華なご馳走が並んだ写真を送って来た。すると他のムスリムのクラスメイトも次々と「Eid Mubarak」というメッセージを一斉に返した。

    それまで「イード・ムバラク」なんて聞いたこともなければ、当然ラマダンの経験も私にはない。けれど、「Eid Mubarak」というメッセージとご馳走の写真、GIFスタンプが飛び交うスマートフォンの画面を眺めていると、これは日本の「あけましておめでとう」のLINEと同じようなものか、とふと腑に落ちた。

    「自分とは遠い世界の話だな」と相変わらず思いつつも、ベールを一枚めくれば、そこにある生身の感覚はみんな同じ。一人の人間としての実感や行動を前にすれば、神様が違っても、特別な習慣があっても、暑いものは暑いし、お腹は空くし、誰かと繋がっていたいという思いも変わらない。そんな当たり前のことをなんだか愛おしく感じて、世界は思うより近いのかもしれないと思い始めていた。

    ▼次のエピソード(第7作)へ続く






     
     
     

    あい

     
     
    元ネットニュース編集長。ロンドン在住。​一人で書き始め17年守り続けたメディアをメール一通で解雇される。 地位確認請求(労働裁判)で原告として係争中。 無償の語学学校でウクライナ難民やムスリムの女性たちと机を並べる。​

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