
同じウクライナ難民なのに交わらない理由|「私の心は二度引き裂かれた」ロシア語を話す72歳女性の叫び
日本で長年勤めたメディアをメール一通で解雇され、突然無職になった“元”編集長。東京地裁で労働裁判の原告として自らの所在を法に委ねながら、ロンドンの東果てにある移民のための学校で唯一の日本人生徒として移民、難民のクラスメイトとともに英語を学ぶ日々を綴る。
■不穏な教室
現在通っているクラスの他に、いくつか授業を受けた学校があった。いずれも移民のための無償の語学学校ではあるが、学校によって生徒の出身国に違いがあることに気付いた。
私が通う東ロンドンの学校から少し南下したエリアの、とある学校には、ムスリムの生徒は一人もおらず、ウクライナ人が3人、ポーランド人が1人、トルコ人が1人、そして日本人の私が1人という少人数のクラスだった。
初日、少し早めに到着すると、まず受付のロビーで一人の女性と目が合った。彼女の名前はオルガ(Olha)。私よりかなり年上に見えるウクライナ人だ。
彼女と軽く挨拶を交わし、並んで教室の重い扉を開けた。 ガラリとした室内の奥に、すでに別のウクライナ人女性が着席していた。
席にいた女性の名前はタマル(Tamar)。一見して、暗くきつい目をした人だった。一方のオルガは、タマルに比べれば穏やかな表情を保っていた。しかし、その佇まいの奥には、よそ者を受け入れない影が張り付いている。
驚いたのは、後から知った彼女たちの年齢だった。2人とも、72歳。祖国での戦争によってすべてを奪われ、着の身着のままこのロンドンへ逃れてきた「戦争難民」の当事者だった。
同い年の2人は、入るなりお互いに目配せをした。私が「初めまして」と声をかけると、席にいたタマルはぴたりと動きを止め、一瞬だけ私を凝視した。そしてすぐに視線を外すと、オルガの顔を見上げた。2人は、私には理解できない英語以外の言語(母国語)で、低く短い言葉をいくつか交わした。
やがてオルガが
「彼女の名前はタマル(Tamar)」
と、 一言だけ事務的に彼女を紹介してくれた。
このとき私は、タマルは英語が全く話せないためオルガが通訳をしているのだとばかり思っていた。確かに今思っても、72歳という年齢を考えれば、今さら新しい言語を学ぶのは苦痛以外の何物でもないはずだ、と。
しかし、その予測はすぐに裏切られた。担任のミス・レベッカが教室に滑り込んできた瞬間、タマルはたどたどしくもはっきりとした英語で挨拶をし、そのまま楽しげにミス・レベッカと英語で世間話を始めたのだ。

クラスにはもうひとり別のウクライナ人の若い女性の生徒がいたが、オルガとタマルは彼女とは絶対に口をきこうとしなかった。彼女の方もそれは理解しているようで、困ったような笑顔を浮かべている。このクラスでは何か不思議な現象が起きている、と思いその様子を見ていると、今度はブルーのセーターを着た美しい金髪の生徒が私の隣に着席した。
彼女の名前はララ(Lara)と言い、地中海沿岸に面したリゾート地、アンタリアの出身のトルコ人だった。青い海を挟んでギリシャの島々を望む街で育った彼女は、外見も、まとう空気も、完全にヨーロッパのそれだった。初対面のときから笑顔で社交的なララは英語もとても堪能で、偶然にも年齢は私と同じだった。彼女のおかげで、少しだけ不穏に感じられた教室の空気が和らいだ気がした。ちなみに、この国で最初に私を「お茶」に誘ってくれたのはララだ。
■「黙りなさい」に心が折れた日
4回目の授業でサステナビリティ(持続可能性)に関するスピーチが課題に出された。自ら作成したスピーチ原稿を3分という時間制限のなかで、原稿を見ずに発表するというものだ。実際に何度か練習してみると3分というのは意外に難しい。長いようで短いし、短いようで長い。全員が苦戦するなかで、ミス・レベッカは二人一組でペアを組み、お互いに時間を計りながらとにかく繰り返し練習するようにと指示すると、いったん教室から出て行った。
私はララと向き合ってスピーチ練習を始めた。2回ほど繰り返し、ララに「もう1回」と促され、3回目のスピーチを始めた瞬間、ララの背後から
『黙りなさい。今、タマルが練習しているのよ』
と低い声が聞こえた。視線を移すと、オルガとタマルがこちらを睨み上げていた。一瞬何が起こったのか理解できなかったが、このとき悔しいけれど私は黙ってしまった。私が急にスピーチを止めたのでララが「どうしたの?」と聞いてきた。「オルガが、今タマルが練習しているから、黙れって…」そう若干呆然としながら言うと、ララは「なにそれ?今は全員が練習する時間でしょう。気にせず続けようよ」そう言って彼女らを一瞥した。
大変情けない話だが、私はこの一件ですっかり心が折れてしまった。自分の名誉のために言うと、私はオルガとタマルから「嫌がらせを受けた」とか「いじめられた」とかそんな風には全く感じていなかった。むしろ逆で、まるで自分が加害者になったような気がしたのだ。
当時私が感じたことを、言葉を選ばずに言えば、彼女たちは常に「自分たちだけが理不尽な苦痛を背負わされている」という怒りと拒絶を発していた、と思う。「なぜ私たちばかりが」「なぜお前たちは笑っているんだ?」そんな声なき声がいつも聞こえていた気がした。結局このクラスに出席したのはこの日が最後となった。
■「二度とそれを言うな」知られなかったウクライナの断絶
それから2か月後、ララに誘われて私たちはランチをしていた。ララはトルコ出身だが、ワインも飲むし、この日食べたラザニアの材料について、ハラールかどうかの確認もしない。服装も相変わらずフランス人のようにお洒落だし、自由に前を向いて生きているように見える。
お互いの休暇の予定やビザのことなどひとしきり話した後、ララに
「あいはクラスに戻ってこないの?」
と聞かれた。私が「もう戻らないと思う」と言うとララが
「この前、タマルが私に激しく怒ったのよ」
と語り出した。ある日の授業でララが
「クリミア半島はロシアですか?」
と聞いたという。瞬間、タマルが激高して、ララに叫んだという。
「そんなことを二度と言うな!クリミア半島はウクライナだ!私の心は二度引き裂かれた!」
その勢いは相当激しかったそうで、ララも黙ってしまったという。ミス・レベッカが
「ララは授業の一環で純粋に質問しただけであり、それに対してそのような態度を取るべきではない」
とタマルをたしなめたという。
この日のランチでララから聞いて知ったことだが、タマルとオルガはともに自らの第一言語と第二言語について「ロシア語、ウクライナ語」と書いていたという。
ここから先は私の想像でしかないが、彼女たちはクリミア半島もしくはウクライナ東部出身の可能性がある。ロシアのウクライナ侵攻は2022年2月24日の首都キーウから始まったと思われがちだが、実際には2014年2月20日のクリミアへの侵攻、そして併合という名のもとの実質的な不法占領として今日に至るまで続いている。
タマルとオルガが第一言語にロシア語と書いたのは、彼女たちの故郷がロシアとの国境に近いウクライナ東部のドネツク、ルハンスクである可能性を示している。

つまり、タマルが「私の心は二度引き裂かれた」と言ったのは、彼女がクリミアもしくは東部ドネツク、ルハンスクの出身で、まずは2014年にロシアの侵攻を受け首都キーウに逃げた。しかし、2022年2月に再びロシア軍が今度はキーウに攻め込み、また逃れざるを得なかった、ことを意味するのではないだろうか。
さらに言うなら、キーウで過ごしたであろう数年間、ロシア語を話す彼女たちは同胞であるウクライナ人から『親露派』として冷ややかな目を向けられてきた可能性もある。彼女たちがキーウから避難してきた若い世代のウクライナ人と頑なに交わろうとしないのは、そういった背景があるのかもしれない。
■一か月先の居場所が不確かな人々
私が通っている東ロンドンの学校でも多くのウクライナからの戦争難民が学んでいる。私の知る限りではあるが、彼らはキーウからやって来た20代から40代の若い世代で、ホテルのフロント、歯科医、ビューティ・セラピスト、図書館司書など、母国での職業も様々だ。家族や恋人とともに英国に逃れてきて、この国で新たな生活の基盤を作ろうとしている。子供がいる家庭では、全面侵攻から4年という歳月が流れた今、子供たちがウクライナ語を忘れてしまい、英国での進学、就職を望むケースも多い。
一方で、彼らにとって切実な問題がビザである。東ロンドンの語学学校で以前クラスメイトだったウクライナ人のオレーナ(Olena)に
「ビザはどうしているの?」
と聞いたことがある。
「私たちの場合は非常に特殊な状況だから、自分たちがいつまでここにいられるのか?来月どうなるのか?も分からない。ビザについてどこから連絡が来るのかすら知らされていないの」
との答えが返って来た。ウクライナ難民に対し、ビザに関する情報を公式に伝える機関すら機能していない、という彼女の言葉はにわかには信じがたかった。しかし、もしそれが事実だとしたら、英国で新たな人生を始めようとする人も、故郷に帰りたいと願う人にとっても、「戦争」という終わりの見えない予測不可能な状況下では、一か月先の自分の身の置き所すら不確かなのだ。
■二度故郷を追われた人
キーウからやってきた彼ら若い世代と、東部もしくはクリミア半島での背景を持つかもしれない72歳のタマルとオルガでは、同じウクライナ難民とはいえ、英国での心の持ちようも異なるだろう。若い彼らにとっては新天地でも、東部(と仮定して)から二度逃れてきた70代のタマルとオルガにとって英国はあくまでも一時避難先であり、望むのは故郷ウクライナへの帰還だ。
彼女たちが限られた人としかコミュニケーションを取らず、他国からの移民はもちろんのこと、同胞の若いウクライナ人とも決して交わろうとしない理由はそこにあるのでなかろうか、と思った。
しかし、仮に戦争が終結して、タマルとオルガがウクライナに戻る日が来たとしても、ロシア語を第一言語とする彼女たちを見る周囲の目は変わることはないだろう。

人はときに、相手のアイデンティティではなく、外見や住む地域、話す言語などでその人を判断することがある。やっとの思いで母国に戻っても、異邦人のように扱われるのは辛い。それはまるで流浪の民だ。
ウクライナ難民、という一括りの言葉だけでは決して見えてこない、世代と言語、そして歴史が生んだ複雑な断絶がそこにはあった。私たちは同じ教室で机を並べながらも、それぞれが異なる重さの現実を背負って生きている。
▼次のエピソード(第8作)へ続く