
ロンドンでムスリム、ウクライナ難民と学ぶ。|メール一通で追放された元編集長の記録
■東ロンドンの「法的な移民」で「精神的な難民」
2026年5月現在、私は東ロンドンの最果てに住む珍しい日本人だ。ここ東は移民の多いロンドンの中でも、突出してその数が多いことで知られる。隣り合う二つの区長はそれぞれパキスタンとバングラディッシュにルーツを持つムスリムだ(2026年5月6日現在)。場所によっては、ここがロンドン市内だとは誰も思わないエリアも多い。
私の英国での身分は永住者。法的に認められた移民だ。期限なくこの国に滞在することができるし、働くこともできる、ビザの更新も今のところ必要ない。やむにやまれぬ事情があって、長年住んだ国を離れざるを得なかったのが難民というならば、私は彼らとは違う。しかし、その気持ちが少し、ほんの少しだけ理解できる気がする。彼らは国を追われたが、私は自分の国(組織)から追放された。「平和な日本人が何を大袈裟な」と言われたらそれまでだが、確かに私も2年前、自分が長い時間をかけて育て、守り続けてきた居場所をある日突然奪われた。
■美しい日本人の「外面(そとづら)」と「追放」
あなたは日本と言う国にどんなイメージを持っているだろうか。「礼儀正しい」「親切」「安全」「清潔」「約束を守る」。どれも正しくて、どれも正しくない-そう最近感じるようになった。美しい生き物にも、他人様には見せたくない醜悪な一面はある。日本はこの裏の面(つら)と、美しい表の顔(そとづら)が剥離しつつも共存している世界的に見ても稀有な国だと思う。これを読んでいるあなたがもし外国人であれば、日本に長年住み、日本語を母国語のように完璧に理解しなければ、想像することも体験することもないはずだ。
私が「追放」されたのは2024年春。ちょうど今から2年前のことだ。一発強制退場のカードは予告なく、午後3時に一通のメールで送られてきた。正しくは解雇通知という。編集長として働いてきた17年間の習慣通り、朝、少し早めに目を覚まし、頭の中で良いことも悪いことも余計なこともぐるぐる考えながら、冷蔵庫の中にある糖質を口の中に放り込んだ。ただその日は、朝から上司からの連絡が一切なかった。前日まで生々しい攻防戦をチャットワークで繰り広げていたのに。
解雇通知メールを開封したとき、口を突いて出た言葉は「あ、終わった」だった。足元の床がスポーンと抜けたような感覚に陥り、手は震え、身体中から嫌な脂汗が噴き出し、つま先が氷のように冷たくなった。瞬時にそのメールを弁護士に転送したのは、わずかながらも冷静さが残っていたからだと思う。ガタガタと震える手で夫に電話をかけた。夫は「すぐ戻る」と言って1時間かかる距離を30分で帰宅した。夫を待っている間、全てのメールとチャットワークのログを保存した。めまいで視界がぐるぐる回って、手も震えたままだったから、今思えば、よくあの短時間で全ての証拠と言えるものを保存したものだと思う。事実、午後4時前には私のメールアドレスは使用不可能になり、チャットワークも全てアクセス不可になった。
■絶望は「妄想」、希望は「現実」
帰宅した夫はまず冷蔵庫を開け、好物の乳酸菌飲料を私に手渡した。「君は冷静になったら誰よりも強い」。その一言で目が覚めた。もちろん当時すぐに冷静になれたわけではなかったけれど、希望が見えた。この瞬間から、今現在も続く、会社を相手取った、私自身が原告としての地位確認請求の裁判が始まった。
裁判を起こすことに一切のためらいはなかった。証拠集め、弁護士との打ち合わせなど、まったくもって疲れを感じることはなかった。「一秒でも手を止めれば、証拠を消される」という危機感もあった。思考を止めずに記録を取り続けた。これほどの「集中」はきっと戻ってこない、そう自覚していたのだと思う。結果、二年が経過した現在に至っても、あのときに集めた証拠や記録が今の裁判で助けになっている。一方で「裁判は証拠が全て」とは実は私は思っていない。これまでの10回近くの裁判期日を振り返ると、証拠が「力」を持つまでには、根気強く歩まなければならない長い道のりがある。だが、その先には必ずその真価が発揮される時が来る。
とはいえ、身体と心に負担がかかっていたのは間違いなく、しばらくすると来るはずの生理が来ない。夫に言われなければ食事も食べず、摂ったとしても砂をかむような味しかしない。解雇通知を開封してからちょうど1週間後、夫に促され診察を受けたロンドンのクリニックで出された診断は「うつ病」だった。当時の自分を例えるならば、止まり方を忘れて早歩きで歩き続けるゼンマイ人形のようだった。ネジが止まって前のめりにぶっ倒れずに済んだのは、ひとえに夫のおかげである。
■無職には無職のベネフィット
「訴訟を起こす」という言葉は、そこに関係しない人からすると大仰なことに聞こえるようだ。「自分が辛くなるだけだよ」「忘れて前に進みなよ」と言う人もあれば、「これ以上は私も立場があるので…」と離れていく人もいた。どれもその人が同じ立場に置かれたら取る最適解だと思う。私の最適解は「過去を清算しつつ、自分の歩を前に進める」ことだった。
2024年8月の酷暑日に東京地方裁判所で行われた最初の裁判期日と前後して、私はロンドンの自宅から交通費をかけずに通える無料の語学学校を探し始めた。どんなベネフィット(公的支援)がこの国の移民に与えられているのか当時は知る由もなかったが、何しろ無職である、無収入である。裁判費用以外にお金をかけるなどもってのほかだ。グーグルマップでまずは
「Learning Centre near me」
「Activity Centre near me」
「Community Centre near me」
「Library near me」
と検索をかけまくった。するといくつかの無料語学クラスが見つかった。その中で、9月入学者のための評価テスト(assessment)のチャンスを与えてくれたのが地元東ロンドンのLearning Centreだった。
■ヒアリング能力が死んでる クラス初の日本人生徒
2020年に英国に居を移したものの、日本に住んでいた時と同じ会社と同じメディアで編集者として、日本語と日本時間で、日本の習慣と文化のなかで働き続けていた私が、本気で英語と英国文化を学ぼうとすることはなかった。でも不幸中の幸いか、今は時間だけは売るほどある。ならばそこを無駄にする手はない、そう考えた。事前に一度夫に付き添ってもらい、通学経路を確認し「これなら通える」と多少なりとも自信を持ち、少しの緊張とこの国で初めての友人ができるかもしれないという期待を持って初登校日を迎えた。
ロンドン人の時間感覚(水が止まってもエンジニアが来るのは早くて翌日、遅くて一週間後)を基準に甘く見ていた私は、授業開始時間の12時30分に合わせ、12時20分に学校に到着した。いざ教室に入るとすでに授業は始まっており、クラスメイトたちもそれぞれ顔見知りのようで、なんともお尻のあたりがムズムズするスタートとなった。それでも担任である生粋の英国人のミス・ジェーン(Ms Jane)は寛容に、しかし凛とした雰囲気を漂わせて私を迎え入れてくれた。
「First of all, would you like to introduce yourself?」
恥ずかしながら正直に言うと、このときのミス・ジェーンの「First of all(ファーストオブオール)」が流ちょうすぎて早すぎて私には「ベジタブル」と聞こえた。大好きな出川哲郎さんのヒアリングが真実リアルガチだとこのとき痛感した。今となっては、耳慣れた美しいブリティッシュイングリッシュであるが、当時の私は「introduce you」しか聞き取ることが出来なかった。それでも一応その状況で自分が何を求められているかくらいは理解できたので、
「My name is Ai. I came from Japan, This is my first time to learning English so I am get in nervous」
と前日までに必死に覚えてきた定型文で応えた。
「“come from Japan” or you can say just “from Japan”」
とさっそく指導が入り、
「ああ、英語初心者あるあるをやってしまった…」
と思ったが、その直後にミス・ジェーンが
「初の日本人が入学してきたわ!」
「え?日本人ひとりもいないの?」と私自身が一番びっくりの紹介をしてくれたことで、良くも悪くも一瞬注目がこの身に集まり、開始10分で教室から逃げ出せない状況になったのは、今となってはありがたいことである。
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