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ウクライナ人生徒が英語の授業で放った「If(もしも)」の重み|戦争を背負う友と平和しか知らない私

    日本で長年勤めたメディアをメール一通で解雇され、突然無職になった“元”編集長。東京地裁で労働裁判の原告として自らの所在を法に委ねながら、ロンドンの東果てにある移民のための学校で唯一の日本人生徒として移民、難民のクラスメイトとともに英語を学ぶ日々を綴る。

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    🔗前回記事はこちら

    ■今そこにある戦火から逃れてきたクラスメイトと戦争を知らない日本人


    私が通う学校では、ウクライナからの戦争難民が多く学んでいる。いくつかの語学学校を体験したが、彼らの姿がないクラスはなかった。生徒の半分がウクライナの戦火から逃げてきた人々というクラスも珍しくなかった。

    2022年2月24日、日本に先駆けてコロナ禍から日常を取り戻していたロンドンの真夜中過ぎ、YouTubeのニュース配信の画面から目に飛び込んできたのは、早朝まだ暗いキーウ上空で光る禍々しい閃光だった。

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    このとき私がまだ日本に住んでいたならば、「どこかで」「また」戦争が起きている、とベッドに戻って寝ていたと思う。だがそのときは違った。ロシアが本当に攻め込んだ、犠牲者の数は?攻撃が止まる目途は?今になって思えば、誰も分かるはずがない、長く続くことになる戦争の行方をネットで検索していた。

    クラスメイトのウクライナ人のほとんどが2022年、2023年に英国にやってきた。理由はもちろん戦禍から逃れるためだ。戦争を知らない私にとって、同じ机で彼らと接することは、当初は正直に言うなら「腫れ物に触るような」気持ちだった。

    教室を入ってすぐの席に車椅子で座っているのは、ウクライナ人のダニロ(Danylo)さんだった。彼は誰とも目を合わせないし、クラスメイトと雑談する姿もほぼ見せたことがない。欧州の男性は私の感覚からすると実年齢より年上に見えることが多いので、ダニロさんも実際には40代前半くらいだろうか。他のウクライナ人生徒は全員女性で、ムスリムの生徒も全員女性。つまり、ダニロさんはクラスで唯一の男性だった。
    授業では、ミス・ジェーンが生徒を二人一組にして課題を与えることが、日に何度も行われる。ダニロさんとペアになったクラスメイトが彼の見えないガードにことごとくはじき返され、気まずい空気で課題時間終了を迎えるのを何度も見てきた。

    ■みんなそれぞれに事情がある とにかく英語を学ぼう

    ある日の授業で、50以上の動詞を過去分詞(Past Participle)に変えるというプリント課題にダニロさんと私の2人で取り組むことになった。しかし、手元のiPadに視線を落としたままのダニロさんは、正真正銘取り付く島がない。
    節約のために生徒同士シェアするよう配られた一枚のプリントも私が一人で読み進めていいのか、彼に「お先にどうぞ」と言っていいのかも分からない。ダニロさんは、ただ静かに自分自身と話し合っているように見える。
    だがここは英語を学ぶために移民に与えられた貴重な場所なのだ。担任のミス・ジェーンがいつも言っている

    「みんなそれぞれに事情がある。他にも入学したい人が列を作って待っている。誰かを特別扱いすることはできない」

    この言葉を思い出し

    「まずはこの場の空気を変えなければ」と心の中で声に出した。

    私は汗ばんだ手で、プリントをダニロさんの視線の端にそっと差し出し、
    「Shall we?」
    と顔を覗き込んで聞いてみた。
    彼は私に一瞥もくれずに、プリントに書き込みを始めた。他のグループは、一緒に分厚い英英辞書を引きながら(授業中にスマホを使って調べることは、先生が許可した特別な場合以外禁止されている)、頭を寄せて答えを探している。黙々とペンを走らせるダニロさんと、ペンを持ったままの手を太ももの上にぎゅっと押し当てている私の姿は、いつもは他人を気にしないクラスメイトたちの視線ですら、否が応でも引き付けてしまう。
    その日の課題は、結局最後までダニロさんと視線も言葉も交わすことなく終わった。

    ■「この国では教えられない」


    ダニロさんにはマリアさんという奥さんがいる。毎回、マリアさんはダニロさんの車いすを押しながら教室までやってきて、授業が終わるころにまたダニロさんを迎えにやってくる。入学初日の反省から、以降、私は授業開始30分前には学校に到着するようにしていた。校舎の入り口までは綺麗な中庭が続いていて、その中庭に面して図書館がある。全面がガラス張りの、陽射しが気持ちよく入るこのサンルームのような図書館で、毎回必ずダニロさんとマリアさんが2人でテーブルを囲みお昼ごはんを食べていることに気付いた。

    マリアさんは笑顔のとても素敵な女性で、私はダニロさんよりも先に彼女と挨拶を交わせるようになった。英国に避難する前のマリアさんはウクライナのダンス教室で子供たちにコンテンポラリーダンスを教えていたそうだ。振付もすべてマリアさんが考えたという発表会の写真には、美しくポーズを決め笑顔を見せる子供たちが写っている。会場もかなり本格的な劇場に見える。彼女のスマホのフォトフォルダに収められた生徒たちの姿はどれも素晴らしく、私は思わず「ロンドンでも子供たちにダンスを教えたらいいのに」とマリアさんに問いかけた。瞬間、マリアさんは「No」と言い、
    「この国でダンスを教えることはできないの」
    とダニロさんの方を見つめた。ダニロさんは黙ったまま、マリアさんを見つめ返した。

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    ■「写真を撮りましょうか?」


    ダニロさんの視界にやっと私が入ったのは、2024年の冬だった。国会議事堂(Houses of Parliament)への社会科見学「The Parliament Trip」に行くため、生徒たちは学校の正面入り口か、学校最寄りの駅構内で集合することになった。朝の通勤ラッシュ時間と重なったため、構内はかなり混雑していて「こんなところで全員本当に集まれるのかな」と不安になった。日本のように、

    「東京メトロ銀座線・新橋駅の2番線 浅草行き電車の進行方向一番前で午前8時に集合です。当日の緊急連絡先は〇〇まで。」

    なんていう詳細な説明はない。電子掲示板の行先や乗り場表記がコロコロ変わるロンドン地下鉄の事情などお構いなしに

    「Westminster(ウエストミンスター)行き電車のホームで8時。緊急の場合はミス・ジェーンの携帯に連絡するように」

    だけである。しかも東京メトロと違い、ロンドンの地下鉄(Tube)では携帯の電波は通じない。遅刻する者、構内で迷う者、そこに朝の混雑が手伝って、全員が集合できたのは9時過ぎだった。ロンドンの駅でエレベーター(リフト/LIFT)やエスカレーターが故障するのはしょっちゅうで、これが混雑以上にダニロさんとマリアさんを困らせた。

    ミス・ジェーンから「ダニロがまだ来ない」と聞いて、私はプラットホームにある二つのリフト乗り場を探した。実はこの日も一機のリフトが故障していて、ダニロさん夫妻は集合場所から最も遠いリフトを使わなければならなかった。ダニロさんとマリアさんがリフトから降りてくると、人でごった返すホームを3人で端から端まで移動し、他のクラスメイトと合流した。

    その後、国会議事堂(Houses of Parliament)内部の見学を終え、写真撮影が許可されているウェストミンスター・ホールで、少し勇気を出してダニロさんとマリアさんに「ふたりの写真を撮りましょうか?」と聞いてみた。

    はにかんだ様子だが、ふたりがこちらを向いてポーズを取ってくれたので、私は2枚ほど写真を撮った。自宅に戻った後、授業で使っているTEAMSからダニロさんの個人アカウントにダニロ夫妻のツーショット写真を送った。するとダニロさんから

    「写真を送ってくれてありがとう。次の授業で会いましょう」

    とメッセージが返ってきた。

    ■戦争さえなければ


    マリアさんが子供向けダンス教室の先生だったことは本人から教えてもらったが、夫であるダニロさんが英国に避難する前、ウクライナでどんな仕事をしていたのかは、私はいまだに知らない。ただ授業が進むにつれ、ダニロさんの持つ周囲への細かい観察力と洞察力に気付いた。

    ある日の授業のテーマは『If(もし〜なら)』を使った条件文(コンディショナル/Conditional)だった。

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    「決して変わることのない絶対的な現実を表す」Zero Conditional
    (ゼロコンディショナル)から、
    「この先現実的に起こり得る未来を表す」First Conditional
    (ファーストコンディショナル)に進んでいたときだった。

    ダニロさんは
    「現実にはあり得ない『もう一つの今』」を表すSecond Conditional
    (セカンドコンディショナル)に先回りして

    「If that hadn't happened, I'd not be here.」
    (あの出来事がなければ、私がここに来ることはなかった。)

    と「例文」を示した。

    さらにミス・ジェーンがそれをホワイトボードに書くと、ダニロさんは「I'd」を指して
    「この短縮形は『I would』のときもあれば、『I had』のときもありますよね。書いたときに全く同じ形になるこのふたつを、僕たちはどうやって見極めたらいいですか?」

    と質問をした。確かに
    " I'd go if I could. "(=I would go)
    「もし行けるなら、行く(実際は行けない)」
    と、
    " I'd gone there. "(=I had gone)
    「私はもうそこに行ってしまった」

    では、見た目も、耳で聞いたときの微かな「d」の音もそっくりだ。
    両者の違いは、後ろに続く動詞が「原形(Infinitive)」か「過去分詞(Past participle)」かで、見極めることができる。

    これはネイティブが普段、直感的に処理している「沈黙の言葉のルール」だった。「Good question!」とミス・ジェーンも我が意を得た、とばかりであった。

    ■再び立ち上がり、笑顔になる


    学校に入学してから一年後、マリアさんとはもちろん、ダニロさんとも談笑ができるようになった。ダニロさんはマリアさんやクラスメイトの助けを借りて、車いすから少しずつではあるが、立ち上がることが出来るようになった。マリアさんも学校の別のクラスで英語を学び始め、ダニロさんは一人で帰宅できるようになった。もちろん、車いすから立ち上がろうとしてよろけることもあるし、車いすに座っているためドアを自分の手では開けないときもある。だが、そういったときにクラスメイト達がごく自然に手を差し伸べ、ダニロさんも笑顔でお礼を言う光景が、クラスの当たり前の風景として定着していた。
    私もあるとき、校内のリフトまでダニロさんの車いすを押した。私がグラウンド階のボタンを押し、そのまま外に留まろうとすると、彼がふと顔を上げて言った。

    「あいも一緒に乗らないのかい?」

    私はうなずき、リフトに乗り込み、ダニロさんの隣に並んだ。その場の空気はたしかに一年前とは変わっていた。

    ▼次のエピソード(第6作)へ続く



     
     
     

    あい

     
     
    元ネットニュース編集長。ロンドン在住。​一人で書き始め17年守り続けたメディアをメール一通で解雇される。 地位確認請求(労働裁判)で原告として係争中。 無償の語学学校でウクライナ難民やムスリムの女性たちと机を並べる。​

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