メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「良い人間になりたい」|アフガニスタン女性がロンドンで手に入れた「NO」と言う権利

    日本で17年勤めたメディアをメール一通で解雇され、突然無職になった“元”編集長。東京地裁で労働裁判の原告として自らの所在を法に委ねながら、ロンドンの東果てにある移民のための学校で唯一の日本人生徒として移民、難民のクラスメイトとともに英語を学ぶ日々を綴る。

    🔗これまでの詳しい経緯はこちら
    🔗前回記事はこちら

    ■安全な校舎で学べるのは当たり前ではない。

     
    私が通う東ロンドンの学校(Learning Centre)も通常の学校と同じく9月から新しい学年がはじまる。この時期は学生用IDの写真撮影や、学校との契約書(Contract)の締結、セキュリティに関する説明会などで通常授業より忙しい。

    特に毎学期の初回に必ず行われる、セキュリティに関する説明は「Safeguarding Induction(セーフガーディングインダクション)」と呼ばれ、虐待、ハラスメント、過激化(Prevent)の防止など、非常に具体的な内容に言及される。特に過激化(Prevent)は人々がテロリズムに加担したり、過激思想に染まったりするのを未然に防ぐことを目的としている。学校関係者や生徒はそのような兆候が誰かに見られたら速やかに然るべきところに報告する義務がある。その他にもExtremism(過激主義)、Grooming(手なずけ/信頼関係を築き、マインドコントロールによって過激な道へ引き込む)など、日本ではあまり聞きなれない言葉が最初の授業で並ぶ。

    「Lockdown(ロックダウン)」もそのうちの一つで、不審者やテロリストなどが学校に侵入してきた場合、まずは椅子やテーブルなどで教室のドアを塞ぎ、教室内の安全を確保するというもの。毎回これを聞くたびに、英国とはいえ「ここは日本ではない」と肩がぎゅっと縮こまって、指がこわばる。校舎のなかは安全で、安心して学ぶことができる、それは当たり前のことではないのだ。若干恐れにひきつった顔で、必死にメモを取りながら聞いているのは私だけだった。日本からやってきたこの身の無防備さを痛感し、それが恐怖心を増幅させた。


    画像
    ここで行われるセキュリティ説明会は、
    日本とは全く異なる『安全』の現実を突きつける。(イメージ)

    他のクラスメイト達はというと、「いざ」というときの身の護り方はそれぞれ心得ているようで、さほど目新しい内容でもないらしい。むしろ現実にそういった経験をしてきた移民、戦争難民のクラスメイトもいるわけで、彼ら彼女らからすれば、学校で説明される「安全に関する研修」は、机上の空論、あるいは「ぬるい」のかもしれない。
     

    ■「良い人間になりたいから」を信じられない日本人生徒


    一方で、全生徒たちがざわつくのが、クラスレップ(Class Representative)、日本で言う学級委員長の選考だ。一年間、クラスの代表として担任教師のサポートや各種イベントの取りまとめ、より良いクラス作りのため生徒の声の拾い上げ、学校関係者との定期的な会議への出席など、その役割は多岐にわたる。基本は立候補制だが誰もやりたい人がいなければ推薦になる。毎年誰がレップになるかは難航するので、担任のミス・ジェーンも「Rep(レップ)をやったという実績はCV(職務経歴書)に書けるわ。就職に有利よ」「ミーティングは英語の勉強になるわ」と、熱心にリクルート活動を行う。
     
    私が入学した2024年9月、レップに立候補したのはアフガニスタン出身のシャイェスタ (Shayesta)だった。しかし唯一の(ありがたい)候補者とはいえ、自動的にレップになれるわけではない。クラスメイト全員の前で「なぜ自分はレップになりたいのか?」を英語でスピーチし、信任を問わなければならない。本来であればスピーチ原稿は数日かけて用意するものだが、ミス・ジェーンも一刻も早くレップを決めたかったのだろう。シャイェスタは立候補したその場でスピーチをすることになった。「ドゥパッタ」と呼ばれる大判のスカーフで髪を完全に隠しているため、見えるのは彼女の顔だけだ。その表情はいつも険しい。おそらくは私よりひとまわり以上は若いはずだが、同い年、もしくは年上に感じられた。スピーチの冒頭、シャイェスタは少し緊張した様子で、しかしはっきりと語った。
     
    「私がクラスレップになりたい理由は、良い人間になりたいからです。」


     当時の私のヒアリング能力はひどいものだったし、クラス自体が英語を母国語としない移民のためのものなので、シャイェスタの英語もたどたどしい。それでも「良い人間になりたい」という彼女の言葉だけははっきりと聞き取ることができた。そして、それは私の心にストレートにズドーンと突き刺さった。

    まず日本に住んでいた頃を思い出した。選挙演説でも就職の面接でもなんなら異性への告白でもいい、誰かに「自分を選んで!」と訴えるときに「良い人間になりたいから」と言う人はあまりいなかった気がする。いたとしても、私は「綺麗事」と穿った見方をして、警戒したと思う。だがシャイェスタのスピーチは嘘には聞こえなかった。

    画像
    『良い人間になりたいから』。真っ直ぐに信任を問うシャイェスタ(イメージ)

    私はシャイェスタが羨ましかった。謙遜、自虐、卑下、いざという時の予防線など一切を放り投げて「良い人間になりたいです」と言ってみたい。シャイェスタのスピーチを色眼鏡で受け止めるクラスメイトはひとりもいない。彼女のスピーチは着色されることなく、そのまま彼らの心に素直に吸い込まれていった。

    ■初めての「グループ」入り


    結果、シャイェスタは見事レップとなり、これで私達のクラスのリーダーが決まった。そこからおよそ2か月、私はシャイェスタと話してみたい衝動を抑えられなかった。しかし、彼女の表情は変わらず険しく、返事もそっけなかった。チャンスが訪れたのは12月のEnd of term(期末)のパーティーだった。レップであるシャイェスタが5人のクラスメイトを指名して、各自にパーティー当日持ってくるものを振り分ける。そのなかになぜか私もいた。授業の後、シャイェスタに初めて「あい」と名前を呼ばれた。私に割り振られた持ち物は、紙皿と紙コップ、フォークとスプーンそれぞれ20人分だった。


    画像
    TESCO(テスコ)から
    クラスメイトにメッセージを送った。
    この国で初めて誰かとつながった瞬間(イメージ)


    手書きのリストを見せながら「できる?」とシャイェスタに聞かれ「もちろん」と応え、その日のうちに近所のスーパーに行き、全てを揃えた。さらにこのパーティーのためにシャイェスタが作った“classmate”というWhatsAppのグループに「今テスコにいるの。ほかに必要なものがあれば言って。」とメッセージを投げた。するとすぐに既読になり、シャイェスタから「ありがとう親切な人。大丈夫です。」と薔薇の絵文字とともに返信が返ってきた。この“classmate”のチャットは、私がこの国で初めて参加した「グループ」だった。
     

    ■「とてもひどかった」故郷を語らない人々


    画像
    発表されなかったシャイェスタのノート。
    私が想像できない過去の「断絶」が記されていたのかもしれない。(イメージ)


    授業で「自分が育った環境」について英語でスピーチを行うという課題があった。二人一組になり、互いに質問をし、それに答えながら自分のスピーチ内容を英語で固めていく。例えば「育った場所は都会ですか?それとも郊外ですか?」や「子供のころに習っていた習い事は何ですか?」「子供の頃の大切な思い出は?」「子供の頃の夢は?」などだ。私のパートナーはシャイェスタだった。シャイェスタはまず、

    「私の国のことは、日本のニュースで見て知っているでしょう?」

    と問いかけてきた。私は一瞬言葉に詰まったが、ここは正直に答えるべきだと思い「うん。とても大変だったと確かにニュースで見た。あなたやあなたの家族は大丈夫だったの?」と彼女に問い返した。

    「とてもとてもひどかったわ。」

    20歳で結婚したシャイェスタには4人の子供がおり、彼女のお母さんは14歳で結婚し、彼女のお父さんはアフガニスタンで数年前に亡くなったという。シャイェスタが話してくれたのはこれだけで、結局彼女はスピーチの発表をしなかった。
     
    親しくなってみるとシャイェスタの別の面が見えてきた。学校の硬いプラスチックの椅子は腰痛持ちの私には辛い。テレビショッピングで買った腰痛クッションを学校に持って行き、そこに座って「ああ・・・comfortable―(カンフォタブー)」と呟くだけで、彼女は毎回噴き出す。目が合うと必ず笑顔を返してくれる。宿題や試験対策で困っていると、シャイェスタは思いつく限りのアドバイスや資料をくれる。

    こちらでは試験を受けることを「sit an exam」と言い、「再び(re)座る(sit)」ということから追試のことを「リシート(resit)」という。試験はリーディング、リスニング、スピーキング、ライティングごとに行われ、合否は学校ではなく、コース全体を統括する公の機関で判定される。判定に不満があれば異議申し立てをすることもできるが、正直言って誰にとっても一発で合格するのは容易ではない。私も毎回テストの結果に自信がなくて、「私たぶんresitだと思う」とよく呟いていた。そのたびにシャイェスタは、冷静なテストの分析と励ましの言葉を数分の録音にして送ってくれる。また、たまに送られてくる彼女の手料理の写真はレストランのような腕前だ。ある授業で自分のことを
    「I am an organised person.」(私はきちんとした人間です)と語り、4人の子育てに、家事、レップとしての役目も一切の妥協なく、嫌な顔一つ見せず1年間務めあげた。彼女はクラスのお母さんのようだった。
     

    ■まだ「NOと言えない日本人」続けますか?


    一年後、再びレップ選考の季節がやってきた。ミス・ジェーンがシャイェスタに視線を送り「今年もシャイェスタがやってくれる?」と問いかけた。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、シャイェスタは立候補のときよりも力強い声で

    『I never want to do it again!(二度とやりたくありません!)』

    と宣言した。この瞬間、彼女の「NO」にクラス中がどっと沸いた。「シャイェスタ、あなたは十分すぎるほど良い人間よ」と誰かが声を上げた。ミス・ジェーンもなぜか笑顔で了承した。
    もしかしたら…だが、彼女の母国では許されていない、些細なことでも女性が「NO」と言う権利を、シャイェスタはこの国で手に入れたのかもしれない、そう思った。


    画像
    『二度とやりたくありません』。明確なNOにクラス中が沸いた。
    彼女が自分の意志を表明した、晴れやかな瞬間だった(イメージ)


    相手が上司だから、家族だから、ご近所だから、友達だから、仕事だから、嫌われたくないから、人に良く思われたいから…。私は、そんな理由で過去「NO」が言えなかった。結果、私は仕事でも家庭でも人間関係でも苦しくなった。誰のためでもない、まずは自分自身のために「NO」と言えることが、どれだけ難しいかを私は知っている。それを言える「自由」があるにも関わらず使わなかった過去の自分と、やっとその「権利」を手に入れ、しっかりと主張するシャイェスタ。私は彼女に親しみと一層の憧れを覚えたのであった。

    ▼次のエピソード(第5作)へ続く




     
     
     

    あい

     
     
    元ネットニュース編集長。ロンドン在住。​一人で書き始め17年守り続けたメディアをメール一通で解雇される。 地位確認請求(労働裁判)で原告として係争中。 無償の語学学校でウクライナ難民やムスリムの女性たちと机を並べる。​

    あなたへのおすすめ