
#5 なぜ誰も正直に報告してくれないのか―公正な文化と報告する文化の好循環・悪循環―
シリーズ「なぜルールを増やしても不祥事はなくならないのか」第5回
現場を管理する立場になると、一度はこう感じたことがあるかもしれません。「なぜ、誰も正直に報告してくれないのだろう」。
けれど、報告が上がってこないのは、現場の人たちが不誠実だから、とは限りません。多くの場合それは、「正直に話すことが、割に合わない」という状態が、時間をかけて作られてしまった結果です。
この巡り合わせを説明する鍵になるのが、これまで見てきた公正な文化(Just Culture)に加えて、もう一つの考え方です。
「報告する文化」と「公正な文化」は、互いの土台になっている
シリーズ1『ミスを厳しく罰してもミスが減らないわけ』で紹介した心理学者ジェームズ・リーズンは、安全文化を整理する中で、「報告する文化」という要素にも触れていました。英語ではReporting Cultureと呼ばれる考え方です。
報告する文化とは、悪い知らせほど、早く、正確に、現場から上に伝わる状態のことを指します。
この報告する文化と、公正な文化には、切っても切り離せない関係があります。公正に扱われてきたという信頼があるから、人は正直に話す。そして、正直に話された事実があるから、組織は公正な判断ができる。どちらか一方だけでは、成り立ちません。
好循環と悪循環
この関係は、うまく回れば好循環になり、どこかで崩れると悪循環に転じます。
好循環はこうです。正直に話しても公正に扱われるという安心感があるので、現場は事実をありのまま報告します。実態が正確に伝わるので、組織は罰ではなく仕組みの改善という適切な対応を取れます。その対応を見て、現場はますます報告してよかったと感じ、次の報告へとつながります。
悪循環は、これが逆に回るところから始まります。一度でも、正直に話した人が不当に重く扱われたと感じる出来事が起きれば、同じ立場の人たちは「正直に言うと損をする」と学習し、都合の悪いことには口をつぐむようになります。
実態が見えなくなった組織は、見えない不安を埋めるように、一律に厳しいルールや処分で対応しようとします。それが、さらに口をつぐむ理由を強めてしまう――これが悪循環です。
シリーズ2『気づいていたのに、なぜ事故は止められなかったか』で紹介した医療事故も、見方を変えれば、声を上げる仕組みがうまく機能しなかった、報告する文化の崩れの一例だったと言えます。
好循環を支える、具体的な仕組み
この好循環は、精神論や心がけだけで保たれるものではありません。安全文化の研究では、好循環を支える制度的な工夫がいくつも報告されています。
代表的なのが、調査する側と処分する側を構造的に分ける、という工夫と、自己申告に一定の免責を与える、という工夫です。
たとえば、航空業界には、パイロットや管制官が自らのミスやヒヤリハットを匿名で報告できるASRS(航空安全報告制度)という仕組みがあります。医療分野にも、同僚どうしの検証記録を訴訟などから保護する制度や、謝罪の言葉が過失の証拠として扱われないようにする法律があります。いずれも、「正直に話しても不利にならない」という設計によって、正確な事実を集めることを可能にしています。
次回に向けて
ここまで、公正な文化が機能するためには、その前提として、正直に話せる報告する文化が必要だということを見てきました。
けれど、こうした好循環も、ルールも制度も、一人ひとりの心がけだけで作り、維持できるものではありません。個人の行動を変えるだけでは足りない場面があることについて、シリーズ6『一人を処分しても、また同じことが起きるわけ』で扱います。
参考:James Reason, Managing the Risks of Organisational Accidents (1997)
シリーズ全6回「なぜルールを増やしても不祥事はなくならないのか」
シリーズ1:ミスを厳しく罰してもミスが減らないわけ
シリーズ2:気づいていたのに、なぜ事故は止められなかったか
シリーズ3:罰していい人と、そうでない人の見分け方
シリーズ4:遅刻に罰金を科したら、遅刻がもっと増えたわけ
シリーズ5:なぜ誰も正直に報告してくれないのか(この記事)
シリーズ6:一人を処分しても、また同じことが起きるわけ