
創作大賞に応募する作品を書き終えて
第二の思春期と第一の思春期を重ねることで文章を書いた。
春を思ってるうちに、春は過ぎ、5月病を超えて、ジメジメしてる6月。
この夏をどう乗り切ればいいのか、僕にはまだわからないのだ。
僕は今日も生きている。そして明日も生きるだろう。
僕はまだ生きている。そして明日は来るのだろう。
ミッドライフクライシス真っ只中、思いの丈を言葉にした。
抱え切れないから、言葉に置き換えたとも言える。
とにかく、応募作品は書き終えた。
あれから電池が切れた人形みたいに動かなくなっている自分がいる。
文章を書き出して、自分自身と向き合い、自分の生き方を整理していた。
引っ越し前の片付けのように、散らかった思考と折り合いをつけていた。
そして今空っぽの頭で眺めながら、その場に立ち尽くす自分がいる。
何でもできる希望と何にもできない絶望が毎日入れ替わり立ち替わる。
生きる意味を見出して、生きる原動力を振り絞る。
そうやって毎日を生きる、生き延びるしかない。
もっと単純明快な、本能的な生きる意味に従えれば楽になれる。
だから人々は生命のバトンを繋いでいく。
人生は長い。
持て余すほどに長い。
自分の為だけに生きるにはあまりにも長すぎるのだ。
あれこれ御託を並べ眺める内に日が暮れる。
それでも人生は続いていく。
それはいつの時代だって変わらない。
自分なりのやり方で、自分らしいやり方で、
僕にできる何かを次の世代に残せたら、
それは一つの生きた証になるのだろう。
その為に今日をどう生きる、どう生き延びて、
奪われず、奪い取らず、守るべき者と自分自身を、
明日につなげていけるのだろうか。
また考えて、振り出しに戻って、考える。
ただ、太陽の暖かさを噛み締めるように生きていたいだけなのに、
それがこんなにも難しいのか、難しく考えているだけなのか。
真面目に生きる人が報われようとも報われなくとも、
真面目に生きようとした過程が人生になるのだと、
そこにその人の生き様が現れるのだと信じていたい。
走り出さないペンのように、一言目が重い。
心に秘めた言葉が重くなればなるほど、一歩目が重くなる。
器用に生きようとするからわからなくなる。
不器用のまま生きれるほど世の中は優しくない。
だから、もがき苦しくなる。
不器用は不器用なりに生き延びるしかないだろうか。
それでも自分らしく生き延びるんだと、そう心に決めるしかない。
そしてその生き様に誇りを持つしかない。
自分を蔑ろにしないと心に決めて、歩き出すしかない。
前向きな言葉でもない。
後ろ向きな気持ちでもない。
ありたい自分であるしかない。
そんな生き方しかできないのではなく、
これが自分の生き方だと証明するしかないのだ。
その途中にこの作品を添えることにする。
ここにある言葉があなたと重なって、誰かの心に残ると信じて。
【創作大賞応募作品 5選】