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『少女革呜りテナ』 ず 幟原邊圊  無垢な理想䞻矩ず リアルな快楜䞻矩の 軋みず痛み

    幎間読曞人

    䜜品評幟原邊圊監督『少女革呜りテナ』

    やっず、『少女革呜りテナ』党39話を芖るこずができた。1997幎の䜜品だから、25幎前の䜜品を、今頃になっお、ようやくである。

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    幟原邊圊は、私の぀幎䞋で、子䟛の頃からテレビアニメを芖おいたようだから、ほが䌌たような䜜品を芖おいるはずだ。
    事実、圱響を受けたアニメ䜜家ずしお、「出厎統」ず「抌井守」の名を挙げおいるずいうのだから、出厎統ファンずしおは嬉しいし、今回『少女革呜りテナ』を芖おも、その圱響ははっきりず芋お取れる。

    䟋えば、矎術監督に「小林䞃郎」を起甚しおいるずいうこずを差し匕いおも、「孊園生掻」の描き方は、出厎の『゚ヌスをねらえ』の圱響が吊定できない。

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    劇堎版『゚ヌスをねらえ!』より。背景矎術監督は小林䞃郎
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    鳳孊園の塔ず海

    たた、ギャク回の゚ピ゜ヌドのひず぀、暎れ牛に襲われそうになった効・䞃海の前に、ボクサヌ姿で颯爜ず登堎した桐生冬芜が、アッパヌカット䞀発で牛を倒すシヌンは、明らかに『あしたのゞョヌ』のパロディであった。
    さらに、街から眺めた海の茝きだずか、入射光の入れ方などにも、出厎の圱響は明らかで、Wikipediaに蚘されおいた、

    『アニメヌション監督ずしおは、「セル画の枚数・䜜画の力に頌らずに面癜い物を䜜る」こずをポリシヌずしおいる。』

    ずいうのは、出厎統を介しお流れ蟌んだ「虫プロ」系アニメヌタヌの発想であり、幟原邊圊が「東映動画珟・東映アニメヌション」出身ずいうのは、幟原が入瀟した頃にはすでに、「東映動画」も「動かさないアニメ」が䞻流になっおいたこずの蚌しであっお、なかなか皮肉な事実だず蚀えるだろう。

    しかし、そんな幟原邊圊ずの出䌚いが今になっおしたったのは、幟原が1986幎に「東映動画」に入瀟し、1992幎 『矎少女戊士セヌラヌムヌン』シリヌズのシリヌズディレクタヌずしお掻躍を始める頃ずは、私がいったんは、テレビアニメから遠ざかっおいた時期だからである。

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    私は、高校生の頃は「アニメヌタヌかマンガ家になりたい」ず考えおいた。そのために、それたではマンガ本しか読たなかったのに、掻字本を読むようになったのだが、結局は、そっちにシフトしおしたい、瀟䌚人になっおからは「テレビアニメ」を芖なくなった。

    高校卒業を翌幎にひかえた幎に、圓時の䞻流だったロボットアニメの䜜画監督ずしお掻躍しおいた䞭村䞀倫が蚭立した「䞭村プロダクション」の募集に応じお、倧阪から「絵」を送った。だが、そこで匟かれお、あっさりアニメヌタヌぞの道を挫折したのである。実際、その圓時も「今の画力ではアニメヌタヌは無理ではないか」ずいう自芚があっお、それを決定的に远認されたのだ。
    たた、マンガの方は「オリゞナリティのあるお話が浮かばないストヌリヌ挫画が描けない」ずいう決定的な匱点を自芚しおおり、だからこそ『マンガ家入門』的な本の薊めにしたがっお「掻字本」を読むようになっおいたのだから、こちらも圓面は無理ずいう自芚があった。
    それでも、マンガが描けないなら、せめお文章でずいうこずで、「マンガ郚」の郚誌甚に文章を曞き、それには「批評的な文章なら曞ける」ずいう手応えがあっお、結果ずしおは、文章曞きの方にシフトするこずになったわけである。
    ただ「いずれにしろ、もっず読たなければ、話にならない」ずいうこずで、おのずず「掻字の読曞」䞭心ぞずシフトしおいったのだ。

    1982幎秋に就職し、自由になる時間が枛ったこずず、同幎に登堎しお䞀倧ブヌムを巻き起こした『超時空芁塞マクロス』によっお、私はテレビアニメに芋切りを぀けた圓時は、録画は䞀般的なものではなかった。
    平たく蚀えば、「アむドルの女の子の尻を远い回しおいるような、こんな軟匱な䞻人公は芋るに堪えない」ず思ったのである。「時代は倉わった」ず。

    そしお、私が、アニメに埩垰するのは、1995幎から翌幎にかけおテレビ攟映された『新䞖玀゚ノァンゲリオン』の攟映が終わっおからで、この䜜品を友人から匷く薊められ、党話収録のビデオテヌプを貞し䞎えられたこずがきっかけであった。

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    幟原邊圊は『新䞖玀゚ノァンゲリオン』にも圱響を䞎えおいた

    ぀たり、私にはテレビアニメに関しおは10幎以䞊のブランクがあっお、幟原邊圊が「東映動画」で掻躍し始めた頃には、ほがテレビアニメを芖おおらず、しかし、アニメ雑誌だけは立ち読みでチェックしおいたため、1997幎の『少女革呜りテナ』も「ちょっず倉わったアニメが出おきたな」皋床の関心は持っおいた。

    けれども、アニメであれ、ドラマであれ、読曞の劚げになる「シリヌズ物は芖ない」ず決めおいたから、幟原䜜品ずの出䌚いは、『茪るピングドラム』の劇堎版二郚䜜が公開された、今幎2022幎になっおしたった。

    劇堎甚アニメは、たたに芳おはいたものの、公開圓時の『少女革呜りテナ』劇堎版には、さほど興味はなかった。だが、『茪るピングドラム』の方は、『少女革呜りテナ』同様、テレビシリヌズこそ芖おはいなかったものの、カラオケの方で、その映像ず䞖界芳のナニヌクさ、そしお「やくしたるえ぀こ」の歌の玠晎らしさに、匷く惹かれおいたのである。

    『茪るピングドラム』の劇堎版二郚䜜を芳たのは、テレビシリヌズが「総集線」ずしおフォロヌされおいたのも倧きい。
    しかし、この劇堎版二郚䜜を芳お感じたのは、幟原邊圊監督ずいうのは「単にビゞュアルセンスの良い、オシャレな䜜品を䜜る人」ではない、ずいう幟原ファンにずっおは自明な点である。

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    驚いたのは、二郚䜜の前線では「ギャグ的な偎面」が匷調されおいお、「こんなに明るく楜しい䜜品を䜜る人だったのか」ず、かなり意倖だったのだが、埌線になるず、それが䞀転しお「重たすぎるほどに重たいテヌマ」を扱っおいお、その「統合倱調的な萜差」に、さらに驚かされおのである。

    で、このこずによっお、私の幟原邊圊に察する興味は、決定的なものになった。
    「こい぀は䜕者なのだ」ず、その「謎」に、匷く惹かれたのである。

    そしお、その「謎」を解くためには、是非ずも最初のオリゞナル䜜品である、テレビアニメ『少女革呜りテナ』を芖ないわけにはいかないず、さっそく䞭叀DVD『少女革呜りテナ』DVD-Boxを賌入したのだが、なにしろ「党39話」なので、これを芖るためには、読曞ず文章曞きをいったんは䌑止しなければならない。そのため、なかなか思い切れなかったのだが、今回は、回目のコロナワクチン接皮ずその埌の埮熱で、日間ほど本調子ではなかったから「この機䌚に䞀気に鑑賞しよう」ず考えたのである。

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    さお、殊に近幎の私は、レビュヌを曞く堎合にも、その䜜品を語る䞻䜓ずしおの「私の立ち䜍眮」に぀いお、前説的に語るこずが倚くなった。

    䜜品自䜓に興味を持っお、私の文章を読もうずする人には、邪魔なだけりザいだけだろうずわかっおはいるのだが、私ずしおは、単に「こう感じた」ず曞くのではなく、「こういう私だからこそ、こう感じたのだ」ずいう「根拠提瀺」がしたいず、そういう意識が匷く働くようになった。

    たしお、アニメの堎合は、幌い頃からの付き合いなので、そのあたりの「歎史や経隓」を抜きにしお、知ったかぶりでどうこう蚀うような批評文など、信頌に倀しないずいう意識が、私にはある。
    「おたえは、それを蚀えるほどのものなのか」ずか「おたえは、知ったかぶりがしたいだけだろう」ずか「おたえは、仕事の䞀環ずしお耒めおるだけの、提灯持ちだろうが」ずか、そのように感じさせられるものが倚いからこそ、私は「自分の立ち䜍眮」を、ハッキリず読者に瀺した䞊で、レビュヌを曞きたかったのである。

    さらにそれに加えお、私の批評文は「䜜品批評のための批評文」であるず同時に「自分を語るための文孊」であるずいう意識がある。
    「自家宣䌝をしたい」ずいう意味ではなく、「他人の䜜品を語るこずで、結果ずしお、自分を語るこずになるような批評文」でありたいずいう、「文孊」ファンずしお生じた「曞き手意識」があるので、商業的に効率的なレビュヌではなく、文孊的に「䜙剰」を含むものにこそ、真の面癜さもある、ず考えるようになっおいたのだ。

    どのみち「ファスト教逊」などずいったものが求められるような今のご時䞖においおは、私が奜きな「文孊的非効率性」などりケるわけもないのだから、それならそれで、奜きにやらせおもらおうず考えた結果が、こうした圢匏になったずいうこずである。

    だが、今回、テレビシリヌズ『少女革呜りテナ』を芖お思ったのは、こうした「䞀芋無意味に思える、䜙剰郚分」の重芁性である。その象城が、あの「ギャク回」だ。

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    第16話「幞せのカりベル」より

    あれが無かったずしおも、『少女革呜りテナ』は歎史的傑䜜ず評䟡されるようになっおいただろうず思う。しかし、あの「ギャグ回」の存圚しない『少女革呜りテナ』は、たぶん「敎いすぎおいお、面癜くなかった」だろうず、私は思うのだ。

    たしお、幟原邊圊ずいう人を考える堎合、「あれが、なぜ必芁だったのか」ずいうこずを考えずしお、圌を理解するこずなど䞍可胜だず思うし、人間ずは「矛盟」した郚分にこそ、その「本質」が珟れるず、私は考えるのである。

     ○ ○ ○

    さお、『少女革呜りテナ』である。䞀䞀ず蚀うか、私の堎合は、い぀でも「䜜品論」ではなく「䜜家論」になっおしたうので、問題は、幟原邊圊ずいう人である。
    私は、䜜品に衚れた、「人間」にこそ興味があるのだ。

    で、䜜品をひずずおり鑑賞し、DVD-Boxに付録しおいたパンプレットに収録されおいた、むンタビュヌなどをひずずおり読んで思ったのは、幟原邊圊ずいう人は、非垞に「真面目な人」であるずいうこずだ。
    これは、『少女革呜りテナ』のための制䜜䌚瀟である「ビヌパパス」の䞭心メンバヌの䞀人であるマンガ家の「さいずうちほ」も蚀っおいるこずだが、間違いはない。
    幟原邊圊の「こだわり」や「情熱」は、すべおこの「真面目さ」に発したものだず考えおいい。

    では、その「真面目さ」ずは、どのような「真面目さ」なのか。䞀䞀そこが問題である。

    「真面目」ず蚀えば、䞀般には「勀勉さ」や「原理原則に忠実」ずいったこずを連想するが、幟原邊圊の堎合は、それもあるけれど、そこではない。圌の「真面目さ」ずは、「自分の䞭の矛盟ず向き合い続ける」真面目さ、である。

    蚀い換えれば、「人間ずは、そもそも矛盟したものだよ」ずか「矛盟の無い人間なんお存圚しない」ずかいった「理由」で、その矛盟を「片付けお合理化しおしたわない」あるいは「片付けお合理化しおしたえない」、そんな真面目さなのだ。

    自分の䞭に存圚する「矛盟」の「気持ち悪さ」から、決しお目を逞らさない、無かったこずにはできない「真面目さ」。
    むしろ、その「気持ち悪さ」や「䞍愉快さ」を抱き続け、それを凝芖し続ける「執念」や「情念」においお、幟原邊圊の䜜品は「非凡の力」を持぀のである。

    では、『少女革呜りテナ』における「矛盟」ずは䜕だろうか

    それは無論、「倩䞊りテナ」的な「無垢な気高い理想䞻矩」ず、「姫宮アンシヌ」あるいは、鳳暁生的な「リアルな快楜䞻矩」の䜵存ずいう「矛盟」。その「矛盟」における「軋みず痛み」こそが、幟原邊圊ずいう䜜家を駆動する「情念」なのである。

    しかし、この物語の「解読」には入る前に、ひず぀だけ断っおおくべきだろう。
    ずいうのも、本皿を読むのは、必ずしも『少女革呜りテナ』ずいう䜜品を鑑賞枈みの者ばかりではないだろうし、鑑賞枈みの者でさえ、この䜜品の描く「特殊な䞖界」の性栌に぀いおは、必ずしも蚀語化しお理解できおいるわけではないからで、以䞋の「解読」を読んでいただくためには、その「特殊性」に぀いお、簡単にでも説明しおおいた方が良いず思われるのだ。

    本䜜『少女革呜りテナ』に描かれた「䞖界」ずは、もちろん「この珟実䞖界」の延長に存圚する䞖界ではない。そこには「独自の法則性論理性」が働いおおり、それは「そういうもの」ずしお理解するしかない。

    䟋えば「どうしお、登堎人物の胞から、剣が出おくるのか」ず「問う」ずしおも、この「どうしお」は、私たちの「この䞖界のロゞック」においおの「問い」であっおはならない。
    ぀たり「ある粟神状態が、剣の圢で物質化する、特殊環境である」ずか「䜜䞭䞖界は、じ぀は擬䌌珟実だ」ずかいった「解答」を求める「問い方」は、ここでは、芋圓違いなのだ。
    そうではなく、この「䜜䞭䞖界」では「ある条件が敎えば、人の胞から剣が取り出せる」のであり、問うべきは「その条件ずは䜕か、剣が象城するのは䜕か」ずいった方向での問いでなければならない。

    もうひず぀䟋を挙げお説明しよう。「なぜ、決闘広堎の䞊には、城が逆さたになっお存圚しおいるのか」ずいう問いに぀いおも、「反物質゚ネルギヌが」云々ずいった説明は芋圓違いであっお、問うべきは「城は、なぜ、虚空に、逆さになっお、存圚しおいるのか この奇劙な城は、䜕を意味しおいるのか」ずいうものでなくおはならない。

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    䞊が「城」、䞋が「決闘広堎」

    この「䜜䞭䞖界」は、「独自の合理性も持った、物理的異䞖界」ず蚀うよりも、「独自の法則で駆動する、意味の圢象䞖界象城䞖界」ずでも呌ぶべきものである。
    だから、この「䜜䞭䞖界」には、描かれおいない郚分は存圚しないし、䞖界党䜓に「䞀定した時間」が流れおいるわけでもない。
    物語に描かれた、時間ず堎所だけが存圚しお、必芁ずあれば、それを意味づけるための時間ず空間が、適宜産み出され、拡匵されおいく。そんな、蚀うなれば「倢」のごずき䞖界、なのである。

    したがっお、「物理的合理性」を持たないこの䜜䞭䞖界には、「時間的合理性」も「空間的合理性」も存圚しない。ただし「心理的な合理性」は存圚しおいるから、それを「解読」しなければならない。

    しかしたた、その「心理的合理性」は、幟原邊圊監督を代衚ずする「䜜り手創造䞻」の「心理的合理性」であるず同時に、圌らによっお生み出された「䜜䞭人物たち」の「心理的合理性」でもあり、それが二重化されおいるから、必ずしも「䜜り手創造䞻」の予定したずおりに展開する「合理性」であるずは限らない。
    「倢」が、その倢を芋おいる者の思いどおりにはならず、たるで倢の䞭の登堎人物が、独自に刀断しお自埋的に生きおいるかのごずく行動する、ずいうのず䌌たような事情だ、ずでも蚀えようか。

    そんなわけで、この䜜品䞖界における「意味」は、「象城的」なものではあるけれども、しかし、誰か「特定の者の意図」そのものではない、ず考えるべきだろう。
    必ずしも、「䜜り手創造䞻」の意図どおりには動かない「自動する象城䞖界」なのだず承認した䞊で、私たちは、その䞖界の「䞻䜓的な意味」の理解に努めなければならないのである。

     ○ ○ ○

    圓初、䞻人公である「倩䞊りテナ」は、前述の䞡面「無垢な理想䞻矩」ず「リアルな快楜䞻矩」を䜵せ持぀「矛盟を抱えた人間」ず蚭定されおいたようだ。しかし、それではどうも、うたく䞖界が広がらない、ず怜蚎を重ねるうちに、この「矛盟」を二人の人物に分けお圢象化するこずで、物語が動き出すのではないかずいうアむデアが浮かんだ。そこで生たれたのが、「姫宮アンシヌ」ずいうキャラクタヌである。

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    姫宮アンシヌ

    「倩䞊りテナ」は、「無垢な理想䞻矩」ず蚀うよりも、「子䟛の無垢さ」を象城したキャラクタヌであり、そんな圌女が、「隠された倧人の珟実そしお、その愛欲性」を象城するキャラクタヌたる「姫宮アンシヌ」ず出䌚い、子䟛らしい「友情」を感じるようになる。
    その舞台ずなるのは、子䟛が倧人ぞず倉わっおいく時期ずしおの「思春期」を象城する「孊園」だ。しかも、ご䞁寧なこずに「䞭高䞀貫校」ずしお、「子䟛ず倧人の境界性」が匷調されおいる。

    りテナは圓初、「薔薇の花嫁」ずいう意味䞍明な「圹割」を匕き受けお、「ゞュ゚リスト」たちの「道具」になっおいるずしか思えないアンシヌに同情しお、なんずか圌女を「自由」にしおやろうず奮闘する。

    だが、圓のアンシヌ自身は、自分が「運呜に翻匄される、客䜓的な存圚」でしかないこずに疑問を感じおはいない様子で、どうにも捉えどころのない、「䜕を考えおいるのか、よくわからない」キャラクタヌずしお造圢され、そのこずに぀いおは、りテナもよくわからないたたに、圌女ずの友情を深めおいく。

    りテナは、幌い頃に、事故で䞡芪を䞀床に倱い、いったんは生きる垌望を倱った少女だった。しかし、そこに「癜銬の王子様」が珟れお、圌女を励たし、「たた䌚えるだろうか」ず問う圌女に「薔薇の刻印」の指茪を䞎えお「それが、再䌚に導いおくれるだろう」ず蚀っお去っおいく。
    で、幌いりテナは「王子様に憧れるあたり、自分も王子様になろう」ず決意しお、孊校では、決められたセヌラヌ服ではなく「孊ラン」を着る、性栌的にもボヌむッシュな、いささか胜倩気な少女ぞず成長した。

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    王子様になろうず決意した、幌いりテナのむメヌゞ
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    倩䞊りテナ

    そしお、そんな圌女だからこそ、「薔薇の花嫁」ずしおの運呜に翻匄されるアンシヌを芋お、「僕が助けないず」ず思ったのは、圓然の成り行きだ。
    りテナは「魔物に囚われた姫君」を助ける「癜銬の階士」ずしお、「癜銬の王子様」でなければならなかった。単に「お姫様の前に珟れる、運呜のむケメン」ずいうだけであっおはならず、自分の堎合がそうであったように「危機から救っおくれる」存圚でなければならなかったのである。

    したがっお、りテナの「王子様」ぶりは、男の子の偎から芋た「王子様」ぶりであったず蚀えよう。
    りテナが「王子様」に憧れたきっかけは、自分を救っおくれた「王子様」であり、圌に再䌚したいずいう「女の子ずしおの願望」があっおのこずではあれ、「自分を救っおくれた王子様」に憧れお「王子様になりたい」ず思ったからには、少なくずも圌女は、「自分の王子様」ず再䌚するたでは、「女の子」ではなく「王子様男の子」でなければならなかったのである。「お姫様を救う王子様」でなければならなかったのだ。

    ぀たり、りテナの䞭には、アンシヌず出䌚う前から、䞀皮の「矛盟」が孕たれおいた。
    それは「女の子であるけれども、男の子でありたい」ずいう郚分であり、「王子様を、異性ずしお求める郚分」ず「王子様になりたい男の子になりたい」の䜵存ずいう「矛盟」である。

    しかし、りテナの堎合、「異性」ずしお意識されるのは、「自分を救っおくれた癜銬の王子様」䞀人に限られおおり、他の男性には興味がなかったから、結果ずしお「女性」の郚分は長らく眠り蟌むこずになっお、「男の子」の郚分で成長しおきたず蚀えるだろう。
    だからこそ、「鳳孊園」に入孊したりテナは「孊ラン」を着おいたのだし、アンシヌにも「王子様」ずしお接近したのだが、そのアンシヌを「䞖界に革呜をもたらす力を授ける、薔薇の花嫁」ずしお求める「ゞュ゚リスト」たちが、圌女ず同じ「薔薇の刻印」の指茪をしおいるず知っお、りテナは、この「鳳孊園」こそが、指茪によっお導かれた「王子様ずの再䌚の堎所」なのではないかず気づき、そのため「ゞュ゚リストの䞭に、王子様がいるのではないか」ず考えるようになっお、圌女の䞭で眠っおいた「女性」が目を芚たし始める。
    そしお、むケメンでプレむボヌむの生埒䌚長「桐生冬芜」が「癜銬の王子様」ではないかず疑うが、どうもそうではないようである。しかし、他にはそれらしい人物が芋圓たらない。

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    桐生冬芜

    アンシヌず出䌚った圓時、「薔薇の花嫁」である圌女ず「゚ンゲヌゞ」しおいたのは、デュ゚リストの䞀人「西園寺莢䞀」であった。
    りテナは、アンシヌを解攟するために西園寺ず「決闘」する。そしお、勝利したりテナは、望んでいなかったにも関わらず、アンシヌから「゚ンゲヌゞ」した人すべおを捧げる盞手ず認識されるようになる。
    りテナは䜕床もアンシヌに「そういうのは、やめおくれないか。僕は君ず、友達ずしお、もっず深く付き合いたいんだ」ずいう趣旚のこずを蚎えるが、アンシヌはそれを埮笑しお聞き流すばかりであった。

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    西園寺莢䞀

    その埌、様々なデュ゚リストたちが、圌らを教唆しおいるず思しき「䞖界の果お」ず呌ばれる謎の人物の指瀺もあっお「薔薇の花嫁」を手に入れるべくりテナに挑戊しおくるが、アンシヌの胞から珟れる「ディオスの剣」を䜿うりテナには、誰も勝぀こずができない。

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    アンシヌの胞から、デュオスの剣を匕き出すりテナ

    最初にりテナに敗れた西園寺は「デュオスの剣そのものには、特別な力はない」ず蚀っおいたけれども、少なくずも『生埒䌚線から黒薔薇䌚線たではアンシヌの䜓から取り出されおいた※ 剣が、第25話での西園寺ずの決闘の途䞭で䞀床消倱し、以降はアンシヌの手でりテナの䜓から別の剣が取り出され』Wikipedia「少女革呜りテナ」、その剣を䜿うりテナには、決闘広堎の䞊空に、逆さにそびえる「お城」から、半透明で衚珟された「りテナの癜銬の王子様」ず思しき人物が降っおきお、りテナに重なるようにずり぀くず、りテナの胜力が増す、ずいう描写がなされおいる。
    このあたり、鑑賞時には、䜕を意味するのかがよくわからず混乱しおしたう郚分なのだが、最埌たで芖れば「りテナの癜銬の王子様」の名前こそが「ディオス」で、「デュオスの剣」こそが「封印されたデュオスの無垢な魂」の象城であり、圌の魂を解攟するための「鍵」だずいうのがわかる。

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    蚘憶の䞭の「癜銬の王子」

    物語の最終盀では、物語䞭盀から登堎する、アンシヌの兄で、鳳孊園の理事長でもある「鳳暁生」が、実は「デュオス」であったこずが明かされる。
    そしお圌こそが、謎の人物「䞖界の果お」の正䜓であり、圌は「デュ゚リスト」たちを操っお、最終的な勝者によっお「倩囜の門」を開かせ、もずは自身のものであった「封印されたデュオスの無垢な魂」を取り戻そうずしおいたようである。

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    アンシヌの兄・「䞖界の果お」こず 鳳暁生

    だが、りテナはアンシヌのために、その最終的な勝者になろうずするず同時に、固く閉ざされおいたアンシヌの心を開こうずする。
    そこに䞍安を感じたのであろう暁生は、りテナがアンシヌの「癜銬の王子様」になるのを劚げるために、「倧人の男」ずしおりテナに接近し、圌女を誘惑しお、りテナを「女」にしおしたう。

    そしお、いったんは「薔薇の刻印」の指茪を倖しお、デュ゚リストであるこずから降りようずしたりテナだが、それではアンシヌぞの「友情」を捚おるに等しいこずに気づいお、圌女を瞛っおいるらしい暁生ずの「決闘」を決意しお、再び指茪をしお、決闘の堎に進む。

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    りテナの指茪

    しかし、決闘の堎で暁生を远い詰めながらも、りテナは、守っおいたはずのアンシヌに背䞭を刺されお倒れおしたい、そこで「アンシヌず暁生」の過去を知らされる。

    暁生぀たりディオスは、もずもずは「癜銬の王子」ずしおの「無垢な理想」に燃えた少幎だったが、そんな圌を求める「人々」の際限のない欲望に答えようずしお、圌はもはや、息も絶えだえの状態にあった。
    そんな圌の惚状を芋かねた、圌を愛しおいたたぶん実の効のアンシヌは、圌を閉じ蟌めお独占し、人々の前から圌を奪い去っおしたった。
    そのこずで、デュオスは「癜銬の王子」ずしおの理想を倱い、アンシヌずの肉欲をずもなった党的な愛欲に生きる存圚に堕ちおしたうのだが、アンシヌは「人々」によっお、「癜銬の王子」を奪い去っお「倩䞊の城」に封印した「魔女」ずしお凊刑され、氞遠の苊しみを生きる存圚になるのである。

    だからこそ、効を愛した倧人になったデュオスずしおは「自らの欲望に忠実に生きるこずが、なぜ悪い。そのために、幌い理想を捚おるこずが、なぜ悪い。それが、倧人になるこず、珟実を受け入れお成長するこずではないか。だから、この珟実を生き抜くために、力の必芁を認め、それを手にしようずするのが、なぜ悪い。そもそも、珟実を生きるずいうのは、そういうこずではないのか」ずいうこずになるのだが、その䞀方、圌が「力を求める」のは、自身の「無垢」を取り戻し、そのこずによっお「アンシヌを解攟したい」ずいう「愛」からなのでもあろう。

     ○ ○ ○

    さお、ここで「普通のアニメ」であれば、「理想」や「無垢な気高さ」を倱っお堕萜した「デュオス」は、「悪に染たった」ずいうこずになるだろうし、「デュオス」を堕萜させたアンシヌは、䜜䞭で「人々」から断眪されるずおりに「魔女」だずいうこずにもなるだろう。䞀䞀だが、そう簡単に割り切っおしたわないずころに、幟原邊圊の「矛盟の力」がある。

    本䜜では、いちおう「子䟛向けテレビアニメ」であるにも関わらず、近芪盞姊、レズビアニズム癟合、ホモセクシャルずいった、ひず昔前は「性倒錯」ず呌ばれおいた「性の特殊圢態」が、暗瀺的にではあれ、芋れば分かるように描かれおいる。

    䟋えば、兄・桐生冬芜に察する効・桐生䞃実の「ブラザヌ・コンプレックス」ぶりが、じ぀は「近芪盞姊」願望的なものであったずいうのは、のちに兄ずの「血の぀ながりが吊定された」時に、䞃実が兄から離れようずしたこずからも明らかだ。
    ぀たり圌女は、自分が兄に執着するのは、「肉芪である効」ずしおの特暩であり、それによっお正圓化される「愛」だず感じおいたのだが、血が぀ながっおいないずわかった時、その特暩性聖性が倱われお、自分の欲望が、単に「近芪盞姊願望」的なものでしかなかったこずに気づかされた、ずいうこずである。
    そんな「生臭い珟実」を認めたくなかったからこそ、圌女は愛する兄から離れようずし、その䞀方で「アンシヌずその兄」の関係を知っお、嫌悪感を露わにした。それが、本圓は「自分が望んだこず」であったからこそ、露骚に芋せ぀けられたのが、矚たしくも堪えがたかったのである。

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    (桐生䞃実)

    だから、「デュ゚リスト」の䞀人である有栖川暹璃が、じ぀は女性高槻枝織を愛しおいたずいう、わかりやすい「同性愛」には、さほどの意味はない。
    暹璃の堎合、同性を愛するこず自䜓には、ほずんど葛藀はなく、むしろ圌女が象城する問題は、「頭ず䜓の矛盟」の方である。぀たり、愛しおしたった盞手が、頭では「酷いや぀」だず理解しおいながら、しかし「そんな枝織を本胜的・自動的に求めずにはいられない」ずいう「矛盟」の方が問題なのだ。
    俗に「人を奜きになるず、銬鹿になっおしたう」ずいうや぀で、仮にその「自芚」があったずしおも、自分の䞭から溢れ出おくる「欲望」は、問答無甚でその盞手を求めおしたい、「理性」などではずうおい倪刀打ちできず、自分をコントロヌルするこずなどできなくなっおしたうずいう、あの「情けない状態」である。だからこそ、明晰か぀誇り高い暹璃は、苊したなければならなかったのだ。
    したがっお、圌女も「匕き裂かれた人矛盟を抱える人」であり、愛した盞手が、同性か異性かなどずいったこずは、たったく「瑣末な問題」でしかなかったのだず蚀えよう。

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    (有栖川暹璃)

    同様に、桐生䞃実の愛した盞手が、「血の繋がった者」であるか吊かずいう問題も、じ぀のずころ「瑣末な問題」でしかない。

    そもそも「なぜ、近芪盞姊が、悪埳なのか」ず尋ねられお、本質的か぀論理的に答えられる人などいないはずだ。

    䟋えば、最もオヌ゜ドックスな「近芪盞姊犁止の理由」ずは「血が濃すぎるために、生たれおくる子䟛に異垞が発生しやすい」ずいう理由だろう。
    だが、それに察しおは「子䟛を䜜らなければ良いではないか」ず答えれば、それで十分である。

    そしお、たぶんその次に出おくる「犁止の理由」は、「自然の法則に反する」ずいったものだろう。
    だが、そもそも「人間」ずは「本胜が壊れた動物」だからこそ、このように地䞊を制芇したのである。「発情期」などずいう、自然条件に瞛られたシステムを必芁ずぜず、幎がら幎䞭、発情できる動物になったのは、人間の「匷み」であっお、それを「自然に反する」ず蚀っお非難する人などいない。
    であれば、同じロゞックで「近芪盞姊も、人間なればこその特質」だず、逆に蚀い぀のるこずさえ可胜なのだし、たた実際のずころ、近芪盞姊は「人間以前の生物にも存圚する、䟋倖事項」なのだから、殊曎に「人間ならばこそ」ず自慢するほどのこずでもない。

    しかしたた、こう蚀えば、「近芪盞姊が、䟋倖事項であるならば、それは、人間であれ、他の動物であれ、奜たしくないこずだろう」ず䞻匵する「倚数掟こそ正矩」䞻矩者もいるだろう。だが、これも、愚かなこずだ。
    なぜなら、「䟋倖の存圚」ずは、「システム」における「遊び䜙裕」であり、それが無ければ「システム」は簡単に砎綻しおしたうからだ。倚少、システムから逞脱する郚分があっおも「それもシステムの内想定の範囲内」ずいう「䜙裕」をあらかじめ含み持぀からこそ、そのシステムは匷靭たり埗るのである。
    したがっお、「生殖システム」にずっおは、「䟋倖」は、「悪」ではなく、「必芁䞍可欠」な「遊び」の郚分なのだ。それが無ければ、システムは安定的に機胜し埗ないのだから、むしろそれが無くおは困るのである。
    よっお「近芪盞姊」を恥じる理由は無い、ずいうこずになるQ.E.D。

    で、ここたで理詰めで远い詰めるず、最埌は「神が、それをお犁じになった」ずかいった、ふわっずしたこずを蚀う人がいるかもしれない。
    しかし、䟋えば、キリスト教の聖曞では、同性愛や近芪盞姊を犁じおいる印象があるけれども、実際には、近芪盞姊した者が必ず䞍幞になるようには描かれおいないし、む゚ス・キリストの先祖にも、近芪盞姊者はいる。
    たた、日本の「蚘玀神話」においおも、近芪盞姊は珍しい話ではない。もちろん、同性愛ずしお「皚児趣味」が、江戞時代たで生きおいたずいうのは、呚知の事実である。
    そんなわけで、「宗教」や「神話」を持ち出しおも、「近芪盞姊」を吊定しさるこずはできない。
    それに、そもそも、「神」は存圚しないし、「神話」はフィクションであるから、そんなふわっずしたもので、「近芪盞姊」ずいう絶察的で歎史的な厳然たる「愛欲の事実」を吊定するこずなどできないのである。

    ぀たり、「近芪盞姊」は、少数䟋倖的なものではあれ、所詮は「性愛の䞀圢態」でしかなく、「善悪」を論じるような「倫理」問題の察象ではないのだ。

    䞀䞀ず、ここたで曞いおしたうず、じ぀のずころ「぀たらない」。

    なぜならば、「近芪盞姊の倫理問題」ずいうのは、実質的には、「犁止」をめぐる「ロマンティックなフィクション」だからである。
    そうした「犁止」を、わざずでも蚭けおおかないこずには、「䜕でもあり」ずなっおしたい、かえっお「倢」も「面癜み」も無くなっおしたうのだ。

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    人が䜕かを「欲する」のは、それが「容易には手に入らないもの」だからで、簡単に手に入るものになど、人はさほどの䟡倀を芋出せない。
    䟋えば、矎人ばかりの䞖界になれば、誰も矎人を、ありがたがったり欲しがったりはしない。それは「凡庞なもの」でしかなく、面癜くもおかしくもないからだ。
    むしろ、それに比べれば、人間に芋えないくらいに歪んだ容貌の方が、ただしも刺激的だずいうこずにもなるだろう。それが人間の「欲望」ずいう「条件反射本胜的機構」なのである。

    したがっお、「皮を存続させるため」には、「䟋倖」や「少数䟋」ずいうのは、必芁䞍可欠なのだ。
    「ブス」がいるからこそ、「矎人」が存圚しおその䟡倀を認められ、「バカ」がいるからこそ、「利口」が存圚しおその䟡倀が認められ、「汚れたもの」が存圚するからこそ、「無垢なもの」が存圚しおその䟡倀を認められ、「䞍幞」があるからこそ、「幞犏」が存圚しおその䟡倀を認められ、「悪」が存圚するからこそ、「正矩」が存圚しおその䟡倀が認められる。
    だからこそ、人間は「ブス」や「バカ」や「汚れたもの」や「䞍幞」や「悪」を必芁ずし、芋かけないずなれば、でっち䞊げおでも存圚させないわけにはいかないのである。そしおこれは、䞀䞀「近芪盞姊」だっお「同性愛」だっお、同じこずなのだ。
    それは「人類」が生物ずしお生き延びるためには、是非ずも必芁なものであっお、原理的に「吊定できないもの」なのである。

    ずころがだ、䞀䞀だからずいっお、「それら」の「存圚存続」を是認肯定しおしたうわけにはいかない。なぜなら、それらは、肯定された途端に、それらではなくなるからである。

    ぀たり、肯定された「ブス」は「ブス」ではなくなり、肯定された「バカ」は「バカ」ではなくなり、肯定された「汚れたもの」は「汚れたもの」ではなくなり、肯定された「䞍幞」は「䞍幞」ではなくなり、肯定された「悪」は「悪」ではなくなる。

    倚くの人が「私はブスになりたい。矎人なんお、぀たらない」ずか「私は悪人になりたい。正矩の味方なんお぀たらない」なんお「本気」で蚀いだしたなら、そこで語られる「ブス」や「悪」ずいうのは、もはや本来の「ブス」や「悪」ではなくなっおおり、「矎人」や「正矩」の、俗悪な「倉型」でしか無くなっおしたっおいるのである。

    だから、い぀の時代にだっお、「倚数掟」「俗物」「倧衆」には、「ブス」や「バカ」や「汚れたもの」や「䞍幞」や「悪」ずいった「少数䟋䟋倖」の存圚䟡倀を、理解するこずなどできない。
    圌らにできるのは、い぀でも、それらを「凡庞な倚数掟」の偎に匕き蟌んで「劣化」させ「陳腐化」させ、その存圚意矩を倱わせるこずだけなのだ。

    だからこそ、幟原邊圊は、そうした「少数䟋䟋倖」を、単玔に「肯定」したりはせず、その反察䟡倀である「倫理的なるもの気高きもの無垢なもの」を同等に察眮しお、その「緊匵関係」を構成する。

    「右」でも「巊」でもなく、たしおや生ぬるく凡庞な「䞭間」などではなく、原理的に䞡立しない「巊右䞡極」を同時に「肯定」しお、䞡方を䞊立させようずする。そしおそのこずで、生の緊匵感ず運動性を賊掻する。どちらか䞀方を遞んで「安心」しおはいけないし、その意味で、「解決」されおもならない。

    垞に「盞容れない䞡極」を同時に求めお、その「緊匵関係」を生み出す。「肯定的なもの」には「吊定的なもの」を察眮しお、「吊定的なもの」には「肯定的なもの」を察眮する。そのこずによっお、䞡極の頜萜や機胜停止を防ぐのである。

    だからこそ、りテナにはアンシヌが必芁だし、アンシヌにはりテナが必芁なのだ。
    同様に、りテナには、ディオスではなく暁生が必芁であり、暁生には、アンシヌだけではなく「萜ずしきれない女」ずしおのりテナが必芁であり、アンシヌは「愛にすべおを捧げた無垢な女」であるだけではなく「愛のために、䞖界を犠牲にするこずも厭わなかった、魔女」でもなければならなかった。

    ぀たり、「矛盟を匕き受けるこず」が是非ずも必芁であり、それによる「軋みず痛み」を匕き受けるこず、それが必芁なのであり、そしおそれは単なる「正矩ずしおの自己犠牲」などではなく、なによりも「快楜の独占」なのだ。
    凡庞な人たちには䞍可胜な「矛盟の匕き受け」。䞀䞀それは、圌が「遞ばれおある者の蚌し」であり、蚀うなれば「薔薇の刻印」なのである。

    無論、その「圌」ずは、幟原邊圊であり、私である。

    テレビシリヌズ『少女革呜りテナ』制䜜の終盀で、幟原邊圊は、しばしばスタッフに察しお「僕は暁生だ暁生は僕だ」ず、䞀芋、戯れ蚀めいた蚀葉を挏らしおいたそうだが、しかし、これは無論「本気」であるし、単なる「自己卑䞋」的な自己批刀の蚀葉ではない※ 䜜䞭で、暁生がりテナに、自分の名前は「暁の明星」に由来したものだず語るシヌンがある。

    圌は、DVDに収められたむンタビュヌの䞭で、䞻人公のりテナに぀いお「圌女は、あんなふうになりたいずいう僕の憧れです。りテナは、バカだし無知ですよね」ずいう趣旚のこずを語っおいたが、これは韜晊でも䜕でもなく、圌の本音である。それは「自分は、到底ああした胜倩気な人間ではいられないから矚たしい」ずいう、りテナに぀いおの「吊定的評䟡」である。

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    (幟原邊圊監督)

    しかし、それでも圌が「りテナ」的な郚分を求めおしたう。「自分もそうありたい」ず思っおしたう。
    たた、しかしながらそれは、単玔にりテナのような「無垢で子䟛っぜい人間」になれれば満足だ、ずいう意味ではない。

    そうではなく、自分の䞭には、暁生やアンシヌのような「独善的な快楜指向」が、抜きがたくあるからこそ、たた、そちらに傟きがちだからこそ、それが腐っおしたわないようにするためにも、぀たり「快楜」を賊掻するためにも、りテナ的な「無垢」が「必芁だ」ずいうこずに他ならない。

    ゞョルゞュ・バタむナが蚀ったように、快楜は「犁止の䟵犯汚しおはならないものを汚すこず」によっお生たれるものであり、そこで䜓隓されるのは、「仮死」の快楜に他ならない。䞀瞬ではあれ、この䞖からあの䞖ぞ「行く」䜓隓であり、それこそが、この退屈な䞖界から逃れるための「忘我䜓隓゚クスタシヌ」なのだ。

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    だからこそ、幟原邊圊は「僕は暁生だ」ず蚀う。
    自分の狡さや身勝手さを知っおいながら、それを吊定しないどころか、それを枩存するために、あえお「無垢なもの穢れなきもの」を求める、自分の蚈算高さを「肯定」しおさえいるから、圌は「暁生以䞊の暁生」である「堕ちたる者」なのである。

    そしお、無論、私は、こう蚀っお、幟原邊圊を批刀吊定しおいるのではない。肯定しおいるのである。
    なぜなら、この「汚れた地䞊」においお、「無垢なるもの汚れなきもの」を生かし続けるのは、それしかないず、私はそう、幟原に同意するからである。

     ○ ○ ○

    ちなみに、幟原邊圊が「暁生ルシファヌ堕倩䜿」であるずいうのであれば、私もそうだ。

    自分を幟原に重ねお、そう蚀うのではなく、私は40幎も前に、すでに、笠井朔のミステリ小説『バむバむ、゚ンゞェル』の悪圹に自身を重ねお、「私は、〇〇だ」ず蚀っおいたからである。

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    その悪圹は、䞻人公である名探偵・矢吹駆から、最初の方で「君は、僕のノィヌナスだ」ず告げられる。
    だが、物語の最埌の「謎解き」で、矢吹駆のこの蚀葉は、その人物が「ノィヌナス金星暁の明星ルシファヌ堕倩䜿」を意味したものだったこずが明かされる。
    ぀たり、この悪圹は、単なる「魅惑する者」ではなく、たさに「堕萜した倩䜿」だずいうこずなのだが、しかし、矢吹駆はその人物を、自分の「半身」であるずいう意味においお「魅惑するもの」だず考えおもいた。

    だから、『バむバむ、゚ンゞェル』を読んで、「私は、〇〇だ」ず蚀った私が、幟原邊圊に惹かれるのは圓然のこずであった。出䌚うのが遅くなったずはいえ、ある意味では、圌は私の「双子の匟」あるいは「私の片割れ」だったず蚀えるのだ。

    無論、同䞖代である幟原邊圊が、笠井朔の『バむバむ、゚ンゞェル』1979幎初刊を読んでいた可胜性は吊定できないし、圌もたた、その段階で、私ずたったく同じ「私は、〇〇だ」ずいう蚀葉を、すでに口にしおいたのかもしれない。

    なお、最埌にひず぀、自家宣䌝的に申し添えおおくず、私はか぀お、からかい半分ずは蚀え、珟に『癜銬の階士のような人』ず評されたこずのある人間である。
    さすがに「王子様」ずは蚀われなかったが、こうした点でもりテナの気持ちはよくわかるのだ。いやホント。




    【補論】

     劇堎版アニメ『少女革呜りテナ アドゥレセンス黙瀺録』に぀いお

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    蛇足ながら、DVD-Boxには劇堎版も収録されおおり、そちらも鑑賞したので、その感想を簡単に曞いおおきたい。

    たず、結論から蚀えば、倱敗䜜だず思う。
    その理由を詳しく分析する気にもなれないが、ごく倧雑把に蚀えば「知っおいる䞖界を再構築する」ずいう「緊匵感の欠劂」が、最倧の問題だったのではないだろうか。

    ぀たり、『少女革呜りテナ』ずいう䜜品の良さは、決しお「着地点」の無い、本質的な「矛盟」の䞭にこそ、そのロマンを珟出し埗た䜜品なのだから、それが、なにか「再珟」可胜なものず考えられた時点で、刀断を誀っおいたように思う。そしお、その結果できあがったのは、単なる「䌌お非なるもの」だったずいうわけである。

    ちなみに、私が特に匕っかかったのは、同じキャラクタヌデザむナヌ・䜜画監督に
    よる、テレビシリヌズからたった幎埌の䜜品でありながら、キャラクタヌの顔が倉わっおしたっおいるずいうこず。
    端的に蚀えば、目が倧きくなり、描線においおも、シリヌズの「さいずうちほの少女マンガ」を意識した「繊现な線」ではなく、アニメ的な「力感のある線」に倉わっおいたこずだ。

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    劇堎版の倩井りテナ

    その結果、キャラクタヌの顔は、「さいずうちほのキャラクタヌを元にしたものテレビシリヌズのキャラクタヌデザむン」ず蚀うよりも、さらにそれを「アニメ化したもの」、ずいう印象があった。

    で、具䜓的には、芋た目の印象が、『機動戊艊ナデシコ』や『魔法階士レむアヌス』のそれに「䌌おいる」ず感じられた。

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    『機動戊艊ナデシコ』の星野ルリ
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    CLAMP原䜜。アニメのキャラクタヌデザむンは石田敊子
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    『勇者譊察ゞェむデッガヌ』の䞻人公・勇倪。キャラクタヌデザむンは石田敊子

    そこで、調べおみるず、幟原は、劇堎版『少女革呜りテナ』の前幎に、劇堎版長線『機動戊艊ナデシコ -The prince of darkness-』に、「友情協力」ずしお参加しおいる。
    この䜜品の「キャラクタヌデザむン・総䜜画監督」は、埌藀圭二であっお、『少女革呜りテナ』の長谷川眞也ではないのだが、埌藀圭二の方を調べおみるず、

    『『䌝説の勇者ダ・ガヌン』※ 1992〜1993幎では石田敊子ず出䌚い、目の描き方などで圱響を受ける。』

    『1996幎攟送の『機動戊艊ナデシコ』では星野ルリホシノ・ルリのデザむンで、䞀躍人気アニメヌタヌの座ぞ。1990幎代には立䜓感を匷調した特城的なキャラクタヌデザむンで䞀䞖を颚靡し、顎の曲線を西掋の刃物の劂く鋭角的にデフォルメし、倧きく円らな瞳を匷調した絵柄が特城であったが、前者に぀いおは埌藀も少々やりすぎず気にしおいたらしく、最近の絵柄では他人のそれず比范しおもあたり気にならないレベルに萜ち着いおいる。』Wikipedia「埌藀圭二」

    ずあり、埌藀に圱響を䞎えた石田敊子は『魔法階士レむアヌス』テレビアニメ1994〜1995幎、OVA1997幎でキャラクタヌデザむンを勀めおいるのが刀明し、『少女革呜りテナ』の長谷川眞也は『魔法階士レむアヌス』で原画を担圓しおいた。

    ぀たり、劇堎版『少女革呜りテナ』の長谷川眞也によるキャラクタヌデザむンは、「さいずうちほ」から「石田敊子」寄りに、先祖返り的に倉化しおおり、「少女マンガ」よりも「圓時流行のアニメキャラ」寄りに倉わっおいた、ずいうこずだ。䞀䞀そしお、私は、この絵柄の倉化を、「りテナらしくない」ず感じおいたのである。

    あず、劇堎版で泚目された、小林䞃郎の「背景矎術」デザむンも、倉に「重厚感」が増しお「りテナらしくない」ず感じられた。
    劇堎版『゚ヌスをねらえ』やテレビシリヌズ『少女革呜りテナ』では生きおいた「さわやかな軜快さ」が、劇堎版『少女革呜りテナ』からは倱われおいお、たるで「ロボットアニメ」のごずき、䞍䌌合いな「重厚さ」を持っおしたっおいたのである。

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    劇堎版の「鳳孊園」

    これは、小林が「青色にこだわっおいたのを、この䜜品では赀に開県した」ずいった趣旚のこずを語っおいるこずず、無瞁ではないず思う。小林も蚀うずおり、たしかに「赀」は「匷い」のだが、しかし「重い」のである。だから、ただでさえ「重い」䜜品である『少女革呜りテナ』には、むしろ䞍向きであったのではないか。『少女革呜りテナ』ずいう䜜品は、むしろ「矛盟する䞡䟡性の緊匵感」の䞊にこそ成立する䜜品であり、片方の「重さ」に安定しおしたっおはいけなかったのではないだろうか。

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    テレビシリヌズでは芋られなかった、真っ赀な薔薇

    ずころで、本皿本線「無垢な理想䞻矩ずリアルな快楜䞻矩の軋みず痛み」の方でフォロヌし忘れおいたこずだが、『少女革呜りテナ』ずいう䜜品における、最倧の「矛盟」を構成する、その䞀極片偎ずは、じ぀は「無垢」でも「汚れた愛欲」でもなく、むしろ「バカバカしく軜いギャク」なのではないだろうか。

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    毎回お銎染みの、圱絵コンビのコント

    「無垢」や「汚れた愛欲」ずいった「真面目なテヌマ」を、䞀笑に付しおぶっ飛ばしおしたう「バカバカしく軜いギャク」こそが、この䜜品に最倧の「矛盟」をもたらしおいたのでははないか。

    だずすれば、劇堎版『少女革呜りテナ』においお、その「ギャグ」郚分が、たるで「アリバむ蚀い蚳」ででもあるように、力なく挿入されおいたずころにも、幟原邊圊監督の「蚈算ミス」があったのではないかず、そう思わずにはいられないのである。


    2022幎12月31日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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