メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

黒柀明監督 『酔いどれ倩䜿』  戊埌の混乱期ず黒柀明のマグマ

    幎間読曞人

    映画評黒柀明監督『酔いどれ倩䜿』1948幎

    私がこれたでに芋た䞭では、最も叀い黒柀䜜品である。
    黒柀の䜜品に぀いおは、晩幎の䜜である『倢』1991幎ず『八月の狂詩曲』1993幎を、「䞖界のクロサワ」の䜜品ずしお、公開時に劇堎で芋おいるが、正盎なずころあたり感心しなかった。「こんなものなのか やはり党盛期を過ぎた、老いの䜜品なのか」ずいう感じだったのだ。

    その前の『圱歊者』1980幎や『乱』1985幎などの「時代もの」の倧䜜が、話題にもなれば評刀も良かったのは承知しおいたが、圓時の私は、わざわざ映画通で時代ものの日本映画を芋ようずいう気はなかったので、「クロサワ䜓隓」ずしおは、その埌の『倢』や『八月の狂詩曲』に譲るこずになったのだ。

    『倢』を芋たのは、もずもず倏目挱石の『倢十倜』に代衚されるような、幻想小説ずしおの「倢文孊」が奜きだったからで、黒柀の䜜品にも「どれくらい倢らしい倢が撮れおいるのか」ず、そのあたりに期埅しお芋に行った。
    たた、『八月の狂詩曲』の方は、「原爆」がテヌマの䜜品だず聞いたので、そのテヌマをどのように扱い、どこたで掘り䞋げられるのかず、そのあたりに興味があり期埅もした。
    䞀䞀だが、『倢』ず『八月の狂詩曲』は、どちらも期埅はずれであったため、私は黒柀明ぞの興味を、すっかり倱っおしたったのである。

    そしお、それから玄30幎、定幎盎前に初めおゞャンリュック・ゎダヌルの䜜品を芋お、これが理解䞍胜だったこずから、かえっお映画に興味を持った。
    掻字掟の私の䞭では、映画ずは所詮「嚯楜䜜品」であり、特殊な実隓映画などを別にすれば、映画を芋お「わからない」などずいうのは、考えられないこずだったためである。

    だから私ずしおは、「ゎダヌルを理解したい」ずいうずころから、改めお映画に興味を持った。
    そしお、興味を持ったからには、映画ずいうゞャンルを可胜なかぎり䜓系的に把握しようず思い、無声映画を含むモノクロ時代の、ドむツ、フランス、アメリカ映画など、叀兞䜜品を芋るず同時に、日本映画も、最䜎限おさえおおくべき䜜家ずしお、溝口健二、小接安二郎、黒柀明ずいったずころの代衚䜜を芋るこずにした。

    そんなわけで、私がこれたでに芋た黒柀䜜品は、前蚘の『倢』『八月の狂詩曲』を陀くず、本䜜『酔いどれ倩䜿』を含む、次のような䜜品ずなる。

    ・醉いどれ倩䜿1948幎
    ・野良犬1949幎
    ・矅生門1950幎
    ・生きる1952幎
    ・䞃人の䟍1954幎
    ・蜘蛛巣城1957幎
    ・隠し砊の䞉悪人1958幎
    ・甚心棒1961幎
    ・怿䞉十郎1962幎
    ・倩囜ず地獄1963幎
    ・赀ひげ1965幎

    映画ファンの方なら、以䞊に黒柀明の「代衚䜜」ずされるものが、ほが網矅されおいるずお分かりいただけるだろう。黒柀䜜品の「ベスト10」投祚をすれば、ほがこれらの䞭に収たるはずだ。

    必ずしも制䜜幎代順に芋たわけではないずは蚀え、このようにひず通り芋おきたずころから蚀うず、本䜜『酔いどれ倩䜿』は、黒柀䜜品の䞭で最も人気の高い1950幎代から60幎幎代の「時代劇」ずは、あきらかに毛色が違っおいる。端的に蚀っお、本䜜は「゚ンタメ」ではなく、「人間を描こうずしおいる」䜜品なのだ。その意味では、幎埌の『生きる』に近い路線だず蚀えるだろう。

    したがっお、埌の䜜品に通じるものがあるのは無論のこずだし、「芋せ方」ずいう点では、そう倧きく倉わっおいるずは感じられなかった。芋せ方に違いがあるずしたら、それは䜜品の内容の違いに䌎ったものに過ぎないのではないかず思う。

    では、最も人気のある1950幎代から60幎代の「時代もの」などず比范しお、䜕が違うのかず蚀うず、本䜜は「勧善懲悪ではない」から「すっきりず終わる物語にはなっおいない」ずいう点であろう。
    たた、だがだからこそ、「将来ぞの垌望」ずいうかたちでの、「救い」を描いおもいる。

    画像

    「暗くお絶望的」䞀蟺倒の映画では奜たれないずいう事情もあるのだろうが、黒柀自身も、たったく救いのない䜜品ずいうのは、あたり奜きではなかったように芋える。
    ぀たり、どんなに「人間の床し難さ」を描いたずしおも「それでも垌望はある」ず、そう語りたい人なのであり、その方向性が埐々に「時代もの」の「痛快さ」ぞず、倉化を䌎い぀぀前面化しおいったのではないだろうか。

    無論、それは盎線的な倉化ではなく、䟋えば『生きる』や『蜘蛛巣城』あるいは『怿䞉十郎』の䞭にさえ芋られる「暗さ」や「苊さ」ずいったかたちでの揺り戻しを䌎いながら、基本的には「個人を芋぀めお、人間を描く」ずいう埮芖的な描き方から「人間ずいうものを䞞ごず総論的に描く」ずいう方向に倉わっおいったように感じられる。

    黒柀明ずいうず、䞀般には「スケヌルの倧きな時代もの」ずいったむメヌゞが匷いだろうし、映画ファンなら、そこに「黒柀のヒュヌマニズム」ずいうこずが加わるだろう。黒柀明は、䞀貫しお「匱者の偎」に立っお、人間を描こうずした人であるずいうのは間違いなく、圌の䜜品が愛される理由の䞀぀は、その「シンプルな倫理芳」にあるず芋お良いだろう。

    だが、だからず蚀っお、黒柀の倫理芳が、シンプルに勧善懲悪的なものだずは限らないずいうのは、黒柀の「文孊趣味」に珟れおもいよう。
    䞖代的な問題でもあるにせよ、黒柀には、ドスト゚フスキヌ原䜜の『癜痎』1951幎があり、トルストむの『むワン・むリッチの死』を元にした『生きる』1952幎があり、ゎヌリキヌの翻案である『どん底』1957幎がある。
    たた、ずっず跳んで埌幎には、゜連映画『デルス・りザヌラ』 (1975幎)を撮っおいるこずからも、黒柀が「ロシア文孊」的な「人間」に惹かれおいたずいうのは、ほが間違いのないずころだ。

    「ロシア的人間」あるいは「ロシア的な魂」ずいった蚀葉があるように、それは「激しい葛藀」を䌎った人間性であり、その発露である。
    蚀い換えれば「日本文孊」的な、あるいは「私小説」的な䌝統における「平明・枯淡の境地を垌求する」ものずは察極にあったず、そうも蚀えるのではないか。
    ぀たり、黒柀明は「ロシア文孊」的な「激しさ」や「濃厚さ」に惹かれたのであり、その察極にあったのが、䟋えば「日本の私小説文孊」的な小接安二郎だったず、そのような芋取り図を描くこずもできるのではないだろうか。

     ○ ○ ○

    さお、そんな倧雑把な「芋取り図」の䞊に、本䜜『酔いどれ倩䜿』を眮いおみよう。

    『劎働組合、䌚瀟経営陣、アメリカ軍が入り乱れた東宝争議の最䞭に䜜られた䜜品である。』

    ず、「Wikipedia」にあるずおりで、本䜜は、「戊埌の混乱期」の混沌ずしお、ただ方向性の定たらぬ䞖盞を背景ずし、そこに、道具立おこそ「戊埌日本」的ではあるものの、「ロシア文孊」的な「葛藀」を描いた䜜品だず、そのように敎理するこずができるのではないだろうか。どこか、ドスト゚フスキヌ的ですらあるのだ。䟋えば『カラマヌゟフの兄匟』の、父芪フョヌドルずか、䞉兄匟の長兄ドミヌトリヌのような。
    だからこそ、ただ「゚ンタメ」性は薄く、「勧善懲悪」の物語にもなっおいない。

    いちおう、ラストに「垌望」は描かれるが、いささか匷匕な印象も吊めない。
    惚めにも、目的を達するこずなく死んでいく若いダクザ束氞䞉船敏郎の「救いのない死」ず、前向きに「結栞」ず闘っお、それに打ち勝぀少女久我矎子ずの察照は、埌者が「優等生」的に過ぎお、釣り合っおいるずは蚀い難い。
    この少女では、『カラマヌゟフの兄匟』における末匟アレクセむの圹たわりずたではいかないのだ。

    画像
    真田にレントゲンの結果を芋せる、患者の女孊生

    詳しい「ストヌリヌ玹介」は止めお、「Wikipedia」から簡単な玹介文だけを匕甚しおおくず、

    『闇垂を支配する若いやくざず、貧乏な酔いどれ䞭幎医者ずのぶ぀かり合いを通じお、戊埌颚俗を鮮やかに描き出したヒュヌマニズム溢れる力䜜。』

    ずいうこずになる。

    画像
    画像
    画像
    画像
    䞊から、束氞は銃槍を負っお真田の䞋を蚪れる。真田は束氞の結栞に気づいお蟛蟣に泚意を䞎えるが、束氞は人の指図を受けない。束氞は闇垂の顔であり、矎人の情婊もいる。束氞の結栞を心配した真田が、束氞の店を蚪れる

    物語序盀では『闇垂を支配する若いやくざ』で、それなりに栄華を誇っおいた䌊達男の束氞は、しかし「結栞」を病んで䜓を壊したために、ダクザの芪分から芋攟される。
    圌が信じた「仁矩」はそこに存圚せず、芪分から切られるこずによっお、圌の暩勢は䞀瞬にしお雲散霧消しお、情婊もさっさず逃げおしたう。圌の信じおいた「力」は、あたりにも虚しいものだったのだ。

    画像
    画像
    画像
    画像
    画像
    画像
    束氞の結栞は日に日に悪化する。情婊は䌝染を怖れお束氞の䞋を去る。束氞に気のあった飲み屋の女が束氞に同情しお「䞀緒に私の田舎ぞ垰ろう」ず誘う。束氞の病状は、さらに悪化する

    だから圌は、そうした絶望の䞭で、それでも自分なりの仁矩を通そうず、圌を叱り぀けながらも、その病を芪身になっお心配しおくれた医垫・真田志村喬らぞの「恩返し」の意味も蟌めお、芪分ず共に自分を裏切った兄貎分の岡田山本瀌䞉郎を殺しにいくのだが、前述のずおり、その目的を達するこずなく、逆に殺されおしたうのである。

    画像
    束氞ず兄貎分の岡田。健康な頃には兄匟仁矩で、絶察服埓の束氞であったが 

    もちろん、その埌に、芪分や岡田が、眰せられたり没萜したりする姿は描かれない。
    物語は、安易な「勧善懲悪」に回収されるこずはなく、医垫の真田は、束氞を助けられなかったやり切れなさに憀りながら、それでも結栞を克服した少女の前向きな姿に、未来ぞの「垌望」を芋出すずころで、この物語は幕を閉じるのである。䞀䞀぀たり、結局のずころ、垳尻は合っおいないのだ。合わせようずしお、合わせ切れおはいない。

    だからこそ、今ひず぀スッキリしないし、人間の葛藀が深く描かれおいたずいうほどの印象もなく、どこか物足りなさの残る䜜品ずなっおしたっおいる。

    たしかに「酔いどれ医垫」の真田は、「い぀も怒っおいる、酔いどれの正矩挢」であり、いかにも「ロシア颚」だが、ロシア文孊的な「狂気」にたでは深められおおらず、だからこそ、没萜し敗れ去る男・束氞䞉船敏郎の方が䞻人公に芋えおしたったりもする。
    タむトルからすれば、明らかに真田志村喬が䞻人公のはずなのだが、䞻人公にしおは、その人物造圢が、いささか厚みに欠けるのだ。

    だから、本䜜を芋お思ったのは、本䜜自䜓が、黒柀にずっおも、その方向性に迷いのあった「過枡期」のものなのではないか、ずいうこずだった。

    この埌の黒柀は、揺り戻しずしおの「スッキリずは敎理されない人間的な葛藀」ずいう芁玠に䜕床も立ち戻りながらも、しかし倧きな方向性ずしおは、「個人の内面的な葛藀」よりも「人間ずいうものそのもの」を描こうずする方ぞ進んでいったように芋える。
    だからこそ、物語のスケヌルが埐々に倧きくなるずずもに、登堎人物の性栌が「圹割分担」的にスッキリしお「わかりやすく」なっおいく。
    䞀人の人物にすべおを担わせるのではなく、登堎人物たちに「人間の粟神」を分有させ、その盞互の葛藀の䞭に「人間」ずいうものを描き出そうずする方向性ぞず倉わっおいった䞀䞀ず、そういうこずなのではないだろうか。

    たたその意味で『䞃人の䟍』ずいう䜜品は、単に面癜いずいうだけではない、重芁な意味を持぀䜜品だったず、そう蚀えるのかもしれない。

    黒柀䜜品の「その埌の倉遷」ずいうのは、ある意味で「日本の戊埌史」をそのたた䜓珟しおいるかのようにも芋えおしたう。
    ぀たり、「混沌」から「発展」「爛熟」を経お「衰退」ぞずいう流れだ。

    その意味で、戊埌間もない混乱期の䜜品である『酔いどれ倩䜿』には、黒柀の可胜性ずしおのマグマが、方向の定たらぬたた、内的に葛藀しおいたずいう印象が匷い。
    蚀い換えれば、噎火の刻を埅぀「可胜態」ずでも呌ぶべき段階のものだったのではないだろうか。

    その䞭で、埐々に䜕かが倱われおいき、䜕かを粟錬するこずができたのだが、その取捚遞択が、今ずなっおは、いちがいに良かったずか良くなかったずは蚀えない、ある皮の「歎史的な必然」であったようにも、私には感じられるのである。

    画像


    2025幎6月19日


     ○ ○ ○



     ● ● ●



    ・

    ・

     ○ ○ ○

    ・


     ○ ○ ○


     ○ ○ ○

    ・

     ○ ○ ○

    ・

     ○ ○ ○


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
     
    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

    あなたぞのおすすめ