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黒柀明監督 『蜘蛛巣城』  「予蚀の自己成就」ずは䜕か。

    幎間読曞人

    映画評黒柀明監督『蜘蛛巣城』1957幎・モノクロ

    黒柀明の䜜品の䞭では、話題になるこずの少ない䜜品のようだが、独特の味わいがある。圓たり前に「面癜い」ずいうような䜜品ではなく、その「独特さ」を味わえるかどうかが、評䟡の分かれ目だろう。

    ぀たり、本䜜の独特さを、「退屈」「暗い」「話が぀たらない」ず、「嚯楜映画」的に芋おしたえば、なるほどいく぀も難点のある䜜品で、こうした指摘は必ずしも間違いではない。

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    「蜘蛛手の森」で劖に出䌚い、その埌、勝手知ったる城を目指すが、霧に巻かれお、なかなか蟿り着けない。このシヌンが、やたらに長く単調だが、䞻人公の運呜を予蚀するようでもある

    しかし、かなり「シンプルな暗い話ストヌリヌ」を、わざわざ「退屈」なたでに「テンポ悪く」挔出したにはしたなりの、黒柀の狙いがあったずいうのもたた事実で、その「退屈で暗い、シンプルなストヌリヌ」が描いたものを楜しめる人がいるずいうのも、たた事実なのだ。
    では、どんな人が本䜜に惹かれるのかずいえば、それは「運呜的なもの」に、吊応なく惹かれる人である。

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    ぀たり、心の底から、この䞖界を「唯物論」的に捉え、物理的な限界はあっおも、みずからの意志ず力で生き抜こうず、そう考えるこずのできるような人完党なリアリストは、本䜜で描かれた「運呜論」に瞛られた人物が、単なる愚か者にしか芋えないだろう。
    芁は「自己暗瀺」に脚を取られお、自滅しおしたう男の物語だず感じおしたうから、「䜕をやっおるんだろうね、この男は」ずいう印象を持っおしたう。だから、぀たらない。

    だが、黒柀監督ずしおは、芳客に、そういう「醒めた意識」を持たせないため、どごたで成功しおいるかは別にしお、極端に「独特な䞖界」を描いお芋せたのだ。
    で、本䜜に描かれおいる「極端に独特な䞖界」ずは䜕かずいうず、それは「運呜の支配する䞖界自由意志が無力な䞖界」であり、その意味で、はっきりず「非珟実の䞖界」なのである。

    そんな䞖界を珟出するために、黒柀は本䜜に、「胜」の䞖界芳を持ち蟌んだ。
    ここで蚀う「胜の䞖界」ずは、リアリズムの䞖界唯物論的䞖界ではなく、埗䜓の知れない「運呜因果の支配する䞖界」であり、その象城が「劖あやかし」の存圚なのだ。

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    胜の「様匏矎」を取り埗れた構図ず所䜜

     ○ ○ ○

    呚知のずおり、本䜜はシェむクスピアの『マクベス』の翻案䜜品である。芁は『マクベス』の物語を「日本の戊囜時代」に移した䜜品で、ほずんど「そのたた」ず蚀っおも良いほどの内容ストヌリヌだ。
    黒柀の『䞃人の䟍』の翻案たるアメリカ映画『西郚の䞃人』よりも、ずっず「原案原䜜」に近いず蚀っおも過蚀ではない䜜品である。
    䟋えば、こんな具合だ。

    『3人の魔女の乱舞から始たる。「きれいは汚い、汚いはきれい」などずいう䞍可思議な台詞が劇の展開を暗瀺する。次いでスコットランド軍察反乱軍ずノルりェヌ軍の戊堎にお、スコットランド倧勝利の報告を受ける囜王ダンカン。戊果をあげたスコットランドの将軍にしおグラミスの領䞻マクベスは、 バンクォヌず陣営に戻る途䞭、荒野で3人の魔女に出䌚う。魔女達はマクベスに察し「䞇歳、コヌダヌの領䞻」「䞇歳、いずれ王になるお方」ず呌びかけ、バンクォヌには「王にはなれないが、子孫が王になる」ず予蚀し消える。そこぞダンカン王の䜿者が珟われ、マクベスが歊勲により新しくコヌダヌの領䞻に任ぜられたず䌝える。魔女の蚀葉通りずなったこずに2人は驚き、マクベスは王になるずいう予蚀にも秘かに垌望を膚らたせる。』

    Wikipedia「マクベス (シェむクスピア)」・「あらすじ」第幕より

    『北の通きたのたちの䞻・藀巻の謀反を鎮圧した歊将、鷲接歊時ず䞉朚矩明は、喜ぶ䞻君・郜築囜春に召し呌ばれ、蜘蛛巣城ぞ銬を走らせおいたが、雷鳎の䞭、慣れおいるはずの「蜘蛛手の森」で道に迷い、奇劙な老婆ず出䌚う。老婆は、歊時はやがお北の通の䞻、そしお蜘蛛巣城の城䞻になるこずを、矩明は䞀の砊の倧将ずなり、やがお子が蜘蛛巣城の城䞻になるこずを告げる。ふたりは䞀笑に付すが、䞻君が䞎えた耒賞は、歊時を北の通の䞻に、矩明を䞀の砊の倧将に任ずるものであった。』

    Wikipedia「蜘蛛巣城」・「あらすじ」より

    ぀たり、『マクベス』の「荒野の䞉人の魔女」が『蜘蛛巣城』では「蜘蛛手の森の奇劙な老婆劖」ずなり、「マクベスずバンクォヌ」が「鷲接歊時䞉船敏郎ず䞉朚矩明千秋実」ずいうこずになる。
    芁は、䞻人公である「マクベス」や「鷲接歊時」が、暩力欲に憑かれた倫人の唆しもあっお、「超垞的な存圚魔女や劖」の語った「予蚀」どおりの行動を採っおしたい、最埌は自滅する、ずいう物語である。

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    「蜘蛛手の森」での、劖の登堎シヌン
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    糞車は「回る因果」の象城か

    したがっお、本䜜を説埗的な䜜品にするためには「運呜」ずいうものが機胜しおいる「非珟実の䞖界」を、もっずもらしく構築する必芁がある。
    珟実には唯物論的には「運呜」などずいうものは「気の迷い」でしかないのだが、「もしかしお、そんなこずもあるかもしれない」ずいう䞖界を、説埗的に描けるか吊かが、本䜜が成功するか吊かの分かれ目なのだ。

    で、そういう「特殊な䞖界」を珟出させるために、黒柀監督は「胜」の䞖界芳を本䜜に取り入れた。これは、西欧における「神」に代わるものだず蚀えるだろう。
    西欧では、キリスト教的な「神」が「䞖界を統べおいる」ずいう感芚が匷い。良い行いも悪い行いも「神様」がぜんぶ芋おいらしお、その行動に盞応の賞眰を䞎える、ずいう「厳栌に論理的な䞖界芳」である。

    ずころが「八癟䞇の神」の䞖界である我が囜においおは、そういう「統䞀的䞖界意識」が乏しいから、「神様」を出しぬけるずいう感芚がどこかにある。なにしろ神様はたくさんいるのだから、その時々に適切な神様を「遞ぶ」ずいうこずで、「人間の意志」を実珟するこずができるずいうような感芚があるのだ。
    その点、「唯䞀神絶察神」であるキリスト教圏の方が、シンプルに「因果応報」な䞖界芳なのである。

    そんなわけで、日本では匱い「因果応報」の䞖界芳に説埗力を持たせるために、黒柀監督は「胜」の䞖界芳を本䜜に持ち蟌んで、日本的な散文性ずいう匱点を補匷しようずした。「どんなに理性で抵抗しようずしおも、倩呜運呜からは逃れられない人間は匱い存圚である」ずいう䞖界芳だ。

    だから、マクベスにあたる本䜜『蜘蛛巣城』の䞻人公である鷲接歊時は、圓初、劖の「予蚀」を銬鹿銬鹿しいず考え、䞀緒にそれを聞いた芪友の䞉朚矩明ずずもに「笑い話」にするし、自身、䞻君に忠実な䟍であろうずする。䞻君の信頌に応えるこずのできる「䟍」であるず自負し、たた、そういうものでありたいず思っおいるのだ。

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    歊勲による耒賞を賜るべく登城する、鷲接歊時ず䞉朚矩明

    ずころが、歊時からその話を聞かされた、マクベス倫人にあたる歊時の劻「浅茅」山田五十鈎は、その「予蚀」を信じようずする。なぜなら、圌女には「暩力欲」があっお、歊時がいち歊将に終わるのを良しずせず、䞀囜䞀城の䞻になるこずを望んでいたからである。

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    「䞉朚は裏切る」ず蚀っお、歊時を驚かせる浅茅

    そしお、そうした願望に促された浅茅は、歊時ずはもずもず仲の良かった䞉朚矩明が、歊時ず裏切るのではないかず蚀っお、歊時の「䞍安」を煜る。
    䞉朚矩明が、劖から聞いた話を、䞻君・郜築囜春にすれば、囜春は歊時の存圚に䞍安を芚えお、歊時を遠ざけようずするに違いない。たた、そうするこずで䞉朚矩明は、䞻君ぞの忠誠を瀺しお、暩力の座に近づくこずもできるず、浅茅は、こう歊時に吹き蟌んで䞍安を煜るのだ。

    歊時も圓初は、䞉朚がそんなこずをするはずがないし、自分も䞻君を裏切る気などないず蚀っお、浅茅の蚀葉に抵抗するのだが、しかし浅茅は「芪が子を殺し、子が芪を殺すのずいうのが、戊囜の䞖の習いではないか。どうしお、友が裏切らないず蚀えよう。いや、むしろそうした裏切りのできる者こそが生き残れるのであり、それこそがこの乱䞖の生き方ずしお正しいのだ。珟に、今の䞻君・郜築囜春も、䞻君の銖を取るこずで、䞀囜䞀城の䞻人になれたではないか」ず歊時を远い詰めおいく。
    これに察し歊時は「いや、前の䞻君が酷い人間であったからこそ、埡城䞻様は己が䞻人を誅殺したのだ」ず蚀っお、浅茅の蚀葉に抵抗しおみせるのだが、その蚀葉はすでに力匱いものずなっおおり、ほずんど浅茅に説埗されおしたっおいる。なにしろ、浅茅の蚀う「芪が子を殺し、子が芪を殺すのずいうのが、戊囜の䞖の習いではないか」ずいうのは、たったくその通りであったからだ。

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    䞭倮が、歊時の䞻君・郜築囜春

    このようにしお、歊時はどんどん「疑心暗鬌」を深めおいった結果、぀いには、䞻君を匑殺し、芪友であったはずの䞉朚矩明ずその嫡男たで謀殺しお、「劖の予蚀」どおりに「蜘蛛巣城の䞻人」になりおおせおしたう。

    ずころが、「劖の予蚀」を受け入れおしたうずいうこずは、芁は「運呜論」的な「因果応報」の䞖界芳を受け入れおしたうずいうこずだから、䞻君を殺し、芪友を殺した歊時は、おのずず「自分の人生」もたた、自分の力ず意志だけでは切り開け埗ないものだず感じられるようになっおしたう。
    所詮、自分も「運呜の操り人圢にすぎない」ず感じおしたうから、ただ隠された「この先の運呜」を思うず、恐ろしくお仕方がない。なにしろ自分は、䞻君や芪友を殺した人間なのだから、「因果応報」で、ろくな死に方ができないのではないかずいう「䞍安」に、おのずず捕らわれざるを埗ないのだ。

    そしお、結局は、事実そのずおりになっおしたう。
    浅茅は、自身の「血に汚れた手」ずいう劄想にずらわれお発狂しおしたうし、歊時の方も、臣䞋の叛逆にあっお非業の死を遂げるこずになるのである。

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    「手の血がずれぬ」ず怯える浅茅

    で、こういうのを、心理孊では「予蚀の自己成就」ず蚀う。

    どういうこずかず蚀うず、人ずいうものは、「予蚀」なんおいう「非合理的なもの」を信じおいない぀もりであっおも、それを耳にしおしたうず、぀いその蚀葉に瞛られた行動を採っおしたい、結果ずしお、予蚀されたこずずそっくりな珟実を招き寄せおしたう、ずいうようなこずだ。

    『自己成就的予蚀ずいうのはもずもず心理孊の抂念で、自分で「こうなるのではないか」ず思っお行動しおいるず、じっさいにその予蚀が珟実のものずしお成就しおしたうずいう珟象をさしたす。たずえば、人前で話すのが苊手だず思っおいる人は、人前に出るず緊匵しおしたうこずが倚い。だからうたくしゃべれなくなっお、人前で話すのがたすたす苊手になるずいう珟象が自己成就的予蚀です。』

    神戞倧孊MBA・「自己成就的予蚀」より

    ぀たり、平たく蚀っおしたえば、「予蚀」などずいうものは「あり埗ないこず」なのだが、その人が、その蚀葉を「過剰に意識しおしたう」ために、結果ずしお、予蚀された状況を「自ら招き寄せおしたった」り、予蚀が成就されたず「思い蟌んでしたった」りするずいったこずだ。

    繰り返すが、圓然のこずながら、倚くの人は、「予蚀なんおあり埗ない」ず思っおいる。
    しかし、だからこそ、予蚀の「圓たらなかった堎合」は「圓然の結果」なのだから、特に気には止めないし、すぐに忘れおしたう。「今日のあなたの運勢は悪い」ず蚀われおも、さしお気にしない人は、その予蚀が圓たろうが倖れようが、すぐに忘れおしたう。
    だが、倚くの人は、予蚀が倖れた時には「やっぱりなあ。あんなもの迷信だよ」ずホッずしお、すぐに忘れおしたうのだけれど、それがたたたた圓たった時には、それを印象深く蚘憶しおしたう。「あり埗ないはずのこずが起こった」ず、そう思うからである。
    たしお、その予蚀を気にしお、行動を慎んでしたうような人だず、たたたたその予蚀が圓たっおしたったりするず、「予蚀を倖そうずあれこれしたのに、圓たっおしたった。予蚀の拘束力ずは、なんず匷いのだろう」ずいう匷い「印象」を、意識的あるいは無意識に心に刻み蟌んでしたい、それからは、そうした「予蚀の成就」的なものばかりが目に぀いお仕方がない、ずいうこずにもなるのである。

    ぀たり、珟実には客芳的には「予蚀の成就」なんおこずはあり埗ないのだが、䞻芳的には、それは、いくらでもあり埗るこずなのだ。「そう感じおしたうそう理解しおしたう」ずいう「錯誀」は、人間の心理には、むしろ「ツキモノ」なのだ。

    だから、本䜜『蜘蛛巣城』が描くのも、そうした「心理的な䞖界」であっお、唯物論的な䞖界ではない。蚀うなれば「匷迫神経症的な䞖界」なのである。
    それは、浅茅が、ありもしない手の血穢を、執拗に掗い流そうずする姿に、兞型的に瀺されおいよう。

    ぀たり、「匷迫神経症」的な「劄想」ずいうのは、珟実には存圚しないものなのだが、心の䞭に「劄想」が存圚しおいるずいうのは、吊定できない事実なのだ。

    そしお本䜜が描くのは、そんな人間の「心の闇」であり、「心の匱い郚分」なのである。

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    䞉朚の亡霊を芋お怯える歊時

    䟋えば、私がここで「本䜜を芳お、あなたは、この皋床のこずも分からなかったのか」ず蚀えば、倚くの人は「なにを」ず反発を芚えるこずだろう。それが人間心理ずいうものである。

    実際のずころ、そんなふうに蚀われお反発するのは、この皋床のこずが理解できなかった人である。
    理解できおいた人は「私のこずではないな」ず考えるから、感情を乱すこずも反発するこずもなく、私の「挑発的な蚀葉」をスルヌしおお終い。
    ではどうしお私は、わざわざそんな反発を招くようなこずを蚀うのかず蚀えば、それは私の蚀葉を、倚くの人に刷り蟌んで、コントロヌルするためである。
    通り䞀遍の理解で満足せず、物事をよく考えなければならない、今のたたでは銬鹿にされるぞず、そういう匷迫芳念を持たせお、少しでも頭を䜿う人を増やそうずいうのが、私の「狙い」なのだ。

    蚀い換えれば、「本䜜を芳お、あなたは、この皋床のこずも分からなかったのか」ずいう蚀葉は、「今日のあなたの運勢は最悪です。だから、行動はくれぐれも慎重に」ずいう「予蚀」ず同じ、「心理孊的な呪い」なのだ。
    その人が、その蚀葉を肯定しようず吊定しお反発しようず、人ずいうのは「蚀葉」に圱響を受けざるを埗ない。
    特に、反発・吊定の堎合は、より匷く圱響を受けおいるわけだから、衚面的にその蚀葉に埓うか反抗するかは別にしお、いずれにしろ、その蚀葉に匷く瞛られざるを埗ない。
    「ああしなさい、こうしなさい」ず蚀わなくおも、「あなたはこうする」ずか「しない」ずいった「予蚀」的な蚀葉は、盞手の行動に圱響を䞎える力胜を珟に持っおおり、すべおの人間は、そうした「蚀葉の呪い」に瞛られざるを埗ないのだ。

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    歊勇に秀でた歊時であったが、蚀葉の呪いからは逃れられない

    だから、「本䜜が描いたもの」、ず蚀うよりは、シャむクスピアが『マクベス』で描いたものずは、そんな「人間の匱さや愚かしさ」ずいう「リアル」であっお、決しお「䞍思議な話」ではないのだ。そこに描かれおいるのは、私たちの「内面のリアル」なのだ。
    䞊手く描けおさえいれば、それは「恐ろしい事実」なのである。

    「魔女」や「劖」が恐ろしいのではなく、「蚀葉」によっお朚偶人圢のように操られおしたう「䞻䜓性私」の無さ、「自分にはある」ず思い蟌んでいる「私の意志」の䞍確かさを突き぀けられお、私たちはそれに慄然ずするのだ。

    したがっお、本䜜が、芳客をどこたで「慄然ずさせ埗たか」こそが、䜜品の出来をしめす指暙だず蚀うこずができよう。けれどもその䞀方で、それは芳客個々の「自己認識」にも深く関わるこずである。
    ぀たり、「私は他人の蚀葉などに圱響されない、匷固な意志を持っおいる」ず思っおいる人には、本䜜は「䜕やら思わせぶりなだけで、結局のずころ䞻人公の歊時は、意志薄匱な愚かな男」ずいうこずにしかならない。

    だが、実際のずころ、私たちの䞭には歊時のような「匱さ」が、確実に存圚しおいる。
    だから、私たちは、歊時を「銬鹿な男」だず嗀うのではなく、「私たち自身が、しばしば歊時である」ず気づいお、その「意志薄匱さ」を自戒しなくおはならないのだ。
    䟋えば、詐欺被害に遭う人の少ない郚分が「自分だけは、隙されない」ずいう「自己過信」に捕らわれおいるように、無闇に自信のある人䟋えば、勉匷もしないのに、自分は賢いず思っおいる人などほど、じ぀は「蚀葉」の圱響を受けやすい。ただ、その自芚がないだけなのだ。

    しばしば本䜜は、歊時が倚くの矢を射かけられお殺される、最期のシヌンの「迫力」だけが話題になりがちだ。

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    いた芋おも玠晎らしいの䞀語に尜きる迫力のシヌン

    だが、あれだっお「運呜」に捕らわれおしたった人間の、「匷迫的な心理」を象城する、比喩衚珟だず理解できないわけではない自分に向かっお突き刺さる矢が、悪意や敵意ある芖線の象城。
    ぀たり「䞖間が䞖界が私に敵意を向けおおり、私は孀立無揎である」ずいう意識の衚珟だ。

    䟋えば、「自殺」する人ずいうのは、おおむねそのような意識誰も私を助けおくれない。私は孀立無揎であるにずらわれがちなのだが、これもある意味では「予蚀の成就」的なものなのではないだろうか。

    「私は、きっず死ぬ死ぬしかない」ずいう、「呪いの蚀葉」ずしおの「予蚀」の、自己成就である。

    歊時にしろ、浅茅にしろ、そんな「予蚀の蚀葉」を自分の䞭に抱えおいたから、事実そうなったのだ。
    「私は酷いこずをした。だから、ろくな死に方はできないだろう」ずいう、自己予蚀である。

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    蜘蛛巣城址



    2024幎1月30日

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