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黒柀明監督 『怿䞉十郎』  「昭和」の理想ず、そのゞレンマ

    幎間読曞人

    映画評黒柀明監督『怿䞉十郎』1962幎・モノクロ映画

    本䜜は、倧ヒットした「『甚心棒』のような䜜品を」ず、東宝から頌たれお撮った䜜品だそうだ。本䜜の「Wikipedia」にそう曞かれおいるし、実際その通りであろう。ずいうのも、それが「垂堎原理」に沿うものだからだ。芁は「二匹目のドゞョり」を狙った䜜品だずいうこずである。

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    しかしながら、『甚心棒』のレビュヌに曞いたずおり、私は、『甚心棒』が「痛快嚯楜䜜品」であったこずを肯定的に捉えおいるので、『怿䞉十郎』がそのような䜜品であっおも、党然かたわなかった。たた、だからこそ、『怿䞉十郎』が『甚心棒』同様の「痛快嚯楜䜜品であろう」ず、ごく玠盎にそう思っお、芋るこずにもしたのだ。
    実際、本䜜『怿䞉十郎』は、山本呚五郎の小説を原䜜ずしながらも、それを倧きく改倉し、そこに『甚心棒』の䞻人公ず瓜二぀の䞻人公をはめ蟌んだ䜜品なのだから「実質的には続線だ」ずいう評䟡も、ごく䞀般的なものであった。だから、たさか本䜜『怿䞉十郎』が、嚯楜䜜品「ではない」などずは、぀ゆほども予想し埗なかったし、実際に芋おみお、驚かされたのである。

    本䜜を芋おもなお「痛快嚯楜䜜品であり玠晎らしい」ずか「䞻人公の怿䞉十郎がかっこいい」ずか蚀っおいるだけ䞀般客が倚いのは、たあ仕方のないこず。
    しかし、『怿䞉十郎』の「Wikipedia」でさえ、本䜜が「単なる嚯楜䜜品などではない」ずいう事実を指摘し埗おいないずころを芋るず、日本の映画評論家ずいうのは、総じお「アキメクラ」が倚いのだず、あらためお呆れさせられおしたった。

    本䜜は「圓たり前に芋る」ならば、単なる「痛快嚯楜䜜品」などではない。
    たしかに「痛快」な郚分もあるし、「嚯楜」の郚分もある。しかし、それがこの䜜品の「本質」ではないのだ。

    本䜜は「『甚心棒』の続線に芋せかけた、その陰画的な䜜品」なのである。
    ぀たり『甚心棒』の「倪平楜な痛快嚯楜性」を支えおいた「勧善懲悪」のわかりやすさを、批刀した䜜品なのだ。

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    ここたで曞けば、察しの良い人なら、私が本䜜『怿䞉十郎』をどのように評䟡したのかは、すでに明らかだろう。
    だが、そうした人ばかりではないどころか、たぶん、そうした人は「少数掟」だずいうのが珟実なのだろうから、以䞋にそのあたりの事情を詳しく解説しおいこう。

    喩えお蚀うなら、倚くの人ずいうのは、本䜜に登堎する「若䟍たち」のようなもので、自分たちの「珟実を芋る目のなさ」をわかっおいないし、「怿䞉十郎」のような「腕」もなければ、たしおや本䜜の「もうひずりの䞻人公」ず呌んでも良いだろう、最埌の最埌に登堎するだけの「城代家老・睊田匥兵衛」のような「知恵」も「匷かさ」も持たない、ずいうこずである。

     ○ ○ ○

    本䜜『怿䞉十郎』の「あらすじ」は、「Wikipedia」に結末たで曞かれおいるが、ここではひずたず、その前半郚分を匕甚しおおこう。

    『真倜䞭の森の䞭。叀びた瀟殿に集たった若䟍たちは藩内の汚職の元凶である次垭家老の黒藀ず囜蚱甚人の竹林に察する告発曞をたずめ、藩の芁人に察しお是正を求めおいた。代衚ずしお䌚芋をした井坂が語るには、城代家老の睊田は「悪いや぀は意倖なずころにいる。危ない、危ない」ず意芋曞を砎り捚おた。次に倧目付の菊井に話を持ち蟌むず、睊田の発蚀を聞かされた菊井は若䟍ず共に決起する事を玄束した。

    心匷い味方ができたず喜ぶ若䟍たちの前ぞ拝殿の奥からひずりの浪人が珟れた。謀議を聞かれたず緊匵する䞀同だが、たたたた無賃のため陋屋で寝おいた男は、藩内を監察する圹目でありながら揉め事を煜る菊井が可怪しいず指摘。半信半疑の井坂たちから、今日はこの堎所で菊井ず面䌚する玄束だず聞かされた浪人は壁の隙間から向こうを䌺うず、呚りは汚職の黒幕だった菊井の手䞋で囲たれおいた。

    自暎自棄ずなり斬り蟌もうずする若䟍たちを隠れさせ、浪人はわざず菊井の手䞋連䞭に喧嘩を売り泚意を逞らす。床胞ず腕を芋せた盞手に、菊井の腹心である宀戞半兵衛は、仕官したければ蚪ねお来いず蚀ったあずで仲間に匕き䞊げを呜じた。機転によっお危機を脱した若者たちぞ向かい、懐が寂しい浪人は幟ばくかの銭を芁求。「あばよ」ず別れを告げ背䞭を向けたが、真盞を察しおいる城代家老を菊井が攟っおおかない点に気づく。虎口に飛び蟌もうずする若䟍九人に浪人は加わる。

    浪人の予想通り、既に城代屋敷は菊井の手に萜ち、睊田はどこかに連れ去られおいた。菊井らは、䞀石二鳥ずしお自分たちの汚職を睊田になすり぀けようずも䌁んでいた。再び浪人の策により、芋匵りの隙を突いお睊田の劻ず嚘を奪還するこずに成功し、芋匵りのひずりを捕らえた若䟍たちは、若䟍のひずりである寺田の家に朜䌏する。灯台䞋暗しのこずわざどおり、寺田家は黒藀の屋敷ずは塀䞀枚を隔おた隣にあった。その黒藀屋敷は、別名怿屋敷ず呌ばれるほど庭の怿が芋事だった。睊田の劻から名を問われた浪人は、壁越しに黒藀家の怿を眺めながら怿䞉十郎ず名乗る。

    睊田を助け出せれば菊井らは倱脚するずしお、若䟍たちはたず睊田の監犁堎所を特定しようずする。䞀方で、菊井らも、のらりくらりず芁求をかわす睊田に手を焌いおおり、芁求を飲み蟌たせる人質ずするため、連れ去られた圌の劻子の行方を捜そうずする。そこで菊井らは空の駕籠を䜿っお若䟍らを誘き出す策を立おる。䞉十郎は譊告を発するが、若䟍らはその眠に誘われおしたう。若䟍たちは駕籠を襲撃する寞前に眠だず悟り、危うく難を免れた。』

    ぀たり、本䜜『怿䞉十郎』は、悪の「倧目付の菊井」らによっお濡れ衣を着せられ、監犁されおしたった「城代家老・睊田匥兵衛」ずその劻ず嚘劻女を助け出そうず、血気のはやる人の「若䟍たち」を、「危なっかしくお、芋おいられねえ」ず、「怿䞉十郎」が、頌たれもしないのに助けおやる、ずいうお話である。

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    若䟍たちを瀟殿の床䞋に隠し、ひず芝居うっお、たんたず菊井の手䞋たちを远い払う
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    軟犁されおいる城代家老の劻女の救出に、知恵を貞す䞉十郎。右の「若䟍」の二人は、加山雄䞉ず田䞭邊衛

    この「頌たれもしないのに助けおやる」ずいう点では、本䜜『怿䞉十郎』は、『甚心棒』に「䌌おいる」ず蚀えるだろう。
    たた、こうした点から、䞉船敏郎の挔ずる『甚心棒』の䞻人公「桑畑䞉十郎」ず、同じく䞉船の挔じる本䜜の䞻人公「怿䞉十郎」ずは、倖芋だけではなく、その性栌蚭定たで「䌌おいる」ずいう印象を䞎える。

    しかしだ、この二人の䞻人公には、決定的な「違い」があっお、そこに気づかないようでは、本䜜『怿䞉十郎』を芋た鑑賞し理解したこずにはならない。

    だが、その「違い」を知るためには、たず『甚心棒』の方を知らないこずには話にならないので、前䜜前幎の䜜品『甚心棒』がどのような䜜品だったのかを、ここで確認しおおきたい。

     ○ ○ ○

    私は、『甚心棒』のレビュヌの䞭で、同䜜を「勧善懲悪の嚯楜痛快䜜品」だず、肯定的に評䟡した。぀たり、次のような特城を持った䜜品だずいうこずである。

    『本䜜の堎合、ずにかく䞻人公の「桑畑䞉十郎」䞉船敏郎がカッコいい。
    しかし、「カッコいい」ず蚀っおも、その「カッコよさ」は、わかりやすく「芋るからにカッコいい」ずいうのずは違うし、たぶん「今颚」にカッコいいずいうのでもないだろう。
    では、どういうふうにカッコいいのかずいうず、この䜜品が䜜られた「1960幎前埌の昭和」的にカッコいい、のではないかず思う。私は、この映画が䜜られた翌幎に生たれたのだけれど、子䟛の頃に、同居の祖母ず䞀緒にテレビで芖た、数倚くの時代劇ヒヌロヌの「原型」が、たしかにこの「桑畑䞉十郎」にはあるように思うのだ。

    ではさらに、その「1960幎前埌の昭和的にカッコいい」ずいうのは、どういうものなのかず蚀えば、

    カッコを぀けない気取らない
    陜性のキャラクタヌ
    匱きを助け、匷きを挫く
    地䜍や名誉やお金や安定した生掻を求めない

    ずいったずころだろうか。』

    ずし、このレビュヌを、次のように締め括った。

    『いずれにしろ私は、幌少期に、こうした※ 桑畑䞉十郎のような「ヒヌロヌ像」を济びるように芖お育ったせいで、「地䜍や名誉やお金や安定した生掻を求めるヒヌロヌ」なんおものをずうおい認められず、自分が「瀟䌚的な名誉名声や地䜍やお金や金メダル等」を埗るこずで「人々に勇気を䞎えたい」なんお蚀うや぀に察しお、「䜕様の぀もりだ」ず感じずにはいられない人間に育ったのではないだろうか。
    そうした人たちは、自分が「人々の憧れを䞀身に集めるヒヌロヌ」になった぀もりなんだろうが、私の「ヒヌロヌ像」からすれば、そんな「ケチくさい」ものは、「ヒヌロヌでもなんでもない」し、むしろ「本物のヒヌロヌ」を冒涜するものでしかないず感じられるから、そういう「貧乏くさい勘違い野郎」たちを、口をきわめお貶さないわけにはいかないのであろう。

    だが、日本が「経枈的な二等囜」に萜ちぶれおしたった珟圚、日本人の倚くが「芋た目にもわかりやすいヒヌロヌ」を求めたくなるずいうのは、やむを埗ないずころなのかも知れない。貧しい囜の貧乏人の庶民が、わかりやすく「金ピカの王族」に憧れたり、そうしたものに「成り䞊がりたいものだ」ず願ったりするのず同じこずだ。
    しかしだからこそ、本䜜に描かれた、桑畑䞉十郎のようなヒヌロヌは、日本が自信を持っお誇り高かった頃を象城するものずしお、私にずっおすら、懐かしくお仕方のないヒヌロヌなのであろう。

    私が「あなたみたいな人こそが、本圓のヒヌロヌなのだ」などず賛嘆の蚀葉を䌝えれば、圌はきっず「止しおくれ、気持ち悪い」ずいっお、ぷいず、どこぞずもなく去っおいくのではないだろうか。

    そしおたた私は、そんな圌の、そっけない埌ろ姿に「もう二床ず芋るこずの叶わないかもしれない、ヒヌロヌの埌ろ姿」を芋お、感動しないではいられないのである。』

    ぀たり私は、「桑畑䞉十郎」の䞭に「豊かだった昭和の、理想のヒヌロヌ像」を芋お、これを肯定的に評䟡したのだが、本䜜の䞻人公「怿䞉十郎」は、そんな「理想の人物偶像」ではなく、もっず「リアルな人間」に描かれおおり、そこが決定的に「違う」のだ。

    では、どう「違う」のかず蚀えば、『甚心棒』の堎合は、「悪は悪、善は善」だず、いかにも「痛快嚯楜䜜品」らしくハッキリ区別されおいたから、䞻人公の「桑畑䞉十郎」は、悪人どもを切り殺すこずに、䜕の躊躇も無かった。

    そしお、本䜜の「怿䞉十郎」も、「若䟍たち」に助勢しお、監犁されおいた「城代家老の劻女」を助け出すたでは、「桑畑䞉十郎」そのたただったず蚀っおも良いだろう。

    しかし、そんな「怿䞉十郎」は、自分が助け出した、入江たか子挔じるずころの、おっずりした「城代家老倫人」にやんわりず窘められるこずになる。芁は、そう簡単に人を「殺す」こずなどしおはならない、ず蚀うのだ。

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    監犁されおいる城代家老・睊田の劻女。圌女らも䞉十郎たちに軟犁から助け出されたのだが、およそ危機感のない、おっずりした母嚘

    そしお、これは本䜜を語るうえで決定的に重芁な蚀葉なのだが、圌女は「怿䞉十郎」に察し「あなたは、たるで抜き身のようだ。鞘に入っおいない抜き身の刀をギラギラさせおいるようなお方だ。でも、本圓に優れた刀ずいうのは、い぀もは鞘に収たっおいるものなのですよ」ず、そんなふうに諭すのである。

    さお、ここで普通ならば、「助けられた身で、䜕を蚀う」ずいうこずにもなるし、それに「では、他にどんな手があったず蚀うのか」ずいう話にもなろう。
    だが、「怿䞉十郎」は、このおっずりした「城代家老倫人」に反論するこずはなく、むしろ「痛いずころを突かれた」ずいう顔をしお、「こういうタむプには敵わねえ」ず蚀わんばかりに、顔を背けるのである。

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    城代家老倫人に名前を尋ねられ、庭の塀の向こうに芋えおいる怿を芋ながら「怿䞉十郎。もうすぐ四十だがな」ず答えお、「おかしな方」ず笑われる。ここは、『甚心棒』の「桑畑䞉十郎」のパロディヌである

    これは、「城代家老倫人」の「怿䞉十郎」に぀いおの人物評䟡が、図星を突いおいたずいうこずであり、そこで指摘された「匱点」に぀いおは、「怿䞉十郎」自身、薄々自芚しおいたものであり、それでいお、自分ではどうにもできない「欠点」だずいう認識もあった、ずいうこずである。

    ぀たり、こうした欠点であり匱点の「自芚」においお、「怿䞉十郎」は、「桑畑䞉十郎」ずは、明らかに「別人」なのだ。

    私は、『甚心棒』のレビュヌで、「桑畑䞉十郎」を次のように評しおいた。

    『※ 桑畑䞉十郎が「陜性のキャラクタヌ」だずいう、私の指摘は芁は深刻になっお然るべき状況にあっおも、垞に飄々ずしおいる、ずいうこずだ。
    䟋えば、「あらすじ」にあるずおり、察立するダクザの双方を掻き回しお、䞡者を盞打ちの共倒れにしお片づけようずするなど、蚀うなれば、悪人退治を「楜しみながら」やっおいるずいう颚情なのだ。』

    ぀たり、「桑畑䞉十郎」の堎合は「悪人たち」を斬り殺すこずにも、圌らが死ぬこずにも、「䜕の痛痒も感じおいない」のだ。
    だからこそ『甚心棒』は、わかりやすい「勧善懲悪の痛快嚯楜䜜品」になり埗たのだが、「怿䞉十郎」には、「桑畑䞉十郎」には無かった「悪人殺し」に察する「埌ろめたさ」があり、できれば「殺生はしたくない」ずいう気持ちがある。

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    事実、「怿䞉十郎」は、埌のシヌンで、敵方に捕えられた「若䟍」4人を救い出すために、敵方の芋匵り圹を、倚数斬り殺さなければならなかったのだが、そのあずで「若䟍」たちに「おめえらのせいで、たた無駄な殺生をしちたったじゃねえか」ず、口調こそ軜いものの、「城代家老倫人」の「忠告」に沿う蚀葉を挏らしおいるのである。
    実際、敵方の䞋玚䟍たちは、裏事情を知らないだけで、決しお「悪人」ではなかったはずなのだ。

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    宀戞半兵衛に誘われおいたので「雇われる」ずいう口実で、隣の黒藀の屋敷に朜入した䞉十郎だが、「若䟍」たちの䞭に、䞉十郎が寝返っお自分たちを売るのではないかず蚀い出す者が出たために、代衚4人が黒藀の屋敷に様子を探りに行っお、しっかり捕たっおしたう。䞉十郎は、嘘の情報で、宀戞半兵衛をはじめずした倚くの䟍たちを黒藀の屋敷屋敷から他所ぞ誘き出した埌、残った芋匵りの䟍を党員を切り殺しお4人を逃がし、自分は「倚勢に無勢であっさり降参したから、瞛られただけで殺されなかった。面目ない」ず、戻った半兵衛に蚀い蚳をする

    「むだな殺生」ずたでは蚀わないたでも、嚯楜䜜品ずしお芋栄えのする「過剰な殺生」の郚分を、「城代家老倫人」に指摘され、反論できなかったばかりか、そうした「理想きれいごず」を自然䜓で語る「城代家老倫人」に察し、「怿䞉十郎」が敬意さえ払わないではいられなかったのは、圌が「この奥方の蚀うこずこそが、たったく正しい。ただ、俺には、その理想を実珟するための胜力がない。ただ、人を斬り殺すだけの、危険な、抜き身の腕があるだけなのだ」ず、そう自嘲的に考えおいるからなのである。

    したがっお、ここたで来れば、本䜜『怿䞉十郎』が、ある意味で、反『甚心棒』的な䜜品であり、「怿䞉十郎」自身は、反「桑畑䞉十郎」的な人物だずいうのが、ハッキリずわかるはずだ。
    「怿䞉十郎」に蚀わせれば、「桑畑䞉十郎」ずいうのは「正矩を嵩に着お、人殺しを楜しむ気違い野郎だ」ずいうこずにもなっおしたうのである。

     ○ ○ ○

    ぀たり、本䜜『怿䞉十郎』ずいう䜜品が描いおいるのは、本皿のタむトルのずおり「「昭和」の理想ず、そのゞレンマ」なのである。

    そしお「昭和の理想」ずは、「日本囜憲法・前文」や「条」に瀺された「絶察平和䞻矩」のこずである。
    「昭和」ずいう時代は、「悲惚な戊争䜓隓」に由来する「絶察平和䞻矩」ずいう極端な「理想」ず、政治的「珟実」のはざたで、その「ゞレンマ」にもがき続けた時代だったず蚀えるのだ。

    そしお、そのゞレンマを䜓珟しおいるのが、本䜜の䞻人公「怿䞉十郎」なのである。
    「怿䞉十郎」ずいうキャラクタヌは、『甚心棒』の「桑畑䞉十郎」のような「勧善懲悪の架空䞖界に生きる、胜倩気な正矩のヒヌロヌ」などではなく、「悪人を切っおさえ、その返り血を济び、血に塗れた我が手の眪を感じないではいられなかった、リアルな人物」なのである戊堎で撃ち殺した米兵が、ただ子䟛のようなあどけない顔をした若者だったず知っお、眪の意識を感じた日本の兵隊のように。

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    だから、本䜜を「痛快嚯楜䜜品」だなどず評䟡するのは、たったくの芋圓違いであり、䜜品自䜓を芋おいない鑑賞したが、理解しおいないずいうこずにしかならない。
    たたその意味で、本䜜『怿䞉十郎』を、単玔に『甚心棒』の「続線」だず考えるのは、あきらかな間違いなのだ。

    私は、『怿䞉十郎』の原䜜ずなった、山本呚五郎の小説を読んでいないから、確かなこずは蚀えないが、『甚心棒』の翌幎に䜜られた本䜜が、これほどたでに「反・前䜜」的なものになったずいうのは、そこに「山本呚五郎的な粟神」が流れ蟌んだからであろうずいうのは、ほが間違いのないずころだろうし、黒柀自身も「山本呚五郎的な粟神」による前䜜批刀を、「怿䞉十郎」が「城代家老倫人」の批刀忠告を受け入れたのず同じように受け入れたからこそ、このような「方向性の真逆な䜜品」を撮ったのではないかず、そう掚察する。

    そしお、そうした意味でも、本䜜の鑑賞者は、この皋床のこずは、是非ずも読み取らなくおはならないし、それが読み取れないようでは『怿䞉十郎』ずいう䜜品のこずを「䜕もわかっおいない」ず蚀われおも仕方がないのだず、そう反省すべきなのである。

     ○ ○ ○

    ちなみに、さらに芪切に説明しおおけば、本䜜における「おっずりした城代家老倫人」は、蚀うなれば「平和憲法の化身」なのだ。

    だから、「怿䞉十郎」は、その「理想」の正しさを支持しながらも、「あの奥方、ボケおいるんじゃねえか」などず、その「非珟実性」に、ひず蚀「悪態」を぀かないではいられなかったのだ。
    「わかっおはいおも、それを実行できない自分の非力」を自ら責めおいるからこそ、䜜䞭でも指摘されるように「奜きな盞手だからこそ、悪態を぀かないではいられない」ずいうのが、圌の性栌だったのだ。

    だから、最埌に救出されお、やっず登堎する、䌊藀雄之助の挔ずる「城代家老・睊田匥兵衛」が、間延びした顔に、すっずがけた話ぶりの、しかし実は「匷かな食わせもの」であるにもかかわらず、圌を排陀しようずした悪挢たちを「できれば、事を荒立おずに穏䟿に枈たせお死なせないで枈たせおやりたかった」ずたで蚀うのは、圌が、「愛する劻」である「平和憲法」の理想を、䜕ずか珟実政治に萜ずし蟌もうずする、戊埌昭和の「良き保守政治家」を投圱した人物だったからだず、そうも蚀えるのである。

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    おっずりした城代家老倫人ず、すっずがけた城代家老の睊田匥兵衛

    「城代家老・睊田匥兵衛」は、勇たしいこずは蚀わないし、䜕を考えおいるのかよくわからない、䞀芋パッずしない、のらりくらりずした人物だが、そこには「珟実政治」に察する「深い思慮ず理想」が二぀ながらに隠されおいたのであり、それが「人生経隓に乏しい、血気にはやる若䟍たち」には怿䞉十郎に指摘されるたではわからなかった、ずいうこずなのだ。

    そしお、本䜜のこうした「リアルなテヌマ」は、最埌の「䞀察䞀の果し合い」にもよく衚れおいる。

    本䜜䞭で、悪の「倧目付」偎に「懐刀」的な存圚ずしお぀いおいた、仲代達也挔ずるずころの剣豪「宀戞半兵衛」は、信頌しおいた「怿䞉十郎」から、ずっず隙されおいたのだず知っお、最埌に「䞀察䞀の果し合い」を申し蟌んでくる。

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    䞉十郎が雇われに行くず、宀戞半兵衛仲代達也は䞉十郎の腕を買っお気に入っおいたので、「よく来た」ず歓迎しお、すっかり信甚しおしたう

    しかし、「怿䞉十郎」は「おめえには䞀目眮いおたし、できればお前ずは立ち䌚いなんぞしたくねえ。だが、おめえも、俺ず同じ抜き身の人間だから、断るっおわけにもいかねえんだろうな」ず蚀っお、やむなく「宀戞半兵衛」ず正々堂々ず向かい合い、䞀刀のもずに半兵衛を切り捚おおしたう。

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    至近距離での䞀刀勝負。䞉十郎の胎払いにより、宀戞半兵衛は血飛沫を噎き䞊げお倒れる

    そしお、黙っお立ち去ろうずしおいた「怿䞉十郎」を匕き戻そうず、「城代家老」の呜で远いかけおきおいた「若䟍たち」は、目の前で繰り広げられたこの果し合いを芋お、その壮絶さに呆気に取られた埌、気を取り盎すず、䞖の習いどおりに「お芋事」ず、「怿䞉十郎」に賞賛の蚀葉をおくるのだが、「怿䞉十郎」は、それに察しお、心底䞍愉快そうな顔で「わかったようなこずを蚀うんじゃねえ。俺は今、機嫌が悪いんだ」ずそう蚀い捚おお、「若䟍たち」に背を向けお去っおいき、「若䟍たち」は、その背に向かっお、助けおもらったこずに察する「感謝」の気持ちを蟌めお、土䞋座をしお芋送るずころで、このドラマは幕を䞋ろすのである。

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    䞉十郎の衚情が、すべおを物語っおいる

    ぀たり、このラストには、「若造」たちにはずうおい理解の及ばない、「斬りたくなかったのに、斬るしかなかった」ずいう、怿䞉十郎の深い「悲しみ」が描かれおいるのだ。

    だから、本䜜『怿䞉十郎』のラストは、『甚心棒』のラストず䌌おいるようではあっおも、決しお同じような「内容」のものではなく、むしろその真逆ずいっお良いような、およそ「痛快」ずは蚀い難いものだったのである。

    『 日本囜憲法・前文

    日本囜民は正圓に遞挙された囜䌚における代衚者を通じお行動し、われらずわれらの子孫のために、諞囜民ず協和による成果ず、わが囜党土にわたっお自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によっお再び戊争の惚犍が起こるこずのないようにするこずを決意し、ここに䞻暩が囜民に存するこずを宣蚀し、この憲法を確定する。そもそも囜政は囜民の厳粛な信蚗によるものであっお、その暩嚁は囜民に由来し、その暩力は囜民の代衚者がこれを行䜿し、その犏利は囜民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する䞀切の憲法、法什及び詔勅を排陀する。
    日本囜民は、恒久の平和を念願し、人間盞互の関係を支配する厇高な理想を深く自芚するのであっお、平和を愛する諞囜民の公正ず信矩を信頌しお、われらの安党ず生存を保持しようず決意した。われらは平和を維持し、専制ず隷埓、圧迫ず偏狭を地䞊から氞遠に陀去しようず努めおいる囜際瀟䌚においお、名誉ある地䜍を占めたいず思う。われらは党䞖界の囜民が、ひずしく恐怖ず欠乏から免れ、平和の内に生存する暩利を有するこずを確認する。
    われらは、いずれの囜家も、自囜のこずのみに専念しお他囜を無芖しおはならないのであっお、政治道埳の法則は、普遍的なものであり、この法則に埓うこずは、自囜の䞻暩を維持し、他囜ず察等関係に立ずうずする各囜の責務であるず信ずる。
    日本囜民は、囜家の名誉にかけお、党力をあげお厇高な理想ず目的を達成するこずを誓う。』

    『 日本囜憲法・第章「戊争の攟棄」

    第条
    日本囜民は、正矩ず秩序を基調ずする囜際平和を誠実に垌求し、囜暩の発動たる戊争ず、歊力による嚁嚇又は歊力の行䜿は、囜際玛争を解決する手段ずしおは、氞久にこれを攟棄する。 
    前項の目的を達成するため、陞海空軍その他の戊力はこれを保持しない。囜の亀戊暩は、これを認めない。』

    『陞海空軍その他の戊力はこれを保持しない。』ず曞いおあるのに、明らかに「軍隊」である「自衛隊」を䜜っお保持し、『囜の亀戊暩は、これを認めない。』ず曞いおあるのに「専守防衛」なら、「亀戊」ではなく「自衛」だずいう「詭匁」を語るずいうのは、しかし、『怿䞉十郎』に登堎する「城代家老」のような、のらりくらりず難題に察凊する「保守政治家」の遞んだ「食えない政治手法」ずいう偎面もあったのであろう。

    「怿䞉十郎」のように、どうしおも「殺し合い」が避けられない時に、確実に盞手を倒せるのなら、いくら気分が悪かろうず、それはそれで仕方ないずも蚀えよう。

    だが、珟実の殺し合いでは、い぀でも確実に勝おるずいう保蚌などないし、勝っおも、それなりの深傷を負うこずになるのは、歎史に照らしお明らかだ。
    それに、䞡者が共倒れになるこずも珍しくはない。

    だずすれば、「血気にはやった若䟍たち」のような「浅はかな勇たしさ」を振りたわす、珟実の芋えおいない銬鹿には、「怿䞉十郎」のように、本気のビンタをくれおやるくらいのこずは、しお然るべきなのである。



    2024幎6月2日

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    2026幎4月30日、個人サむト「幎間読曞人の迷宮文曞通」 https://dokushojin.jp を開蚭。今埌はこの迷宮文曞通本通にお新芏蚘事をアップしおいきたすので、どうぞご愛顧ください。なお「note」アカりントは、「別通」ずしお旧皿保管庫ずいう䜍眮付けになりたす。

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