
投稿論文不採択。「リベンジ」と戦術変更ー査読への挑戦③
4月は、アカデミアの評価軸の厳しさを強く意識させられる月だった。
日本の経営学界で大きな存在感を持つ学会では発表採択を得られた一方で、別の学会では要旨段階で不採択となった。
同じ研究をめぐって、ある場では通り、ある場では落ちる。その差を前にして、学術の世界では「面白い」だけでは足りず、どの理論会話に入り、どの形式で示すかまで含めて問われるのだと、改めて思い知らされた。
不採択の通知を受け取ったその日、私は手元にあった3本目の論文原稿を開いた。
「落とされたのなら、違うステージで形にして見せるまでだ」
そう考え、別の投稿先に向けて改稿に着手した。
短期間で一気に書き上げることには自信がある。実務の世界では、スピードはしばしばそのまま競争力になる。今回も、その感覚で一気に押し切ろうとした。
だが、約1週間後に届いたのは、編集委員会による事前審査での不採択通知だった。
いわゆるデスクリジェクトであり、本審査(査読)の土俵には上がれなかった。
通知に書かれていた指摘は、要約すると次のようなものだった。
PMIの先行研究レビューが不十分であり、学術的新規性が十分に示されていない
独自理論を論じる根拠が、先行研究との関係の中で示し切れていない
既存研究、とくに先行理論との関連づけが弱く、概念の妥当性や観察可能性が担保されていない
提示した命題について、それ以前の議論からの論理的根拠が十分に読み取れない
しかも、最後にはこう添えられていた。
「これらのコメントをもとに論文全体の抜本的改訂を行った上で、再度投稿(新規受付として再審査)を検討してほしい」
自己紹介
1、指摘は、すでに別の場所でも受けていた
この通知を読んだとき、私はショックを受けると同時に、奇妙な納得感も覚えていた。
そこに並んでいた言葉は、以前に外部の懸賞論文で受けた査読コメント、そして4月中旬に指導教員から受けた「先行研究と丁寧に対話しなければ、ただの経験談で終わる」という指摘と、ほとんど同じだったからだ。
つまり、私の原稿の弱点は偶然に一度指摘されたのではなかった。
外部の審査者も、指導教員も、別々の場所から、同じ箇所を見抜いていたのである。
3日間の突貫工事で改稿した原稿だった。
自分では「論理は通った」と思っていた。だが、それはあくまで実務家としての感覚に近かったのだと思う。アカデミアの基準では、論理が通っているかどうかは、自分の手応えではなく、先行研究との位置関係の中で初めて判定される。
実務の世界では、経験から導いた仮説をそのまま意思決定につなげることができる。
しかし学術の世界では、経験から見えたことをいったん相対化し、既存研究の中に置き直し、何が既知で、何が自分の発見で、どこまで言えるのかを一つずつ積み上げなければならない。
今回の不採択は、その当たり前を改めて突きつけるものだった。
2、それでも、止まる理由にはならなかった
とはいえ、ここで立ち止まるという発想は私にはなかった。
ビジネスの現場では、問題が明確に見えたときは、むしろ次の一手を打ちやすい。
今回も同じだった。
「問題点がこれだけ明確に示されたなら、直して、もう一度出せばいい」
そう考え、すぐにスケジュールを引き直した。
1日目
まず、不採択コメントを徹底的に読み込み、なぜ自分の原稿が「経験談」に見えるのかを自己分析した。
どこで先行研究との対話が切れていたのか。どこで概念が浮いていたのか。どこで命題が論理の上に乗り切っていなかったのかを、原稿の構造に沿って洗い直した。
2〜3日目
不足していた先行研究を追加で探索し、関連づけの仕方を見直した。
とくに、PMI研究だけでなく、意味づけ研究や組織変革研究とどう接続するかを考えながら、データの見方も改めて再分析した。
4〜6日目
論文全体の骨組みを見直した。
単に文を直すのではなく、問題設定、先行研究、方法、事例、結論の流れそのものを組み替えた。
何を前に出し、何を引っ込めるのか。どこまで主張し、どこからは「探索的整理」として留めるのか。その線引きを考え続けた。
そして、不採択通知を受け取ってからちょうど7日目。
私は改訂原稿を再び送信した。
3、ただし、今回は「同じ論文」をそのまま出したわけではない
ここで一つ、前回とは違う判断をした。
投稿区分を、原著論文から研究ノートへ変更したのである。
この変更は、自分の中ではかなり大きかった。
最初の私は、事例から得た知見を、できるだけ大きな理論として提示したいと考えていた。
だが、今回の不採択を受けて気づいたのは、その原稿の現在地だった。
25年の実務を通じて得たPMI事例は、それ自体として十分に価値がある。
しかし、そこから導き出した概念や命題を、完成した原著論文として押し切るには、先行研究との対話の厚みがまだ足りなかった。
ならば、現時点で無理に「完成した理論」として出すよりも、まずは現場から見えてきた現象を、探索的な整理として提示する方が適切ではないか。
そう考えた。
研究ノートへの変更は、単なる格下げではない。
原稿の価値を下げたのではなく、原稿の役割を再定義したのである。
つまり、
原著論文として「完成した理論」を出すのではなく、
研究ノートとして「いま提示できる確かな問題提起と比較整理」を出す
という戦術変更だった。
自分の強みは、現場に深く入り込んで得た生々しいデータと、そこから見えてきた違和感を捉える力にある。
ならば、その強みをまず適切な媒体で形にし、そこから次の理論化へ進めばよい。そう判断した。
4、4月から5月にかけて、何度も同じ壁にぶつかった
この数週間、私は文字通り、書いては突き返され、直しては考え直す日々を送っていた。
学会要旨の不採択。
事前審査でのデスクリジェクト。
過去の懸賞論文で受けた厳しいコメントとの再会。
指導教員からの助言との一致。
正直に言えば、落ち込まないわけではない。
だが、そのたびに少しずつ見えてきたものがある。
実務家がアカデミアに入ったとき、最初にぶつかる壁は、知識量の不足だけではない。
それ以上に大きいのは、自分の経験を、先行研究との対話の中で位置づけ直す作法を身につけることだと思う。
実務では、強い経験はそのまま説得力になる。
だが研究では、強い経験ほど、そのままでは危うい。
なぜなら、そこには「自分には見えている」という確信があるからだ。
その確信をいったん脇に置き、既存研究のどこに接続し、どこで不足があり、自分は何を補うのかを説明して初めて、経験は学術的主張へと変わっていく。
この数週間で、私はその訓練を、かなり手荒い形で受けたのだと思う。
5、実務家の皮膚感覚を、研究者の論理へ
4月から5月にかけての私は、まさに乱気流の中にいた。
しかし、その乱気流の中で感じているのは、単なる消耗ではない。
むしろ、自分の中にあった実務家としての皮膚感覚が、少しずつ研究者の論理へと変わっていく手応えである。
もちろん、まだ途中だ。
先行研究との対話も、概念の精緻化も、方法論の厳密化も、まだ足りない。
だが、足りない場所がようやくはっきり見えてきた。
それは、以前より確実に前進しているということでもある。
研究ノートとして再投稿したこの原稿が、今後どう評価されるのかはまだ分からない。
だが少なくとも、今回の一連の不採択は、単なる敗北ではなく、自分の研究の弱点を可視化し、次の戦術を選び直すための時間だった。
5月の終わり。
まだ戦いの途中にいる。
それでも、以前より少しだけ、自分が何と戦っているのかが分かるようになってきた。
(つづく)
査読への挑戦④
査読への挑戦①
査読への挑戦②
査読への挑戦⑤
査読への挑戦⑥