
修士論文完成、そして鼻をへし折られた「査読」の洗礼ー査読への挑戦①
修士論文の完成にめどが立ったM2の年末。年を越せば、2026年3月には修士課程修了という実感が湧き始めていた頃です。私は、修了後のプランとして「1年間あけてから博士後期課程へ進学する」という決意を固めていました。
手元には、泥臭く書き上げた100ページ超の修士論文がある。
実務家としてのアウトプットのスピード感に慣れていた私は、心の中でこう目論んでいました。 「この100ページをベースにパーツを切り出して掘り下げていけば、投稿論文や懸賞論文なんていくらでも量産できるぞ」と。
もちろん、学術界のタブーである二重投稿リスクや自己剽窃(じこひょうせつ)リスクには細心の注意を払い、修論のデータを丁寧に再構成して、勢いそのままに2本の単著論文を書き上げ、意気揚々と投稿へと踏み切ったのです。
この時の私は、これから待ち受けるアカデミアの本当の「壁」を、まだ見くびっていました。
自己紹介
1. 修論最終試験、最初の油断
最初の洗礼は、年明け早々に行われた修士論文の最終試験(口頭試問)でした。主査・副査の先生方の前で自分の研究を発表する舞台です。
当時の私は、100ページを書き上げたという圧倒的な達成感に満足しきっており、「もう論文は完成しているのだから、あとは発表さえ無難にこなせばOKだろう」と完全に高をくくっていました。夏の学会発表の成功が、先生との「共同発表」という強力な後ろ盾あってのものだったという事実に、恥ずかしながら油断していたのです。
想定問答すら用意していなかった私に対し、先生方からは容赦のない、本質を突いた質問が飛び交います。私はあやふやな回答しか返せず、合格こそいただいたものの、誇らしかった鼻は見事にへし折られました。
そして、その苦い質疑応答の最中、私の脳裏を最悪の予感がよぎりました。 「……待てよ。すでに投稿してしまった論文と、今書いている途中の論文、このままだと全部ヤバいんじゃないか?」
2. 恩師からの厳しいレビュー
修論試問での冷や汗が乾かぬうちに、私は書き上げた投稿論文の原稿を指導教員に共有し、レビューを仰ぎました。
修士課程を無事に終えたという安穏とした気持ちは、先生のフィードバックによって一瞬で吹き飛びました。返ってきたのは、修論執筆時を思い出させるような、妥協のない厳しい指摘でした。
「先行研究の読み込みが圧倒的に足りない」 「肝心な部分で理論の説明が不足している」 「これでは、ただのあなたの『経験論』で終わってしまっている。論文になっていない」
この言葉を受けたとき、私の胸のざわつきは頂点に達しました。投稿済みの1本については、もはや結果を待つしかありません。私は必死で、まだ手元にあった執筆途中の残りの論文を開き、先行研究から見直して大修正をかけました。
しかし、その後に届いた外部からの通知によって、先生の指摘がいかに的確であったかを、思い知らされることになります。
3. 予感の的中、そしてボコボコの査読結果
まもなく返ってきた外部の懸賞論文の査読結果は、言葉通り「ボコボコ」に叩きのめされるものでした。そこに並んでいた言葉は、厳しい実務の世界を生き抜いてきた身にとっても、目の前が暗くなるほどの破壊力を持っていました。
「そもそも先行研究の網羅性が致命的に足りない」 「主張に対する根拠が極めて乏しい」 「方法論(リサーチ・デザイン)の説明が荒すぎる」 「アカデミックライティングの基礎からやり直しなさい」
極めつけには、「学術誌ではなく、実務家向けの商業誌や業界誌への投稿を考えた方がいいのではないか?」という、研究者としての存在意義を問われるような言葉まで書かれていたのです(笑)。
驚くほど、事前に先生から厳しく指摘されていた内容と完全に重なっていました。指導教員の目、そして学術界の「査読」というフィルターは、私の甘さを1ミリも見逃してはくれませんでした。
4. 査読でボコボコにされるのも、プロセスのひとつ
25年のキャリアを持ち、10社以上の経営に携わってきた自分の「経験」や「知見」が、アカデミアの厳密な評価基準(型)の前では、生煮えのレポート同然に扱われる。この圧倒的な実力差を突きつけられることこそが、社会人研究者が通るべき本当の洗礼なのだと知りました。
商業誌を勧められた文面を見た時は流石に苦笑いするしかありませんでしたが、不思議と心が折れることはありませんでした。
「だったら、その『型』とやらを徹底的に叩き込んでやる」
へし折られた鼻の痛みを引きずりながらも、私はボロボロにされた査読コメントの1行1行と向き合い、修正できる箇所は徹底的に修正を重ねました。その上で、すぐさま次の学会発表の申し込み、 学術誌への投稿へとハンドルを切りました。
実務の修羅場と同じです。叩かれたのなら、その教訓を吸収して、より強固な論理を組み立てて次の打席に立つだけ。
査読でぼこぼこにされるのも、一流の研究者になるための「必要なステップ(ひとつ)」に過ぎない――。
そう自分に言い聞かせながら、私は再び這い上がっていくのでした。
振り返れば、この経験は単なる失敗ではなく、研究者として必要な作法を学ぶ機会だった。先行研究をどう位置づけるのか、方法論をどう明示するのか、自分の経験をどこまで一般化してよいのか。査読は、そのすべてを突きつけてくる場だと思います。
(つづく)
査読への挑戦②
査読への挑戦③
査読への挑戦④
査読への挑戦⑤
査読への挑戦⑥