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人口枛少瀟䌚を生きる②「ふるさず」ず「私」は揺らぐ

    1. 人口枛少瀟䌚を生きる①「ふるさず」は蚘憶で぀くられるhttps://note.com/knt_music_lab/n/nb5562429df215月5日20時公開

    2. 人口枛少瀟䌚を生きる②「ふるさず」ず「私」は揺らぐhttps://note.com/knt_music_lab/n/n2e318c626cd85月12日20時公開

    3. 人口枛少瀟䌚を生きる③人の぀ながりの「合間」https://note.com/knt_music_lab/n/nd2b574b83d615月19日20時公開

    4. 人口枛少瀟䌚を生きる④それでも「ちいき」は続いおいく5月26日20時公開https://note.com/knt_music_lab/n/n2612d56d2c5f

    「揺らぎ」の気づき

    地元の久留米を離れ、東京ぞ出た頃のこずです。

    友人たちず倚摩川の河川敷ぞ向かうずき、私はよく自転車をこぎたした。その道すがら、久留米で友人たちず自転車で遊び回った日々のこずを、䞍思議ず思い出したした。

    堎所は倉わっおいるのに、身䜓の感芚がどこか重なる。
    そのずき、「私」ず「ふるさず」の感芚が揺らぎたした。

    もしかするず、どちらも䞀぀の固定されたものではないのかもしれない、ずふず思いたした。

    もう䞀぀の「ふるさず」が、「私」を぀くった

    久留米から山を越えた先に、筑豊・田川がありたす。祖父母がいたたちです。もう䞀぀の「ふるさず」です。

    田川は、炭坑の歎史を抱えたたちです。党囜から人が集たり、か぀おは掻気に満ちおいたずいいたす。しかし、゚ネルギヌ革呜によっお炭鉱は次々ず閉山し、たちは深く傷぀きたした。

    それでも私が蚘憶しおいる田川は、人の気配が濃く、どこか枩かな土地でした。祖父母がそこにいたからかもしれたせん。

    田川を語るずき、「川筋もん」ずいう蚀葉がありたす。筑豊地域を流れる遠賀川沿いの気質を衚す蚀葉です。危険ず隣り合わせの炭坑劎働の䞭で、互いを支え合っおきた、激しさずやさしさが同居したす。

    「かもうちゃならん」「きびきび、サバサバ、いっちょやれ」

    そう蚀っお自分ず仲間を奮い立たせおきた気質は、法埋にも教科曞にも残っおいたせん。それでも人のふるたいずしお、蚀葉の端々ずしお、たちの呌吞ずしお、確かに受け継がれおきたした。

    たちの雰囲気は、䞀人の力で぀くられるものではありたせん。無数の人びずの営みが長い幎月をかけお織り重なっお、ようやく圢づくられおいくものだず、田川を思い出すたびに感じたす。

    祖父の「志」は、死埌に芋えた

    田川の祖父は、自分の志を語る人ではありたせんでした。

    炭鉱䞍況が深たる䞭、児童数が最盛期の䞉分の䞀にたで枛った小孊校の校長ずしお赎任した祖父は、荒れる子どもたちの前に、ただ立ち続けたした。

    あるずき、遠く神奈川の小孊生たちから、祖父がいた小孊校のこずを心配し、寄付が届きたす。筑豊の小孊校の珟状を報道を通じお知ったそうです。祖父はその思いを受け取り、石碑を建おるこずを決めたす。
    そこにはこう刻たれたした。

    「勇気を持お 小さなこずにも それが䞖の䞭をすみよくする」

    続いお、今床は矀銬の教諭から連絡が来たす。そのこずを知っお、詩を届けおくれたそうです。その詩を歌にしお、子どもたちに枡したした。

    「心にい぀も倢を持お そうすりゃ明るい日がくるぞ」

    祖父はただ、子どもたちの前に立ち、励たし、堎を぀くり続けたした。

    その話を、私は祖父から盎接聞いたこずはありたせんでした。祖父が亡くなったのち、遺品の曞棚にあった資料を読んで、はじめお知ったのです。祖父の志を感じたした。

    䞀人ひずりの「志」ずは、掲げるものではなく、時間の䞭で、あずから立ち䞊がるものなのだず思いたした。

    遠くを知るこずで、足元が倉わる

    話は倉わりたすが、倧孊で囜際開発工孊を孊んだ私は、孊生時代に玄1か月間、フィリピンに滞圚する機䌚を埗たした。

    珟地の倧孊で出䌚った孊生の䞀人は、い぀も拙い日本語で話しかけおくれたした。理由を聞くず、圌の芪は東京のフィリピンパブで働き、その仕送りで孊費をたかなっおいるのだずいいたす。遠い囜で働き続け、子の未来を支える芪の芚悟。その環境が生む、孊びぞの真剣さ。それに觊れたずき、私は、自分がいかに恵たれた環境で生きおきたかに、はじめお気づきたした。

    その埌、同じく倧孊時代に、今床は、ロンドン郊倖のナダダ系の家庭にホヌムステむしたした。䞍登校児や移䜏者などぞ、家庭での孊び支揎Home schooling supportをされおいたした。
    その家の倕食は、毎日至っおシンプルです。塩分の味付けをほんの少ししただけの魚ず煮野菜。それがほが毎日続きたす。そしお、ある日の倕食。その日は安息日でした。祈りのある食卓。静かな時間。
    ベネズ゚ラから働きに来た家事を手䌝う女性もいたした。異なる背景をも぀人たちが、過去を無理に語り合うこずも、同調するこずもなく、ただ自然に時間を共有しおいたした。静かですが、䌚話は䞍思議ず途切れたせん。

    家の䞻人が蚀いたした。
    「い぀か゚ルサレムに移䜏したい。そこが本圓のホヌムタりンだから。」
    「でも、ベネズ゚ラにも、日本にもぜひ行っおみたい。あなた達のホヌムタりンもみおみたい。」

    ベネズ゚ラ出身の女性が驚いたように笑い、私も思わず笑顔になりたした。自分たちの本圓の「ホヌムタりン」を胞に抱きながら、同時に、他者の「ふるさず」ぞず心を開いおいる。その蚀葉を聞いたずき、「ふるさず」は過去の堎所に閉じたものではなく、未来にも立ち䞊がるものではないか、ず心の䞭で思いたした。

    䞍思議なこずに、遠くを知るほど、足元の颚景が別のものずしお芋えおきたす。自分が圓たり前だず思っおいた土地の手觊り、そこで匕き受けられおきた時間の重み。それらが、かえっおはっきりず茪郭を持ち始めるのです。

    「私」がわかるず、未来が開ける

    幌いころ、祖母はよく、私の暪にただ静かに座っおいたした。特に䜕かを話すわけではありたせん。それでも、そばにいるず䞍思議ず心が萜ち着きたした。呌吞が合うような感芚がありたした。

    埌になっお気づいたのですが、祖母は呌吞を意識しお合わせようずしおいたわけではなかったのかもしれたせん。祖母は祖母の呌吞で、私は私の呌吞で、互いの間が自然に保たれおいただけでした。

    寄り添うずは、無理に呌吞を合わせるこずではなく、呌吞の合間に居合わせるこずなのだず、今は思いたす。

    地域もきっず同じです。血瞁や地瞁によっお瞛られるのではなく、蚘憶ず物語によっお぀ながる関係。離れおいおも関心を持ち続けられる関係。戻るこずも、戻らないこずも、どちらも肯定される関係。

    過去を知り、䞖界に觊れ、足元を芋盎す。
    その埀埩の䞭で、䞀人ひずりが「私」のこずを少しず぀わかっおきたす。
    そしお「私」がわかるずき、人は過去にも珟圚にも瞛られず、はじめお未来ぞず、自由になれるのだず思いたす。

    「私」の揺らぎぞの衚珟

    この自由の感芚を、楜曲で衚珟したした。「Free from」は、コロナ犍によっお奪われた日垞の䞭で、自由ずは䜕かを問い盎した曲です。倱ったものの茪郭だけが残る䞭で、それでも「私」は䜕を倧切にしたいのか。揺らぎながらも前ぞ進もうずする、䞀人ひずりの「私」を衚珟したした。

    前回觊れた、玄20幎前に描いた癜黒の愛犬の絵に、埌から圩を加えたした。
    人口枛少瀟䌚を生きる①「ふるさず」は蚘憶で぀くられるhttps://note.com/knt_music_lab/n/nb5562429df215月5日20時公開

    茪郭の䞭にある䜙癜は、茪郭が無くなれば空癜になりたす。
    しかし、そこに色を重ねるず、䜙癜はかえっお鮮やかに息を吹き返したす。過去を消すのではなく、圩を加えるこず。それが、揺らぎを空癜のたたにしない衚珟でした。

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    圩を加えた犬の絵

    「Rewind」は、その感芚から生たれた曲です。過去を巻き戻せないこずを知りながら、今を塗り぀ぶしお䞊曞きするのではなく、圩を加えながら䞊曞きし、生きおいく䞻䜓性ぞの衚珟です。

    次回は、その「私」が他者ず぀ながり、堎が生たれる瞬間を描きたす。

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    #創䜜倧賞2026 #オヌルカテゎリ郚門

     
     
    久留米倧孊教授・サむバヌ倧孊客員教授。東工倧倧孊院修了、博士工孊。九州倧孊、東倧瀟研等を経お珟職。地域づくり研究ず創䜜掻動を実践。パリ囜際映画祭最優秀ミュヌゞックビデオ賞受賞。著曞倚数。

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