メインコンテンツへスキップ
見出し画像

人口減少社会を生きる④:それでも「ちいき」は続いていく

    1. 人口減少社会を生きる①:「ふるさと」は記憶でつくられる(https://note.com/knt_music_lab/n/nb5562429df21)(5月5日20時公開)

    2. 人口減少社会を生きる②:「ふるさと」と「私」は揺らぐ(https://note.com/knt_music_lab/n/n2e318c626cd8)(5月12日20時公開)

    3. 人口減少社会を生きる③:人のつながりの「合間」(https://note.com/knt_music_lab/n/nd2b574b83d61)(5月19日20時公開)

    4. 人口減少社会を生きる④:それでも「ちいき」は続いていく(5月26日20時公開)(https://note.com/knt_music_lab/n/n2612d56d2c5f)

    炭坑のカナリアは飛び立つ

    人口減少社会は、多くの人の死を迎える社会でもあります。
    人の死とは、その人の行為が終わることです。
    しかし、行為が終わっても残るものがあります。記憶と関係です。
    ある人の記憶と関係は残り、それがまた次の、誰かの行為を生み出していきます。
    この連なりがある限り、人口の多さに関わらず、社会は豊かであり続けるのだと思います。

    「炭坑のカナリア」という言葉があります。
    炭坑では、有毒ガスに敏感なカナリアが危険を知らせる役割を担っていました。籠に閉じ込められながら、命をかけて誰かを守るカナリア。
    そのカナリアが閉ざされた籠から飛び立つイメージは、苦しみの中で共有された経験が意味として立ち上がり、次の世代へ手渡されていく、人の人生と重なります。
    地域とは、社会とは、そのようにして手渡され、続いていくものです。
    地域や社会には、個々の人間の死のように、終わりはありません。
    炭坑のカナリアは飛び立つ。
    この感覚を楽曲「Cage」に込めました。
    『人口減少社会を生きる②「ふるさと」と「私」は揺らぐ』で触れた石碑の言葉、「勇気を持て 小さなことにも それが世の中をすみよくする」は、この「Cage」という楽曲の核心になりました。

    希望は未来に向かう「向き」

    経済学者の玄田有史先生は、希望学の研究を通じて、希望を「自ら探し、つくっていくもの」として論じてきました。
    希望とは、何かがうまくいく確信ではなく、「まだ続きがある」と感じられることなのだと思います。

    玄田先生とは、私の東京大学着任をきっかけに、様々なご縁をいただき、久留米や朝倉、うきは、岩手県釜石、新潟県妻有、瀬戸内など、各地を一緒に訪ね歩く機会にも恵まれました。

    希望学では、希望とは今の幸福の水準ではなく、未来に向かう「向き」そのものだと言います。
    今が苦しくても、「将来は少し違う風景があり得る」と感じられれば、希望は生まれる。その向きこそが、希望です。
    その感覚は、大きな理念ではなく、小さな言葉の中にも宿ります。

    玄田先生に初めてお会いした研究発表の場のあと、玄田先生が別れ際にふと言いました。
    「ランチに誘う時間ですが、今日はランチに行けなくてごめんなさいね」
    何気ない一言ですが、とても心に残りました。

    子どもたちの気配が残る中庭

    そういえば、その数年後、ある方に初めてお会いした後も同じような体験をした記憶があります。
    吉本興業の会長として長年エンターテインメントの世界で活躍された大﨑洋さんです。コロナで人とほとんど会えない時期でした。何度も面会の予定が延期され、やっとお会いできた時のことです。

    新宿にある、廃校を活用したオフィスの会議室で一時間近くお話した後、そのオフィスをゆっくり歩きながら案内してくださいました。
    中庭に差し込む光。大﨑さんはこう言いました。
    「ここ、子どもたちの気配が残っているでしょう。」
    「以前はこの中庭でバーベキューをしていたんですが、コロナでできなくなってしまって。」
    そして別れ際、さりげなくこう添えられました。
    「バーベキューに誘えなくて、すみませんね。では、また。」

    大﨑さんは、私が久留米に移住した後、真っ先に久留米に来てくれました。吉本興業を辞められた後、文化、芸術、教育の振興を通して、地域づくりを行う「mother ha. ha」を立ち上げられました。著書「居場所」には、人が人として安心して在れる場の大切さが書かれています。
    ご縁をいただき、私も「mother ha. ha」に所属しています。貴重な出会いでした。

    そっと置かれる未来

    どちらの言葉にも共通していたのは、「本当は一緒に時間を過ごせたかもしれない未来」が、そっと置かれていたことです。
    実現しなかった出来事。それは、あえて言わなくてもいいことかもしれません。しかし、あの何気ない一言によって、ありえたはずの温かな時間が、かすかな輪郭をもって立ち上がります。
    少なくともその時の私には、「もう会うことはないかもしれない」と思いつつ、少しだけこれからも関係が続きそうな、前向きな気持ちが芽生えました。
    希望とは、こういう弱くてやさしいかたちで、人の前に差し出されるものなのかもしれません。

    このことは、おそらくご本人達も覚えてないような、何も意識していない、些細なことかもしれません。だからこそ、そこに本質を見た気がしました。私もお二人のように、人知れず繊細で、でもそれを自然と表現できる確かな強さを身に着けたいと思いました。

    地域もまた、多くの「できなかった過去」を抱えています。
    少子高齢化に人口減少。人が出ていき、戻らなくなる。祭りが途切れ、商店街が静かになり、人が集まらなくなった。
    けれど地域づくりとは、それらを嘆き続けることではないのかもしれません。
    「こんな時間がありえたかもしれない」
    必要なのは、できないことを嘆くのではなく、そうしたありえた未来を、誰かが何気なく言葉にして、その場の空気を少し温かくすることなのだと思います。
    「まだ続きがある」と、そっと置かれる未来です。

    理想と現実の合間にあるギャップと「志」

    理想として思い描かれる状態と、現実との合間に存在する差異・ずれは、ギャップとして、不足や欠点と捉えられがちです。しかし、そのギャップは、むしろ、人が行為を起こし、記憶を残し、社会を更新しようとする原動力であるとも言えます。

    個人は、自らの未充足や未完性によって動き続けます。個人の「志」とは、このギャップに働きかける時間と行為の連なりであると考えることができます。一方、社会は完全には到達できない理想を持つことで、更新され続けます。したがって、ギャップとは、「未来へ向かうエネルギーの源泉」であるといえます。

    「志」は、そのギャップに対して作用を及ぼそうとする「向き」です。その意味で、希望も志も、未来へ向かう「向き」として共通しています。

    しかし、「私」個人には、いつか「死」が訪れ、その行為と時間には終わりが来ます。多くの場合、人は死や終わりを前にして初めて、何ができなかったのか、何を残したかったのか、何を大切にしていたのかをより明確に認識します。人生が有限であるため、時間の区切りによって、個人のギャップは輪郭を帯びるのです。「死」により、その個人の「志」が自然と浮かび上がるという構造です。

    死が照らす、その人の「志」

    『人口減少社会を生きる②「ふるさと」と「私」は揺らぐ』で触れたロンドン郊外でのホームステイ。その滞在最終夜に、祖父の危篤を知らせるメールが届きました。
    異国のベッドで受け取ったその知らせは、「帰る場所」という感覚そのものを揺らしました。あの食卓で語られた「ホームタウン」という言葉が、胸の奥で別の重さを帯び、「ふるさと」と重なり始めました。

    祖父は厳しく、不器用で、それでも地域のために生きてきた人でした。生前は多くを語る人ではありませんでしたが、葬儀で祖父を慕う人々の姿を見たとき、その人がどのような時間を生きてきたのかが、死をきっかけに自然と浮かび上がってきました。
    そして、祖母もまた、祖父が亡くなった数か月後に旅立ちました。

    人は、生きているあいだに自分の志を語りきるわけではありません。
    むしろ、生き抜いたあとに、他者から見て、その人の志が浮かび上がる。
    私はそのことを、祖父母の死を通して知りました。

    居場所が流れて遺書になる

    私が大学生の頃、一人暮らしの私を気遣って、祖母はよく電話をかけてくれました。
    「もしもし。元気? しっかり頑張ってるね?」
    その声は、一人暮らしの不安な日々を支えてくれました。
    しかし、それが当たり前になり、東京の生活に慣れていくと、あまり電話にも出られないようになっていきます。
    固定電話の留守電には、祖母の声だけが記録されていきます。
    時が経ち、祖母が老いていくなかで、留守番電話には言葉になりきらない声も残るようになりました。
    「もしもし……あ……あ……」

    祖母が亡くなったあとにようやく気づきます。
    あの電話は、励ましの声でなく、いつの間にか、老いの中、孤独や不安の中で、誰かとつながろうとする声に変わっていたのではないか。
    私は表面的な言葉しか聞き取れていなかったのかもしれません。
    祖母に居場所をもらってばかりで、祖母の居場所になれていなかったのかもしれない。そのことに気が付いたとき、愕然としました。
    もう二度と祖母に会うことはできません。心にぽっかりと大きな穴が開いたように感じました。目に涙が溢れました。

    祖父母が亡くなった数年後、帰省の際に、ふるさとを流れる筑後川で灯篭流しに参加しました。祖父母の名を書いた灯篭を、川に流します。私は静かに目を閉じ、祖父母の姿を心に呼び戻しました。不思議と涙は出ませんでした。光の中から、あの声が聞こえた気がしました。
    「もしもし。元気? しっかり頑張ってるね?」

    私はようやく、祖母が残した声を、自分の内側で受け止めることができたように感じました。大事な人をなくし、心にぽっかりと空いていた穴は、単なる喪失ではありませんでした。静けさの中で、これまで聞こえていなかった声に、音に、気づくための余白となっていたのです。

    祖母は遺書を残しませんでしたが、俳句を残しました。祖母が俳句を詠んでいたことは、祖母が亡くなったのちに知りました。それらの俳句を読むと、祖母が考えていたことに思いが至ります。

    石炭を 被りし木々も 芽吹きそむ
    筑後川 梅咲ききって 水豊か

    炭鉱のまち田川で生涯を終えた祖母ですが、その先祖は、江戸時代に筑後川の堰の工事に携わったそうです。祖母が詠んだその川は、単なる風景ではなく、無数の労苦と志を抱え込んだ場所でもあります。
    祖母自身は、自分の名前が書かれた灯篭がその川に流される未来を、決して知ることはありませんでした。それでも、その出来事は確かに起こり、ひとつの人生を、地域の歴史へと編み込んでいきました。

    灯篭が流れる筑後川は、もはや単なる水路ではありませんでした。生きる人と死者、過去と現在、個人と地域をつなぐ、記憶の回廊です。
    灯篭流しとは、命を過去へ送る儀式であると同時に、一人ひとりの人生や営みを、地域の記憶と志に変換し、未来へと流していく行為なのだと思います。そこでは、死は終わりではなく、意味へと変わり、未来へと渡されていきます。
    祖母という私にとっての居場所は、灯篭としてその場を流れ、志の遺書として次の世代に確かに手渡されました。

    その時に流されていた灯篭は一つではありませんでした。それぞれの灯篭に、それぞれの物語があるはずです。灯りが集まり、流れ、受け継がれていくとき、この場所は、過去を抱えた場所から、未来へ向かう場所へと変わっていきます。希望は個人のものを超えて、地域のものになります。

    音楽というかたちでの応答

    祖母が俳句を残したように、私もまた、人知れず何かを表現し、残したいと思いました。それは、死に対する静かな応答としてです。

    芸術や表現とは、社会に個人が完全に溶け切らないための、最後の余白なのだと思います。人は死によって物質的な輪郭を失います。しかし、その人が残した言葉や旋律は、誰かの内側で生き続けます。
    表現は個人の生を地域の記憶へと渡す橋であり、同時に、その人が確かにここに存在したことの証でもあります。

    これまで紹介した楽曲は、すべてAIボーカルで公開しています。民謡はかつて、多くが作者不明のまま土地を超えて広まりました。現代においても、声の匿名性が、特定の個人を超えて、より多くの人の記憶と響き合う可能性があります。それが絶対にAIではない、とは言い切れません。誰かの声ではなく、記憶そのものが歌う。そのようなAIによる表現を、あえて目指しました。

    「希望の同志たち」は、熊本・五木の子守唄や長崎・島原の子守歌をベースにした楽曲です。これらは本来、悲しみや苦しみを背負った子守唄です。しかしあえてサンバという軽快なリズムを重ねることで、悲しい記憶を背負いながらも、未来への向きを変える表現にしました。
    悲しみと喜びは対立するものではなく、ときに互いを照らし合います。
    希望とは今の幸福の水準ではなく、未来へ向かう「向き」だという玄田先生の言葉と、この曲は深くつながっています。この楽曲も幸いにも国際映画祭で受賞しました。

    玄田先生とは、作詞も二度ご一緒しました。「旅の続き」という楽曲は、そのうちの一つです。筑後の酒造りの唄と、釜石小唄の旋律を手がかりに生まれた楽曲です。
    海が割れて道があらわれるという象徴的なイメージには、新しい大地の発見も込められています。未来は突然どこかからやってくるのではなく、旅を続けるその先で、静かに、しかし確かに姿をあらわします。旅は終わらずに、続いていきます。

    「ちいき」は場所でも人口でもない

    人口減少社会では、個人が亡くなる場面が増えていきます。
    そのとき、その人の経験や思いが社会へ渡されないまま消えてしまえば、記憶は公共化されず、やがて忘却されます。
    しかし、個人が生きているあいだの行為が、死を契機として社会の記憶へと編み直されるとき、はじめてそれは次の誰かの注意や関心を生み、その誰かの新しい行為を再点火します。そのように、地域や社会は続いていきます。

    地域とは、場所ではなく、人と人の関係が重なり、記憶が蓄積されることで持続されるものです。その関係は、必ずしも一つの場所に固定されません。人が移動し、記憶を持ち運び、別の場所で関係を結び直すとき、地域は場所を超えて現れます。これを「ちいき」と呼びたいと思います。

    「ちいき」とは、場所ではなく、人の数でもありません。同じ記憶が響き合い、互いの経験が少しでも重なり合う範囲のことです。人口が減っても、記憶の響きが続く限り、「ちいき」は持続し得ます。

    「ちいきしみん」という生き方

    「私」にもいつか「死」が訪れます。その時、「私」は「私」を超えて、他者の中で「志」として生き続けます。それは、日々の小さな行為の積み重ねです。
    目の前にある日々を、ただ、淡々と生き抜くこと。
    それが、やがて来る、個々の「私」の死を通じて、残された他者の目に「志」として、自然と見えてくるはずです。それを信じ、そのような「しみん」として生き、次の世代にそっと未来を手渡していく。

    そのような響き合いの中に、自分の呼吸で居続けることを選ぶ生き方を「ちいきしみん」と呼びたいと思います。

    目の前に見えているものと、見えていないものの両方を抱えながら、それでも生きていく。日々を淡々と生き抜いていく。その姿の中に、人口減少社会を生きる「豊かさ」の本質が、静かに宿っているのだと思います。

    つづく

    画像

    人口減少社会を生きる おまけ①:相対性「ちいき」論?|中村寛樹/Hiroki Nakamura

    人口減少社会を生きる おまけ②: 「ちいきしみん」のギャップ(合間)モデル|中村寛樹/Hiroki Nakamura

     
     
    久留米大学教授・サイバー大学客員教授。東工大大学院修了、博士(工学)。九州大学、東大社研等を経て現職。地域づくり研究と創作活動を実践。パリ国際映画祭最優秀ミュージックビデオ賞受賞。著書多数。

    あなたへのおすすめ