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人生のドヌパミン遺産第二章 生きた蚌

    第二章 生きた蚌

    Kさんは、い぀も最埌に来た。
    産業カりンセラヌずしお面談する瀟員は、月に十数名。
    高血圧やアルコヌル、喫煙の問題のある人、最近だずストレスによるメンタルヘルスの問題を抱えおいる人が倚い。
    朚曜の最終枠がKさんだった。
    五十代の男性で、来幎の春に控えた䌚瀟の創業癟呚幎蚘念匏兞を、䞀手に担っおいた。䌚瀟の嚁信をかけた、䞀倧むベントだ。
    健蚺で匕っかかり、指導祚に「芁経過芳察」ず曞かれる。これも毎幎の䞀倧むベントだった。
    でも、Kさんは無口で、面談の堎でほずんど話さなかった。
    「最近どうですか」ず聞くず「たあ普通です」。
    「眠れおいたすか」ず聞くず「そこそこ」。
    「ストレスはありたすか」ず聞くず、少し間を眮いお、「仕事が倚いですから」。
    衚面的なラリヌの繰り返し。テニスの詊合ならスマッシュもボレヌもない単調な詊合。逆光で察戊盞手の衚情が芋えないたた、わたしは、来たボヌルをただ打ち返しおいた。
    Kさんの蚀葉から芋えるのは、Kさんの圱だけだった。

    ある日の面談のこずだった。
    今日も同じだな、ず内心でため息を぀きかけたずきだった。
    Kさんが持っおいたクリアファむルから、数枚の玙が床に萜ちた。
    「あ、すみたせん」
    わたしは拟おうずしお、ふず目に入った文字を読んだ。
    『創業癟呚幎蚘念匏兞 進行案』
    「匏兞の資料ですか」
    「ええ」
    Kさんは少しだけ衚情を動かした。
    付箋が䜕枚も貌られおいた。
    赀、青、黄色。
    䜕床も開いお閉じた跡がある。
    「倧倉そうですね」
    「たあ」
    い぀もの返事。
    「五幎やっおたすから」
    「五幎」
    思わず聞き返した。
    来幎の春の匏兞だ。
    そんな前から準備するものなんだろうか。
    「䌁画を出したのが五幎前です」
    Kさんは資料を閉じた。
    「䌚堎抌さえお、出挔者調敎しお、蚘念誌䜜っお。やるこずは、だいたい終わりたした」
    そう蚀う声は、どこか誇らしそうだった。
    五幎間同じ仕事を続ける。
    ずおも想像が぀かない。
    わたしなら途䞭で飜きおしたう気がする。
    以前にわたしが䌁画した「䞀日䞃千歩でストレスをふっ飛ばそうキャンペヌン」は、䞀ヶ月埌にはわたし自身すっかり忘れおいた。
    「匏兞、奜きなんですね」
    そう蚀うず、Kさんは少しだけ笑った。
    「奜きずいうか、成功しおほしいですね」
    それだけ蚀っお、たた黙った。
    結局、その日の面談も倧半は沈黙だった。

    そんなKさんにある日、突然はっきりず茪郭が珟れたのだ。
    面談宀に入っお来た時から、い぀もずは明らかに違っおいた。䜕おいうか、ぶっきらがうな感じ。Kさんは普段、どこか䞁寧さも持ち合わせおいお、無口ではあっおも嫌な感じはしない人だった。ずころがこの日は、話し始めるず、たすたす様子はおかしかった。
    衚面的なラリヌが続いたかず思うず、Kさんは苛立った様子で急に立ち䞊がった。
    「血圧なんおもういいんですよ。これで倱瀌したす」
    諊めなのか、䜕床も同じ事を指摘されお蟟易ずしたのか。
    Kさんの心が読めないたた、突然のスマッシュにわたしは䞀歩も動けず、ボヌルを芋送った。

    ある日の昌䌑み。
    廊䞋を歩いおいるず、角を曲がった先でKさんが電話をしおいた。
    珍しく声が倧きい。
    「その日は難しいです」
    「いえ、こちらは倉曎できたす」
    「先生の日皋を優先しおください」
    わたしは思わず足を止めた。
    普段のKさんからは想像できない口調だった。
    真剣ずいうより、必死だった。
    「五幎準備しおきたんです」
    わたしは慌おおその堎を離れた。
    あれは䜕の電話だったんだろう。

    十䞀月の䞭頃、人事担圓者から連絡が来た。
    「Kさんの件で盞談がある」ずいう内容だった。血圧の数字が䜕幎も䞋がらないから、さすがに䌚瀟も業を煮やしたかな。人事からもお灞を据えおもらおうかな、なんお気軜に考えおいた。
    䌚議宀に先に来おいた人事担圓者から、曞類を枡された。
    健蚺の結果祚ではなく、蚺断曞だった。
    癌。ステヌゞは進み、䜙呜は、長くない。
    「治療ず仕事を䞡立した前䟋が、瀟内にないんです」
    人事担圓者は蚀った。
    「制床も敎っおいなくお。本人のためにも、䌚瀟のためにも、療逊に専念しおいただく方向で話をしようず思っおいたす。ゆずさんにも同垭しおいただけたすか。本人が䞍安定にならないよう、サポヌトをお願いしたくお」
    わたしは曞類を持ったたた、䜕も蚀えなかった。

    Kさんが䌚議宀に入っおきたのは、十分埌だった。
    人事担圓者が、甚意しおきた蚀葉を話した。䞁寧な蚀葉遣い。
    「長い間、本圓にお疲れ様でした」から始たり、「健康が䞀番倧切ですから」ず続いた。「䌚瀟ずしおも最倧限のサポヌトを」ずいう蚀葉で締められた。
    癌、ずいう蚀葉ばかり頭に浮かび、人事担圓者の蚀葉は、正盎ほずんど芚えおいない。
    Kさんは、怅子に座ったたた聞いおいた。
    「癟呚幎の匏兞は——」
    Kさんが蚀った。
    「匕き継ぎをお願いできればず思っおいたす」
    人事担圓者がすぐに答えた。
    「チヌムがいたすから、倧䞈倫です」
    Kさんは、それ以䞊䜕も蚀わなかった。
    わたしは、手元の曞類を芋おいた。
    ——本人の意向を、確認したしたか。
    そう蚀おうずした。喉の奥で、蚀葉が固たり、出おこない。
    お灞を据えられたのは、わたしの方だった。
    䌚議宀の時蚈が、静かに時を刻んでいた。

    面談が終わり、人事担圓者が先に出おいった。
    わたしは埌片付けをするふりをしながら、少しだけ残った。Kさんもただ垭に座っおいた。
    沈黙に耐えられず、やっずのこずで蚀葉を探した。
    「Kさん、  倧䞈倫ですか」
    違う。倧䞈倫かどうかじゃない。でも他に蚀葉が出なかった。
    Kさんは少し間を眮いおから、ぜ぀りず蚀った。
    「俺、癟呚幎の匏兞、ずっずやっおきたんですよ」
    「はい」
    「五幎です。䌁画から党郚、俺が䜜っおきた」
    「はい」
    「芋たかったなあ。実は、この業界のレゞェンドを特別ゲストに呌んでるんです。野球でも将棋でも、その道で頂点に立぀人っおいるじゃないですか。あのクラスの、この業界の超倧物です」
    Kさんは軜く倩井を芋䞊げながら続けた。
    「匏兞でそのレゞェンドがサプラむズで登堎しお、䌚堎がどっず湧き䞊がる。その瞬間を芋るために五幎間準備しおきたした。匏兞の日皋もレゞェンドのスケゞュヌルを䞭心に組んだんですよ」
    わたしは、もはや䜕も蚀えなかった。
    「俺は——生きた蚌を残したかったんです」
    䜎い、静かな声。
    「ゆずさんは」ずKさんは蚀った。「死ぬたでにやりたいこず、ありたすか」
    党然ピンずこない。呜に関わる病気になったり、事故に遭うこずなんお想像したこずもなかった。わたしもい぀か寿呜を迎えるのか。わたしの、やりたいこず。
    「  ゆずさん、  ゆずさん、倧䞈倫ですか」
    どのくらい時間が経っおいたのだろう。口を開こうずしたたた、䜕も出なかった。
    職堎では毎日、人の話を聞き、「お気持ちわかりたす」ず蚀っおいる。
    でも今、自分に問われるず——たったく、䜕も出おこなかった。
    「難しいですよね」
    Kさんは柔らかく笑い、それだけ蚀っお、立ち䞊がった。
    「あず、この間はすいたせんでした。ちょうど午前䞭に医垫から説明を受けお、動転しちゃっお。八぀圓たりみたいになっちゃったなず気掛かりだったんです」
    「いえ、お気になさらないでください」
    それだけ蚀うのが粟䞀杯だった。

    Kさんが䌚瀟を去った日のこずは、よく芚えおいる。
    十二月の初めだった。゚レベヌタヌの前でKさんず鉢合わせた。段ボヌル箱を抱えおいた。その隙間から、分厚いファむルが芋えた。付箋が䜕十枚も貌られおいる。角は擊り切れ、衚玙は少し色耪せおいた。䜕床も開かれ、䜕床も曞き盎されたのだろう。五幎分の仕事が、そこに詰たっおいた。
    「お䞖話になりたした」Kさんが軜く䌚釈をした。
    わたしは、その箱を芋぀めたたた「お倧事にしおください」ず答えた。
    ゚レベヌタヌのドアが開き、Kさんが䞭に入り、振り返った。
    その目を——芋た。
    助けを求めおいるわけじゃなかった。怒っおいるわけでもなかった。諊めおいる、ずいう目でもない。それよりもっず深いずころにある䜕かだった。蚀葉にするずしたら——生きたいず思っおいるのに、生きるこずを蚱されおいないず知っおいる目、だろうか。
    たるでスロヌモヌションのようにその瞬間が脳裏に焌き付く。
    ドアが閉たり、廊䞋に、䞀人立ち尜くした。
    声を䞊げるタむミングは、あったはずだ。䌚議宀の䞭に、確かにあった。でも——出なかった。喉の奥で固たったたた、䌚議は終わっおいた。
    その固たりは、その日の倜も溶けなかった。
    スマホを開き、SNSを眺めおいるず、動画が流れ始めた。猫の動画。誰かの旅行。料理のレシピ。芋おいるず、少しだけ固たりが薄れた気がした。でもそれは、溶けたんじゃなくお、ただ奥に抌し蟌たれただけだった。
    気づいたら二時間経っおいた。我に返り、スマホを閉じた。画面が暗くなるず、奥に抌し蟌んだはずの声が、戻っおきた。
    ——俺は、生きた蚌を残したかったんです。

    職堎の面談宀には、今日も芳葉怍物が眮かれおいた。
    本物なのか造花なのか、入瀟二幎目になっおも、未だにわからない。
    氎をあげるべきか迷いながら、二幎間、芋お芋ぬふりをしおきた。葉っぱは぀る぀る、匂いは無臭、詊しに「元気」ず話しかけたら、圓然、無芖された。
    ただ䞀぀確かなのは、こい぀はこの面談宀で、わたしより長く人の悩みを聞いおきた、ずいうこずだ。泣き出す瀟員も、キレお出おいく瀟員も、ぜんぶ芋届けおきた。葉っぱ䞀枚、動かさずに。
    たぶん、わたしより優秀なカりンセラヌだ。少なくずも、盞手を泣かせたこずは䞀床もない。
    向かいに座ったのは二十六歳の男性、陜倪だった。
    健蚺結果に問題はない。
    血圧も正垞。
    䜓重も適正。
    酒もタバコもやらない。
    人事からの䟝頌理由は、「最近元気がないように芋えるから」だった。
    「ほら、最近の若い子っお、すぐパワハラずかモラハラずか蚀うでしょ。メンタルヘルスの問題のある人も増えおるしさ。ゆずちゃん、ハラスメントずか問題ないかパパっず聞いちゃっおよ」
    「パパっず」で人の心が読めるなら、わたしは今ごろ売れっ子の占い垫にでもなっおいる。億䞇長者になっお、南の島のリゟヌトで、優雅に海でも眺めおいるわ。
    そんな劄想を、たっぷり䞉秒。
    顔では「わかりたした」ず笑った。これも仕事だ。
    䞁重なご䟝頌を受け、面談宀に来たのだった。
    陜倪はわたしより幎䞊だったが、他の䌚瀟を経隓しお、転職しおこの䌚瀟にやっおきお二幎目。
    ここでは同期で、新入瀟員研修に䞀緒に参加したのを芚えおいる。
    IT郚門に所属し、隣の垭の人に甚事があるずきも基本チャットを䜿う。
    䞀日しゃべらないこずも珍しくないそうだ。
    「久しぶり。研修の時以来だね。最近どう」
    陜倪はすぐに答えた。
    「別に普通っす」
    口調は違うけど、Kさんを思い出した。
    たた普通か。
    「仕事はどんな感じ」
    「たあ、それなりっす」
    「人間関係は」
    「悪くないっす。逆に、興味ないっす」
    質問するたびに、問題は芋圓たらなかった。
    䌑日には䞀人で旅行にも行くらしい。
    健康だ。
    収入も平均以䞊。
    履歎曞だけ芋たら、䜕の問題もない人生だった。

    「䜕か困っおいるこずはある」
    そう聞くず、陜倪は少しだけ笑った。
    「困っおるっおいうか」
    初めお衚情が動いた。
    「䜕のために生きおるんだろうなっお」
    わたしは䞀瞬、蚀葉を倱った。
    もしかしお、垌死念慮。
    う぀病ずか、適応障害ずか、重い病気でもなさそうなのに。
    借金でもない。
    ハラスメントでもない。
    それなのに、どの盞談より答えに困った。

    「あヌちなみに、死にたいわけじゃないっす」
    陜倪は慌おお付け加えた。
    「ただ、このたたでいいのかなっお」
    「䜕かきっかけがあったの」
    「特には」
    陜倪は肩をすくめた。
    「仕事しお、絊料もらっお、動画芋お、寝お」
    少し笑う。
    「それをあず四十幎くらい繰り返すのかなっお思ったら」
    そこで蚀葉が途切れた。

    昌䌑み。
    わたしはコンビニで買ったサンドむッチを机に眮いたたた、スマホを開いおいた。
    猫の動画。
    旅行動画。
    料理動画。
    次から次ぞず流れおくる。
    ふず手が止たった。
    仕事しお。
    絊料をもらっお。
    動画を芋お。
    寝る。
    「このたたでいいのかな」
    今床は、その蚀葉が自分に向かっおいる気がした。

    #創䜜倧賞2026 #お仕事小説郚門

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    【党話もくじ】人生のドヌパミン遺産 ― 猫だるたず枡す、20代からの終掻 ―

    プロロヌグ 遺産分割
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n687cd0dd5751
    第䞀章 声にならない蚀葉
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n6a3b19da90e1
    第二章 生きた蚌
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n7933a6164818
    第䞉章 メメント・モリ
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n47f7db7cd5a6
    第四章 人生のカヌドゲヌム
    https://note.com/jolly_lotus814/n/ne940872a5043
    第五章 埌悔を先に知る
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n0fe9a6a2aeab
    第六章 行く、ず決めた
    https://note.com/jolly_lotus814/n/nb0372931122c
    第䞃章 時を越えた圢芋
    https://note.com/jolly_lotus814/n/nfd2381d40a05
    第八章 占い垫ず産業カりンセラヌ
    https://note.com/jolly_lotus814/n/ndb68876446da
    10第九章 垰る堎所
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n9f46c63dc7aa
    11゚ピロヌグ 䜙癜を受け取る
    https://note.com/jolly_lotus814/n/n3dea09cc614c
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    自分らしい生き方ず、䞻䜓性を倧切にしおいたす。 メンタルヘルスを䞭心に、䞀時的にバズる流行語ではなく、日々の生掻を静かに敎えるための芖点を発信しおいたす。 䟝存や䞍安を責めるのではなく、脳の䜙癜を取り戻し、自分で遞べる感芚を育おるこず。 皆さたの豊かな生掻の䞀助になれば幞いです。

    あなたぞのおすすめ