
博物館へ連れて行く意味を考えていたら、30年後の話になった。
長男の1歳頃から、定期的に博物館や文化施設に行っている。

というと、何だか意識高そうに聞こえるけれど、
2歳と4歳なので、正直、展示をじっくり見られているわけではない。
動物の剥製より、階段が気になる。
そんな日も多い。
「今日、来た意味あったのかな。」
帰り道、そんな不毛な問いが浮かんでしまこともある。
でも、
最近その問いに対する自分なりの答えが見えてきたので、一度言語化しておこうと思う。
きっかけは、
🖊休職して自分のキャリアを見つめ直したことだった。
「いつからそう考えるようになった?」
休職してから、キャリアコーチングを受けている。
🖊休職した話
その中で、何度か聞かれた質問がある。
「いつから、そう考えるようになった?」
未来の話ではなく、何度も何度も幼少期へ戻っていく。
自分が何を見て、
何を感じて、
何に憧れて、
何を怖がってきたのか。
驚くほど、今の自分は子どもの頃の積み重ねの上に立っていた。
考えてみたら当たり前のことだけれど、
思っている以上に、子ども時代というのは今の自分に影響を与えている。
夏休み最終日に行った古代エジプト展
私には、忘れられない思い出がある。
小学4年生、夏休み最終日。
宿題を確認していたら、
なんと「美術館か博物館に行く」という何とも重い宿題が残っていた・・・
母に伝えると、
怒ることもなく、「宿題残り」という夏の風物詩を楽しむかのように、そのまま上野の古代エジプト展へ連れて行ってくれた。
私は歴史なんて全然興味がなかった。
だから、展示内容なんてほとんど記憶がない。
覚えていることと言えば、
お土産に買ってもらった古代エジプト柄の鉛筆だけ。
あまりにも特徴的な鉛筆だから、学校で使うのがもの凄く恥ずかしくて、
キャップを付けてカモフラージュしながらコソコソ使っていたことを鮮明に覚えている。
でも、自分が親になった今は違う記憶が残っている。
夏休み最終日に、あんな宿題を言われても、母は連れて行ってくれたんだなぁと。その事実の方が、今は胸に残っている。
そして、30代になった今、夏になるたびに思う。
「あの展示、もう一度見に行きたいな。」と。
心が動いた記憶は、大人になって残る
もう一つ、忘れられない日がある。
中学生の時、文化体験で、初めてコンサートホールに行って第九を聴いた。
それはもう、「圧巻」としか言いようがなかった。
あまりにも感動して、とにかく、自分自身でもどうしてよいか分からないくらい感動してしまって、最寄り駅から家まで全力で走った。
「すごかった!本当にすごかった!」と。
感動を親に伝えたくて。
語彙力なんて何もなかったけれど、とにかく胸がいっぱいだった。
今でも、あの日の冬の冷たい空気まで思い出せる。
私は、音楽を理解したわけじゃないけれど、ただ、心が動いていた。
心が動いた体験は、人生の「伏線」になる
エジプト展も、第九も、
その時は、「将来に繋がる」なんて勿論考えていなかった。
でも、30年近くたった今でも、あの日の景色や記憶だけは忘れられない。
しかも不思議なのは、その記憶は時間が経てば経つほど価値を増しているということ。
エジプト展に行ったから、その後すぐに歴史が好きになったわけでもない。第九を聞いたから音楽家になったわけでもない。
でも、大人になってから歴史を学び直したくなった。
大学では、ずっと憧れていたオーケストラで演奏するようになった。
子どもの頃には意味が分からなかったものが、人生のどこかで急に繋がる。
だから、私は思う。
文化施設は「今、何かを教える場所」ではなくて、
20年、30年後の人生に、小さな伏線を置いてくれる場所なんじゃないかと。
心が動くと、「もっと知りたい」が始まる
そして、文化施設は、その日で終わらないのが醍醐味だ。
帰り道、
「モモンガかわいかったね。」
「牛の腸、長かったね~。」
そんな話が始まる。
家に帰ると図鑑を開いて振り返り。
本棚から「今日、見たね」と関連する絵本を持ってくる。
教育心理学だと、「好奇心」が学びの一番強い原動力の一つだと言われている。
文化施設は、知識を教えてくれる場所というより、
「もっと知りたい」を連れて帰る場所なんだと思う。
だから私は、お土産を一つだけ買うようにしている。
鉛筆でも、ポストカードでも、小さなキーホルダーでも。
家に帰ってそれを見る度、心が動いた「あの日」が思い出しやすいかなと思って。
歴史を知ると、自分を少し客観視できる
私が博物館を好きな理由は、もう一つある。
人類の歴史や宇宙の歴史に触れると、
自分を少し俯瞰できる感覚がある。
138億年続く宇宙。
何十万年と続く人類。
その中で、自分の人生なんて、本当に一瞬だ。
そう思うと、
仕事で失敗したことも、
誰かに言われた一言も、
少し小さく見えてくる。
「自分は大きな世界の一部なんだ。」
その感覚は、不思議と人を自由にしてくれる。
長男も、ビックバンの話や宇宙の歴史の流れの展示になると、すごく興味を示してしばらく止まっている。
無意識に興味を引き付ける壮大さがあるのかもしれない。
世界の広さを知る感覚を、子どもの頃から知っておくことは、とても豊かなことだと思っている。
30年後に残るのは、展示じゃない
30代になった今、博物館へ行く理由がもう一つ増えた。
それは、子どもの頃の自分に会いに行くため。
「あの時は退屈だったなぁ。」
「今なら、面白さが分かるなぁ。」
そんなふうに、過去の自分と今の自分を比べられる。
そしてもう一つ思う。
「あの日、親は忙しい中、時間を作って連れてきてくれたんだな。」
子どもの頃は気づかなかったけれど、今なら分かる。
博物館の記憶には、展示だけじゃなく、
親の愛情も一緒にしまわれていたんだなと思う。
だから私は、今日も子どもたちを文化施設へ連れて行く。
今日の展示を全部覚えていてほしいとは思っていなくて、
歴史が好きになってほしいということでもない。
ただ一つだけ願うことがあるとしたら、
何か一つでも心が動いてくれたらいい。
その小さな揺れが、
10年後かもしれない。
30年後かもしれない。
いつか、その子自身の人生を支える一本の根っこになるかもしれないから。
だから私は今日も、「意味があったのかな」と思いながら、
それでもまた、博物館へ行く。
さいごに
30年後、今の私と同じくらいの年になった長男や次男が、もし人生に迷っていたら。
「あの日、心が動いた自分」にもう一度出会えますように。

***
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
自分の生き方を考えたり、子育てエッセイを書いたりしています。
🖊人気の記事
🖊育児エッセイ(些細な日常)
また、次の記事でお会いできるのを楽しみにしています。
お気軽にスキやコメントいただけたら、とても励みになります。