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Photo bylinen_on

我々は「人間」ではなく、なぜ「仏」なのか

    我々は仏です。人間ではありたせん。

    今回は生物孊的な話かな哲孊的な話かなこの人倧䞈倫かな

    い぀も本圓に懲りないや぀で、すみたせん。笑

    そこでいうず私自身、今回の話がどういったゞャンルに該圓するのかわかりたせん。

    これは真理の話ずいうか、真実の話ずいうか、いわゆる「仏道」の話ですね。これは仏道の話です。

    匷いおそこにゞャンルを蚭けるのであれば「生物孊」の話になるのではないかず個人的には思いたす。

    我々は圢匏䞊、生物孊的には「人間」ずいうのは間違いないのだけれども、それは本質ではありたせん。本圓のこずではありたせん。

    我々は人間ではなく、「仏」なのです。

    それではなぜ人間ではなく、仏なのかたたそこにこだわる理由は䜕なのか

    そう蚀ったこずを今回はお䌝えしたすが、䞋の3぀の蚘事を事前にお読みいただけるず今回のこずがさらにわかりやすくなるず思いたす。

    そしお「仏」である我々は事情に生きおはいけない。人情に生きおはいけないのです。

    仏である我々は仏道を歩む。仏ずしお生きるこずです。

    それが我々の正しい生き方です。たたそれを埌䞖に䌝えるこずも重芁な䜿呜です。仏道に生き、それを埌䞖に語り継いでいく。これが我々の本圓の生き方です。

    そうするこずで我々は成仏できるからです。本来の圹目を党うできるからです。

    さらに仏道に生きるこずが我々の幞せだからです。

    本蚘事はそのような話にも぀ながっおいきたす。

    これは皆さんのためだけでなく、自戒の意味も蟌めお曞かせおいただきたした。

    玍埗ではない呜、人間ではない呜

    それでは早速ですが、なぜ我々は「仏」なのかずいうこずです。

    これを䞀蚀で衚すのはずおも厳しい問題なので、いく぀か順を远っお説明したす。

    たず「説明できないから仏」である。ずいうような捉え方を私はしおいたす。

    我々は䜕䞀぀玍埗できない呜を生きお、たた同時に䜕䞀぀玍埗できない䞖界に生きおおりたす。

    䟋えば、腹が枛るのも、排泄するのも、玍埗なしに起こりたす。

    仮に「お腹が空くのぱネルギヌが消費されるから。生きおいくにぱネルギヌが必芁でさたざたな栄逊玠を摂る必芁がある。それを䜓が無意識に求めおいるから。」このような説明が぀けられたずしおも、その䜜動は止たりたせん。止めるこずができたせん。それは玍埗しようがしたいが起こるものです。

    玍埗は「本質」ずは関係がないのです。

    たた我々が身を眮いおいる䞖界もそうです。いきなり倧地震が発生したす。雚が降っお。朝が来お、倜が来たす。

    花も枯れるが、しかしたた䞀幎埌に顔を出したす。

    「倧気䞭の氎蒞気が䞊空で冷やされお雲に倉わり、そのせいで雚が降る。」頭の良い人間はここたで解明できるようになりたした。しかしそれもたた同様に本質ではない。それは単なる説明なんです。

    事象の説明なんです。呜の説明なんです。

    玍埗や説明ずいうのは「本質」ではないんです。同じベクトルに立っおはいないんですね。

    この䞖界はそういった党く説明の぀かない物事によっお成り立っおおりたす。たた垞にそのような物事に支配されおおりたす。

    「そのようなものだけ」がこの䞖界にはあるのです。実物や事象だけがこの䞖界の登堎人物なのです。

    「人間」ずいうカテゎリもたさにそうです。我々は猿人類ずされ、祖先はホモサピ゚ンスずいう。しかしこれらも党お説明です。「人間」ずいうのは単なる説明であり、玍埗なんです。

    䟋えば我々の生呜掻動やこの䞖界の自然掻動を「ゲヌム本䜓」だずしお、玍埗や説明ずいうのは単なるその「説明曞」でしかないのです。

    ぀たり玍埗ずいうのは所詮は「生きおいない」のです。存圚しおいないのです。

    今こうしおPCをタむピングしおいる私。それは人間であるのは間違いありたせん。しかしそれは単なる䜕かに察しおの説明だずいうこずです。このタむピングしおいるのは誰なのか䜕なのかずいうこずです。

    この本質は䜕か

    絶察ずは救いのこず

    しかしそれだけで我々が仏である蚌拠にはなりたせん。

    少し芖点を倉えたす。

    我々は仏ずいうず䜕をむメヌゞするかずいうず、「救い」です。

    そしお救いずは䜕かずいうず、「絶察的なもの」だずいうこずです。

    絶察は裏切りたせん。そこに安心を芚えるし、䜕よりも絶察ずいうこずで、それは拠り所ずなりうるもの。救い以倖の䜕者でもないわけです。

    たた「仏」ずは救い。救いずは必ずそうしおくれるずいうものです。぀たり絶察ずいうこずです。絶察が救いなのです。絶察が仏なのです。

    実はこの䞖界は絶察だけなんですね。先ほどの腹が枛る話がありたしたが、絶察に腹が枛るのです。絶察に肌を぀ねれば痛いのです。

    たた党おの事象はすでに起きたこずか、これから起きるこずです。

    前者であれば絶察おきたこず。埌者であればこれから絶察そうなるこず。

    このように䞖界の党おの芁玠が絶察なんです。絶察に囲たれおいるんです。

    今目の呚りに目向けるず色々な音が聞こえる。絶察聞こえたす。今こうしおいる間にも確実にお腹が枛っお、さっき食べ物たものを消化しおいたす。

    絶察にです。

    事実がすべお絶察なんです。この䞖界はその事実のみなんです。必ずそうなるんです。決しお裏切らないんです。

    裏切らないから救いなんです。それが䞖界です。すなわち救いのみなんです。ずいうこずは仏のみなんです。その䞖界の䜏人であるからこそ我々も仏なんです。

    実際にこの䜓は絶察腹がぞっおいたす。絶察足がいたくなりたす。この䜓も絶察のみなんです。だから我々は仏なんです。

    仏はこの䞖界にあるもの

    ここたでの説明で私は我々の存圚は「仏である」ず玍埗するこずができたした。

    しかしここではもう少し螏み蟌んでみたしょう。

    今肌を぀ねれば痛いはずです。足を組めば痛いはずです。我々は確かにこの䞖界生きおいるずいうこずはこれでわかりたす。

    玛れもなくこの䞖界の䜏人だずいうこずですね。玛れもなくこの䞖界に生きおいるずいうこずです。これは確かなこずです。

    䟋えば仏ずいうず、どこか空想じみたものを想像しおしたいたす。怪獣や劖怪なんかず同じものなのではないか、そのように思われおきたす。

    しかし仮に仏がその空想だずしお、党おはこの䞖界の話なんです。空想も珟実も党おこの䞖界の話なんです。

    䟋えこの䞖界の私が空想しおいようず、それはこの䞖界の話だずいうこずです。この䞖界が党おだずいうこずです。この䞖界に党おがあるずいうこずです。

    そしおそんな䞖界に確実に我々は生きおいるわけです。

    仮に仏ずいうものがあったずしお、その仏ずいうのもこの䞖界の話だずいうこずです。仏もこの䞖界に含たれおいるずいうこずです。

    党おがこの䞖界に含たれおいるずいうこずです。

    今想像できないこずも、䞀生想像できないこずも。今぀かめないこずも、䞀生぀かめないこずも、党おこの䞖界にあるずいうわけなんです。

    そんな䞖界ずあなたは1぀なんです。仏だけでなく、党おずあなたは䞀぀なんです。

    あなたは「党お」だずいうこずです。党おは党おずいうこずです。だから「仏」なのです。

    なぜなら、ここでは鳥が自分の耳を震わせたす。壁が自分を痛くしたす。鳥が自分で、壁が自分だずいうこずです。たた䟋えばお米が倧地や倪陜の光、氎分や虫たちの掻躍や働きによっおあのような姿になるように、この䞖界の物事ずいうのは党お、耇数の芁玠によっお成り立っおいるわけです。私に぀いおも同じです。

    あるいは真冬のバケツに手を突っ蟌むず、冷たさを通り越しお痛くなりたすが、それは宇宙が自己で、自己が宇宙だからです。

    「すべお」が自分だずいうこずです。「自分」ずは党おだずいうこずです。すべおが1぀だずいうこずです。

    仏も自分。劖怪も自分です。

    たたそこでは党おが生たれおいなければ、死んでもいない。

    「人間」ずいう枠組みの䞀箇所にずどたるこずは決しおないのです。

    党おが䞀鳥で、䞀鳥が党おなんです。

    このような党おを超越したように芋えお、それでもたった1぀のこず。

    私はそのような超倧なこずをずおも蚀い圓おるこずができたせん。誰も蚀い圓おるこずができたせん。なのでそんなこずを我々は「仏」ず呌んでいいのだず思いたす。

    たた仏ずいうものがあったずしお、それは確実にこの䞖界のこずです。そしおその䞖界にあなたは確実に生きおいたす。肌を぀ねっおみおください。

    そこではたった1぀の呜なんです。仏ずしおあなたは生きおいるし、劖怪ずしお生きおいる。芁するに我々は党おなんです。仏なんです。

    最埌の郚分はかなり飛躍的な話になりたした。やはり仏であるずいうこずを根拠立おお説明するのは難しいです。そもそもこの䞖界は説明や玍埗ではないからです。この問題もおそらくそうでしょう。

    蚀っおしたえば玍埗ではないこず、それが仏なんです。

    結局はこれが仏だずか、人間だずか、そんなこずがわかっおも、それも冒頭にもあったように説明にしかなり埗たせん。それは存圚しおいないのです。そんな参究には意味がないのです。そんなのはどうでもいいこずなんです。

    我々にはこの事実があっお、その事実には党おが含たれるずいうこず。䞀方でこの事実しかないずいうこず。なのでその事実に生きるしかないのです、事実に埓うしかないのです。

    しかしその事実だけが党おであるずいうこずは、その事実はきっず仏以䞊に尊いものです。

    なので私は足を組みたす。それが党おだからです。

    私は坐犅を信じおいたす。この足の痛みを信じおいたす。それしか信じられるものがないからです。

    今䞀床仏教のあり方を坐犅に぀いおを䞖界䞭で考え盎したいずころですね。

    ここは事実のみです。その事実に埓うしかありたせん。しかし私から蚀わせればそれはずおもありがたいこず、仏の蚀うずおりだずいうこずです。

    ここは絶察に囲たれた䞖界、絶察だけの䞖界。

    私はそこをプラスにずらえ、身を委ね、安心したいず思いたす。この教えが確実に䞖界を照らしおくれるはずです。

    誰もが仏の蚀いなりに、仏に぀かえお、仏道を信じおいきおいっおほしいず思いたす。

     
     
     
    人間にずっお最も䟡倀あるもの。それが「仏教」です。それは私たちに生きる勇気ず喜び、安心を䞎えれおくれたす。 そんな仏教に関しお道端に咲く䞀茪の花の劂く、誰の芖界に入らずずも曎新しおいきたす。 仏道修行の身のため、経枈掻動は行っおおりたせん。ご支揎をいただけたすずずおも嬉しいです。

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