
02_音を出す前の音 - 石巻かほく随想コラム「つつじ野」掲載文(2026.04.14)+あとがき
宮城県石巻市の地方紙「石巻かほく」の随想コラム「つつじ野」に、2026年4月7日から寄稿させていただいています。このnoteでは掲載された文章と、書ききれなかったことや執筆時に考えていたことなどを掲載していきます。なお、新聞掲載時には規定により一部の漢字表記などが変更されましたが、こちらでは原稿のまま掲載いたします。
掲載文「音を出す前の音」
即興で演奏をするとき、音を出す前の時間がいちばん長く感じることがあります。まだ何も鳴っていないようで、その場にはすでに風や気配のような音が満ちています。私はその中に、自分の音をそっと重ねるような気持ちで最初の一音を探しています。ほんのわずかな違いで、その場に自然になじむ音にも、逆に不自然に浮いてしまう音にもなる気がするのです。
その時間で一番大切なのは、自然体でいることだと思っています。気張らず、力み過ぎず、かといって緩み過ぎない。そのバランスが整ったとき、不思議と音は自然に現れてきます。
そう思うようになったのは、高校時代、バンドで即演奏をしていた頃でした。ある演奏のあと「今のは良かった」と手応えを感じる瞬間が何度かありました。振り返れば、特別なことをしようとせず、ただ自然にその場にいたときでした。
けれど、いざ自然体でいようとすると、かえって力が入ってしまう。意識するほど不自然になる矛盾に悩み、私は「自然」そのものを知りたいと思うようになりました。
その探求心は、私を遠くへと運びました。オーストラリアで農的暮らしや一人旅を体験し、帰国後には音楽活動と平行して古武術による身体操作と心構えを学びました。そうした経験の積み重ねが、少しずつ今の自分の感覚を形づくってきました。
音を出す前の静かな時間の中で、自分のあり方を確かめる。その一瞬一瞬の積み重ねが、今の演奏、そして日々の暮らしへとつながっています。
あとがき
10代の頃に即興演奏で感じた「何か良かった」というあの感覚。そこから始まって、私を様々な経験へと突き動かした背景を、今回は少し書いてみようと思います。
高校生の頃、バンドで即興演奏をしていて「今の感じ凄く良かったから、もう一度やってみよう!」と、『再現』を試みた瞬間に、何の新鮮味もない、強烈な「これじゃない感」に襲われる……そんな別物になってしまう経験が何度も何度もありました。
あの頃は、よくメンバー同士でぶつかり合っていました。 「お前のリズム感が変だからだ。さっきは32分の凄いの弾いてたのに!」 「同じフレーズを弾いてるつもりなのに、何で違うことするんだよ、同じの弾いて!」 なんて、よく怒られていたものです(笑)。
当時の私は専門的な音楽教育を受けていなかったので、どこか引け目も感じていたし、「自分の練習不足がいけないんだ」と我武者羅に教則本を読み漁っては、耳に入る音を必死にコピーしてギターの練習に明け暮れていました。
ただ、そう言われつつも、実は私自身もメンバーに対して全く同じことを思っていたのです。いざ言ってみるものの、「いや、俺/私はちゃんとやってるし!」と自信満々に言い返されて、当時は随分と肩身の狭い思いをしました。
感情的になっても仕方がないと、当時はリハーサルを録音していたMDレコーダーを何度も聴き返しました。しかし、やっぱり全員、さっきとは全然違う演奏をしている。
この頃には、「同じフレーズをなぞれば、さっきと同じ凄いものになるわけではないらしい」ということを、感覚的に理解し始めていました。けれど、それでは一体どうすればもっと良くなるのか? 良い状態で即興演奏を続けるには、どうすればいいのか?
その問いの先にあったのが、コラムに書いた「自然体」という答えでした。自分も含めて、全員が無意識で自然体で演奏していたんだな、と。
ただ一方で、当時の私にはそれをメンバーに伝えるための、言動の説得力も演奏の技術もありませんでした。それが大きなコンプレックスでもあったのです。
しかし、だからこそ、その悔しさが私をオーストラリアの田舎へと足を向けさせ、帰国後は古武道(大東流合気柔術の合気術)を学び、さらには震災を経て、創作和太鼓から民俗芸能の囃子へと歩みを進める原動力になりました。
一見するとあちこち寄り道をしているようですが、この原稿を書きながらハッと気がついたことがあります。私は高校生の頃から今まで、ずっと同じものを見ようとし、同じ問いを追いかけ続けているんだな、ということです。私の探求の旅は、あの頃の静かな格闘からずっと地続きのまま、今も続いています。
実は、ちょっとした後日談(というか現在進行形の話)があるのですが、当時そのバンドで一緒に怒られたりぶつかり合ったりしていたメンバーの一人と、巡り巡って、今は一緒に獅子舞や創作和太鼓をやっています(笑)。
あの頃、MDレコーダーを囲んで「お前が違う!」「いや、俺は合ってる!」と必死だった私たちが、時を経て、今度は郷土芸能の場で「その場の呼吸」を合わせながら音を鳴らしている。そう思うと、なんだか不思議な縁を感じずにはいられません。
ちなみに、その頃組んでいたバンドの名前は「ORB(オーブ)」といいます。あの高校生の頃の熱い思いや、終わりのない探求をずっと持ち続けよう。そんな決意を込めて、今の私の屋号を「studio orb」にしています。

