
空気を読むことって?(音読と運動会)
空気を読むことって?(音読と運動会)
ちゃんとしなくちゃと思う人に
夢がなくても
褒められなくても
日本人の特徴なのか、
そうじゃないのかはわからないけど、
頑張ってる人を馬鹿にする風潮(ふうちょう)っていうのがあるよね。
学校での例もあります。
英語の授業で、頑張ってネイティブみたいに音読してみたら笑われたり。
(ネイティブ=英語が母語の人のこと)
音楽の授業で、ひとりで大声で歌ったら笑われたり。
空気読め、とか言われてね。
ただ頑張ってみただけなのに、
引きずり下ろそうとしてくる人たちがいます。
その人は、
周りの目を気にしないで頑張るってことができないのにね。
「上手に英語を読む」とか「上手に歌う」とか、
その前の「そうなろうと努力する」とかが、なんでそんなにおかしいんだろうって思います。
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だけど、体育とか運動会ではちょっと状況が変わってくる。
例えば、
サッカーの授業で一生懸命走らなかったり、
運動会のリレーで頑張らなかったりしたら、怒る人たちがいるでしょ。
「ちゃんと走れよお前ぇえ!」ってね。
英語の音読が好きな人と嫌いな人がいるように、
運動だって好き嫌いがあるはずなのに。
英語や音楽の授業では頑張ってると笑われる。
なのに体育では頑張ってないと怒られる。
これ変じゃない?
しかもこの笑う人たちと怒る人たちって、なぜか同じ集団である場合が多いです。
僕は中学生のころから、これが不思議で仕方なかった。
リレー頑張れっていうんだったら、音読も頑張れよって思ってた。
音読頑張らないんだったら、走るの苦手な人に文句言うなよって思ってた。
僕は幸い運動も苦手じゃなかったし、ある程度は合わせられたから、毎回怒られたり笑われたりはしなかったけどね。
しなかったけど、でもあんまり好きな空気じゃありませんでした。
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なんで英語や音楽の授業では頑張ってると笑われて、
体育では頑張ってないと怒られるのか。
これ、今ならもう少し理由が分かります。
実はこのふたつは、同じことなんです。
「みんなと同じでいろよ」ということなんです。
それが「空気読め」の正体なんです。
英語の音読みんな頑張ってない→だからお前も頑張るなよ
リレーみんな頑張ってる→だからお前も頑張れよ
ということなんです。
なんだそれって感じだよね。
・・・
だから、
音楽だと頑張っちゃだめ、
運動だと頑張らないとだめ、というわけではありません。
だって、
みんなが頑張る合唱コンクールでは、
頑張らないと怒られるでしょ?
野球部で「1人だけ」朝練毎日やって、
終わってから20分もかけてストレッチしてたら笑われるはずです。
休み時間に「1人」勉強したり、
本を読んでても、なんか言われちゃうよね。
そのくせ受験時期になっても勉強してなかったら
「お前何やってんの?」って言われる。
音楽だからとか、体育だからとか関係ない。
みんなと同じじゃないと、笑われたり、怒られたりするってことです。
なんだそれ。
でもそういう仕組みです。
だからもしクラス対抗「英語音読コンクール」があったら、カタカナ英語で読むやつが怒られるはずです。
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変な世界です。
完全にどうでもいい世界。
だけど毎回笑われたり怒られたりするのも大変です。
空気読めって言うけど、
こっちの空気も読んでよって思うよね。
明らかに多数決の世界です。少ない派はいつも大変だ。
一番は「気にしないこと」がいいけど、それもなかなか難しいよね。
だってずっと同じところで生活しているんだから。
周りは気にして当然です。
「空気は読まなくていい!」
そう言う人もいるけど、確かにそうなんだけど、
じゃあ笑ったり怒ったりさせないでよって思うよね。
空気読まないせいでこっちは大変なんだよ、って。
生活は明日も続いていきます。
「気にしないで」「空気読まないで」「そのままの君でいい」だけでは、なかなか頑張れないこともあるんじゃないかな。
・・・
空気はね、読める力は実は大切です。
相手が何を思ってるかを察知する能力っていうのかな。
体調不良で病院に行ったときに、症状をうまく説明できなくても、お医者さんが分かってくれると助かるよね。
人の気持ちを察しようと思うこと。
それは想像力で、とても大切な力です。
ただ、空気は読む力は大切だけど、「従うかどうかはまた別の話」。
読んだら従え、ということではないからね。
「あ、ここで音読頑張ったら笑われるな」
ここまでが空気を読むです。
その後実際、どうするかは自分次第。
・・・
自分を曲げてほしくない気持ちもあるけど、
あんまり辛かったら合わせたっていいです。
それは別に、負けとかじゃないから。
いろいろ言われたりするのめんどくさいから、
リレーくらい頑張っておこうかな(頑張った感じを出しておこうかな)って思ったって全然いいです。
それで「自分じゃなくなる」とか、
「自分らしさが失われる」とか、そんなことはないからね。
辛かったら、ちょっと合わせておくっていう作戦も有効です。
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でももちろん、
やりたいこと、なりたいもの、
信じてることがあるなら、それをやってください。
みんなね、中途半端にちがうと馬鹿にするんだよ。
笑われても頑張った結果、
プロ野球選手になったり、会社を立ち上げたり、
人気お笑い芸人になったりしたら、誰も笑いません。
本当に信じてることがあるなら、周りの「空気読め」光線に負けないで。
・・・
ただ、周りはみんな敵というわけではありません。
仲良くしていれば「あいつが頑張りたいんだからいいじゃねえか」とか「できないもんは仕方ないだろ」とか言ってくれるかもしれないです。
だから、
うまく仲良くしておくっていうのも作戦のひとつ。
その作戦を思いついちゃうほど、
日常的に何かを言われるのは辛いと思うからね。
・・・
そしてもうひとつ。
いろいろ言ったり笑ったりしてくる人たちも、
個人個人はいい人なことも多いです。
一人ひとりと話してみると、
意外と仲良くなるみたいなこともあるかもしれないからね。
集団まるごとを憎まないほうがいいと思います。
まあ、集団の力を使うのはずるいけどさ。
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(余談)
「空気読め」への対策として、
「空気なんて読まなくていい」という言葉は、とても多く使われました。
もちろん、それで救われるのはいいと思う。
だけどひとつだけ気をつけておきたいのは、
「空気読まなくていい」という優しさを、攻撃の材料にはしない、ということです。
極端なことを言うと、
映画館で上映中に大声で歌ってる人がいたら困っちゃうわけです。
その人が「うるせえ!俺は空気は読まないんだ!」「私らしくいるんだ!」と思ってたら、困っちゃうわけです。
大事なのは、バランスだと思います。
自分の気持ちだけを押し付けると、結局それは「空気読め」を押しつけてきた人たちと同じことをしてることになってしまう。それはいやだよね。
自分の気持ちもちゃんと聞いて、
他人の気持ちも想像して、
どちらかだけではなく、うまくブレンドしていけたらいいなと思います。
空気読めでも、
空気読まなくてもいいでもない、
そのあいだのためのアイディアを、この文章にこめています。
伝わったらいいな。
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さっきも書いたけど、
「空気読まなくていい」ってアドバイスするのは簡単だと思うんだ。
だってアドバイスする人にとっては、一瞬のことだから。
でも、そこでずっと、空気を読まずに過ごすのは、
相当な力のいることです。大変だと思う。
だから「空気読まなくていい」とは、言えなかった。
残念なことに、
学校を卒業しても「多数派の空気」っていうのはだいたい襲ってきます。
仕事に就いても、子供ができても、福祉施設に入ってもあると思う。
そこで、
譲れないことが10あったら、
本当に譲れない1つを決めて、それ以外は譲っちゃうのも手です。
リレーくらい頑張っとく、
っていうのもそういうこと。
そんなことで「自分」は失われないです。
面倒なことをさけることは、悪いことじゃないからね。
だけど、
どうしても譲れない1が傷つけられそうになったら、
どうにか環境を変えたり、なんとか工夫して、持ちこたえてほしいです。
僕は学校生活が嫌いだったわけじゃないけど、ああいう空気は苦手でした。
でもここに書いたようなことを、誰とも話したことがなかったの。
君もそうだとしたら、同じこと思ってる人いんじゃんって、ちょっと安心してくれたらうれしいです。
こういうふうに思ってる人、実は少なくないからね。
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