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100年前に、暮らしに取り入れていた南方熊楠 🌿「ハーブのある暮らし」

  「天才学者」や「粘菌研究者」という熊楠像とは違い、植物とともに暮らす人・ハーバリストとしての熊楠氏についてまとめたいと思います。

🌱 100年前にすでに和ハーブと洋ハーブを一緒に育て、暮らしに取り入れていた!

「ハーブのある暮らし」と聞くと、最近のライフスタイルのように感じるかもしれません。

けれど、100年以上前に、それを自然に実践していた人物がいました。

それが、植物学者・南方熊楠氏です。 多くの人は熊楠氏を「歩く百科事典」、「粘菌の研究者」、あるいは「ハチャメチャな奇人」として知っているかもしれません。

しかし、和歌山・田辺の自宅の400坪の庭には、西洋から持ち帰ったハーブや野菜と、日本古来の薬草が並んで育てられていたそうです。

🌱ロンドンから持ち帰った西洋の植物文化

熊楠氏は約8年間、イギリスで暮らしました。
その間に身につけたのは、最先端の植物学だけではありません。

紅茶を楽しみ、ミントなどのハーブを暮らしに取り入れていたそうです。

パセリ、セロリ、トマト、オクラなど、当時の日本ではまだ珍しかった植物も育てていました。

ロンドンで学んだ植物文化は、日本へ帰ってからも暮らしの一部になっていたのです。

一方で、その同じ庭で、 ・センブリ ・ゲンノショウコ ・ドクダミ ・ヨモギ ・オオバコ ・スギナ など、 日本で古くから利用されてきた薬草も育てられていたそうです。

熊楠氏は、それらを単なる民間薬としてではなく、一つひとつの植物を観察し、その性質を理解しようとしていました。

洋ハーブも、和ハーブも、 彼にとっては同じ「植物」です。 国境で区別するものではなかったのだと思います。

🌱庭は研究室であり、薬草園でもあった

熊楠氏の庭は、花壇でも家庭菜園でもありません。 植物を観察し、食べ、必要に応じて煎じ、暮らしに生かす。

まさに「生きた研究室」でした。

現代では「ハーブは西洋のもの」「薬草は和のもの」と分けて考えがちですが、熊楠氏は100年以上前に、その垣根を軽々と越えていました。

 🌱植物は世界共通の言葉

私自身、ハーブを学ぶ中で感じてきたのは、 植物には国境がないということです。

熊楠氏の庭にも、その考え方が表れていたように思います。

和ハーブも洋ハーブも、それぞれの土地で人々の暮らしを支えてきた植物たち。

熊楠氏は、それらを分け隔てなく受け入れ、学び、暮らしの中で生かしていました。

次回は、もう一つの南方熊楠氏の顔として、  「自家製ハーブのある暮らし」
「ビフテキとミントティーの話」
などにも触れていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございます☘️


100年前に、すでに「和ハーブと洋ハーブが共にある暮らし」を実践していた人がいた。

そう思うと、南方熊楠氏という人物が、少し身近に感じられる気がしました。

追記

タイトル画像はAIによるイメージ画像です。

和風の情緒とハーブの緑が溶け込んでいて、 静けさと温かみのある雰囲気です。

​南方熊楠氏が晩年を過ごした和歌山県田辺市の「旧南方熊楠邸」は、実際に保存されていて、 今も見学することができるそうです。 ​

庭には彼が植えた楠(クスノキ)の大木や柿やみかんの木など、当時の面影を残す木々や植物がそのまま残されているそうです。

すぐ隣には「南方熊楠顕彰館」もあり、彼の研究資料や暮らしの痕跡に触れることもできるそうです。

​100年前の「和洋のハーブが共存する空気感」を現地で体感してみたいと思います。      ありがとうございました☘️

これまで南方熊楠氏についてまとめてきた幾つかの記事なども含めて、これから見直しをしていきたいと思います。



読んでいただきありがとうございました☘️

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