「ビフテキとミントティー」🌿和歌山の庭からロンドンとつながった南方熊楠氏の美学
昭和15年、和歌山県田辺市。
南方熊楠氏(みなかたくまぐす)の日記には、こんな一文が残されています。
「朝十時十分起く、ビフテキ取寄せ食ふ」
世界を驚かせた「知の巨人」でありながら、昭和初期の静かな港町で、実にハイカラな食生活を送っていた熊楠氏。
なぜ彼は、当時の日本でそこまで「洋食」にこだわったのでしょうか?
20代の極貧留学で身体に刻まれた「西洋の味」
時計の針を20代のイギリス留学時代へ戻してみます。大英博物館にこもり、世界中の文献を文字通り「丸写し」する狂気的な読書生活(ロンドン抜書)。
お金も地位もない極貧の中で、彼の身体に深く刻み込まれたのが「西洋のパン、チーズ、そして肉の味」でした。
帰国後、彼が居を構えた田辺の自宅の庭。
一見すると雑草だらけの研究用の庭ですが、実は当時まだ珍しかったオクラ、トマト、セロリ、パセリ、そしてミントが育つ「プライベート・ロンドン」だったのです。
🔹近所の外国人宣教師から譲り受ける本場のパン
🔹焼き加減にこだわりながら味わうビフテキ
🔹庭で摘み取ったフレッシュハーブ
周囲から「奇人」と呼ばれようと、当時は冷蔵技術が未発達だったこともあり、刺身(生魚)を「寄生虫の懸念がある」と遠ざけ、彼は西洋の合理主義と安全面への強いこだわりを貫きました。
胃袋で貫いた「世界基準」の生き様
熊楠氏にとって、この食卓は単なる贅沢ではありません。 「田辺の地にいようとも、私の脳内も胃袋も、世界(ロンドン)と直結している」という意思表示でした。
また、形だけ洋風を気取るのではなく、パンに発酵食品である「味噌汁」を合わせるなど、彼独自の科学的で自由な合理主義も発揮しています。
当時の一般的な価値観と比べると、そのこだわりは実に個性的です。
🔹当時の一般的な食卓
一汁一菜(お米と漬物、生の魚)
🔹熊楠氏の食卓
ビフテキ、パン、自家製セロリ、味噌汁
世間の「普通」ではなく、自分が正しいと思う知識と心地よさを愛し抜くこと。
それこそが熊楠氏の最大の魅力でした。
私たちも、自分の「ミントティー」を持とう!
熊楠氏の「ビフテキとミントティー」の精神は、情報過多な現代を生きる私たちに「自分だけの基準(ものさし)を持つ強さ」を教えてくれます。
SNSのトレンドや「世間の当たり前」というノイズに流され、自分が本当に好きなものを見失いがちな現代。
しかし熊楠氏は、「こうあるべき」という周囲の視線が強い時代にあっても、どこ吹く風で自分の美学を大切にしていました。
科学的根拠に基づいた合理主義
加熱調理への信頼から、当時の日本人が当たり前に食べていた刺身を遠ざけた。
形骸化したルールに縛られない自由さ
「洋食だからスープ」という枠にとらわれず、身体に良い発酵食品としてパンに味噌汁を合わせた。
彼の食卓は、見栄や流行で飾られたものではありません。
過酷な留学生活で血肉化した「世界基準の知性」と、自分が心地よいと感じる「こだわり」を、日常の中にそのまま着地させたのです。
「普通はこうするべき」
「みんながそうしているから」
そんな外側の情報に振り回されそうになったとき、和歌山の庭でビフテキを頬張り、自家製ハーブを愛した熊楠氏の姿は、私たちに静かに問いかけてくれます。
🌿 「あなたのミントティー」(=誰にも譲れない固有の美学)は、一体どこにありますか?
皆さんの「これだけは譲れないこだわり」とは
どんなことでしょうか?
読んでいただきありがとうございます☘️
