サンフランシスコ湾南東端近くのオフィスパークにある低層ビルの中に,青い光に包まれた白い真空容器が並んでいる。その内部では,超電導回路が刻まれたチップが金色のシャンデリアのような構造体に吊り下げられ,2種類のヘリウム同位体の混合ガスによって冷却されている。この超電導チップは隣のクリーンルームで製造されている。そこでは白い服を着た技術者たちが,部屋ほどもある大きな装置とドラフトチャンバー,酸浴槽を使って作業をしている。このチップ,真空容器,クリーンルームからなる施設はすべて,たった1つの夢の実現のために存在している。量子コンピューターだ。
ここはカリフォルニアにある量子コンピューター企業,リゲッティ・コンピューティングの主要製造拠点だ。それぞれの真空容器の中には,同社が開発している最高性能の量子プロセッサーが1つずつ入っている。量子コンピューターはいずれ,特定の計算を,現在私たちが使っている古典コンピューターより桁違いに速く実行できるようになると考えられている。リゲッティの最高経営責任者(CEO)のクルカルニ(Subodh Kulkarni)は私に「ごくわずかなエネルギー消費で,何百万倍,何十億倍も高速になる」と語った。「それが量子コンピューティングの魅力だ。いまは解けない問題が解ける可能性がある」。
量子コンピューティングの可能性に賭けている企業は,リゲッティのほか世界に何十社もある。過去20年間,リゲッティのようなスタートアップからIBMやグーグルのような大企業まで,量子コンピューティングに多額の投資をしてきた。ベンチャーキャピタルからの投資額は,2023年だけで12億ドルに達している。量子コンピューティングは世界中の大学や政府研究機関の主要な研究テーマにもなっている。
皆が量子コンピューティングという夢を追いかけているが,その夢の中身は人によって少しずつ違う。ベンチャーキャピタルをはじめシリコンバレーで熱狂を煽っている人々は,量子コンピューティングとAIが互いの性能を高めると盛んに語るが,専門家はそうした見方には懐疑的だ。量子コンピューターが創薬や天気予報,金融業界に革命をもたらすと言う人は,クルカルニをはじめ少なくない。そして各国政府は,これまで解読不可能だった暗号を破る能力に期待をかけている。
しかしこうした予測は,どれも確実なものではない。量子コンピューティングは,いままさに正念場を迎えている。研究者たちは今後数十年のうちに量子コンピューターが大規模化して真のブレイクスルーを達成し,実用的なタスクで古典コンピューターを凌駕することを期待している。もしそれが実現すれば,量子コンピューターはあらゆる面で世界を変えるだろう。しかし行く手には数多の壁が立ちはだかっている。量子コンピューターがそれを乗り越えるまで,実際に何ができるのか,誰にもわからないのだ。
続きは2026年8月号の誌面でどうぞ!
著者
Adam Becker
サイエンスライター。ミシガン大学で宇宙論のPh. D.を取得した。最近の著書に,「More Everything Forever: AI Overlords, Space Empires, and Silicon Valley’s Crusade to Control the Fate of Humanity」がある。ポッドキャスト「Dreaming against the Machine」を運営している。
監修 阿部英介(あべ・えいすけ)
理化学研究所量子コンピュータ研究センター(RQC)ユニットリーダー。超電導量子コンピューターのハードウエア開発に取り組む。
原題名
The Quantum Revolution(SCIENTIFIC AMERICAN June 2026)
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