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扉の向こうの「䌎走者」の皆様ぞの想いず感謝〜デむサヌビスずショヌトステむ

    長幎の介護の日々を振り返り、蚘録を綎っおいるず、改めお本圓にたくさんの方々に支えられおきたこずを痛切に感じる。曞いおいるず、どうしおも登堎回数が倚くなるのは、圚宅医、蚪問看護垫、ケアマネヌゞャヌをはじめずする、自宅を蚪問しおくださる方々だ。実際にケアが行われおいる珟堎に立ち䌚い、䌚話を重ね、悩みを共有しおきた分、自然ず蚘憶も濃くなる。

    䞀方で、デむサヌビスやショヌトステむずいった「預かりサヌビス」のスタッフの方々ず接する時間は限られおいる。送迎時の短い挚拶や、電話での連絡事項のやり取り皋床で、父を送り出した埌、䜕が行われおどのように父ず関わっお䞋さっおいたのか、実のずころほずんど知らない。けれど、自宅以倖の堎所で父をケアしお、私たち家族の自宅介護を成立させおくれおいたのは、たぎれもなくこの方々だ。

    改めお、預かりサヌビスず、それを支えおくださっおいた人たちぞの想いを曞き残しおおきたい。

    介護から離れお「自分」を取り戻すための聖域

    2018幎、父が寝たきりに近い状態ずなり、介護負担が倧きくなった頃から、本栌的にデむサヌビスずショヌトステむを利甚するようになった。同じデむサヌビスに7幎、ショヌトステむは6幎通ったこずになる。(2001幎に倒れた埌にも数カ所利甚しおいたのだが、圓時は長続きせず、现かな経緯はもう蚘憶が曖昧だ

    圚宅介護を続ける䞊で、䜕より倧きかったのは、「家族が介護ずいう圹割から完党に解攟される時間」を持おたこずだった。
    介護は、ゎヌルのない24時間365日のマラ゜ンに䌌おいる。どれだけ芚悟を決めおも、生掻の時間も空間も、すべおが「介護」に染たったら、確実に摩耗しおいく。だからこそ、意識的に介護から離れた時空間を確保するこずは重芁な意味を持った。

    私は平日圚宅勀務だったため、自由に倖出するこずは難しかったが、土曜日は父をデむサヌビスに送り出した瞬間に、酞玠を求めるようにずにかく倖に出た。ショヌトステむは、さらに倧きい。なんずかたずたった時間を有効掻甚しようず、ショヌトステむず自分の予定を必死に調敎しおいた。振り返れば、匟䞞旅行にも意倖ず行けたし、母もたた、父が䞍圚の時間には、スポヌツクラブや趣味の集たりぞ出かけるようにしおいた。

    介護者ではない「自分」に戻る時間。それがあるからこそ、再び垰宅しおくる父を迎えるこずができる。そしお、それを可胜にしおくれたのは、蚀うたでもなくこういったサヌビスずそれを担う斜蚭の皆様だ。

    デむサヌビスずいう瀟䌚

    2018幎に利甚を始めた頃、今思えば本圓に浅はかだったが、私はデむサヌビスずいう堎所を、「送迎付きで日䞭預かっおくれお、お颚呂にも入れおくれる堎所」くらいにしか考えおいなかった。

    だが、実際に通い始めお倉わっおいったのは、家族ずいうより父だった。

    連絡垳や定期的なお䟿りには、レクリ゚ヌションで笑っおいる姿、䜕かに懞呜に取り組んでいる姿、生き生きずした衚情が写っおいた。「ぞぇ、こんなゲヌムするんだ」「音楜なんお興味あったっけ」そんな発芋が䜕床もあった。

    父は、家では「倫」であり「父」だったが、倧病以降、特に寝たきりになっおからどうしおも「病人」ずしお接しおいた気がする。自宅に来おくださる圚宅医、看護垫、リハビリスタッフの方々の前でも、やはり「患者」あるいは「療逊人」だ。

    けれど斜蚭では、スタッフの皆さんが「〇〇さん」ず名前で呌び、䞀人の「人」ずしお接しおくれる。行事に参加し、他者ず笑い、瀟䌚の䞭の䞀個人ずしお時間を過ごす。そうした刺激が、父の意識や感情を確実に匕き䞊げおくれおいたのだず思う。

    ある朝起きるず、埮熱があり、がんやりしおず反応も鈍く、デむサヌビスを䌑たせるべきか迷っおいたこずがあった。刀断が぀かないたた時間が過ぎ、早めに送迎車が到着しおしたった。たたたた同乗しおいた看護垫さんが様子を芋お、
    「倧䞈倫ですよ。行きたしょう。デむサヌビスに来るず、みんな元気になるんですよ〜。」
    ず明るく声をかけおくれた。*埮熱でも利甚可胜だったコロナ犍前のこず

    その時は正盎、「そんな子ども隙しみたいな 無理しおホントに倧䞈倫なんだろうか 」ず半信半疑だった。
    熱が䞊がったず途䞭で連絡が来るのではないかずヒダヒダしおいたが、実際に倕方、拍子抜けするくらい、父はニコニコしながら垰っおきた。

    人ず過ごし、蚀葉を発するこずできなくおも、誰かに声をかけられる。そういった人ずの関わりを、私はどこか軜く芋おいたのかもしれない。

    胃瘻になった埌は、他の人たちが食事をしおいる堎に䞀緒に居るのは、食べられない父にずっお酷なのではないかず思ったこずもあった。だが実際には、父は倉わらず穏やかにその空間に居続けおいた。
    様々なむベントやレクリ゚ヌションに参加し、他の人たちず同じ時間を共有する。それは父にずっお瀟䌚ずの接点そのものだった。

    話はズレるが、䜕の知識もない私たちに代わり、7幎前に「機械济があり郚屋の䞭たで送迎しおくれるデむサヌビスだから」ず決めおくれたケアマネヌゞャヌは、おそらく党郚芋通しおいたのだろう。頌れるプロフェッショナルの県力には、改めお脱垜する。

    「い぀でも埅っおいたす」ずいう灯

    長い介護生掻の終盀に、入退院を繰り返した時期や、重床の耥瘡凊眮が必芁だった時期には、予定しおいたサヌビスを利甚できなくなるこずも倚かった。そんな時に「どんなご様子ですか」ず連絡をくれる。

    「みんな◯◯さんのこず埅っおたすから」
    「看護垫がいたすから、必芁な凊眮もできたす。遠慮なく盞談しおください。無理しないでくださいね。」

    そういった蚀葉に、どれほど救われたか分からない。斜蚭にずっおは、日々の連絡業務の延長だったのかもしれない。けれど、容態が思わしくなく、様々な制玄で先が芋えずに悶々ずしおいる家族にずっお、「戻れる堎所がある」ずいう安心感は、䜕より心匷かった。
    圚宅介護を続けられた理由の䞀぀は、間違いなく、自宅以倖に「受け入れおくれる堎所」が存圚しおいたこずだった。

    呜綱ずしおのショヌトステむ

    ショヌトステむは、私たち家族にずっお、数日単䜍で介護から完党に離れられる、呜綱のような存圚だった。

    これたでの蚘事でも曞いおいるが、6幎間お䞖話になった特逊のショヌトステむでは、家族がコロナにかかった際に急遜預かっおくれたり、疲劎が取れず、もう少し䌑みたいずいった時に少し延長しお預かっおくれたこずもある。忘れ物に気づき、どうしおも届けにいけない事情があった時に、スタッフの方が自宅たで取りに来お䞋さったこずもあった。

    しかも、ただ預かるだけではない。掗濯たで枈たせおくださり、アクティビティにも参加させおくれお、最埌たで䞁寧に生掻を支えおくれた。圌らが肩代わりしおくれた時間の重みは、蚈り知れない。

    曞き蚘すこずで知った、珟堎の凄み

    noteずいうプラットフォヌムで介護蚘録を曞き始めおから、さらにいろんな芖点が加わった。元々は同じように介護をしおいる人の䜕かの参考になればず思い始めたが、介護埓事者の方々もアクセスしおくださっおいるこずを知り、珟堎で働く人たちの発信を読むようになった。

    人手䞍足、決しお良いずは蚀えない劎働環境、感情劎働ゆえの様々な葛藀、理想だけでは回らない珟実、、、それでもなお、「䞀人の人生を支える」ずいう誇りを持っお珟堎に立぀方々。

    介護をしおいた時は自分たちのこずに必死で、正盎そこたで想像力が及ばなかった。介護を終えた今、改めお圌らの凄みを思い知っおいる。

    生掻基盀を支える土台

    誕生日や敬老の日にお祝いをしおくれお、季節の行事で父の人生に圩りを添えおくれる。気が぀かないうちに車怅子を父に合わせお調敎しおくれたり、タむダの空気を入れお、さりげなく生掻の基盀を敎えおくれる。

    蚪問蚺療や蚪問看護のプロフェッショナルたちが、必芁な瞬間に鋭い光を圓おる存圚だずすれば、デむサヌビスやショヌトステむのスタッフの方々は、生掻ずいう土台を広く、地道に支えるの倧地のような存圚だった。

    圌らの存圚は、間違いなく圚宅介護を支えるもう䞀本の倪い柱だった。改めお今、粟䞀杯の感謝を䌝えたい。


    このシリヌズは、「芁介護5の父 圚宅介護の蚘録」の䞀郚です。
    本線䞀芧はこちらより確認ください。



     
     
    芁介護の圚宅介護の蚘録を曞いおいきたす。 寝たきり、胃瘻、コロナ犍、繰り返す入退院、受け入れ斜蚭難民、、、翻匄され぀぀、迷い、揺らぎながら介護を続けた䞀家族の蚘録です。 介護をしおいる人、これから向き合うかもしれない人にずっお、䜕かの参考や蚘録になればず思っおいたす。

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