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芁介護の父 圚宅介護の蚘録⑊箱根駅䌝䞭継の歓声ず、繋がれおいく呜2023

    2022幎10月、レスパむト入院䞭に肺炎を発症、薬剀䞍足等でダキモキする入院ではあったが、なんずか回埩しお垰宅した。その埌は䜓調も良く、穏やかな日々を過ごしおいたが、2023幎の幎明け早々、再び状況は急倉した。激動の1月の出来事ず、入退院が増えおいった2023幎の歩みを曞いおいく。

    正月早々14件の「拒絶」ず箱根駅䌝の歓声の脇を走る救急車

    2022幎の幎末にかけおの父は調子も良く、なぜか䞊機嫌で、デむサヌビスでも家でもよく思い出し笑いをし、スタッフの方からもからかわれおいた。
    倧晊日も、デむサヌビスで入济させおもらい、䞀幎の垢を萜ずしさっぱりしたのか、垰宅埌は声をあげお笑う父の姿があった。

    色々あるずはいえ、笑顔で幎の瀬を迎えられたこずに安堵し、䞀幎の劎をねぎらっおいた矢先の倜、突然嘔吐した。

    元旊から3日間、圚宅医に凊眮を仰いだものの、1月3日、サチュレヌション血䞭酞玠飜和床の䜎䞋により救急車を芁請するこずになった。

    䞉が日の医療䜓制は脆匱だった。父の党カルテを把握しおいる長幎のかかり぀け病院に察し、埀蚺医が真摯に亀枉しおくれたが、返答は頑なに「受け入れ䞍可」。

    救急隊にバトンタッチし、搬送先を探しおもらうが、地域内のすべおの救呜救急に受け入れを断られる。呌びかけぞの反応が埐々になくなっおいき、かわりに吞入される酞玠の量が埐々に増えおいく父に付き添いながら、このたた救急車の䞭で呜が尜きるのではないかず、恐怖を感じおいた。

    救急隊は近隣垂の病院に順番にコンタクトをし、14件繰り返された「拒絶」の末、ようやく15件目の病院が受け入れを承諟した。

    箱根駅䌝の埩路が行われおいる真っ最䞭だった。途䞭、歓声に包たれる沿道を暪目に、救急車はサむレンを鳎らしお激走し、小䞀時間かけお別の地域の病院ぞず父を運んだ。

    医療システムの隙間にこがれ萜ちる高霢者

    たどり着いた病院での蚺断は胆嚢炎。䞀定期間の治療が必芁ずなり、その埌病院間の亀枉で、2日埌に地元のかかり぀け病院ぞ転院するこずになった。

    病院間の移動は自分たちでお願いしたすずのこずで、介護タクシヌを手配し、酞玠吞入ず点滎を繋いだたた1時間20分かけお移動した。そこで埅っおいたのは、病院間の情報連携が党くなされおいない珟実だった。

    父をストレッチャヌに乗せたたた、極寒の玄関ホヌルで埅぀間、病院スタッフの間で、どこが受け皿になるのかずいったやり取りがなされるが聞こえおくる。䞀人の人間が、なんだか「凊理案件」ずしお扱われおいるような感芚に陥った。

    結局、救急倖来ERで2日前ず同じ怜査が半日かけお繰り返された。CTの造圱剀が挏れお腫れ䞊がった腕、38.4床の熱でぐったりずした父に付き添いながら、どこにも着地できない呜の寄る蟺なさず、高霢者が医療の枠組みから抌し出されおいるような疑念を拭いきれなかった。

    正月期間の人手の少ない䞭で必死に察凊しおくださった医療関係者の方々には深く感謝しおいる。だが、医療システムが抱える構造的な綻びず、その網の目からこがれ萜ちる高霢者ずいう図匏を、どうしおも感じおしたうのも事実だった。

    厩壊したセヌフティネット

    2週間の入院治療を経お、ようやく退院の芋通しが立ちホッずした矢先、母がコロナに感染した。介護を担うために感染には现心の泚意を払っおいたが、高霢の母にりむルスは容赊なかった。同居しおいる私も濃厚接觊者ずなり、八方塞がりの状況になった。

    窮地を救っおくれたのは、ケアマネゞャヌだ。迅速な調敎で、普段お䞖話になっおいるショヌトステむ先に堎所を即時確保しおくれたこずで、退院の調敎を進めるこずができた。様々なルヌルや公的システムの壁にぶち圓たる䞭で、最埌に頌りになるのは、やはり長幎の信頌関係に基づく「個」の調敎だった。

    繰り返す入退院の䞭で

    1月の胆嚢炎に続いお、9月には、胆管炎を発症した。胃瘻を造蚭した人には起こりやすいずのこずだったが、父の身䜓の至るずころに支障が出始めおいるのを、家族ずしおも感じずにはいられなかった。

    家にいれば穏やかに過ごし、よく笑う父ではあったが、ステヌゞが倉わったずいう珟実は吊応なしに迫っおきおいた。

    い぀容態が急倉するか分からない緊匵感ず、どこで拒絶されるか分からない䞍安が付き纏い、薄氷の䞊を歩むような介護生掻になっおいった。

    圚宅チヌムの支え

    こうした状況䞋で、改めお、圚宅医、ケアマネゞャヌ、蚪問看護をはじめずする圚宅チヌムの存圚は心匷いものだった。

    入院時も、退院時も、即時に情報が共有され、次なる局面にスムヌズに接続させおくれる。病院偎ずの連携、サヌビスの調敎、自宅に戻るための準備——、目の前のこずに必死になっおいる私たち家族に代わり、先回りしお次の䜓制を敎え、家族が芋えおいない郚分たでフォロヌしおくれた。

    退院したその日から、埀蚺、状態にあわせた看護やリハビリを受けるこずができ、䜕事もなかったように圚宅介護の生掻に戻るこずができたのは、圚宅チヌムの方々の的確な動きず、長幎の信頌に基づくチヌムワヌクによるものだ。この人たちがいたからこそ、歩み続けるこずができた。

    かろうじお回っおいるような介護生掻ではあったが、それでも、家に居る時の父はよく笑った。その笑顔だけが、この日々を走り続けるための、かすかな支えだった。


    このシリヌズは、「芁介護5の父 圚宅介護の蚘録」の䞀郚です。
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    芁介護の圚宅介護の蚘録を曞いおいきたす。 寝たきり、胃瘻、コロナ犍、繰り返す入退院、受け入れ斜蚭難民、、、翻匄され぀぀、迷い、揺らぎながら介護を続けた䞀家族の蚘録です。 介護をしおいる人、これから向き合うかもしれない人にずっお、䜕かの参考や蚘録になればず思っおいたす。

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