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『水曜どうでしょう』喧嘩太鼓はなぜ30年語り継がれるホラ話になったのか|第31夜

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    前回、第30夜では、深夜バスや移動中の何気ない会話こそが、『水曜どうでしょう』という番組を作っていったのではないかという話を書きました。

    その延長線上にあるのが、今回の第31夜です。鹿児島へ向かう特急「つばめ」の車内。長い移動時間の中で、大泉さんはいつものように、ふと思いついたように話し始めます。

    「酒と女と喧嘩に明け暮れた男がいた。」

    それが、後に「喧嘩太鼓」と呼ばれることになる伝説のホラ話の始まりでした。

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    大泉さん初主演は喧嘩に明け暮れる男の話(ホラ話)
    (引用元:DVD「サイコロ3前編」より)

    当時の大泉洋さんは、まだ北海道の大学生でした。藤村Dによると、この頃の大泉さんは遊びを知らない学生だったそうです。

    お酒もそれほど飲まず、「酒と女と喧嘩に明け暮れる男」とはまったく正反対の存在でした。だからこそ、「喧嘩太鼓」は面白いのです。

    自分にないものを、全部言葉で作ってしまう。経験していない世界を、あたかも見てきたかのように語っていく。その勢いと無理やりさに、大泉さんらしさがあります。

    そして、このホラ話を成立させているのが、ミスターの存在でした。

    ミスターは雑に振り、しつこく聞き、大泉さんが苦し紛れに答えると、さらに話を広げていきます。どうでしょうのホラ話は、一人では成立しません。

    話を盛る人と、それを面白がる人。その掛け合いがあるからこそ、列車の中の雑談が30年後まで語られる名場面になっていったのでしょう。

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    自身を四十五(しじゅうご)と語り、
    昔の作品の思い出話をする大泉さん
    (引用元:DVD「サイコロ3前編」より)


    ただ、この頃の大泉さんは、まだ今の「大泉洋」ではありませんでした。藤村Dによると、サイコロ3の頃は、ミスターからかなり怒られていたそうです。理由の一つが、仕事に対する姿勢でした。

    印象的なのが、たばこのエピソードです。旅の途中、たばこを吸っていた大泉さんに対し、藤村Dが「そのたばこが終わったら撮影します」と声をかけると、大泉さんは「わかりました、ちょっと待ってください」と答えたそうです。

    それを聞いたミスターは、「おまえのたばこで、みんなを待たせているんだから、すぐに消して撮影するんだ」とカチンときたといいます。

    今なら笑い話ですが、当時のミスターは本気で教育的指導をしていたそうです。この話が面白いのは、私たちが今の大泉洋さんを知っているからでしょう。

    今では日本を代表する俳優となり、映画や大河ドラマでも主演を務める存在になりました。しかし30年前は、撮影の段取りで叱られていた普通の大学生だったのです。

    ミスターは後に、「普通の大学生が成長していく様子や、ものの考え方が変わっていく様子が分かる」と語っています。

    まさに、その言葉どおりなのだと思います。

    『水曜どうでしょう』には、完成されたタレントの姿ではなく、一人の若者が少しずつ変わっていく過程が、そのまま残されていました。


    そして、「喧嘩太鼓」は、その後の現実と重ねることでさらに面白くなります。

    藤村Dは、このホラ話をきっかけにDVD特典として「喧嘩太鼓」のポスターを作りました。

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    1984年に大泉さんが主演したとされる映画「喧嘩太鼓」
    (DVD「サイコロ3」の購入特典より)

    さらにミスターは後の解説で、映画監督になった今なら、本当に『喧嘩太鼓』を撮ってみたいと笑いながら語っています。

    その言葉が冗談のようでいて、どこか冗談に聞こえないのが面白いところです。なぜなら、ミスターは本当に映画監督になり、大泉さんを主演にした映画を撮りました。

    そして大泉さん自身も、日本を代表する俳優になり、映画やNHKの大河ドラマに出演する存在になったからです。

    30年前、列車の中で生まれたくだらないホラ話が、今なら本当に映画として成立してしまうかもしれない。

    そう考えると、「喧嘩太鼓」は単なる嘘ではなく、未来を少しだけ先取りした物語だったのかもしれません。


    なお、サイコロ3前編を見ていると、岡山へ向かう寝台列車で映る大泉さんの穴の開いた靴下も印象に残ります。

    普通なら見逃してしまいそうな一瞬ですが、この場面を見たファンの方々は心配され、大泉さんの事務所には、しばらく靴下のプレゼントが届いていたそうです。

    『水曜どうでしょう』は、大事件だけを残す番組ではありません。穴の開いた靴下も、車内の雑談も、寝台列車の暇な時間も、そのまま残してしまう。

    だからこそ、出演者が少しずつ変わっていく姿まで映し出してしまうのです。

    普通の大学生が、少しずつ大人になっていく。そして4人の関係性が、少しずつ今の『水曜どうでしょう』へ近づいていく。

    サイコロ3前編は、そんな変化の途中にある物語でした。

    30年前の寝台列車で生まれた「喧嘩太鼓」は、今もまだ終わっていません。いつか本当に映画になるかもしれない。そんな馬鹿馬鹿しい想像を、本気でしてしまう。

    その余白こそが、『水曜どうでしょう』という番組が30年経っても愛され続ける理由なのだと思います。


    (※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)


    次回(第32夜)は、誰も知らなかった最初の1年について考えていきます。

    『水曜どうでしょう』は、最初から今の形だったわけではありません。サイコロ3前編を終えたこのタイミングで、もう一度番組の原点に立ち返り、誰も知らなかった放送開始当初の1年を振り返ります。

    なぜ深夜のローカル番組が、30年後も語り継がれる作品になったのでしょうか。その始まりの物語を読み解いていきます。

    ※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。


    📌今回の内容を踏まえて、皆さんは『水曜どうでしょう』の魅力はどちらに近いと感じますか?

    A:大泉さんのホラ話や名言そのものの面白さ

    B:そのホラ話が後から現実につながっていく面白さ

    どちらに近いか、理由もあればぜひコメントで教えてください。
    (コメントには必ずご返信させていただきます)
    今後の『水曜どうでしょう』考察の参考にさせていただきます。


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    ■運営者(ユウナ)について
    このnoteでは『水曜どうでしょう』をテーマに執筆しています。以下の別アカウントでは、普通の会社員だった私が、FIREを達成するまでの資産形成の実体験を記録しています。

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