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『水曜どうでしょう』誰も何も分からなかった最初の1年|第32夜

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    📖第1夜から読める連載まとめ(目次ページ)

    前回までのサイコロ3前編では、深夜バスとの戦いや「喧嘩太鼓」のホラ話など、『水曜どうでしょう』を代表する場面を見てきました。そこには、すでに私たちが知っている「どうでしょうらしさ」がありました。

    では、その「どうでしょうらしさ」は、最初から存在していたのでしょうか。

    答えは、まったく違います。

    1996年10月9日深夜0時50分。北海道テレビで『水曜どうでしょう』の放送が始まりました。しかし、その番組は今の私たちが思い浮かべる『水曜どうでしょう』とは、かなり違う姿をしていました。


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    番組初期の企画を振り返るお二人。見ていて恥ずかしいとのご感想
    (引用元:DVD「サイコロ1」より)

    番組開始当初のコンセプトは、「予算・低カロリー・低姿勢・低視聴率でお送りしたい」。

    今なら思わず笑ってしまう言葉ですが、ここには当時の番組の立ち位置がよく表れています。北海道のローカル局で始まる深夜番組。

    全国的な人気番組を目指していたわけでもなく、30年後まで語り継がれる作品になることを想像していた人もいませんでした。

    後の藤村Dの解説や、雑誌のインタビュー記事などを読んでいると、何度も出てくる言葉があります。

    「誰も何も分かっていない。」

    何が面白いのか。どんな番組にしたいのか。どうやったら視聴者に見てもらえるのか。スタッフも出演者も、その答えを持っていませんでした。

    だから最初の1年間には、今の『水曜どうでしょう』からは想像もつかない企画が並んでいます。

    ビシバシステムのコント、アーティストインタビュー、そして後に人気企画となる『雅楽戦隊ホワイトストーンズR』も、この時期にどうでしょう内で放送されています。

    つまり、『水曜どうでしょう』は最初から旅番組だったわけではないのです。


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    水曜どうでしょうの「企画ブレーン」として紹介されるミスター
    (引用元:DVD「サイコロ1」より)

    この事実は、30年後の今から振り返ると、とても不思議に感じます。

    もし最初から「旅番組を作ろう」と決めていたなら、サイコロの旅も、原付企画も、ヨーロッパ完全制覇も、もっと早く生まれていたかもしれません。

    しかし、実際にはそうならなかった。

    いろいろな企画を試し、遠回りをしながら、少しずつ自分たちの面白さを探していったのです。

    そして、その中でスタッフが気づいたことがありました。

    「やはり一番面白いのはメンバーの旅企画。」

    この一文は、『水曜どうでしょう』という番組を理解するうえで、とても重要な言葉だと思います。

    面白かったのは、企画そのものではありませんでした。

    旅の途中で起きるハプニング。出演者が困ってしまうこと。想定外の出来事。移動中の何気ない雑談。そして、それを見て笑っているディレクターたち。

    結局、一番面白かったのは「人」だったのです。

    サイコロ3を見ていると、そのことがよく分かります。

    深夜バスが面白いわけではない。ホラ話が面白いわけでもない。その状況の中で見せる、大泉さんやミスターの素の反応が面白いのです。

    そして、その面白さに気づいた瞬間から、『水曜どうでしょう』は少しずつ今の形になっていきました。


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    ただの大学生として紹介される若き日の大泉さん
    (引用元:DVD「サイコロ1」より)

    私は、この「誰も正解を知らなかった」ということ自体が、『水曜どうでしょう』が30年愛され続けている理由なのではないかと思います。

    多くのテレビ番組は、最初から完成形を目指します。どんな出演者を使うのか、どんな企画をやるのか、どんな視聴者に見てもらいたいのか。最初に設計図を描き、そのとおりに作ろうとします。

    しかし、『水曜どうでしょう』は違いました。

    何が面白いのか分からない。だから、とりあえずやってみる。うまくいかなければ、また違うことをやってみる。その試行錯誤そのものが、番組になっていたのです。

    だから私たちは、完成された番組を見ていたのではありません。番組が少しずつ形になっていく過程を、一緒に見ていたのです。

    最初は何も分からなかった4人が、旅をしながら「これが面白い」と気づいていく。少しずつ「どうでしょうらしさ」を見つけていく。その成長の過程まで含めて、私たちは好きになっていったのかもしれません。

    30年愛されている理由は、最初から完成されていたからではありません。むしろ逆です。

    完成していなかったからこそ、私たちは番組が育っていく姿を見守ることができたのです。

    だから『水曜どうでしょう』は、今でもどこか昔からの友達のように感じられるのでしょう。

    1996年10月9日。誰も何も分からないところから始まった深夜番組。その最初の1年には、後の『水曜どうでしょう』につながる、すべての種がすでにまかれていたのでした。


    (※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)


    次回(第33夜)は、「カメラの前で別人格になる必要がなかった」と鈴井貴之さんが語った、4人の関係について考えていきます。

    なぜ『水曜どうでしょう』では、作られたキャラクターではなく、素のやり取りが30年愛され続けているのでしょうか。4人だけが持っていた、不思議な関係性を読み解いていきます。

    ※この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。


    📌今回の内容を踏まえて、皆さんは何かを始めるとき、どちらのタイプですか?

    A:最初にしっかり完成形を考えてから始める。

    B:まずやってみて、その中で形を見つけていく。

    どちらに近いか、理由もあればぜひコメントで教えてください。
    (コメントには必ずご返信させていただきます)
    今後の『水曜どうでしょう』考察の参考にさせていただきます。


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    ■運営者(ユウナ)について
    このnoteでは『水曜どうでしょう』をテーマに執筆しています。以下の別アカウントでは、普通の会社員だった私が、FIREを達成するまでの資産形成の実体験を記録しています。

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