
『水曜どうでしょう』樋口了一は、なぜ「1/6の夢旅人」を生み出せたのか|第68夜
前回の第67夜では、『水曜どうでしょう』の放送時間が、深夜0時50分から夜11時25分へ繰り上げられた転換点を取り上げました。
ヨーロッパ最終夜で記録した9%を超える視聴率は、番組が視聴者に見つけられ、HTBから一段上の信頼を与えられるきっかけになりました。
しかし、『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』が生み出したものは、視聴率だけではありません。ミスターたちがヨーロッパを走っていたその時間に、北海道のラジオ局では、後に番組を象徴する一曲が生まれようとしていました。
その曲が、樋口了一さんの「1/6の夢旅人」です。なぜ樋口さんは、番組側から正式に依頼されたわけでもないのに、わずかな時間で4人の旅に重なる曲を生み出せたのでしょうか。
最初は、何をしている人たちなのか分からなかった
樋口さんと『水曜どうでしょう』の最初の接点は、『サイコロ3』でした。当時、FM北海道のラジオ番組『GO・I・S』にゲスト出演した流れから、大泉さんを東京へ連れていく企みに協力することになります。
どうでしょう班は、当時川崎市に住んでいた樋口さんの部屋を訪れました。しかし、樋口さんは北海道に住んでいたわけではなく、『水曜どうでしょう』を見たこともありません。
突然現れた彼らを見て、「何をするために、こんなことをやっているのだろう」と感じていたそうです。
樋口さんの部屋は、テレビ向けに用意された特別な場所ではありません。それでも、どうでしょう班は、普通の部屋の中から何とか面白いものを見つけようとしていました。
樋口さんの目には、その必死さが強く残ったといいます。

(引用元:DVD「サイコロ3」より)
この出会いは、樋口さんに番組の内容を理解してもらうために用意されたものではありませんでした。それでも、面白いことが何もなさそうな場所で、出演者とスタッフが必死に何かを探している。
その姿を直接見たことで、樋口さんは『水曜どうでしょう』の根にあるものに触れていたのではないでしょうか。
疲れ切ったミスターの声から始まった
その後、ミスターが『ヨーロッパ21ヵ国完全制覇』のロケへ出たため、『GO・I・S』のパーソナリティを務められなくなりました。そこで樋口さんが、ミスターの代わりに番組を担当することになります。
ラジオの放送中、ヨーロッパを旅していたミスターから電話が入りました。その声は、とても疲れていたそうです。樋口さんは、その場の流れで、翌日までに曲を作り、ラジオで演奏して応援するという趣旨のことを口にしました。
番組側から正式な依頼を受けたわけではありません。曲の使い方や、入れてほしい言葉を指定されたわけでもありません。ただ、遠く離れた場所で疲れているミスターの声を聞き、自分にできる形で応援しようとしたのです。
樋口さんには、もともと曲のメロディーがありました。そこへ歌詞を付ければ形にできるという考えはあったものの、与えられた時間は一日しかありません。
切羽詰まりながらメモへ書き続けた一方で、歌詞そのものは自然に出てきたと振り返っています。
番組の中に、歌になる言葉がすでにあった
なぜ、ほとんど時間がないなかで歌詞を作ることができたのでしょうか。樋口さんは、『水曜どうでしょう』に対して、地球をぐるぐる回っている番組という印象を持っていました。
さらに、番組の中には、4人の行動や面白さが具体的に映し出され、曲につながるキーワードのようなものが数多くあったといいます。樋口さん自身も、旅を題材にした曲を作ることが好きでした。
旅を続ける4人の姿と、自分がもともと持っていた音楽の世界が、自然に重なったのです。
樋口さんが短い時間で曲を生み出せたのは、何もないところから番組を説明する言葉を考えたからではありません。
すでに番組の中にあった移動、疲労、偶然、期待、失敗といった要素を、一つの歌として受け取ったのだと思います。
これは、『水曜どうでしょう』の作り方にもよく似ています。どうでしょう班も、事前に完成した物語を用意するのではなく、旅の途中で起きた出来事を拾い、編集によって番組にしていました。
樋口さんもまた、ミスターの疲れた声と4人の旅から、その時にしか生まれない歌を拾い上げたのです。
テレビ番組の曲が、ラジオから生まれた
「1/6の夢旅人」が生まれた場所は、テレビの制作会議ではありませんでした。きっかけになったのはラジオ番組であり、ミスターから届いた一本の電話でした。
樋口さんを代役に選んだラジオディレクターがいて、ヨーロッパから電話をかけたミスターがいて、その声を聞いた樋口さんが曲を作ると言い出す。一つでも欠けていれば、この曲は生まれていなかったかもしれません。
そこには、番組の主題歌を計画的に作ろうとする意図よりも、誰かの不在を別の誰かが引き受け、疲れている人を応援しようとする関係がありました。
『水曜どうでしょう』の外側で起きた偶然が、いつの間にか番組に欠かせない音楽へ変わっていったのです。
計画よりも、その場で起きたことを面白がる。出会った人を少しずつ巻き込み、予想していなかったものを残していく。「1/6の夢旅人」の誕生そのものが、まるで一つの『水曜どうでしょう』の企画のように見えます。
旅を説明しすぎなかったから、誰の歌にもなった
「1/6の夢旅人」は、特定の場面を細かく説明する曲ではありません。大泉さんやミスターの名前を知らなくても、一つの旅を終え、また次へ進もうとする歌として聴くことができます。
だからこそ、ヨーロッパの旅だけに閉じ込められませんでした。サイコロの旅、原付の旅、ユーコン川、そして番組終了後に行われた祭やイベントまで、異なる時間と風景に重ねることができたのです。
もし、番組の出来事をそのまま歌詞に並べていたら、分かりやすい主題歌にはなっても、ここまで長く残る曲にはならなかったかもしれません。
どうでしょう班の旅を出発点にしながら、聴く人それぞれの旅へ重ねられる余白が残されていました。
視聴者は、曲を聴くたびに自分が見てきた旅を思い出します。そして番組を離れた場所でも、自分の人生にある出発や別れ、再会を曲に重ねていきます。
番組のために生まれた一曲が、少しずつ視聴者一人ひとりの歌へ変わっていったのです。
「僕の手を離れた」と樋口さんが感じた理由
樋口さんは、「水曜どうでしょう祭」などのイベントで「1/6の夢旅人2002」を歌うと、体が少し浮いているような感覚になると語っています。
そこに集まった観客が何を期待し、どのような思いで曲を聴いているのか。その期待を受けるだけで、自分が押し上げられるように感じるのだそうです。
曲を作ったのは樋口さんです。しかし、番組のエンディングとして何度も流れたことで、視聴者はそれぞれの記憶を曲に重ねました。樋口さん自身も、曲が自分の手を離れ、ファンの間で共有されていると感じるようになります。
作り手の手を離れた作品は、意図していなかった意味を持ち始めます。それは、番組が制作者だけのものではなくなり、視聴者にとって帰ってこられる場所になった過程とも重なります。
樋口了一は、4人の旅を歌にしたのではなかった
樋口さんが「1/6の夢旅人」を生み出せたのは、『水曜どうでしょう』を詳しく知り尽くしていたからではありません。最初は、目の前の人たちが何をしているのかさえ、よく分かっていませんでした。
それでも、普通の部屋で必死に面白いものを探す姿を見て、ヨーロッパから届いた疲れた声を聞きました。そこに、自分がもともと持っていた旅への思いを重ね、わずかな時間で一曲を作りました。
樋口さんが歌にしたのは、4人がどこへ行ったのかではありません。疲れても進み、終わりが来ても、また次の場所へ向かおうとする人の気持ちでした。
だからその曲は、どうでしょう班だけでなく、番組を見てきた私たちの旅にも重なったのだと思います。
「1/6の夢旅人」は、番組のために計画されて生まれた主題歌ではありませんでした。一本の電話と、その声を受け取った人の衝動から生まれ、やがて作り手の手を離れていきました。
偶然から始まり、関わった人たちによって形を変え、最後には視聴者のものになっていく。その誕生と広がり方まで含めて、この曲は『水曜どうでしょう』らしい一曲だったのです。
(※記事中の画像は、作品紹介および考察を目的として、解像度を下げて引用しています。著作権は各権利者に帰属します。)
次回は、『水曜どうでしょう』初期の撮影を支えたカメラや機材を取り上げます。決して恵まれた制作環境ではなかったなかで、なぜ小さなカメラや限られた機材が、4人との距離を縮め、番組独自の映像を生み出したのか。初期の撮影アイテムから、『水曜どうでしょう』らしい見せ方が生まれた理由を考えます。
この連載は、これからも『水曜どうでしょう』の魅力を一つずつ読み解いていきます。「❤️スキ」「👤フォロー」で応援いただけると励みになります。
📌今回の内容を踏まえて、皆さんは……
A:作り手の思いを知ることで、作品をより深く好きになる
B:自分の記憶や体験と重ねることで、作品が大切なものになる
どちらに近いでしょうか。理由もあればぜひコメントで教えてください。
(コメントには必ずご返信させていただきます)
今後の『水曜どうでしょう』考察の参考にさせていただきます。
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