
glorious days~父とわたしたちの時間㊸今、想うこと
【お読みいただく前に】
このシリーズには
医療現場での実際の様子や
看取りや葬儀に関する
具体的な描写が含まれます。
読んでいてつらくなりそうな方は
ご自身のタイミングで
そっと閉じてくださいね
父にまつわる出来事が、
起きて良かったとは言えない。
脳梗塞で倒れたこと、
けいれんを起こして
意識がはっきりしなくなったこと、
がんが見つかったこと、
救急車に歩いて乗って
家を後にしてから
1ヶ月半で
旅立ってしまったこと。
どれも、
悲しい、
望ましくはないこと。
でも、
父が倒れてから、
なにか、
抗うことのできない
大きな流れの中に
いたということは
感じている。
わたしの奥には、
絶対に、大丈夫な方向に
向かっているという
静かで揺らがない自信があった。
起きていることは
悲しいことだったけど、
わたしは、
わたしが、今、
なにを感じているのか
ずっと、みつめ続けていた。
わたしを、後回しにせずに、
感情におぼれずに。
「絶対に、大丈夫だから」。
だから、わたしは、
わたしでいられたような
気がしている。
そして、父は、
最期まで
父のままだった。
話せなくても、
意識がなくても。
がんだということを知らず、
痛みや苦しさもなく、
母より先に、
母に看取られて。
父は、
そうでありたいという自分の想いを
貫き、叶えた。
人は、
最期まで、
自分なんだ。
むしろ、
自分そのものに
還っていくんだ。
父をみて、そう思った。
還った父をみていたわたしも、
わたしそのものに
還っていく。
父と過ごした時間で、
わたしそのものに
少し近づいた気がしている。
父とわたしたちの最後の時間は、
父を通して
わたしをみつめていく時間でもあった。
やっぱり、
glorious daysだったと
思うのです。