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glorious days~父とわたしたちの時間㊷父の「遺言」

    【お読みいただく前に】
    このシリーズには
    医療現場での実際の様子や
    看取りや葬儀に関する
    具体的な描写が含まれます。
    読んでいてつらくなりそうな方は
    ご自身のタイミングで
    そっと閉じてくださいね

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    最初から読む方はこちら


    父と最後に、
    普通に、
    (しっかり意思疎通できる状態で)
    会話をしたのは、
    去年の10月。
    久しぶりに、
    実家に顔を出した時だった。
    (半年ぶりくらいだったかも)

    土曜日の朝早く家を出て、
    午前のうちに到着して、
    お昼を母に作らせ、
    父、母、わたし、夫で食べて。
    妹から届いたサンマを焼いてくれた。

    お昼の前も、
    食べてからも、
    わたしはソファで居眠りをしていた。
    洗い物はしたけど、
    お昼の支度も手伝わず。

    四人でゴルフのTVや、
    自民党の総裁選を見て。
    ほんと、なにもしなかった。

    「今日は俺たちの
    結婚記念日だから、
    夕飯は寿司を食べに
    行こうと思ってるけど、
    一緒に行かないか」
    と父に誘われたけど、
    夫が生ものでおなかをこわすのと、
    あまり遅くならないうちに
    帰りたかったので、
    断った。


    まさか、
    その半年後に、
    いなくなっちゃうなんて。


    マイペースでやってきて、
    やってることといえば
    居眠り。
    食べるだけ食べて、
    さっさと帰る。

    そんなわたしなのに、
    帰り際に
    父はポツンと、
    「またいつでも、
    気晴らしに来たらいいさ」と
    言ってくれた。
    母も、頷いていた。

    父がそんなことを言うのを
    はじめて聞いた。

    そして、
    ああ、この人たちは、
    こんなに自分勝手で
    何もしてないのに、
    わたしに来てほしいって
    思っているんだ、って
    わかった。

    なにかしていないと、
    役に立っていないと、
    わたしは、いてはいけない
    ずっと、そう思い込んでいた。
    ここ数年で、ようやく、
    だいぶ手放してきたところに
    この、父のことば。
    完全に、
    この思い込みを手放したと感じた。

    なにもしなくても、
    自分勝手でも、
    わたしは、そのまま、
    いて、いい。

    これが、
    わたしにとっての
    父の「遺言」になってしまった。

    父は、還った。
    そしてわたしも、
    わたしに還るきっかけを、
    この「遺言」と、
    父とすごした最後の時間で
    もらったような
    気がしている。



     
     

    有希

     
     
    はじめまして。 東洋医学と四柱推命と 量子力学で からだとこころを整える 薬剤師です。 だいすきなこと、考えてること、 感じたことについて綴ります よろしくお願いします

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