
マダガスカル新婚旅行記 第4部 大移動編~NISSANの冒険~
(前回までのあらすじ)
妻と私は上野動物園のマダガスカルコーナーに惹かれて、新婚旅行先をマダガスカルに決めた。着いて早々、度重なる飛行機の欠航で予定は狂い、モロンダバからモロンベまで急遽陸路で移動することに。未舗装の道が続く上、雨季明けのマンゴキ川を越せる保証もない。それでも退路を絶たれた私たちは、不安を抱えたまま車に乗り込んだ。
がんばれNISSAN
マダガスカルの旅情報をnoteにまとめている、「マダガスカル実地レポート🇲🇬|コスパ旅情報」氏の投稿が、偶然にも私たちの置かれている状況を端的にまとめてくれている。
飛行機は「飛んだらラッキー」というレベルのギャンブル。予定を詰め込む日本人には最も不向きな選択肢と言える。
初心者が地図を見て犯しやすい最大のミスは、「モロンダバからトゥリアラへ海岸沿いに南下できる」と思い込むことだ
…
未舗装の悪路を4WDで数日かけて走破するような、莫大な費用とリスクを伴う「冒険」になる。
…
一度アンツィラベまで戻り、そこから国道7号線(RN7)に入って南下するのが、結局のところ**「最も早く、安く、安全な唯一の正解」**なのだ。急がば回れ。これがマダガスカル南西部攻略の鉄則である。
(note「マダガスカル実地レポート🇲🇬|コスパ旅情報」)
私たちは日本人旅行客がやりがちな二つのミスを綺麗に犯していたということになる。2週間の旅程に4度の空路を組み込み、まんまと欠航に遭った。そして旅行を強行するために、急遽陸路に変更し、モロンダバからトゥリアラへ海岸沿いに南下する道を選んだ。
Fさんとドライバーが心なしか気合を入れている。なんとか日が沈むまでにマンジャに辿り着かなければならないらしい。NISSANのSUVに心の中でエールを送る。
出発して街を出ると、早々に未舗装の悪路に出た。ガタガタのダート道で縦に振られながら、ところどころある深い轍を避けるために左右に振られる。バックミラーに吊り下げられたドライバーの名札が跳ねまくる。暑いので窓は全開で、エンジンはふかしまくり、道路脇の草木に時々ぶつかってガリガリと音を立てる。妻は例によってうとうとし始めた。
出発して30分ほどで、浅い川に辿り着いた。私は妻を起こした。川に誘導線が引かれていて、2人の若者がその誘導線のポールの脇に立っている。車はその誘導線の間を走って川を渡った。去り際にFさんが、2人の若者にお金を渡していた。
さらにいくつかの小川を超える。エンジン全開でなんとか渡り切るたびに、妻と私は歓声を開けた。
Fさんが、音楽をかけていいかと聴いてきた。マダガスカルの音楽なんだけど…とすこし遠慮がちだ。もちろん、と言うと、爆音で音楽を流し始めた。
マラガシ(マダガスカル人)がどんな歌を聴いているのか気になったのもあり、私は曲が変わるたびに動画を回した。後部座席の窓の外の景色から始まり、ゆっくりとスマホを動かして車内の様子を撮り、隣に座っている妻の姿を映して終わる。この揺れと爆音の中で、妻はほとんどずっと爆睡していた。この人は相変わらずタフで助かる。
一曲目は意外にもポエトリーリーディング風の曲だった。少し悲しげな雰囲気の曲に乗せて、男が早口のラップ調で何か喋っている。サビになると高音の女性が「アーナマーチャー」と歌い上げる。エミネムのStanという曲を彷彿とさせる構成で、私は結構好きな部類だった。
次はサンバのような底抜けに明るい曲、その次は歌い上げる系のロック調の曲。ヒップホップやレゲエ、歌謡曲風の歌も流れてくる。マダガスカルの音楽は多種多様で、飽きなかった。その間も妻はほとんどずっと寝ていた。
時々集落を通り過ぎる。日本家屋みたいな茅葺き屋根と土壁のシンプルな家が、赤土の上に密集して立ち並ぶ。住民が私たちに気づくと立ち止まって手を振ってくる。私も「サラマー!」と手を振りかえす。彼らは赤や緑の鮮やかな服を着ていて、みな陽気そうだ。
集落と集落の間は、乾いた田んぼが広がっている。そういえば、いつもレストランでものすごい量の米が出てくる。
3時間くらい走って、そろそろお昼ご飯にしようと言って道路脇の木陰で止まった。昼食は米ではなく、サンドイッチだった。
Fさんがフランスパンを一本取り出し、ドライバーがそれをカットしてみんなに配る。
さらに缶のオイルサーディンと、パックに入ったオムレツを取り出す。これを各々挟んで食べるらしい。
オイルサーディンの油を滴らせながら路上で食べる。木陰で食べたいのだが、ものすごい数の蝿が寄ってきた。私は参って木陰から出るのだが、そうすると今度は35度の灼熱と直射日光が私を襲う。木陰と日向をフラフラと行き来している私の横で、妻は木陰で蝿にまみれながら平気で食べていた。普段、妻は魚が苦手でオイルサーディンなど絶対に食べないのだが、美味しそうに食べている。本当にタフで、羨ましい。
道のりはまだ、半分も来ていなかった。日の入りまでに、マンジャに辿り着くだろうか。
群れるバッタ、音痴のニワトリ
国道は果てしなく続く。不意に、道が二手に分かれる場所に来た。
「実はこの国道には、ショートカットのルートがあるんだ」とFさんが言って、車は細い方の道に入った。
国道が大きく迂回するところを、人々が勝手にショートカットするようになり、次第に道になったのだという。道幅は一段と狭くなり、木々がガシガシと窓にぶつかる。
揺れはさらに酷くなったが、意外にも2人とも車酔いはしていなかった。ここまで揺れると、もはや車酔いすらしないようだ。妻はずっと眠り続けている。次第に私も、うとうとしてきた。
どのくらい経っただろうか、ふと目を覚ます。Fさんが何か叫んでいる。前方に黒い影のようなものが見えていた。よく見るとそれは、バッタの大群だった。
夥しい数のバッタが飛んでいた。砂嵐のようだ。その砂嵐に車はどんどん近づいていく。ドライバーは平然と車を走らせて、その砂嵐の中へと突っ込んでいく。私たちは思わず窓を閉めたが、全席の2人は開けたままだ。
大群の中に入った。視界はバッタで埋め尽くされ、無数のバッタの羽音と、窓ガラスに当たるカチカチという音が響く。妻と私は歓声を上げてその様子を見ていた。前席の窓は全開だが、意外にバッタは車内に入ってこない。
1匹、中に入ってきた。妻が悲鳴をあげる。私はそれを捕まえてじっくりと観察した。大きく、カサカサとしている。色は茶色っぽい。1匹だけならなんの変哲もないバッタだ。
「俺はモロンダバ出身だから食べないが、トゥリアラではバッタを捕まえて食べるんだ。」と、Fさんがおかしそうに言った。
バッタが発生すると、農作物は食い荒らされるという。しかしこれを食べられるなら、食には困らないのではないか、と少し思った。
バッタの嵐を抜けて、さらに車は走り続ける。次第に日が落ち始めていた。
ガタン、と何か不吉な音がして、車が一度止まった。車のパーツの一つが外れて落ちてしまったらしい。ドライバーは少し不安そうな表情をしながらそれを拾い上げて、そのまままた走り出した。
夕暮れが近づく中、ようやく大きな集落が見え、マンジャの街に入った。街の入り口には柵が引かれていて、銃を持った警察官が2人、立っていた。
警察官は銃を片手に、緊張した面持ちでドライバーに話しかけ、車内の我々をじろりと見た。こんなに間近で、銃を持った人を見るのは初めてだった。
少しやりとりがあり、中へ通された。ようやく、モロンベに行くまでの中間地点、マンジャに到着した。
マンジャは小さい街だった。車は真っ直ぐに、唯一の旅行客向けの宿、カントホテルへと向かう。
ようやくたどり着いた。灼熱の中、窓を全開にして7時間ほど走り続けた私たちは、汗と砂でドロドロになっていた。口の中がジャリジャリして気持ち悪い。私たちはドライバーに深くお礼を言った。
カントホテルには、バイクの二人組の先客がいて、Fさんはその二人組に陽気に話しかけ始めた。
これが噂のカントホテルかと、建物を見遣る。二階建ての客室は外から見るぶんにはさほど悪くはなさそうだった。外階段を登って部屋を案内される。
部屋は薄暗く、小さなベッドが一つと、埃まみれの扇風機が置いてあった。窓は鉄格子になっていて監獄のようだ。これは確かに、と思った。妻は、蚊除けのベープをこれでもかというほど、部屋で噴霧した。モロンダバにきてから、マラリアも心配だった。
手を洗おうと思い蛇口をひねるが、当然のように水は出てこない。ピチョン、ピチョンと少しずつ垂れてくる程度だ。
フロントに水が出ないことを伝えると、女性が水を入れたバケツを持ってきて、シャワー室の脇にそれをどさっと置いた。何往復かして、5杯ほどの水が届けられる。どうやらこれで今日をやり過ごさなければならないらしい。水には小虫が浮かんでいた。
私は、今日はもう風呂は諦めようと言ったが、妻は「絶対に入りたい」と言って聞かなかった。でも、このバケツの水は信用できないと言って、洗面器に少しずつ出てくる水を貯め始めた。仕方なく私もそれに参加した。片方が水を貯めて、片方が体を流す。2人ともイライラしていたが、それでも水で体を洗い流すと少し気持ちが良かった。
夕食はやたら量が多く味の薄いポタージュスープと、ミサウという焼きそばのような料理だった。特別美味しくはないが、最悪でもなかった。
明日は別のガイドがくる、とFさんは言った。とても良いガイドだ、と。私たちは、ここまで連れてきてくれたドライバーとFさんに多めのチップを渡した。妻はFさんに対する不信感が最後まで拭えない様子だった。チップを渡す時も、私たちの意見は食い違った。
部屋に戻る。食事はそれほど悪くなかったが、夜は最悪だった。部屋には小さなベッドが一つ。鉄格子の窓から蚊は入り放題で、ボロボロの小さな蚊帳になんとか2人収まって寝ないといけない。夜も蒸し暑く、埃まみれの扇風機だけが頼りだった。トコジラミの心配もあったので、私たちは全身なるべく服を纏い、持参したネックピローでの睡眠を試みたが、なかなか眠れない。
ヘッドライトをつけると蚊帳に数匹の蚊が停まっているのが見えた。耳元でもブンブンと音がした。私たちは耐えかねてベープを噴射しまくった。
翌朝、けたたましいニワトリの鳴き声で、夜明け近くから強制的に起こされた。どういうわけかマンジャのニワトリは音痴で、コケコッコーがどうにもうまくいかず、途中で途切れたり音が外れたりして、またやり直す。隣の部屋で下手な小学生がリコーダーを練習しているような、ストレスの溜まる鳴声だった。
「もううるさい!」と妻がニワトリに対して真剣にキレていて、それはちょっと面白かったのだが、茶化せるような空気ではなかった。音痴のニワトリの鳴き声は、朝食の時にまでついて回った。
朝食を済ませると、ハットを被った長身の男性が、車の前に立って、昨日もいたオートバイの二人組と何やら話していた。
私たちを見て、帽子をとって挨拶をする。気障な人だな、と思った。それが、次のガイドのDさんだった。
NISSAN、川を渡る
最悪のカントホテルを発って、モロンベへ向かう。妻は新しいガイドのDさんが大層気に入った様子だった。トゥリアラ出身のDさんは、都会的な空気を身に纏っていた。ガイドになるための大学を出たのだという。
時々、彼のスマホが鳴る。「ワッチョワーライ🎵」という、男性のセクシーな歌声の着信音が流れると、落ち着いた手つきで電話に出て、低い声でゆっくりと話し始める。
マンジャを出ると久しぶりの舗装路が続いていた。真新しい綺麗なアスファルトの上で、車は徐々にスピードを上げていく。昨日は集落を通り過ぎるたびに子供達が歓声を上げて手を振ってきたが、ここではそんな間も無く一瞬で走り抜けていく。周囲の光景は乾いた赤土の平原から、次第に少しずつ緑が増えてきた。川が近いらしい。
不意に拓けた場所に着くと、2人の男が道を塞いだ。ドライバーとDさんが何か会話をすると、2人が車の後ろに回り、よじ登る。そのまま車が走り出した。後ろを見ると、後部ガラス越しに2人の男が車にしがみついているのが見えた。ラコステのシャツを着た男と、派手なサッカー選手のプリントされた短パンを履いた男だ。
程なくして大きな川に辿り着いた。この旅路の最大の関門、マンゴキ川だ。後ろにしがみついていた2人が飛び降りた。私たちも車を降りる様に言われる。ドライバー以外は皆車を降ろされた。
私たちは川を眺めた。これまで車で強引に超えてきた小川とは違い、到底渡れそうもない。かと言って橋も見当たらない。一体どうするのだろうと思っていると、対岸から奇妙な船のようなものが近づいて来る。よく見ると、それはカヌーを6艘ほど横に並べ、その上に板を渡しただけの代物だった。その各カヌーの後方に立ち並んだ細身の男たちが、長い木の棒で川底を押して、ゆっくりこちらに向かってきていた。まさか、と思う。
そのまさかだった。カヌーは河岸に横付けされ、我々の車のタイヤの幅に合わせて2枚の木の板がカヌーと河岸の間に渡された。さっきまで車の後ろにしがみついていた男2人が、カヌーに車を乗せろといって、案内を始めた。思わずDさんを見ると、Dさんも頭を抱えて、「Crazy...」と呟いていた。
セッティングが完了して、車が動き出した。ゆっくりと木の板を渡って、カヌーへの乗船を試みる。木の板がずれたり、カヌーが揺れたりして、何度かやり直した末に、車体の前方が最初のカヌーに乗る。ぐわんと沈み込む。2艘目、3艘目へとタイヤが乗るたび、カヌーが沈み、全体がたわんでばらけそうだ。カヌーを漕いできた男たちは、陸地から必死にロープを引っ張ってカヌーを固定させている。そのままさらに進んで、やがて車体全体が、カヌーの上に収まった。渡し板からカヌーに後輪が渡った瞬間、衝撃で全体が数回大きくはずみ、それから静止した。6艘の浮力に支えられると、車はいくらか安定しているように見えた。ゴザのように並べられた木の棒は、タイヤに踏みつけられて曲がり、先端が上に反っている。
次は人間が乗る番だった。車の中にいてもいいし、外にいてもいいと言われた。車の脇にわずかな隙間があるので、そこに立つこともできるとのことだ。
私たちは外を選択した。面白そうだったのと、車内で車ごと沈むよりは、身一つで川に投げ出された方が良いかという気持ちもあった。改めて直近で見ると、カヌーは木製で、手作り感満載だ。川の深さはどのくらいなのだろう。川底を押して進めるための木の棒は、人の倍以上の長さがあるが、その上の方まで濡れている。
私たちが乗り込むと、カヌーが出発する。上裸の若い男たちが、棒で川底を力強く押して、カヌーが進み始めた。青空の下、茶色く濁った川の水飛沫が光る。私たちは車にしがみつきながら、その様子を動画に撮ってはしゃいだ。
よく見ると、同じようにカヌーを横付けした船はいくつも川を渡っていて、さまざまなものを運んでいた。あとで知ったのだが、ここはBac de Bevoayと呼ばれるマンゴキ川の渡船場だった。フェリーでの運輸サービスと書かれているが、とんだ大嘘だ。
対岸に辿り着く。先に降りて、車を見守る。木の板を渡し、簡易的な橋を作って、なんとか上陸した。思わず拍手を送った。
対岸には人がたくさんいた。子供達はボンボン、ボンボンと寄ってくる。大人の1人が我々に何か話しかけてきた。Dさんが、風邪薬を持っているか?と聞いてきた。薬が欲しいらしい。私たちは彼に風邪薬を渡した。
これで生計を立てている人たちが結構いるんだ、とDさんが言った。その向こうでは、大きな橋をかける工事が進められていた。中国が主導しているプロジェクトらしい。土木コンサルで働いていて、将来途上国開発のプロジェクトに携わることを目指している妻は、興味深そうにその話を聞いていた。「でも、この人たちの仕事はどうなるんだろう」と呟いた。
車が走り出した。まもなく、分岐を曲がり、国道55号に入る。国道9号の真新しい舗装路はそこで終わりを告げた。しかし、この数日で私たちは悪路にすっかり慣れていた。赤土を巻き上げながら、モロンベ地区へと入っていく。
(第5部 モロンベ編へ続く)
第5部はこちら(8月上旬投稿予定)
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