
マダガスカル新婚旅行記 第1部 旅立ち編~まりえ2番館が取られた日~
まりえ2番館が取られた日
2年前、新婚旅行でマダガスカルに行った。あの時のことを、記憶を辿って書いてみたい。
マダガスカルへの旅は、出発の1年前、まりえ2番館を取られた日から始まった。
2023年5月13日の日曜日、結婚前の妻と上野公園で佇んでいた。当時岡山に住んでいた彼女は、大宮への転勤が決まり、新居を探しに週末にかけて関東に来ていた。ずっと遠距離だった私たちは、このタイミングで同棲し、結婚するつもりだった。土曜日に内見をして、「まりえ2番館」という名前に惹かれて部屋を即決し、手持ち無沙汰になった日曜日になんの当てもなく上野公園にきていた。
行き交う人々をぼんやり眺めていると、猿を散歩させているおじさんが現れた。パイレーツオブカリビアンに出てきそうなちっちゃい猿で、私たちが近づくと猿は人懐っこく足元をちょろちょろと歩き回った。妻は恐る恐る猿に手を伸ばした。猿は可愛がられるのに慣れていて、おじさんは猿が可愛がられるのに慣れていた。上野公園では、こういうことがたまにある。それを、岡山から来た妻は新鮮な驚きと共に楽しんでいた。猿と別れを告げ、気がつくと私たちは上野動物園のゲートへと誘われていた。
パンダの行列に並んでいる途中で、彼女の電話が鳴った。電話は不動産会社からで、まりえ2番館が他の人に取られてしまったという話だった。別の不動産経由で内見した人が、我々よりも僅かに早く契約を完了させていたらしい。「年度替わりでもないし、なかなかこんなことないんですけどね」と、不動産会社の担当者も申し訳なさそうに話したが、とにかくまりえ2番館は取られてしまったので、急遽、その日の夕方に再度部屋探しをすることになった。
ようやくパンダを見て、少し急ぎ足で園内を回るうちに、西園のどんつき、マダガスカルゾーンに辿り着いた。
池の対岸へと架かる橋を渡ると、リアルだが少し質感がプラスチックのバオバブの木が出迎える。対岸にたどり着くとキツネザルとフォッサが眠りこけ、右手にはアイアイの森があった。
アイアイの森は夜行性のアイアイのために真っ暗な部屋の中に設置され、あまりに暗いので何も見えない。5分ほどしてようやく目が慣れてくると、手元に小さなケージがあるのに気づいた。マダガスカルオオゴキブリの展示だった。
アイアイはよく見ると何頭もいて、意外に大きかった。暗闇の中でふさふさとした塊が、木に登っては降り、また同じ場所へ戻る。ガラス張りのケージの奥で、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると、アイアイは狂ったように回り続けていた。しばらくそれをみてから、アイアイの森を出た。
園を出てからも、脳裏にあったのはマダガスカルコーナーのことだった。作り物のバオバブ、狭い檻で眠るキツネザル、狂ったように同じ動きを続けるアイアイ。ここが本当の異国ではなく日本であることを強く意識させられた気がした。僕が妻に、「ねえ、新婚旅行さ…」と言いかけると、妻が言った。
「マダガスカル行ってみたいね」
❤️ハネムーン旅程表
マダガスカル旅行の計画が動き出したのは、上野動物園からだいぶ経ってからのことだった。
その間に私たちは、まりえ2番館ほどは魅力的ではない名前のアパートで同棲を始めたり、私の杜撰なプロポーズが失敗に終わったものの妻の温情で入籍したりした。念願の同棲生活だったが、仕事もプライベートも新生活が重なり、今と比べると衝突も多い日々で、新婚旅行の話は後回しになっていた。
動き出したのは、2023年10月1日のことだった。国際協力関係の仕事を目指す妻と一緒に行った「グローバルフェスタJAPAN2023」という国際協力イベントで、マダガスカル大使館が出しているブースを発見した。
ブースの女性に、新婚旅行でマダガスカル旅行に行きたいと思っていると話すと、女性は喜び、マダガスカル旅行に行きたいなら、上野の「ビオマダガ」というマダガスカル専門のアンテナショップのIさんを訪ねると良い、と極めて具体的かつピンポイントなアドバイスをしてくれた。私たちはその連絡先を聞いて帰った。
翌年の1月に、私たちは上野のビオマダガを訪問した。ビオマダガは鶯谷駅から10分ほど歩いたところにある、「上野桜木あたり」という古民家を改築した施設の中にあった。おしゃれなビアホールやベーカリー、雑貨屋が並ぶ中、屋内2階へと案内するビオマダガの看板を見つけた。古民家の急な階段を登った先の小さな部屋が、おそらく国内唯一のマダガスカル専門アンテナショップ、ビオマダガだった。
部屋には誰もいなかった。壁一面にマダガスカルの景色の写真やポスターが飾られ、チョコやバニラビーンズ、バオバブを模した木の置物などが所狭しと並べられていた。
妻と私はショップを眺めた。人の気配がなく、客もいない。部屋は静まり返っていた。誰か呼びに行こうか、と階段に戻ろうとしたとき、一階から階段を上がる足音が聞こえ、やがてシルクハットに着物姿の男性が部屋に入ってきた。その男性が、マダガスカル大使館の女性から勧められたIさんだった。
Iさんは、私たちがマダガスカル旅行を計画していることを伝えると、とても喜び、次から次へとおすすめを教えてくれた。
新婚旅行っぽいところに行きたいならば、サラリーという砂浜の綺麗なリゾートがおすすめ。定番のバオバブを見たければ、モロンダバ。そのモロンダバから車で北上したところに、ツィンギという世界遺産に登録された公園があるが、ここに行くには移動に一日かかる。でも、みんなあまり知らないけど1番おすすめなのは。
パルマリューム。ここは野生のキツネザルと触れ合うことができる最高の場所。なのに、地球の歩き方でも、ほんの少ししか紹介していない。僕はここをもっとお勧めするようにアドバイスをしたんだけど。
Iさんは、パルマリュームが日本で過小評価されていることを悔しそうに、何度も力説してくれた。
私たちは、Iさんと連絡先を交換し、希望の日程を伝えて、いくつかプランを提案してもらうことにした。お礼も兼ねて小さなチョコレートをいくつか買って、ビオマダガを後にした。
後日、Iさんから「❤️ハネムーン旅程表」と書かれた3パターンの旅行プランがメールで届いた。
メールの文末には、歴史上の人物と同姓同名の名前が書かれていた。
サムソナイト親子
ビオマダガのIさんから送られてきた「❤️ハネムーン旅程表」は、何度もやり取りを重ねて改定された末に、ようやく完成した。当初10日間程度を想定していた旅は16日間に膨れ上がり、予算もだいぶオーバーしてしまったが、後悔はなかった。
マダガスカルは大きな島国で、日本の1.6倍ほどある。バオバブが立ち並ぶ乾燥気候の西部、野生のキツネザルが多く生息する熱帯雨林気候の東部、そして首都アンタナナリボのある中央の高地はそれぞれかなり距離が離れており、丸一日かけて陸路で行くか、飛行機に乗るしかない。それでも、バオバブもキツネザルも捨てがたく、私たちの旅程はこんなことになった。
4月27日、首都アンタナナリボに到着。
翌日に西のモロンダバへと飛行機で移動し、バオバブの並木道を見る。
モロンダバで2泊して飛行機でアンタナナリボに戻ると、翌日にはまた飛行機で南西部の町、トゥリアラへ。車で南北に移動しながら巨大バオバブと砂浜を見て、また飛行機でアンタナナリボに戻る。
今度は車で島の東部へ。ボートに乗って運河を渡り、Iさんイチオシのパルマリュームに向かう。
パルマリュームで3泊した後、首都に戻り、最後に少し首都を観光して、5月10日にマダガスカルを発つ。
マダガスカル国内で4回も飛行機に乗る、贅沢な旅路だった。同じ西部のモロンダバからトゥリアラまで行くのに、なぜわざわざアンタナナリボを経由して空路で行くのかIさんに尋ねると、この時期は乾季と冬季の境目で、間にいくつかある川を車で越えられるか分からないのだという答えだった。それでも私たちは、モロンダバとトゥリアラの両方を捨てきれず、計4度の空路を受け入れた。
この選択を後に後悔することになるが、我々はまだ、マダガスカル航空の実態を理解していなかった。
私たちはマダガスカルに向けて合わせて4冊の本を買った。
妻が選んだのは「地球の歩き方 マダガスカル 2020~21年版」の1冊。私が選んだのは「マダガスカルを知るための62章」、「マダガスカルの動物 その華麗なる適応放散」、「ディスカバリー生き物・再発見 カメレオン大図鑑」の3冊だった。
結局、出発までにまともに読んだのは「地球の歩き方」だけで、あとは原色のカメレオンの写真の乗ったカメレオン大図鑑をパラ見した程度だった。
「地球の歩き方」でパルマリュームを調べてみたが、なかなか見つからず、後ろの索引を使ってようやく見つけた。P162の下半分のコラムで、小さな運河の写真と共に取り上げられていただけだった。Iさんの憤慨した顔を思い出した。そして、200ページのガイドブックのほんの半ページにも満たないパルマリュームに、3泊も割いている「❤️ハネムーン旅程表」を、改めて見返した。
妻にせき立てられながらノロノロとパスポートを更新し、だらだらとパッキングを済ませて、ようやく旅行の準備は整った。妻はサムソナイトのシルバーの大きなスーツケースを新調し、私は両親が30年近く前の新婚旅行の時に使った、サムソナイトの黒のスーツケースを拝借した。今時あまり見かけない、二輪タイプの布地のスーツケースだ。
新しいサムソナイトの鍵の暗証番号は、私たちの結婚記念日に設定した。両親が使っていたスーツケースの外付けの鍵の暗証番号を母に尋ねると、やはり両親の結婚記念日だった。二つ並べると、両親の黒のサムソナイトは、少し小さく、くたびれて見えた。
マダガスカルを知るための62章
2024年4月26日、成田からアディスアベバを経由して、マダガスカルの首都アンタナナリボに向かう。久しぶりの国際線だった。夜の成田空港に着いた妻と私は小腹が空いていたが、機内食に備え、ローソンの唐揚げ君を1つだけ買い、国際線ターミナルの屋外デッキで2人で分け合って食べた。
エチオピア航空の座席は年季が入っていた。シートを覆う薄い布はところどころ破け、テーブルを引き出すと、建て付けが悪く斜めに傾いた。前の席では、中国人らしき男性2人組と欧米人らしき女性が席を巡って揉めていた。その一部始終を見ていた妻が、小声で私に解説してくれた。
夜の9時過ぎに出発し、数時間後には燃料補充のためにインチョン空港で一度降りた。その短時間の間に、早速機内食が出された。機内食は韓国スタイルで、キムチと韓国海苔がついていた。
インチョンを発つと、約13時間の長いフライトが始まる。妻は早々に眠りについた。彼女は普段は眠りに神経質で、小さな物音でもすぐに目を覚ますのだが、なぜか乗り物に乗るとあっという間に眠る癖があった。私はこの時間に付け焼き刃の知識をつけようと、「マダガスカルを知るための62章」を持ち込んでいた。
この本が予想以上に面白かった。地理と自然、歴史、文化、現代社会を扱う四部構成で、62の章からなる。印象に残っている章の一つは、マダガスカルの言語とオーストロネシア語族のつながりを扱ったものだった。その章はこんな書き出しで始まる。
「わー、もう覚えちゃった。すごいね」
はじめて調査に入った日、さっそくノートを手にした私に子どもたちが村の中を案内しながらいろいろな単語を教えてくれる。その一つはもちろん、数のかぞえ方。発音もまだおぼつかないというのに、1から10まで難なく覚えてしまった私に彼らはびっくり。私はちょっといばってみせる。
でも、これにはからくりがあるのだ。マダガスカルの言語であるマラガシ語(マダガスカル語ともいう)は、私がこれまで調査をしてきたフィジーやフィリピンの言語と同じ系統に属している。太平洋の島々や東南アジアで話される約1200の言語は、いずれも今から5000年ほど前に存在したと考えられる「オーストロネシア祖語」という言語から発達したことがわかっており、「オーストロネシア諸語」と呼ばれる。(中略)そして、マダガスカルの言語も、地理的に離れてはいるけれど同じルーツを持つ。
(中略)
だから、私がすごいスピードで1から10まで覚えてしまったのは、(くやしいけれども)私の頭が特別によいわけでもなく、(残念ながら)簡単に単語を覚える秘訣があるわけでもなく、オーストロネシア系の言語を一つ知っており、加えて少しの勘があれば、誰にでもできることなのである。
飯田卓ほか編著、明石書店、2013年より
そこから話は、フィジー語とマダガスカル語の微妙な違い、さらには国内のdとlの発音差へと広がり、1300年前に人々がマダガスカルへ渡ってから現在に至るまでの様々な文化接触に焦点が当てられていく。
そして章の最後は、こんな一節で締めくくられる。
さて、一回目の調査も無事終わり、村を発つ日がやってきた。帰りの車を待つ私のまわりを離れようとしない子どもたちに、ふと思いついてフィリピン北部で話されるボントック語での数のかぞえ方を教えてみると、
「へぇー、ずいぶん似ているんだね」
目がまん丸くなった。
「それに、アフ(afu「火」)はフィリピンではアプイ(apuy)だし、ラヒ(lahi「男、雄」)はラキ(laki)……」
そこへ、
「まだいるかい? こんなのが捕まったよ! ファニヒ(fanihi)っていうんだ」
どやどやと入ってきた男の子が手にしているのは、大きなコウモリ。
「フィリピンではパニキ(paniki)だ!」
と、思わず私。f と p、n と n、h と k、母音はそのまま。他の語と同様、きれいな音対応。文献で読んで知ってはいたし、だからここまで来たのだけれど、それにしたって太平洋からこんなに遠く離れた土地で次から次へとオーストロネシア起源の単語が目(や耳)に入ってくるなんて。直線距離で7000キロメートル、時間にして1300年を越える旅……。私は「fanihi こうもり」と書き込んだノートを大切に胸に抱えて車に乗り込むと、子どもたちの笑顔に大きく手を振ったのだった。
飯田卓ほか編著、明石書店、2013年より
I〜Ⅲ部まで読み終える頃には、窓の外にアフリカ大陸が映り始めていた。空は青く、眼前に広がる羊雲の下に、大地が見えた。山々の稜線が葉脈のような模様をつくり、その間を赤茶色をした川が太く蛇行していた。
アディスアベバに到着し、アンタナナリボ行きの便に乗り換えてからも、私は窓の外に夢中だった。
結局、「Ⅳ 現在のマダガスカル」の部だけを読み残したまま、現実のマダガスカルに到着した。
(第2部 アンタナナリボ編に続く)
第2部はこちら
※本作を含む「マダガスカル新婚旅行記」の連載一覧は、マガジンにまとめています。