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『余命婚活』第7話【最終話】 #創作大賞2025 #ミステリー小説部門

≪第7話(最終話)≫

 翌朝、プログラムが実行されていたカフェの周りには、報道陣や記者で溢れ返っている。
昨日、修平の話を聞いた直後に通報したからだ。
白金高輪の静かな街は、不穏な空気と異様な緊張感に包まれ、そこに住む人々もまた、日常という殻を脱ぎ捨て、スマホを片手に“事件”の当事者を無遠慮に追っていた。
そのレンズの先にいたのは——小柳栞先生。
静かに、凛として佇んでいる。だがその表情には、悔恨(かいこん)でもなく、悲しみでもない、むしろどこか晴れやかな、解放された人間の顔があった。
彼女は、この日を待っていたのだろうか?
あるいは、これはすべて「計画された幕引き」だったのか——。

 婚活詐欺事件。それは世間が最初に付けた名前だった。
だが真相を知れば知るほど、その言葉はあまりに表面的で、愚かにすら感じられた。
彼女が犯した罪は、単なる金銭目当ての騙しでもなんでもない。
それは、彼女なりの愛情が生み出した、悪魔のように醜(みにく)く、そして人間らしい欲望の果てだった。

父親から受けた感情のコントロール——それは長年にわたり、彼女の中に「嘘の自分」を作り出した。
“愛されているふり”“笑顔の仮面”“従順な優等生”を演じた彼女は、いつしか癒えない傷を負っていたのだろう。
そして彼女に対し癒しを初めて与えてくれた恋人は、ある日突然この世から消えた。事故だったのか、他殺だったのか、それすら明確にはされていなかったらしいが、彼女は真相を知ることなく、その死を心の奥に閉じ込めた。

自分のなかで“誰も信じてはいけない”という小さな確信が静かに根を張りはじめたのは、ちょうどその頃だったらしい。
それでも彼女は、信じることをやめなかった。
たった一人だけ、この人になら自分を預けてもいいと思える人に出会い、過去のすべてを忘れさせてくれるような、温かい声とまなざしに、すがるように心を委ねた。
だが彼は、あっさりと言ったのだ。
「本気にしてたの?」
その瞬間、彼女の胸に突き刺さったのはそんな言葉ではなく、“記憶”だった。
あの頃、父が何度も呟いたあの声。
——“お前なんか、誰にも愛されない”
親の歪んだ愛情、恋人の死、そして最後に信じた男の裏切り。
それらすべてが彼女の心を、ゆっくりと、静かに、そして残酷に蝕(むしば)んでいったのだ。
そして、彼女は選んだ。
愛を与えるふりをして、愛を奪い返す方法を。
婚活プログラムを利用し、最終的には自ら“選択”させて命を奪う。
それは「復讐」などという安い言葉では語りきれない歪んだ救済であり、彼女自身が信じた“愛の終着点”だったのかもしれない。
——彼女は、今も黙って報道陣の前に立っている。
誰の質問にも答えず、ただ視線だけを、真っすぐに宙へと向けたまま。
まるで、誰よりも自由な人間のように。
 
 
 そして私に、あの日届いた招待状。
その意味と経緯を、ある刑事さんから伝えられた。
「小柳栞」——
姉の夫と不倫関係にあった。それだけでも私にとっては許しがたい相手だったのに、姉に対して見せていた“異常な執着”は、それ以上に、歪(いびつ)で危険なものだった。
姉は、それに気づいていた。
小柳栞は、ただの不倫相手じゃない。
もっと深く、もっと恐ろしい“何か”だった。
姉はそれを確かめようと、自ら近づき、距離を縮めた。

でも——
あの女は、人の心の奥にある弱さを見抜く。
優しいふりをして近づき心の芯に入り込んでいく。
言葉を巧みに使って、相手を壊していくのだ。
姉も、きっとその中で何度も傷つけられ、追い詰められていったのだと思う。
そして、最後にこう言われたのだという。
「あなたがこの世からいなくなる選択をすれば、きっとあなたの妹に被害は及ばないでしょう」
 
姉は——私を守るために、死を選んだ。
……どうして。
私がもっと早く気づいていたら。
姉の異変に、ほんの少しでも気づいていたら。
涙が止まらなかった。
声を殺して泣こうとしても、喉の奥から洩(も)れる嗚咽(おえつ)が、自分の意志とは関係なくこぼれてしまう。
胸がぎゅっとつかまれたように痛くて、うまく息ができない。
「ごめんね」「気づけなくてごめん」
そう呟いても、何も届かない現実が、余計に苦しかった。
涙というより、後悔そのものが流れ出ていた。
壊れた蛇口のように、涙も嗚咽も止まらず、ただ、身体だけが震えていた。
真実を知ったとき、私は、姉の最期の孤独に触れた気がしたからだ。
誰にも頼れず、何も言えず、たった一人で、あの女と向き合っていたことを。
どんなに怖かっただろう。
どれほど悔しかっただろう。
それでも姉は、私には何も言わず、すべてを抱えて、ひとりで消えていった。
あの女に追い詰められて、私の命と引き換えに姉が命を絶った——
それは、紛れもない“殺人”だ。
法で裁かれる以外に何も無かったとしても、姉の命は、確かに奪われたのだ。
それでも、私は……
あの日、姉が背負ったものを。
最後まで言葉にしなかった絶望を。
そして、命をかけてまで守ってくれたことを絶対に、忘れたくない。
忘れられない。
そして私は——この命を最期まで、精一杯に生かせることを誓った。
 
 
  病室の窓からは、淡いオレンジの夕陽が差し込んでいた。
カーテン越しに透ける光はやわらかく、けれどどこか切なさを秘めている。病院の白い壁が、その光を冷たく返していた。
ベッドに横たわるみなみの顔色は、日に日に薄くなっていく。
それでも彼女は笑っていた。強がりでも、なんでもない。生きることを最後まで必死に諦めないでいるようだった。
奏はそんな彼女の手を静かに握っている。細く、力のないその手が、何より大切だった。
「奏くん…」
みなみがぽつりと呟いた。視線は窓の外に向けられたまま。
「ん?」
「まだ…ここにいるつもり?」
その問いは、風に乗せた囁(ささや)きのようにさりげない。
「ここって?」
「私のそばにって意味。…こんな私のそばにいること、奏くんを縛っているだけなんじゃないかと思って」
奏は眉をひそめた。
みなみの問いはそれが初めてではなかった。だが今日のそれは、まるで本当に最後のように感じられた。
「どうしてそう思うの?」
「だって私はもう、長くない。わかってる。どれだけあがいても、この身体は…」
みなみの声が震える。
「私は…奏くんに笑ってほしいの。前を向いて、生きてほしいの…」
その言葉に、奏は目を伏せた。けれど次の瞬間、強くみなみの手を握り返す。
「…違うよ」
その声には、必死に押し殺してきた想いが滲んでいて、優しさと、どうしようもない痛みが混ざり合っていた。
「僕は…僕はあの施設で、ずっと“生きる意味”を探してた。自分が生まれた意味、そして置き去りにされた俺の価値なんて、どこにもないと思ってた」
みなみがゆっくりと彼を見つめた。奏は続ける。
「でも、みなみが真実を追って、苦しんで、それでも前を向いてる姿を見て、僕は気づいたんだ。ああ、生きるってこういうことなんだって。愛するって、こういうことなんだって」
彼の目が潤(うる)んでいた。
「僕はみなみと出会って、本当の意味で生きることを知った。例え長くない未来でも、みなみと一緒にいたい。最後の一秒まで、ちゃんと隣でいたいから」
「奏くん…」
「それが、初めて僕の選んだ道だから」
沈黙が流れる。
みなみは目を閉じたまま、そっと微笑んだ。頬に一筋の涙が伝う。
「ありがとう…そんなふうに思ってくれる人が、私の人生に現れてくれて、本当に…ありがとう」
奏はその涙を指でそっと拭う。
「これからも、ずっと一緒だよ。最後まで――いや、その先も」
部屋には、静かで、深い静寂が流れていた。
外では雀が鳴いている。命を燃やすように、ひたすらに。
そして、ふたりの間に交わされた言葉は、誰にも聞こえなくても、確かに永遠に刻まれていた。
 

~エピローグ~


 養護施設で育った僕にとって結婚とは、これからずっと続いていく試練のような、爆弾みたいなものを抱えていくものだと、どこかで恐れていたのかもしれない。
家庭を築き、でもそれがいつかは壊れてしまうかもしれないことを、想像していたのだろう。
 
教壇からみえる生徒たちのまっすぐなまなざしを、成瀬奏は優しく受け止める。
 
そして生徒たちにこう語りかけた。
 
結婚って、何のためにするのでしょうか?
それはもちろん、家族をつくって、子供ができて……きっと幸せになるためって?
そうですね。その通りです。
でも、世の中には結婚して苦しんでいる人が大勢いることも事実です。きっとみんな、幸せになるために選んだ道だったはずです。
 
「じゃあどうして?」ひとりの生徒が無邪気に問いかける。
 
次第にお互いにすれ違って、段々変わっていってしまうものなのでしょうか?
もちろん、段々大人になったり環境の変化があれば、“変わる”ことはとても普通のことだと思います。
ですが、きっとふかーいところでは変わっていないのです。
 
「じゃあどうして?」先程の生徒が腑に落ちず再び問いかける。
 
奏はくすっと笑ってこう続けた。

つまり、自分を大切に思ってほしい、そういうことです。
え、答えになっていませんか?
 
生徒たちの緊張は段々ほぐれ、あちらこちらで笑みがこぼれている。
 
変化を感じたとしても、自分自身を大切にする気持ちと、相手を想う気持ちが変わっていないかを決して忘れずに、覚えておいてほしいです。
例えば、今のまだ若い皆さんが、楽しくいられること、笑っていられることはとても大事なことです。ですが、それからずっとずーっと先、おじいちゃんやおばあちゃんになったときに、心が豊かでいられる相手であるかどうか。それを願って、できるだけ長い目で、今の時間を忘れず大切に、そうあってほしいと思っています。
 
最後に、皆さんにはひとつこんな話を聞いていただきたいです。
奏は続ける。
 
余命を抱えた彼女は僕にこう言いました。
「これからずっと幸せであってほしい」
 
そんな言葉をくれる人はこの世界にどれほどいるでしょうか。
もしそう言ってくれる人がいるなら、それは奇跡です。
僕が彼女と出会えたことは奇跡です。
彼女がいなくなった後でも、彼女をずっと感じていたい、一緒に生きてゆきたい、そう思える人に出会いました。
一緒にいる時間が、どんな明日よりも確かだと、そう思えたからです。
 
みなさんの中にも、きっと色々な悩みや苦悩を抱えて生きている方がいると思います。
ですが、どうか、今の時間を貴重に感じてください。
そして、どんなときも、自分自身を見放さず、寄り添ってあげてください。
 
そうすればきっと、この世界の誰かがそんなあなたを見つけて、そっと手を差し伸べてくれる時が必ず来ます。
 
僕の妻に残された余命はあと1ヶ月です。
けれど、彼女の温かい心はこれからもずっと、何十年も僕のそばで生き続ける、そんな気がするのです。
 
 
 
 
 
授業を終え、生徒たちが騒がしく教室を出て行った後、前列の窓側の席でスマホのバイブ音が響いた。
 
生徒の忘れ物に気が付きそのスマホを手に取ると、
 
画面には【Quiet Courtship事務局より】と表示されていた。

-おわり-

最後までお読みくださりありがとうございました⸝⸝⸝♡︎

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八井沢 繭
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