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『余命婚活』第6話 #創作大賞2025 #ミステリー小説部門

    八井沢繭

    ≪第6話≫

     次の日、私は夜に奏くんと会う約束をしていた。
    今日のことを電話で話すと、「一緒に調べよう」そう言ってくれて、明日の日曜日は大抵学校に来ている生徒は部活動で体育館か外のグラウンドにいるからと、昼間から図書館の部屋を開けてくれた。
     
     バッグの中に入れてあった封筒から、数枚の紙を取り出す。
    昨晩夜な夜なプリントアウトしたSNSのスクリーンショットだ。
    ひとつは楓の裏アカウントと思われる投稿。
    写真は載っていない。ただ、どこかの小説か詩から取ってきたかと思われる意味深な一言と不自然なハッシュタグだけが記されている。
     
    「信じたいと願う夜は、裏切りと紙一重に」
    #QuietCourtship #信頼と裏切りの境界線 #最後のデート
     
    「……あった。コメント。これ、小柳栞の名前だよ」
    奏くんの指が、投稿の下に並ぶコメント欄を指す。
    仄(ほの)暗いアカウント名。プロフィールには鍵がかかっている。
    『また会えると、信じています』
    「……この“また会える”って、何のことだろう」
    私は紙をめくり別のスクリーンショットを探す。
    1枚の投稿された写真。建物の影。ブレた夕焼け。
    そこに写っていたのは、私には見覚えのあるシルエットだった。
     
    「ね、妙でしょ。他にも、“#QuietCourtship”とか“#最後のデート”とか……」
    「コメント欄、見て。……このアカウント、小柳栞。」
    「……やっぱり、関係あるんだ。」
    「ここにも“また会えると信じてます”って。……どういう意味?」
    「うん。しかも、この写真……見て。背景。」
    「この壁、どこかで……あっ、旧児童相談所の裏道?」
     
    「……ここ、知ってる」
    奏くんが小さく声を漏らす。
    「え?」
    「この壁。僕が中学生のとき、学校の帰りに寄った……あの児童相談所の裏道」
    奏くんの表情が凍る。
    「……あそこ、もう、取り壊されたはずじゃ……」
    声が震えていた。
    横を見ると、奏くんの手がわずかに震えているのに気がつく。
    「奏くん……? なにか、知ってる?」
    「……昔。施設にいたときのこと。僕はまだ幼くて今まで気がつかなかったけど、そこですごく親切にしてくれた若い女性の先生がいた。」
    ヒーターのちりちりした音と、カップの中のコーヒーの香りがふんわり漂う。
    「その先生、みんなから栞ちゃんって呼ばれていたかもしれない」
    その言葉は、確かな重さを持って私の胸に沈んだ。
    静かに、確かに、ひとつの点が線に変わろうとしていた。
    姉の死。
    Quiet Courtship Program(クワイエット コートシップ プログラム)。
    そして、小柳栞。
    さらには、成瀬奏の過去。
    すべてが、思っていた以上に、近くにあったのかもしれない。
     
    「思い当たる人がいるの。その全てを知ってそうな人が。一緒に、調べてくれる?」
    私は顔を上げて奏くんに問いかけた。
    奏くんは短く息をのみ、ほんのわずかに微笑み頷いた。
     
     
     コンビニのネオンが、夜道に浮かんでいた。
    奏くんの務める高校からの帰り道、それはあのプログラムが行われるカフェからそれほど遠くない場所だった。
    棚から缶コーヒーを手に取ったとき、背後から声がした。
    「やっぱり」
    声を聞いた瞬間、背筋がすっと冷えた。
    振り返ると、そこには変わらぬ笑顔があった。
    「……相田、修平」
    「久しぶりだね、みなみ。元気そう……ではなさそうだけど」
    相変わらず、声も目も優しい。
    でもその優しさが、過去の痛みを正確に抉(えぐ)るのを、わたしは知っている。
    「何してるの、こんな時間に」
    「この前この近くでみなみを見かけた。だから会いに来た。というより……成瀬奏に、関係してる場所に、ね」
    「……え?」
    彼は一歩近づいた。奏くんはコンビニの外で仕事の電話をしている。
    コートのポケットから取り出したのは、古びた写真だった。
    その1枚に、若き日の成瀬奏が映っていた。無防備な笑顔。そして、周囲の数名——。
    「これ、昔ある施設で撮られた写真。成瀬奏、いたんだよ。ある“心の治療プログラム”に参加してた」
    わたしはその写真を見て、ある既視感に身体が震えた。先程図書館で見た児童相談所の裏道の風景に酷似していた。
    この写真——確か、あの頃。修平の部屋で、別れる前に見たことがある。
    けれど、そのときは名前も知らず、ただの風景の一部だと思っていた。
    「どうして知ってるの?なぜそれを……今、わたしに?」
    「知っておいた方がいいと思って。あの“Quiet Courtship”は——ただの婚活なんかじゃない。それに長年共にしたあの先生のしそうなことくらい分かる」
    修平の表情から、あの軽さが消えていた。
    そして修平は、大学時代にそのプログラムの研究で関わっていた小柳先生のアシスタントとして参加していたことを話した。
     
     あの頃の僕は、「心理学」を信じていた。
    信じていた、というより、心理学が“正しいもの”だと盲信していたんだ。
    目に見えない感情に理屈を与え、人の苦しみを“理解可能な領域”に引き戻してくれる。そう思っていた。
    それがまさか、あんなに残酷な形で、人の命を壊す武器になるなんて、思ってもいなかったんだ。
     

    「修平くん、データ、出してくれた?」
    ゼミ室のドアを開けると、小柳栞が振り返りもせずに言う。
    資料の束に囲まれながら、彼女は冷静に書類を仕分けしていた。
    「はい、一応まとめました。観察ログと、感情推移のグラフも」
    「ありがとう。ところで——、彼女にはまだ“被験者”ってこと、言ってないわよね?」
    その言葉を聞いて、少しだけ、胸が痛む。
     
    彼女——とは、“片野百合(かたの・ゆり)”。僕の当時の恋人だった。
    心理学部に在籍していた僕と違って、教育学部の学生で、小さな喫茶店でアルバイトをしていた。
    純粋で、気遣いができて、笑うと目尻がすこし下がる人だった。
    僕は、百合のその“素直な反応”を、小柳先生に提案した。
    感情操作に対する自然な反応を観測する対象として。
    「付き合ってる人なら、観察が自然になるものよ。むしろあなたにとっては、好条件でしょ?」
    小柳先生はそう言った。
     
     最初の頃、百合は何も疑わなかった。
    僕が“感情変化の記録”を取り始めたのは、彼女にとってはただの「日々の相談を聞いてくれる優しい彼氏」だったからだ。
    でも、ある時から——何かが壊れ始める。
     
    「ねえ、最近……あまり目を見てくれないね」
    大学近くのベンチに座っていた時、百合がぽつりと言った。
    僕はすぐに「そんなことない」。そう返したけれど、手元のノートに**《不安傾向:増加》**そう書いてしまっていたメモを百合は見逃さなかった。
    ……その自分の行動に、寒気がした。
     
    百合は次第に、僕と会うときに自分を責める癖が出るようになった。
    「ごめん、また余計なこと言ったよね」
    「わたし、重たいよね……」
    僕は、そのたびに言葉では「そんなことない」と返しながら、それも全部、小柳先生に報告しなければならないことに後ろめたさを感じていた。
     
    最後の日。百合は笑っていた。
    それが、なにより恐ろしかった。
    「わたし、修平くんといると、“安心”と“怖さ”が、同時にくるの。
    なんだろうね。不思議だね」
    そう言って、彼女は駅前の階段を降りていった。
    その次の日の朝、大学に出る直前、一本の電話がかかってきた。
    “片野百合さんが自宅で倒れていた”
    呼吸はすでに止まっていて、遺書も何もなかった。自死だった。
     
     ゼミ室に走り込み、小柳先生にそのことを伝えた時、彼女はほんの少しだけ眉を動かし、そしてこう言ったんだ。
    「……観察対象が壊れるのは、想定内よ。データが残っているなら、今後に活かせる」
    それが、彼女の答えだった。
     
     僕はそのまま、ゼミを辞めた。
    大学にも、しばらく行けなかった。
    百合のことを、両親に謝りに行った。
    彼女が“観察されていた”ことは言えなかった。
     
    あの時、僕自身が自分の行動を止めていれば——
    あの時、僕が“観察者”じゃなく“恋人”でいられていたら——
    百合は、今も生きていたかもしれない。

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    ⏬全話はこちら 第1話〜第7話(最終話)⏬

    #創作大賞2025 #ミステリー小説部門

     
     
     
    はじめまして。 八井沢繭(やいざわ・まゆ)です。ෆ ̖́- 文芸社×毎日新聞社【第7回人生十人十色大賞】短編部門受賞、書籍化『拝啓、十年後の母へ』 創作大賞2025年中間選考通過『余命婚活』・.。 ✡。:* .・゚:* .・゚

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